1.9
「何うちの子と息子を困らせてるんですかバカ陛下」
「予想と比べて若干表現と罪状の数が違う…」
ノックの主はイベリスとアルディジア主教堂堂長、チャービル=クローブだった。用事が済み堂長を見送ろうとしたイベリスに、城内の者がご丁寧に我々がこの部屋に来るまでの一部始終の流れを説明したらしく、仲よく2人で乗り込んできたというわけである。
ノックというのは返事があるからこそする意味があるのだと思う。叩いてすぐドアをぶち破る勢いで入ってこないでほしい。おかげで膝から爆弾を降ろす暇もなく、こうして胸ぐらをつかまれる事態になったのだ。問題が発生しているときに別の問題が起きたとき、それが救いとなることもあればただの重荷になるときもある。今この状況は類を見ないほどの後者の好例である。
堂長が俺の胸ぐらをつかむ間にするりと膝から降りていたカトレヤは、そっと育ての親の腕に手を添えて懇願する。
「へーかのお膝に乗ったのは私なので、そんなに締め上げないでください」
「こういった場合、女の子が行動を起こしたとしても責められるべきは男の方なんだよ」
「理不尽だ暴論だ不条理だこのようなことがまかり通る世でよいはずがない」
「陛下が治める結果ではありませんか」
「余は為政者としての資質に欠けるようなので隠居しよう」
「後継者もいらっしゃらない御身で何を仰るのです」
「王政やめるか」
「陛下、」
「革命万ざぁ―――いっでぇ!!」
俺以上に王家の血を濃く持つ適齢の者はいない上、これから先も生まれるかは分からないのだからいっそ現行制度をやめてしまいたいという平素の願望を、やや離れた国で起こった政変の喝采に乗せてみたら殴られた。久々に星が飛び、頭を抱える。やはりいつもは手加減をしているらしい従兄殿の気遣いに涙が出る。
殴られた箇所を抑えつつ懲りずに革命賛歌を口ずさむと、へーかってどうしてそう少し音を外すんですかと聞かれた。外そうとしているのではなく外れるのである。歌が生業の者には理解できないいのだろうが、指摘を真摯に受け止めて静かに口を閉じた。ショックだったともいう。
「陛下の音痴に免じて今回は不問といたしましょう。さあ、二人とも帰りますよ」
「なぜそれに免じたのかどこどう見たらが不問なのか色々と言いたいことはあるが帰るのは少し待ってくれないか。貴殿に用がある」
「何でしょう、どうせ碌でもないことでしょうから手短にお願いします」
「親子そろって何たる言い草」
「手短に」
「宣誓の儀を早めたいのだが」
「そんなことイベリス様に言われたってお断りですよ。教堂にも準備と言うものが必要なんですから、勝手なこと言わないでください」
「序列がおかしいことは不問にするから、理由だけでも聞いてもらえないかね?」
「リナリア様がソリダスター家のお嬢さんを側妃にしないと自分も宣誓しないと言ったからでしょう?」
「寸分違わず把握しているのはなぜ?!」
思わずぎょっとして相手の顔を見つめる。黒い髪と瞳のせいなのか実年齢よりずっと若く見えるが、国内でも屈指の勢力を誇る教堂の長を務めるだけあってなかなか喰えない人物であることは既知である。しかしまさかそこまで情報を掴んでいるなんて誰が思うだろうか。
「デンドロビウム家から便りがありまして。これこれこういう理由で陛下が宣誓を早めたいという戯言をおっしゃるでしょうが気にしないように、と」
リナリアが俺のことを理解しすぎてて涙がでる。目の前の男が失礼すぎて、さらに。俺としては重大な問題なのに、戯言とは何だ戯言とは。あまりに年齢不詳だったので年を聞いたら「永遠の27歳なんですよー」と返してきて、傍にいた可愛い息子に「馬鹿なこと言わないでください40も過ぎたいい大人が」と言われて落ちこんでいた男に言われたくない。亡き最愛の妻の面差を持った次男にかくも冷たくあしらわれては可哀想だなと当時は同情したが、今は存分に嘆き悲しめばよかったのにと思う。
「いいじゃないですか、奥さんがたくさんいたら楽しいと思いますよ。男の夢でしょ」
「貴様今の言葉もう一人の息子と細君と義理のお父上に細分違わず伝えるからな」
「私がそう思うなんて言ってないでしょうに。まあ私より陛下の言葉を信用するとは思えませんので構いませんが」
「ラルゴに伝言してもらえば信じてもらえそうですね」
「何という恐ろしいことを思いつくの、カティ!」
最もチャービルにとって受ける傷が大きくなるであろう手法をカトレヤから提案してもらったついでに、その要になる人物を見る。今までの流れの半分も聞いていなかったのだろう、目があうと虚を突かれたような顔をした。仕方なしに話を進める。
「と、いうことだ。任せたぞ」
「――、はい」
「受けてはならないよ何があってもそれは!」
父親の狼狽具合にも何の疑問も持たないようで、また考え込む態勢に入ってしまった。問うて答えが返って来なかったからと考え込んでどうにかなるものでもなかろうに、彼は妙に律儀である。カトレヤが必要がないといったのだから謝らなければいいのだ。どんなものであれ相手が望まないものを自分の都合で押し付けるのは褒められたことではないと、他の誰でもない、彼が言ったというのに。
そんなことを思ってはいても他の者の耳もある中で言うわけにはいかないので、俺は俺の目的を果たそう。狼狽える男の腕に引っ付いている華奢な生き物に視線を移す。
「余の宣誓相手が増えたら、言祝ぎの歌を歌う回数が増えるのだよ?歌巫女殿の負担が増すのは避けたいのだがね」
「后様と側妃様ですよね。3人組なら3回歌えばいいのでぎりぎり平気ですよ」
「ぎりぎりということはつまりダメなんじゃないかな!」
「ぎりぎり平気でアンコールできます」
「ダメじゃなかった…」
宣誓の儀というのは基本どの教堂でもできるのだが、言祝ぎの女神、つまりは主神アルディジアが愛の女神でもあらせられるがためにその御名を冠する教堂が選ばれやすい。尚且つ王家の者は自らの始祖かつ守護という彼の女神の、それも主教堂で行うというのが慣例であるために御多分にも漏れず俺もアルディジア主教堂で宣誓をする予定である。
宣誓の儀では特に当事者は何もしない。着飾って神妙な面持ちで何事かを誓い、あとは寝ないで立っているだけでいい。重要なのは宣誓に対して言祝ぎの言を受けるということなのだ。基本、その教堂の主かそれに準じるものが自らの祀る神の代弁者として祝言を述べるのだが、そこは主神である、役割が2つのみのわけがない。彼の御柱は歌の女神でもある。物語の形式をとる教典の中で、浮気しょ、もとい、持ちうる愛の多い夫との会話や、数多の神々と時々人間を誑し込、もとい、己が味方とする際の言葉もすべて歌として伝えているらしい。文字で読んでもそこら辺はわからないが、アルディジア系列の教堂には教典だけではなく譜面も伝わっているので、まあ歌ってるのだろう。だからこそ「歌巫女」、あまり例がないが男の場合は「歌巫子」、がいるのだ。
現在アルディジア主教堂の歌巫女を務めるカトレヤは、小さな体からどうやって出しているのか分からないが声量はあるし、音痴がいっても信ぴょう性がないかもしれないが、それはそれは歌が上手いのだ。そもそも歌が上手くなければ務まらない役職ではあるが。
ただ、彼女は見た目の通り体力があまりないのだ。宣誓の儀では男女のペアに対してだけでなく、例えば后と側妃との間の縁などに対しても言祝ぎの歌を贈らねばならない。かつてそれはそれは情の多い御仁の宣誓の儀を受け持った後、体力を消費しすぎて寝込んでしまったことがある。それを心配してが半分、味方についてくれるんじゃないかなという気持ちが半分。喜ばしいことに彼女は1対3までの組み合わせなら平気で勤め上げられるまでの体力をつけたようだ。残念とかは思ってない、決して。
「まあなるようになりますよ、アルディジア様もどっかで言ってたじゃないですか」
「『万事、汝の望むに従い、汝の祈りに違わず、汝の正しさに背かず』?」
「そうそう――私のまねしてるときは音外さないんですね?」
「そう?」
「どうしてでしょうね、アルディジア様の子孫なんですからお歌は上手じゃないとおかしいですよね」
「やかましい」
「うちの子にそんな言い方しないでもらえますか」
「貴様は身内への言い訳でも考えておれ!」
「陛下、」
「何ぞ!!」
「クローブ卿はこの後ご予定があるとのことでしたので、そろそろ」
「あ、忘れてたー。ありがとうございますイベリス様」
「待て待て待て余の相談が一向に受けつけられておらん」
「待とうが待つまいが受け入れられるとは思えませんので、観念なさってください」
「偉大なる方、我が先つ祖、迷い悩む者に慈悲をお与えください!!」
――結局、俺の相談内容は誰にも顧みられることなく一瞬で話題から消え去り、堂長はラルゴとカトレヤを連れて帰っていった。ついでにイベリスもその3人を見送るということで出ていった。
最後の最後に主神に縋ったというのに、この有様である。これはもう、アカンサ嬢本人に嫌だと断ってもらうしかない。果たしてリナリアが言いくるめようとしている相手を先んじて味方につけられるのか。できる気がしない。先祖だというわりにはあの美しい女神さまは俺のことがお嫌いらしい。
「…なーんでこんなめんどくさいことになったのか」
ふらふらと寝室の方に移りぽすっと寝台に倒れ込む。着替えもせずにこんなことをすれば俺の衣装に並々ならぬ情熱を傾けている女官達に何を言われるかわからないが、とりあえず今はこのまま沈みたい。
「偉大なる方、我が先つ祖」
そっと目を閉じて呟く。
「貴方様の敬虔なる徒に、かくも難き試練をお与えになるその御心をお教えください」
朗らかに言葉を発しながらただ一人には決して目を合わせようとしなかった姿と、ただ静かにその理由を理解しようとする姿を思い出しながら。