3.51
「あなたというお方はっ本当にっ極端っ!!」
イベリスを杖代わりにしてようやっと辿り着いた執務室に怒鳴り込んできた不届き者。別名、アルディジア主教堂堂長。特性、身内のことになると国王相手でも平気で戦いを挑む子煩悩。
ぎゃいぎゃい文句を言われるが全て聞き流してチャービルの背後を覗く。叱られたのだろう、しょんもり俯いたカトレヤと、隣でバツが悪そうにしている次男坊。その二人の肩をそっと支えている嫡男。何ともいえない顔をしているのでおそらくライラックが救出したのだろう。
「どんぐらい手ェ出せたのカティ?」
「コラ陛下!」
「ゼンゼンです。ちゅっちゅも出来ませんでした」
「カティ!!」
落ち込んでいたのは本懐が果たせなかったからのようだ。ぶぅっと不満げに口を尖らせている。それを見てリナリアが大変嬉しそうだ。そうだよね、可愛いもんね。伯爵家の男に手を出そうとした悪人とは思えない愛くるしさだ。
「いくら何でもね、いきなりそういうことをしてはいけない、何ごとにも順序というものがあってだね」
「へーかがおしたおしていいって言ったんです」
「陛下ぁっ!!」
ダンっと執務机が叩かれインク瓶達が少し跳ねた。手を痛めてそうだなぁと見つめるが、当の本人は全く気にしていない。頭に血が上って痛みに気づいていないだけかもしれないが。
「あんた、うちの子に何吹き込んでるんです!」
「そうカッカするものかね。好き合ってるなら別に口付けやら抱擁やら体重ねようが当人同士の合意に基いて自由だろ」
「思ってもいないことを仰らないでください、婚前にあれこれすることあなた軽蔑してるでしょうに!」
「最後のは兎も角、口付けでとやかく言わんよ…何?先にそっちしようとしたの?」
ちろとカトレヤの方を見ればそっぽを向く。
「悪い子だなぁ…どんな育て方をしたんだねクローブ教伯?」
「けしかけといて白々しいことを!」
「実際致したらそれを口実に遠巻きにしようかなと思ったんだよ」
目論見は外れたが。男の方が奥手すぎるからか、その家族が過保護すぎるからか。何れにしろ俺には全く関係のないことである。
俺の計画していたことを知って驚いたのか、カトレヤとラルゴがこちらを見る。目は合ったが特に言う事もないので視線をずらして執政官の方を向く。
「こいつら婚約させて問題あったけ?」
「特には」
「じゃあそれで」
「畏まりました」
「ちょっと、」
「ああ、署名な。すぐ用意させるからちょっと待ってろ」
マロニエ家の方には書類を送って返送させることにしよう。老齢の夫妻に登城を命じるのも体調の良からぬ俺が直に行くのも宜しくない。
「シオン様」
「…名前を呼ぶなと、何度言ったら分かるのかね」
「この子たちを婚約させる気ですか?」
「不都合があるのか?王命を退けるに足るほどの」
「王命とするほどの利点がないでしょう」
教伯が怪訝そうに俺の顔を窺っている。貴族の婚姻には国王の認可が不可欠だが、国王が命じての婚姻は戦が遠い記憶となっている時代には殆どない。少なくとも俺がこの椅子に座ってからは一度も命じてはいないから、教伯が訝しむのも無理はない。
だが、俺はこれでも政務に関してはそこそこ真面目なのである。サボりこそすれ、手を抜いて取り組んだことはないのだ。従ってこの決定には重要な意味がある。
「余の心の安寧」
「は?」
「あと睡眠時間の確保と、無駄なことに記憶容量を食わずに済むという点。不必要に教堂の連中に絡まれることもなくなり、周囲から在らぬ疑いを掛けられなくなるとも考えられる」
相槌も聞こえなくなったが、にこりと笑って話を続ける。
「双方とも相手に気取られたくないと主張するが故に余がどれ程気を遣っていたか、其方には分かるかね教伯?歌巫女殿から日々延々聞かされる『今日のオルガン弾きの動向』を当の本人にうっかり口を滑らせようものならどこでそれを知ったのかを説明しなければならないわけだから政務上必要な顔合わせの際も歌巫女殿の惚気だか感想文なんだかを必死に思い返して対応していたし、オルガン弾きの方は鈍いんだか態となんだか知らんが歌巫女殿に惚れてるのを端々で露見させようとするから懸命に誤魔化していたのだよ。どうしてだろうね余の仕事では絶対にないというのになぜこんなにも苦労していたのだろうかね余はっ!」
「長い!」
もっと言いたいことは沢山あるが長いと言われては仕方ない。文面に起こして正式に抗議しよう。用紙が何枚になるか分からないからリナに代筆を頼むか。いや、俺がどうしようもなく虚しくなりそうだからもう自分で書こう。
「…カティが色々していたのは見ていて知ってますけど、ラルゴはそんなことなかったと思いますよ?自分、全く気が付かなかったですし」
「それは貴方の注意力がないだけだと思いますが」
「何だよ、お前は知ってたって言うのかよ」
「そうですね。陛下が尋常になく気を遣っていらしたのでそこから推測しました」
「尋常になく気を遣う…?」
俺が気を遣う様子が想像出来ないらしく、ライラックが困惑している。失礼な奴にはインクの蓋をくれてやることにした。
「ぎゃっ」
「いけませんわ陛下、カトレヤ様に当たったらどうなさるの」
「いっそ清々しいまでに自分の心配はして下さらないのですね!あれ、そういえばリナリア様も陛下の気遣いとやらでお知りに?」
「いいえ。カトレヤ様からこれこれこういう理由でこういった相談を今後受けることになりそうだけれども、側からみたら浮気しているように見えるかもしれないが誤解しないようにして欲しいのと、それによって私やデンドロビウム家に不利益が生じればすぐに取りやめにするから教えて欲しいというのと、カトレヤ様に私の友人が何かしないように気を配って欲しい、という依頼を早々に受けましたのよ」
「気遣いの塊じゃないですか」
「…あまりに好意的に翻訳しすぎでは?」
「私にはあなたの本心が手に取るようにわかりますのよ?」
「あーはいはい、そういうことにしておくよ」
全然全くそんな言い方はしてなかったのに認められそうにないので手を振って話を終わらせる。
「で、尋常になく気を遣うってどういう感じ?」
額で受け止めた蓋をイベリス経由で俺に返すことにしたらしいライラックがそっと問いかける。蓋を受け取った相手も、そっと俺に返しながら質問に答える。
「貴方やお父君がどうかは存じ上げませんが、陛下や弟君は妄りに女性に触れないでしょう」
「俺と父さんを何だと思ってんだ」
「しかし、歌巫女殿に限ってはお二人ともよく触れていらっしゃいます」
「イベリスイベリス、言い方がなんか嫌」
「他にどのような言い方が?」
「…まあいいや。あれだ、頬引き伸ばしの刑のこと言ってんだろ」
「ええ」
ここまで言ってもピンと来ていない様子なので、イベリスは説明を続ける。
「意味合いはどうであれ好意のない相手の頬を摘むことは心理的に難しいと思いますが」
ラルゴが固まった。やはり自覚してなかったようだ。
そんでもって隣のカトレヤは自分の頬に手を置きながら困惑している。
「そのリロンだとへーかが私のこと好きになります…?」
「そうとも考えられますが」
「おいこら!」
「陛下が同じ行為をされた時の状況を思い返してご覧なさい」
頬をもにもに摘みながら考え込んだカトレヤは、答えに辿り着いてハッと頬を引き延ばす。
「大体ララちゃんがもにもにした後です!」
「そうですね。私も初めて目にした時は遂に気がふれたと思いましたが」
「イベリス?」
「ある程度親しい間柄であればする行為であると歌巫女殿に思わせるために已むを得ず行っていたのでしょう。ご不快に思われていたのでしたら代わって謝罪致します」
「ララちゃんにもにもにされたことにいしきがしゅーちゅーしてたのでへーかのことはどーでもよかったです」
「それは良かった」
良くない気もするし良くないと言うともっと良くないことになる気がする。結果として無言でインクの蓋を閉めることにした。
「後は、そうですね。お三方で歓談された後の執務中や業後に呪詛を延々と流していらっしゃいましたので」
「あれは愚痴という名の独り言であってお前に聞かせていたわけではない」
「御自身が表立って婚約者殿と仲睦まじくできない状態で無自覚の睦み合いを繰り広げる相手をどう呪えばいいのだろうとお尋ねになられていたと記憶していますが」
「喧しいわっ!」
振りかぶったインク瓶は事も無げに受け取られ、机に戻しにくるついでで頭を叩かれた。
『テメェそういう話題さらっと言うんじゃねぇ同じことしてやろうか、伯父貴の前で同じことしてやろうかっ?!』
『勝手にするがいい。甥の愛らしい話の方が興味を持たれるだろうがな』
『なら向こうの爺さんの方にしてや、痛い痛い!効くんだな、あっちのジジイには聞かれたくないんだなっ?!』
「陛下?私の前で他の方とそんなに睦まじくなさるなんてどういうおつもりかしら?」
「これは頸部圧迫という攻撃!」
加減されているとはいえ圧迫には違いない。連続で腕を叩いて何とか外してもらう。アトロの手形を隠す為に巻かれているスカーフを緩めて首を摩りつつチャービルに向き直る。
「まあそんなわけだ。署名宜しく」
「……陛下」
「…ぁんだよ」
じっと見つめられる。そんなに首の飾りが興味深いだろうか。
「何を企んでいらっしゃるんですか」
再度黒い瓶を握った手はイベリスに押さえられたので、ペンを投げる準備をする。投げ矢は得意ではないがこの近さでは外すまい。狙うは眉間だ。
しかし距離が近いということは相手からもそうであるということで。指から離れる前に的からペンをもぎ取られた。
「シオン様」
「だぁーから名前呼ぶなと何度」
「国王として命じる根拠が薄い以上、シオン様個人のご意向によってこの子たちの婚約を進めようとしていると判断できますがそれでよろしいですか?」
「さっきからそう言ってんだろ。俺の心の安寧と平穏と名誉と、」
「あなたが、個人的に、友人の為になさる、と考えますよ」
見つめる瞳の色が濃いから、映る俺の姿もくっきりよく見える。逆に色が薄い場合は表面に結ぶ像の色まで淡くなるらしい。ある時やむを得ず俺の目を鏡代わりに化粧をした人が、後の確認で濃すぎると色々拭われていたから確かである。
「あなたが、ラルゴとカトレヤのために、貴族の婚姻という手続きの煩雑なものを、国王という立場から必要という理由によらず、かといって何かしらの企みもなく、あえて行うと」
「……………」
何事かを俺の口から言わせたいらしい。でなければこんなにも執拗に繰り返し同じことを言ってこない。
相手の望むものははっきり分からないし与えていいのかも判断がつかない。こういう場合は下手に誤魔化すより正直に本心をぶちまける方が追及を逃れられそうだ。相手が食い下がろうが提示したものが事実である以上、探られて痛む腹はない。
「…階級とか家柄とか、情勢とか派閥、年齢、性別…血筋とか。婚姻に際しては兎角周囲から反対される要素が多いわけだから…」
後は、そう。冥府の川で分たれたらそうそう気軽に番えないわけだし。
「そういう問題がないならすんなり収まるところに収まるのが、良いんじゃないんかと、ね…」
あくまで私人としての個人的な意見であると小声で付け足しておく。ここでの会話が万一外に出てしまった場合、国王がそう言ってたんだからと自由な歪曲と解釈に基づいた奔放な行動に出る輩が発生しないとも言い切れないので。
「……そういった理由で引き裂かれたお相手がいらっしゃたとは」
「おい貴様おかしなことを言うな事実無根の虚実妄言を口走るな」
「教えていただければお力添えいたしますのに」
「私自身の事じゃありません!一寸、身近に…そんな例があっただけでしょうがっ!」
ライラックのアホらしい感想を利用して側妃を2、3人増やしそうな婚約者に対してついうっかり口調が乱れる。
どこの誰の話か知っているのにそんなことを言うなんて。あまり年下の男を虐めるもんじゃない。あねさん婚約者が酷いと言って部屋に引き篭もり、周囲から「今更何を悲しむ」「元々そういう扱いだったろう」「いい加減諦めろ」等々労いの暴言をかけられて悄然と部屋の扉を開けて出てくることになるんだぞ。
必死にそう念じながら訴えたのにリナはいつも通りである。酷い。また部屋に篭れというのか。他の人間も、皆ぽかんとしていないで俺の不遇を憐んでくれないだろうか。
「身近って……アス、前王様じゃないですよね?」
「は?」
何言ってんだと返す前にペーパーナイフを引っ掴む動作が見えたので慌ててしがみ付く。状況を過たず理解したチャービルは、うっかり口を滑らしてしまった長男の前に躍り出て庇う姿勢に入っている。尚、ラルゴとカトレヤは訳がわからない様子ではありつつお互いに庇いあっている。もうさっさと結婚してしまえばいい。
「綴りで言うと5分の2しか口にしてないからそれは刑罰が重すぎる!」
「音で言えば3分の2で過半数、死罪です」
「伸ばす音もいれ、ても半数だな。無理だ」
「うちの後継者の命がかかってるのでもう少し粘ってくれませんか!」
そんなこと言われてもなぁ。
取り敢えずそっとペーパーナイフに鞘を被せてみたが無言で外された。俺の手の届かないポケットに仕舞われたのでゆっくりと頭を振って諦観を表す。
漸く自分に殺意というか何というかが向けられていると気づいたライラックが慌て出した。落ち着いて欲しい。人間、慌てると思いもよらぬ失態を犯すのだから。
「ちょ、今回はちゃんと寸止めしたからセーフだろ!」
「“今回は”?」
「迂闊に足が生えたのが貴様の正体か?」
「陛下の御前で、以前にも前王の名を口走ったというのですか?」
一体いつだと無音の問いかけをされるがそっと無視をする。俺の前かどうかはあまり関係ない気がするので。
「…絨毯を納めに向かわれた日ですね?」
そっと目を閉じる。俺が問い掛けに答えるかどうかはもはや意味を成さないようなので。一寸料理を作り過ぎただけの日が該当の日だとあっさり理解しないで欲しい。
代わりに愛用の文房具が事件の証拠品になるのを阻止する為、小声での説得に踏み切る。この男の名誉に関わるので当然言葉は選ばないといけない。チャービルが未知数だが、この国における南部ミネオーアの方言の希少度に賭けよう。
『…1だからいいだろ。2だったら俺とて止めはしない。だが1だ』
『…………そのようなくだらない理由で事に至ろうとしているとお思いか」
『くだらないと言うその理由がこの状況に至った動機の中に一欠片も含まれていないのならば、やればいい』
暫くの間をおいて定位置に戻された文房具。そろそろ切れ味が落ちてきたので研ぐか、新しいものを買いたいところだ。
「…そうだ、この間通り抜けた店で買おう」
「いきなり話を変えるのはおやめになったらいかが?…ああ、皆さんもう大丈夫そうですわ。それからライラック様、陛下はそのお名前を唐突に聞くとお加減が悪くなりますから今後お気をつけくださいまし。そちらの方ほどではありませんけれど私も厳しい対応を取らせていただかなくてはなりませんから」
「も、申し訳ありません…やっぱりあの後調子を崩していらしたんですね?どうしたら償えますでしょうか?さっきの借りて自分で決着をつければいいでしょうか」
「五月蝿い喧しい鬱陶しい、大した事じゃないから金輪際前情報無くアスターの名前を出さなきゃいい」
「…自分で言うのはいいんですね?」
「…前情報が自分の中にあるからじゃないか」
「お前らはさっさと婚約でも結婚でも離婚でもしてこいっ」
「どーして別れなきゃいけないんですか!!!!」
ぐったりしながら出来上がった書類を見る。
カトレヤが別れたくないと泣き出しそもそもそういった関係にないとラルゴが言い出して更に泣かせそう言う関係になる為の準備をしているのだとリナリアが宥めそう言う関係といえばと前王の引き裂かれた相手についてライラックが何故か質問をしてきて今更そんなこと聞いてどうするのかとイベリスが淡々と大変不機嫌になり。
そんな騒ぎの中オークスを呼び出して黙々と作成した婚約の宣誓書。偽造防止のために特殊な紙の上、書式は毎回手書きである。次からは印刷して欲しいと毎回念じながら王が書く。
当事者2人の署名欄は婚約の宣誓の儀の際に埋めるものなのでもちろん空白。他の者が去った後も残らせた目の前の人物が記入するのは男側の家長の承諾欄だ。
「さぁジタバタしないでさっさと書くがいい。ゴネれば苦しみが長引くだけだ」
「それは拷問を加えた相手などに投げかける言葉かと存じますが、今からクローブ伯を拷問にかけるおつもりでいらっしゃるのですか?そういったことは先にお伝え頂かないと準備のしようがありません」
「準備をしようと思えばできるのですかオークス女史?そして意味もない脅迫はおやめくださいね、陛下」
「甘いな…苦しむのは余の方だ。そろそろ休まないと本格的な熱が出る気がする」
「恐ろしい脅し文句ですね…これで宜しいですか?」
脅迫に素直に従ったチャービルから書類を受け取る。乾いたらマロニエの方に送って、返信を受け取って、それから、
「ーーシオン様」
「…………なんだよ」
最早文句を言う気も起きずイベリスに書類を預ける。
婚約宣誓の儀は主教堂の方でやるのか、それともサンギネウス領との和解を含めて向こうの教堂が良いのか。話すべきことは確かに多い。後でも良い筈だがどうしても今ここで、というなら応じない理由もない。
「婚約の方はあっちで本番はそっちっていうのが1番丸く収まると思うけど」
「先程あなたが仰っていたこと、」
先刻?
一体どれのことをーー
「…私も、お二人がそうであれば良かったと、勝手ながら思っていますよ」
では、と勝手に言い置いて去って行く男も、いつもの様に自分の職務を終えたら足早に去って行く女も、要はこの部屋には残らないから隠す必要も誤魔化す理由もないのに。
「…そんな顔をするな」
覆った手を退けられないのは一体誰の所為なのだ。




