一日目(4)~帝の頼み~
ダメだ。この国はもう駄目。王が正常な判断力をなくしたら、戦争は負けるしかない。
ただでさえ、もう敗北が決定しているのだ。変に抵抗したら、あとあとが大変になる。
どうするべきだろう。私はどうすればいい?ここを攻め込まれるのも時間の問題、そして、その時私はキアを守りきれるのか?
いったい、どうすればいい?
「クレア。帝がお呼びだ」
そんな風に悩んでいた時、将校の一人が部屋に入ってきた。
「……は?……本当?」
「帝がお呼びだ。……きてもらおう」
その声にただならぬ雰囲気を感じて、私は2段ベットから降り、将校の一人についてくことにした。
あれ、そう言えばキアがいない。……どこかに遊びに行ったのだろうか?
わずかな引っかかりを感じながらも、私は再び、帝の部屋、この国の中心へと連れて行かれた。
「……さて、君にひとつ頼みごとがある」
さっきの時とは違い、優しさにあふれた声で、リフィル帝王がそう切り出した。
「君に物資の運搬をやってもらいたい」
「物資?何それ」
おおかた銃か銃弾だろうが、ここはとぼける。あくまで私は力のない旅人なのだ。
「ちょっとものを運んでもらうだけだよ。なあに、君ならできるさ。人間をここまで傷一つ運んでこれた君なら、ね」
少し棘のある言い方だったが、ばれてはいないだろう。ばれていたらさっき私も戦わせろ、という話になっていたはずだ。
「……キアを、守ってくれますか?」
「もちろん。責任を持って守るよ」
私の無茶とも言える交換条件に、まるで当然だとでも言うように答えた。
……信用できない。一応、保険をかけておくか。
「……ありがとう、ございます。……では、行ってきます」
「うむ、ありがとう」
去り際、本当にわからないよう注意しながら、ドアの取っ手に盗聴器を仕掛ける。誰からもただドアを開けただけに見えただろう。
でも手のひらの盗聴器は確かに、ドアにしかけられた。
これで、ここの様子はわかる。少しでも不穏な会話をしたら物資を放って帰ってきてやる。
……さて、行くか。
なぜか、その時の私には、行かないという選択肢は湧いてこなかったのだ。
「あなたが帝がおっしゃっていた旅人か。私はリル。ここの軍医をやっている」
指定された廊下まで来てみると、そこにいたのは血まみれの白衣を着た初老の男だった。
その姿に一瞬驚くが、身分が軍医だと知ってその驚きはなくなった。
手術でもしていたのだろう、その返り血は仕方のないものなのだ。それぐらいは私にもわかる。
「さ、物資のところに案内して」
「わかった。ついてきてくれ」
冷静に反応した私に驚くこともなく、リルは私に背を向ける。
「……君なら、大丈夫そうだ」
ぼそりと、リルがつぶやいた。……私が物資を運べるか心配だったのだろうか?もしそうだったとしたら、なんで大丈夫だと思ったんだ?
私の推理が間違っていたことを私は知る。
血。血。肉。皮膚が抉れて、肉が裂けて見える内臓。
飛び出した骨。赤く染まった全身。
苦痛に耐える悲鳴、悲鳴、悲鳴。
そしてなぜか、銃声。
見たことがないわけじゃないし、どころか幼いころは毎日見ていたものだけど。
こう一か所に集まっているだけで、こんなにも残酷でグロテスクになるなんて。
「……やはり、君は大丈夫なようだな」
リルが言う。
「……物資は、どこ」
それが訊けたのは、運だったのかもしれない。吐きこそしないが気持ち悪いのは事実だ。……そこかしこに転がっている軍人たちには悪いけど。
「そこの奥。そこからすぐに外に出れる。……頑張って」
私はリルに指さされた扉に走って向かう。これ以上はこんなところ、いたくない!
倒れ伏して動かなくなっている人もいる中、私は軽やかに走って扉に。
「……ガキがこんなところに何のようだ。この先は地獄だぞ」
負傷して丸椅子に腰かけていた軍人が、私にそう忠告した。
彼は腕を吊っている他に外傷は見当たらない。
この国はもう負けるんだ、この人は前線を退いてなんとか助かるだろう。
「忠告どうも。私は地獄に用があるの」
冷たいようだけどそう返した。
「……そうか。君にクローフィアの加護がありますよう」
ありがと。
そう言って、扉を開けようとした時だ。
その軍人が、拳銃を取り出した。
私は、とっさに身構える。
でも、その必要はなかった。
その軍人は私の方を見て、見て、見て、託したような表情をして。
銃口を自分の口に当て、そしてその拳銃の引きが
バン!
「……え?」
今、何が起こった?
私は一瞬、殺されるのかと思って、身構えた。
でも、死んだのは、この軍人。
腕を吊った程度のけがをした、助かったかも知れない、人間。
「な、なんで?」
私は、そう訊かずにはいられなかった。
私は、今まで生きるためならなんでもした。
心、身体、思考、思想。
とにかく何でも、身を守るために全て捨てた。
……なのに。こいつは。
まだ腕しか怪我してないのに、死んだ。私が屋敷にいた時、ユノを助けられなかった時、何度試してもできなかったことを、一瞬でした。
なんで?なんで死んだの?まだ生きてるじゃない。まだ生きてたじゃない。生きれたはずじゃない。
……なんで?なんで、なんで死のうとしたの?なんでそんな簡単に死ねたの?
そんなに自殺って、簡単なものなの?
「……おい、君、大丈夫か?」
気がつけば、自殺した軍人はすでにどこかに行って、リルが私の顔を心配そうにのぞきこんでいた。
「……あ、だ、大丈夫。……大丈夫よ。……行って、きます」
帰りはここを通りたくない。……だって、時間がたてばたつほど、ここに死人や自殺志願者、死人もどきが増えていくのだから。
そんな無茶なことを願いながら、治療の指示を大声で飛ばすリルの声を背中に、私は部屋を出た。
一歩外に出ると血の匂いは少し薄れた。でも、昔の記憶も一緒に蘇ってきているのでありもしない血の匂いも混ざっている気がした。
この部屋はとても狭い。銃や銃弾を置くスペースと、外に出るための扉しかない。ここは連絡路と弾薬庫を兼ねているようだ。
私はありったけの弾薬、銃器をコートの中にしまおうとしたところで、手を止めた。
今は派手に行動するわけにはいかない。不思議なコートを持っていることがばれたらまずい。
私はコートに入れて運搬することをやめ、普通にカートに入れて運ぶことにした。
重いけれど、気にならない。
血の匂いが、私を奮い立たせていた。
ああ、やっぱり私はこっち側なんだ。
平和な琴乃若にいた時には感じなかった、興奮。
ここを一歩出れば戦場、本来は怯えるべきところなのに。
私は、わくわくしていた。
やっぱり、私はおかしいのかも知れない。
狂っているのかも知れない。
でも、でも、それでいい。
私が壊れていることでキアが守れるのなら。誰かを守ることができるのなら。
いくらでも、私は壊れてやる。
戦争を始めよう。
私はこの部屋から出た瞬間、クレーシアだ。
お父さんに出会う前の、冷たく、壊れたお人形。
……さあ、行こうか。
私は戦場へと続く扉を開けた。