三日目(7)~クレアの失敗~
ダン。
戦闘は一瞬で終わった。
頭に一発、拳銃を見舞っておしまい。
さっきまで人の形を保っていたセンの残骸は腐敗が進み、もう骨になっている。
クレアは自分の手を見つめた。血に汚れ、汚れきった自分の手を。
「……私もやばいかもね」
自分がSSにかかるまでにはこの世界から出れるだろう。
しかし、この世界でついた汚れ……つまり、アユ、デルタ、セン三名の血は、もう拭えない。
それはクレアは十分に理解している。自分は罪にまみれていると自覚している。
だからこそ、クレアはユノを助けたかった。
「急がなきゃ」
急がなきゃ、ユノも手にかけないといけなくなる。
それだけは、彼女は嫌だった。
ユノは自分の寝室で豹変した家族たちに怯えながらも、たくましく家具の隅に隠れて息をひそめていた。
「ユノ」
クレアは刺激しないようにそっと震える彼女に呼び掛ける。
「あ、……クレア……」
クレアの姿を見るなり、ユノは抱きつき、身体をクレアに預け、さらに震える。
「う、……ぐす、……くれあ、みんな、みんな死んじゃった……みんな、アンデッドになっちゃったよお……」
大粒の涙が幾筋も流れ、ユノは泣いている。
「センは?センはどうしてるの?」
唯一の希望にすがるような目つきで、クレアに訊いた。
ような、ではない。ユノにとって最後の希望が、父親でもあるセンなのだ。
さすがのクレアでも、言葉を選び、ためらう。
「……センは、死んだわ。アンデッドには、なってない」
その意味が、ユノには理解できただろうか。
「そう、なんだ……ありがと、クレア」
理解できたはずだ。
そうでなければ、お礼などここで出てくるはずがない。
「お礼なんて……」
「ねえ、クレア?」
微笑んで、ユノは問いかけた。
まるで外で起こっていることが自分には無関係とでも言わんばかりに。
「なにかしら?」
「クレアは、もうこの樹はダメだとおもう?」
子供らしい無邪気さで、クレアに訊いた。
「……ええ。だから、逃げましょ?」
あるいは。
あるいはここが、クレアのいた故郷なら。
クレアの回答は、正しかったのかも知れない。
しかし、クレアは完全に忘れていたのだ。
ここがどこであるかを、ユノが誰であるかを、自分が何であるかを。
愚かしくも、忘れていたのだ。
「……ユノ?」
クレアの答えを聞いたユノは、放心したような表情で、ふらふらと歩きだした。
ふらふらふらと、まるでアンデッドのように拙く歩きだした。
「ユノ?」
答えないユノに、クレアはまさか、と思った。
もう、ユノにもSSが?
しかし、クレアの読みは外れる。
ユノの肩にかけていた彼女の手が、拒絶されたからだ。
「……え?」
今度はクレアが放心する番だった。
ユノはうっとうしげに振り返り、クレアをまっすぐに見つめる。
その眼には先ほどまでの純真さや無邪気さはどこにもなく、あるのはただ、底なし沼のような絶望と、無限に広がる闇だけだった。
「……あ、そうだ……クレアなら、できるかも……」
声だけは子供のままだが、やはりどこか生気にかけていた。
「な、何ができるの?」
クレアはこの時点で、自分の失敗を悟っていたのかもしれない。ここで聞き返したのは、たんなる希望だった。
自分の予測が外れていますように、という、希望。
しかしクレアはよくも悪くも推理力と予測力に長け、それが外れることはめったにない。
今でさえ、その例外ではなかった。
クレアは忘れていたのだ。
「クレアさ、強い武器持ってるでしょ?人なんか簡単に殺せる強い武器」
「え、ええ」
ここが異世界であることを。
「ここの外にいるアンデッドなんて、簡単に殺せちゃうよね?」
「……う、うん」
ユノがこの世界の住人であること。
「じゃあさ、その武器で―――」
「あ、ええと……」
自分が、生に執着しているということを。
「私を、殺して」
「――――っ!?」
その瞬間、もうクレアは自分の失敗を否定しなくなった。
クレアは間違ったのだ。
ここが『ツリー』に住まなければ生きていけない世界だということを忘れていた。
ユノが『ツリー』以外の生活をしらない子供だということを、忘れていた。
自分が何をしてでも生きようとしている人間だということを、忘れていた。
もし、クレアがそれらの事を忘れていなければ、ユノの質問に
『大丈夫だよ、でも、少しだけ逃げようね』
とでも言ってたはずだ。
クレアにとって、住処を捨てることぐらい、何の苦痛でもない。
なぜなら生きるためにもっとつらいことを経験しているから。
でも、ユノは違う。違いすぎた。
ユノは『ツリー』の生活こそが世界だし、家族もいない世界で生きていけると思うほど愚かではなかったし、住処をなくし、家族を亡くしてアンデッドだらけの世界に一人で生きようとするほど、生に執着していなかった。
むしろ、早くセンや家族のもとへ逝きたい、と思うようになるほど、ユノは追い詰められていた。
そして、クレアが最後の防波堤、『家』を奪った。
「殺して。もういや。ねえ、クレア。お願い、殺して」
最後の希望を失い、絶望しか残っていない少女は、死を望んだ。
「あ、あああ…………」
自分の失敗を悟ったクレアは、拳銃に手をかけられるはずもなく、ただ茫然とうろたえる。
「殺して」
闇のように、ひたすら暗く、光のともっていない瞳に、クレアはどうしていいかわからなくなった。
「……もういいや。ちょっと痛いと思うけど、アンデッドになろう。そうすれば、みんなと一緒にいられる……」
ユノは哀しそうな、さびしそうな一瞥をクレアに向けて、安全な寝室から、危険な外へと出ようとする。
「……ま、待って!」
クレアがそれを止める。
「なに」
かろうじて止まり、首だけで振り返る。
「わ、わかった。こ、殺してあげる」
拳銃を取り出して、クレアはユノに歩み寄った。
もちろん、嘘だ。近くまで行って気絶させるつもりだった。
「だめ。そこで、撃って」
しかし、クレアのもくろみは失敗する。
「ね、ねえ。死んじゃったらもう生きていけないんだよ?」
クレアは説得を始めた。
「わかってる。死にたいの。もう、みんなのところに逝きたいの」
「あ、あの世なんてないかもしれないんだよ?」
「なくても、楽にはなれるよ」
「わ、わたし、もしかしたらユノをすっごく苦しめて殺すかもしれないよ?」
「……人殺しを頼むんだもん、それぐらいは我慢する。苦しくても、痛くてもいいから……」
もう、ダメだ。
クレアは本格的に悟った。
もう、ユノは揺るがない。苦痛で脅しても屈しないなんて、相当な覚悟だ。
「……ねえ、じゃあ、すっごく苦しめて殺しちゃうよ?いいの?」
ユノは目を固く閉ざして、こくりとうなずいた。