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女王の肖像画  作者: 堂 ジヨン
3章 歌巫女のアトリビュート
94/129

3.46


「なんでこんなくそやろー、みんないうこときく?」

「お嬢さん口が悪くていらっしゃる」

「だってくそだもん」


 小さな手が子ども向けの教典を差し出してくる。

 読み聞かせをしていた人物は、何故か遠くで突っ伏している。


「おんなあそびするやつみんなくそ、もげればいい」

「お嬢さん口汚くていらっしゃる」

「ねぇ、なんで?なんでこいつがいちばんえらいの?」

「話最後まで読んだ?そいつは1番偉い奴じゃないよ」

「…つまんない」


 遠くで伏した男がびくりと震える。打ち上げられたばかりとは違う、息絶える寸前に鋭く突かれた魚の様だ。


「くそやろーのおんなへんれきよんで、なにがたのしい」

「そこ楽しむもんじゃないと思うよ」

「ならどこがたのしいかいってみろ」

「えー」

「おねがい、いえ」


 言葉の汚さと、命令と依頼が混じった奇妙な物言いを訂正するのは別の人間が行う様だ。よって内容の実現が課せられた任務である。

 近くで遊んでいる子ども達から積み木を二つ借り、目の前の子との間の座面に置く。


 二等辺三角形を底辺とする三角柱を持ち上げる。


「アルディジア」


 直方体を持ち上げる。


「ストレリチア」


 そして、適当に言葉に合わせて動かす。


「“ーーいつまで妻の座にしがみついていらっしゃるのかしら?彼の方が愛してくださっているのは(わたくし)だと言うのに“、”まぁ、あの人が愛する方ならば私にとって大切な方、どうかお名前を教えてください“」

「…きのはへんがしゃべった!」

「これは積み木という玩具。話しているのはシオンで、腹話術を使っている」

「おなかではなせるのか?くちがある?」

「唇を動かさないだけで声は口から出す。お腹に口はないから服をはいだりつついて確かめようとしてはいけない」

「”強がりなんて結構よ!さっさとあの人と別れなさい!“、”それは困るわ。だって私、あの人を愛しているのだもの“」

「というか、なぜその場面を選ぶ」

「あまりに噛み合わない会話が最高に滑稽だと思う」

「滑稽と楽しいは違うのではないか?」

「ーー楽しくない?」

「よくわかんないけどちょっとわくわくする」


 真面目な子は少し考え込んだが当人が聞きたそうにしているのでそれ以上何も言わなかった。


「ーー”あんたがいくら愛していようがあの方の気持ちはあんたにないのよ!“、”それはとても悲しいわ。でも彼の方の妻でなくなるのはもっと悲しいわ。それにね、私彼を愛しているのよ“」

「あるじじあしつこい」

「ーーそう、以降、10頁近く似た内容が続く」

「それきくのや、ねたばれしろ。どろぼーねことせいさいどっちかつ?」

「…泥棒?」

「ストレリチアのことだな」

「すとれれちあもけっこーくそ、でもおとこのほうがもっとくそ」

「その言葉は使ってはいけないとさっきも言ったな?」

「…ねたばれ!」


 教育的指導から逃れるために再度なされた情報開示請求。素直に応じるのでも構わないが、せっかくの機会だ。


「君はどっちが勝ったと思う?」

「しつもんがえしするやつはいじわるだってリリスちゃんいってた」

「そうだねー、で、どっちだと思う?」


 諦めて考え始めたらしく、うーうー唸っている。隣の人間も静かにそれを見守っているので、単なる意地悪ではないと判断されたのだろう。


「ーーあるじじあのほう」

「どうしてそう思ったの?」

「はずれ?」

「理由を聞いてからじゃないと正解が教えられないんだよ」

「…すとれれちあは、たぶん、じぶんがいっぱいあいされてるってじまんするおんな」

「うん」

「でもあるじじあ、じぶんがどれくらいはいどらーじあのことすきかいいつづける」

「そうだね」

「…すとれれちあ、せんいそうしつ?」

「その通り。ついでにハイドランジアもアルディジアに負けて二番目に偉い奴に格下げされるよ」

「むなくそすっきり?」

「こら、」

「あ、えー、んーと、ざまぁ?」

「アルディジアはどんなハイドランジアでも愛するのでそれには該当しないかもしれない」

「もとさや?」

「別れてないからそれも違うね」

「えーじゃーなに?」

「…僕に聞かれても」


 答えを得られなかった子はじっと手元の書物を見つめる。そこに明確な答えは記されていないのだが。


「…はいどらーじあは、あるじじあのこと、とってもすきなの?」

「ん?」

「それならまけたのわかる。すきなおんなのこ、じぶんのことすきっていってくれる。でもそれまにうけてしんじられないくらいとてもすき」

「うん」

「だからたしかめたくなってうわきする。でもおこってくれない。じぶんはあいてがほかのおとことはなすだけでもいやなのに」

「雄羊相手でもぶちぎれてるもんね」

「…はいどらーじあ、かわいそうなやつ?」

「報われないクソ餓鬼ってくらいかなぁと個人的には」


 個人の意見と注釈付きなので特に訂正も入らないが、小さな子は何か気付いたらしくはっともう1人の方を見る。


「ーーなんでこっちはおこらない?!」

「俺は口汚くても多少は良いからだよ」

「ふとーなくべつをさべつとよぶ!」

「お嬢さん難しいこと知ってらっしゃる」

「むかつく、」

「こら、腹立たしいくらいにしなさい」

「はらだただしい」

「腹立たしい」

「はらただしい」

「もう良いんじゃないかそれで」



 なんの話だったか原型がない。

 それもそれでいいと思う。


 沢山人とお話ししな。








******************



「…まさか君が来るとは」

「あら。そんなに意外そうにされるとは思いませんでしたわ」


 対面する席にゆったり座る彼女は楽しそうに扇の下で笑う。

 何となく落ち着かないので先程置いたばかりのカップをまた口元に運ぶ。どうしてあの花の香のものを頼まなかったのだろう。


「私、一次審査で候補から外されるような振る舞いをしてきた覚えがないですから」

「…それはそう、だがね」

「それとも私が怖じ気づいて逃げるとお思いに?」

「逃げ道を用意した身としてはな」


 別れに似た言葉を贈った日から半年も経たない。近すぎもしないが良く覚えている距離だ。どんな顔をすれば良いのだろう。


「あらあら?逃げ道でしたの?てっきり追いかけて欲しいのだと思いましたわ」

「…あのねぇ」

「あの程度で醒めるような恋心ではありませんのよ」


 紅茶を吹き出しかけた。


「覚悟なさってくださいな。どこへ行こうと必ず横に立ってみせますから」

わたしは君がくれる物と同じだけの物を返せない」

「あなたはそれを後ろめたく思ってくださいます」


 それで十分。

 事もなげにそう呟いて扇を閉じる彼女に何と声をかければ良いのだろう。

 俺が悩んでいる間の沈黙を、不思議そうに破る。


「それで、質疑応答はございませんの?他のご令嬢を切り捨てていった難問と聞いて楽しみにしてきましたのに…シード権なんてもの、ないでしょう?」

「…」


 答えて欲しいような、応えてもらいたくないような。ついこの間の誕生日から存在する背反する内情が混濁する前に、どうにか決まった質問を投げる。

 今までの令嬢達は曖昧に笑って窮するか、そんなことは考えたくないと嘆くかのどちらかだった。質問に答えてほしいものである。


 でも、俺は。目の前の彼女に、なんて応えてもらいたいのだろう。



 考える時間はたっぷり取ったのに返答がない。まさかの沈黙か?


「ーー質問がそもそも成り立ちませんわ」

「…どういうことだ」

「お尋ねになられたような状況に、陥らせないのが役目です」


 ぱちっと瞬いて話の主を見つめる。いつの間にか顔を逸らしていたらしい。


「ええ、ですが、無理矢理お返事をするとなると『そんなことはさせない』、になるのかしら」

「それは、」

「いけませんか?ならこうしましょう。他の方の手を煩わせず、私が対処します」


 どんどん意図と離れていくので硬く口を閉ざす。迂闊に開けば隙を突かれる。


「どうせ、選出のための手続きはとったけれど適性のある者がいなかった、とかなんとか、選ばすにいこうとなさってるんでしょう?」

「………分かってんならさ」

「お断りよ。あなたを一人になんてさせてあげないから」


 喜べれば良いのに。胸の辺りが重くなるのはそれが出来ない苦しさ故か。

 それはつまり喜んでいるということで。

 棄てたはずの部分が喧しいということで。


「まさかと思うけど、年長の甥御さんからカンニングしてたりしない?」

「つまり正答ですのね」

「いや不正は即時失格、」

「なぜそんな手間をかける必要がありますの?あなたを見ていればすぐわかることですわ」


 分かり易い人間という評価を受け入れたくなくて、不正実行の共犯容疑者を見る。俺の立てた予定が狂うことで利益を享受するのはまずこの男であるから。

 予想通り、一瞥も返ってこない。沈黙は肯定と誰が言ったか。この男のそれに関しては応える必要性を感じないという意思表示でしかない。


「あなたの王はただ一人。その方の道をたどればこたえはひとつしかないでしょう」


 そうだね。


 そう言ってくれる人に、素直に礼が言えれば、


 君のくれるのと同じだけの物を返せれば、



 良かったのに。







***************


「あの野郎絶対に許さん」


 いつもは風のような声が、地を這う瘴気の如き重さになって部屋に落ちる。

 思わず近くの物にしがみつけば、大きな手が頭に乗って宥めてくる。


「なぁにがお嬢さんだ、我を誰と心得るっ!ああ、ほんとムカつく!ぶん殴ってやれば良かった!」

「落ち着け」

「あんた、少しは気にしたらどうなの?私がお嬢さん呼ばわりされたのよ?!」

「そうだな、お前がお嬢さんなわけないな」

「…私の意図していることと別の意味が含まれている気がする」

「お前がお嬢さんなどと呼ばれては世の令嬢方が不憫だ」

「どいつもこいつも不敬ーーーーー!!!」


 がるるるる、という唸り声でも聞こえてきそうな勢いだ。握り込む力を強めれば、背中をトントン叩かれる。泣き噦る幼児をあやす仕草だが、多分、まだ泣いてないはずだ。


 怒声が恐ろしいのもある。でも何より、この人が侮辱されたことが悲しい。傷つけられたのなら受け入れ難い。


 だって、この人はーーー


「俺の弟をこれ程怯えさせるど阿呆と同列に並べられては堪らんだろう」

(おび)、……違うのよ?!貴方に怒ってるんじゃないの、私の可愛い王子様!」

「それ以上近寄るな。見ろ、可哀想に震えているだろう」

「あ、あああああああ、わ、私が、愛しい天使を傷つけたというの?!」


 ガクッと膝から崩れ落ち、消え入りそうな声で「どうか罰してくれ…」と呟く。

 その様子をじっと見つめる人は何だか楽しそうだ。さっきからずっと、誰だか分からない男の名前を言っていたのが余程気に食わなかったらしい。


「望み通り罰をくれてやる。今日からジストの添臥無しだ」

「ーーふぁ?!」

「今後は俺が一切の面倒を見る。安心して一人で寝てろ」

「き、貴様っ私に死ねと言うのか?!」

「妥当な量刑だろう。…さ、そろそろ寝るぞ」

「ちょ、ま、今日は私の番ーー!!」


 一週間仕事頑張ったのにーー!


 閉じた扉の向こうから何事か聞こえてくるが、歩みを止める気はないらしい。順当に寝台に辿り着いたらそっと下ろされた。


「良くやった」

「何もしておりませんし、落ち着かれてもないようですが」

「あの状態になればどうとでもできる」


 再度良くやったとの言葉を貰い、ついでに頭を撫でてもらうが腑に落ちない。

 あの人が傷つけられたのに、真っ先に憤るべき人がそうしない。


 顔にそのまま出ていたのだろう、手を止めてじっとこちらを見つめてくる。


「彼奴はこれしきのことで傷つかない。あの騒ぎはただ単に腹が立って起こした癇癪だ」

「…ぶじょくされたのではないのですか」

「取るに足らぬ者からの言葉などいちいち受け取っていてはキリがない」


 …侯爵はそれなりに高位ではなかっただろうか。

 そうは思うが、目の前の人はもっと高位だ。何なら最高位の人物を阿呆と呼ばうやんごとなき御仁である。


「…でもとっても気にされてました。今も何かおっしゃってますし」

「放っておけ。一人で立てないような軟弱なお嬢さんではないそうだから」

「…あにうえは、おこらないのですか?」

「真に傷つけられたと言うのなら如何なる手段を取ってでもその要因を排除する」

「………」


 さらりと言う人の瞳を見つめる。あいも変わらず深い色である。


「あにうえ、」

「何だ」

「われなべとなんでしたっけ」

「……お前も大概酷い評価だな」


 それでも頭を撫でてくれるのは、多分、お似合いという意味も読み取ってくれたからだろう。

 腕の動きと合わせてふんわりいつもの整髪料の香りがする。さっきまでは動揺して気づかなかった。なるたけ匂いの弱い物を選んでいるとのことで、近くにいないと分からないものではあるのだが。


 あの花の香りと一緒で、何だかとても落ち着く。









…………



…………………ぺたこん、




ーーーーぺたこん、ぺたこん。




 ……間の抜けた音が耳に入る。何だろう。


 もぞりと顔を動かせば、さっきよりも近くにあの香りがする。一定の揺れの中にいるので、負ぶわれているようだ。抱き抱えられている時とは感覚が違うなぁとぼんやり思う。


「ーー、ーーかぁっ」

「ーーーくな、ーーいから」

ぺたこんぺたこんぺたこん……


 だから、何の音だ?


 ーーの、ーーかぁ

 へーかの、ばかぁ!


「ーーへーかのばかぁばかばか、しんじゃうなんてぇ」

「え?死んだ?」


 それは予定外である。困った。どうしよう。


「馬鹿なこと仰い。御存命ですよ」


 すぐそばで淡々と声がする。それは良かった。一安心。


「い、いきかえったぁ!!」

「だから、そもそも死んでいない」

「ララちゃんだってあわててたくせにぃ〜ぃぃぃ」

「うるさい」


 カトレヤが泣きながらラルゴに手を引かれて少し後ろを歩いている。その動きに合わせてあのぺたこん音が響いている。ブカブカの靴を履いているようだ。

 何となく足先が寒いことに気づいて見れば、靴がない。


「追い剥ぎ……」

「どうせ使わないのですから構わないでしょう。それより、もう少ししっかり掴んで頂けませんか」


 そうしたいのは山々だが、左腕はまた外れたのか動かないし右は右で早くも筋肉痛である。黙って顔を肩に押し付ければ、溜め息と共に俺を上に動かすために上体を傾けた。大人しい荷物になってやったので、視点が少し上に上がった。

 どうやら要塞から出て歩きで帰っているらしい。セラフが悠然と横を歩いているのが見える。相変わらず綺麗な毛並みだ。


 ぼんやりとする頭を何とか働かせて、ゆらゆら揺れる中で伝達事項を纏める。多分、次に目を閉じたら暫く起きられない。


「…あ、馬」

「近くの木に繋いでいらっしゃいますね。お二人に乗っていただきますからご安心ください」

「みんなセラフに乗せるのかと思った」

「乗り潰す気ですか」


 そんなこと出来るわけない。あれ程美しく賢い馬はそういないのだ。

 久々に撫でたくて動かし辛い腕を伸ばすが、空を切るだけである。


「後にしなさい」

「ケチ、」

「他にご指示は?」


 うー、と唸ってまた考える。


「サンギネウス侯爵への出産祝い、」

「はい」

「…歌巫女殿、は、」

「承知しております」


 なら何で聞くんだ。

 瞼が緩々降りてくる。後、何、言っておくべき?


「……3日、寝るから」

「畏まりました」

「起こしても、起きないから」

「ええ、どうぞ」


 ゆらゆら、熱に浮かされたとのは違う揺れの中。後、後は…、


「課題、一つ、片付け、た」

「ーーええ」


 だから、私を、


 あの方は。



 褒めて、下さるでしょうか?



「ーーーええ、きっと。褒めるのは彼方(あちら)の役目ですから」

「………うん、」


 だとしたら、なんて嬉しいんだろう。こそばゆくて温かい。ふわふわする。

 照れ臭さもあって額を擦り付ける。ああ、でも眠いから、あまり早く動けない。


 段々遠くなる音の中で、よく頑張りましたねと聞こえた気がして。

 いつの間に夢を見ているのだろう。


 この人は、叱る担当なのだから。


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