3.41
道中の木陰に馬を隠し、徒歩で約束の場所に向かう最中も。
要塞のすぐ側で身を潜めていた2人の無事な姿を捉えても。
どうしても晴れぬ疑念に顔が曇っているのだろう、合流した矢先に体調の確認をされる。何も2人がかりで額やら首やら熱を計らないでもいいじゃないか。
「何があった」
「お熱…ないですね。どこか痛いですか?」
「形容の重要性について深刻に悩んでいるだけだ」
「けーよー?」
「物の有り様を例えていう言葉」
例えば目の前の2人の容姿は共に「可愛らしい」になるわけだが、細かく言えば方向性が違う。その違いを明確化しようとするならやはり「ふわふわ」と「楚々とした」といったような形容の差が物をいう。
「なぜ今文法について思い悩む必要がある」
「文法じゃない。言伝が上手くいくかという問題だ…けどここで悩んでも仕様がないから中に入ろう。状況の説明もしたいし」
先の一件で見取り図の重要性を身に染みて知ったので、潜伏できそうな場所とそこまでの通路はばっちり把握済みである。
取り壊し時期未定で立ち入り禁止になっており、跳ね橋は上がってしまっている。一方で、リボン大捜索の為だろう、堀の水が抜かれている。中に入るのは干上がった水路経由にしよう。
敵の侵入を防ぐためなので堀の壁はもちろん垂直に近い。とはいえ空堀に比べたら深さはそれほどではない。よって降り方は単純、跳べばいい。
着地の際に膝と足首をタイミングよく稼働させて衝撃を逃す。スタトンっという音が立ってしまったので、着地点としては70点くらいであろうか。
「へーか」
「なぁに。早くおいで」
「私たち、ネコさんでもへーかでもないです」
当たり前のことを言って一向に降りてこないので、ちょっと要塞寄りに移動してから振り向く。声の主の着用しているものがズボンではない以上、この手間は必須だ。
「どした?」
「ここを飛び降りた時点で僕たちは行動不能になるがゆえに後に続けない」
「なんだって…?」
「他に入る方法はないのか」
「この堀を飛び越える、」
「お前は馬を縦に5頭ほど並べた距離を跳躍できるのか?」
「しなる棒がないと無理だな。えー、んー…」
体重の軽い2人に出来ないとなると、追っ手もここで立ち往生ということになるのか。それは困るな、いやまあ頭数揃っていればなんとかしてくれるだろう。よし。
「跳ね橋下ろしてくるから正門の方に回ってくれ。あ、すぐは無理だからどっかに隠れて。でかい音がし始めたらおいで」
「そんなことしたら追いかけてくる人も入りやすくないですか?」
「君たちが通ったらまた上げればいいだろ」
「へーか」
「なぁに」
「けっこーずさんな計画立ててないですか?」
「柔軟な思考で状況に適応しているというのだよ」
しっしっ、と手を振って隠れるように指示する。決して図星を刺されて慌てているのではない。
水路を伝い壁をよじ登り頭上の石の蓋を持ち上げてずらせば正門近くの元物置に辿り着く。そこから向かいの部屋へ行き、掛けられた鍵を短剣でなんとか打ち壊して橋の操作をするレバーを握る。
手前に引っ張るが動かない。錆びているのか。はちゃめちゃに固い。鍵といいこれといい金属が強大な敵であるが、梃子の原理で活躍するのもまた金属。敵にもなるし味方にもなる、人類の歴史に深く関わる物質たる所以か。
そんなことを考えつつ正門から入ってきた2人を迎え、もう一度敵に挑んだ頃には息も絶え絶えである。
「へーか」
「今は苦情受付休止中です」
「今の、3人でいっせのーせーってやればよかったと思うんですけど」
「もっと早く言おうよ」
「いや、なんかいっしょーけんめーっだったのでジャマしちゃ悪いかなと」
過ぎてしまったことは仕方ない。為政者たるもの過去は参照しても顧みないのだ。未来を見よう。
「取り敢えず2階に上がる。で、隠し通路に入ろう」
「…その通路というのは3人入れるものか?」
「大の大人では困難だろうが、我々は皆平均よりも小柄なので多分いける」
「…………、そうか」
「ちっちゃいことが役に立つことあるんですねぇ」
しっかり傷ついているラルゴと前向きに捉えるカトレヤ。どちらも大人しくついてくるので気にせず先に進む。
「ーーーへーか、」
「苦情は受け付けない」
「胸がつっかえそうなんですけど」
「ごめん、その幅は考えてなかった」
「むーっ!」
「イタイイタイ、人から借りた殴る棒で持ち主の脇腹を突かない」
「止めろカトレヤ、僕にも肘が当たる」
「あ、ごめんなさい」
横向きに歩いてギリギリ通れる幅だった。あの図面にはこんなに狭いとは書いてなかったな。
ともかく先に向かえば、やっとそれなりに開けた空間になった。図面通りならここから他の階へも行けるはずである。そしてーー
「ーーしっ」
床に一条設けられた隙間から一階を覗くことができるのだ。そっと3人横並びで漏れ出る光に近づく。
正門から入ってきた数名の話し声と足音が聞こえる。
「ーー本当にこんなところにいるというのですか?」
「間違いない」
カトレヤが震えたのが肩越しに伝わる。いつも通りの並びならラルゴにも伝わって手を握り込むなどしただろうが、今は俺が中心に陣取っているのでそれもできない。
位置が悪くて姿ははっきりとは見えなくとも、声で確信できる。話をしているのは宿屋で見かけた男と、アトロ=サンギネウスだ。
「君も読んだらわかるさ。麗しい国王陛下からの手紙を」
「その手紙がそもそも王からのものであると言い切れると?」
「字がね特徴的なんだ。それにこの署名、忌々しい書面で何度も見た」
現侯爵が令嬢時代にアトロが推し進めようとしていた婚姻を却下し差し戻し跳ね除け続け最終的に代替わりを決行した流れで遣り取りした、こちらにとっても忌々しいばかりの量の書類がこんなところで役に立つとは。
「“親愛なる前侯爵殿へ
旧ヴィッテル要塞にて探し物が見つかるでしょう”
…お嬢様のことですか」
「雇った者たちの話では娘と行動を共にしていたらしい。そうそう、君の腕をそんなにした、あの教堂のオルガン弾きもいたようだよ?まだ痛むのだろう。一体どんな恐ろしい毒を使ったのだろうね」
「……」
やはりあの男が春来祭で首に飾りをつけてくれた相手だったようだ。話しぶりからして代替わり前からの部下だろう。忠信を褒めるべきか主君を選べと諭すべきか。
タンジー=サンギネウスに従わなかった家の名を記憶から手繰り寄せていると、話し声が追加される。
「お二方、お待たせしました」
「遅い!」
「いやすんません、橋のレバーがなかなか見つからなくて。あ、言いつけ通り渡り終わったんで今上げてます」
「ああ、ありがとう。スルフレウス、そう焦らなくてもいいさ」
「閣下、悠長なことを仰らないでください。わざわざ呼び出してきたくらいです。何か企みがあると考えるべきでしょう」
スルフレウス…サンギネウス領主に次ぐ役職を歴任してきた家か。現侯爵の叙位でかなり威力を削がれたはず。忠誠心というより私怨で動いている可能性もあるな。
「きっとそうだろうね」
「ならばさっさと、」
「陛下のお体が弱いことは知ってるだろう?ここに来るまで大分お疲れでいらっしゃるに違いない」
小さな手が手首を、大きめの手が肩を掴んでくる。
「加えて同行の2人は荒事に慣れない女神の使徒だ。この頼もしい味方が万が一にも力負けすると思うのかい?」
「…それは、そうでしょうが」
もっともなことを言う部下に、アトロは愉しげに喉を鳴らして答える。
「じっくり時間をかけた方が君の気も晴れるだろう。君たち、黒髪の青年を見かけたらこのスルフレウスに譲ってやってくれ。ああ、でもやり過ぎないでくれよ?偉大な教堂の方々と有意義な話をするときに口がきけないようじゃ困るからね」
…手首に爪が食い込んできた。痛い。
「それより、報酬はいただけるんでしょうかね?…いや、我々が女を見つけ出した、というわけではないですがね。ここまで働かしてもらったわけですし」
「もちろん、ゾリアク氏にきちんと届けるまで助けてもらいたいからね」
「あ、あのよ、相手にそんな偉い奴がいるなんて聞いてなかったんだけど…な?」
「……金額が足りないというなら娘で払うよ」
「え?い、いいのか?」
「お相手は別に初物にこだわっていないから。壊さないでくれればそれでいい。それに、教堂に居座り続けられているところからみてとっくに関係者に取り入っているんじゃないかな。今更だよ」
肩に尋常じゃない力で指がめり込まれる。痛い。
「で、のこるは陛下だけど。私の前に連れてきておくれ。ここから出る時に王城の方々に道を空けてもらうよう頼みたいからね」
「その後はどうなさるのです」
「…ふたりきりでお話ししたいなぁ」
熱烈な要望だが全然全く嬉しくない。
そもそも俺を盾にしたって王城の連中が止まるわけない。「下手人を討ち取るから当たらないように避けろ」とか「会議や話し合いや式典を抜け出す技術で逃げてこい」とか、そんなこと言って人質のことなどお構いなしに突撃するに決まってる。
「あの姉弟には世話になったからね。お嬢さんの方はお礼が出来なかったけど、弟さんに二人分受け取ってもらえばいいさ…」
愉しそうな笑い声が聞こえてくる。そこはどうでも良いのだが、食い込んだりめり込んでいるものの圧力がそれに合わせてどんどん増しているのは大変困る。
「考えただけでこんなにも楽しいんだ。あの大層な美貌が苦痛に歪むのを実際に見れればどれほどだろう?」
もしアトロに透視能力があって此方の方向を眺めれば、お望みの物が今まさに展開されているのを楽しめるだろう。因みに俺は一欠片も楽しくない。
いぃっっっっっっっっっっっっったい。
「とにかく頼んだよ。王城は城下の騒ぎで直ぐに動けないだろうし、やっとここに来れても中に入れないだろう。じっくり報酬を味わってくれて構わないから」
「よぅし、行くかおまえら!」
おう、と元気よく探索に向かう足音に耳を澄ませるが、何人いるんだかよく分からない。追加で提示された対価に浮かれすぎで音が跳ね回っているのである。
男達の後をのんびり追う足音は二人分。アトロとスルフレウスのものだろう。真下に人がいなくなったので声を出してもいいはずだ。
いい加減痛いと呟けば両方同時に離れた。仲のいいことで。
「…最後の二人を除いて、足音何人分だったか分かる?」
「8人、ですかね?反響しててちょっと自信が…ラルゴは?」
「僕にもそれぐらいに聞こえた」
「んじゃ最低8人と考えれば間違いないわけな、よしっ」
「待て、まさか出る気か?」
男達と同じように元気よく出発しようとしたのだが、両腕を二方向から引かれて元の場所に戻された。
「ここにいましょうよ、私たちであんなに狭いんだからクソジジイども入って来れません」
「奴らの目的上、居場所がばれても火などであぶり出されたりはしないはずだ。お前が呼んだという援軍が来るまで大人しくしてろ」
「その援軍はどちらかと言えば俺を処刑しに来るんで…」
「は?」
「…呼びはしたけどいつ到着するか定かでない以上、ここに俺たちがいると証明して彼奴らを引き止める必要があるんだよ」
「なら私たちも、」
「君達はここに居ろ」
返事は無いが手が離れないので不承だとよく分かる。
「さっきの会話聞いたろ?出たら危ない」
「それはへーかも一緒でしょ」
「俺がアトロを喜ばしてやると思うの?」
「そういう話ではないだろう」
同じ場所で同じ面々に育てられると頑固さも同等になるのだろうか。かえって力の増す手を見て、溜息を吐く。
「よく考えておくれ。ラルゴが口をきけなくなる寸前になったり、カティがアトロの債務を立替払いしたりしたら、もれなく俺は堂長と次期教伯と堂吏一同と、あとリナと多分アカンサ嬢にウェステリア嬢とその他諸々数多の人間から制裁を受けるよ」
「へーかがあの野郎にいいようにされたらそこに王城の人たち全員加わってお説教ですよ?」
「だから、いいようになんかされないって」
「断言する時点で怪しい」
なんて失礼な奴らだ。俺を誰だと思っている。
「余はブリオニア王家の血を引く者、すなわちナスタチアの子孫だから取りも直さず軍神の魂を受け継ぐ存在であるぞ!」
「どう見てもそんな感じじゃないですし、ハイドランジアさんはそもそもナスタチアさん産んだばっかりのアルディジアさんに、“ゴブサタなのにオレの子どものワケがない!このウワキもの!!”って怒ってたからブリオニア王家を呪ってる方がしっくりきます」
「的確に主張の穴を指摘しないで欲しい」
「教本という創作物を引き合いに出している時点で穴だらけだろう」
「お前の家の仕事から言って創作物呼ばわりはいかんぞぉ?」
難儀である。そもそも3人中2人が結託している時点で多数決上俺の負けなのだ。
しかし、そこは国王。民主主義など跳ね除ける絶対王政の威光を発揮しないでなんとする。
「いいか、俺は国家元首だ」
「王の威光を振りかざそうが僕たちは従わないからな」
「…もはやその光が君たちの中には存在しないようだけど、いいかい?国王というのはね、国の一大事にしか斃れないんだよ」
「王様がいなくなっちゃうから一大事なんでしょ」
「それ自体は事前に準備しておけるから一大事にはならないの」
何を言っているんだという顔をされる。同じ出来事に対して、異なる視点から話しているから仕方がないのだが。
「…国王という役割の人間は容易ではないにしろ挿げ替えがきく。だから中身が変わること自体は問題じゃない。次が決まっていないまま中身が無くなるのは、まあ困るけど」
どこかの姉弟の父王みたいなのは、ね。カティが言っているのはこっちの方である。
「じゃあどうして中身が変わるのって言ったら、理想は寿命とか世代交代。でもそれは少数だ。歴史的に見て戦争とか戦乱とか政変とか、そういうのだろう?」
「だから、王様が死んじゃうから大変なんじゃないですか!」
「大変なのはその後なんだよ。国の在り様が変わるんだ」
まだ飲み込めていない様子のカトレヤとは対照的に、俺の主張を理解したらしいラルゴに握られた腕に不思議と痛みが走る。
「アトロが仮に俺に何かできたとして、この国は何一つ変わらない。あの男にそんな権限はないから」
チョコレート色の瞳の中で光がぐるりと回った。同時に彼女の手の力が緩む。
「あれは国の一大事に成りようもない、だから大丈夫」
すとん、とそのまま手が離れたのでカトレヤは納得してくれたらしいが、いまだに痛む手の方はどうしよう。
「ーーラルゴ。2つ混ぜると一息吸っただけでアルディジアさんのところに招待される煙が出る薬、持ってませんか?」
「急に何それ…こわっ、そんなんあるの?」
「今は持っていない」
「自宅にあるの?」
カトレヤが何に使おうとしているのか、ラルゴが何故そんなものを持っているのか。確認しなければならないことばかりだが、尋ねられそうにない。
カトレヤがとんでもなく怒っているような気が、する。
「今アタシたちに言ったこと、あなたがそう考えてるって、リナさんは知ってるの?」
「そりゃぁ…斃れた後のことを真っ先に任せる立場にいるからね」
「王城の人たちは?…あなたのいとこさんは?」
「城の連中全員には話したことはないけど。イベリスは、まあ、知ってるよ」
正確にいうと従兄殿に関しては「知っている」という表現はそぐわないのだが。
「…アタシがおかしいんですか?」
「え?」
「納得しなきゃいけないの?それができないのにお友だちになったのが悪いの?」
「なん、どういうこと?」
「アタシ、あなたのお友だちでいる資格がないのかな…」
喉からひゅっと変な音が出た。国王業から友人について話が飛び、訳がわからないまま泣き出されたのである。覚悟の上なら兎も角、意図せず女に泣かれるのは大変心臓に悪い。というか何故泣く。
無様に狼狽えている間に、ラルゴがカトレヤの背を摩り始めた。流石チャービルの息子にしてライラックの弟。女の涙に動じず即座に慰められるとはやりおる。
…あれ、この前の飴細工騒動の時は呆然としてたな。いつの間に修行したんだ?
人知れず鍛錬を積んでいたらしい男は、日頃は決して見せないような優しい表情を泣く子に向けている。多分、今声を出したらそれも大層優しい音色になるのだろう。
「好きなだけ泣け」
「待ってそれはおかしい」
「それと、友人の資格がないのはあのバカの方だから気にするな。いい加減嫌になったら捨ててしまえ」
「…あんなおバカさん、他にお友だちできそうにないからかわいそうで捨てられません」
「ちょっと暴言はどうかと思うけど、友人関係如何については個人の自由なんで別に構わな」
「バカは口を開くな」
「酷い。あ、手が離れてた。もう行っていい?」
「ーーーこの大馬鹿者!!」
今の一声で我々が確実に潜んでいるとアトロ達に証明されたと思われるのはいいのだが、同時に俺の耳が暫く使えなさそうなのが問題で、カトレヤが更に泣き出したのが難問である。




