3.34
目の前の、カチカチな肉の塩漬けとその一片を切ろうと苦戦している人を見つめる。
「固い…硬い……切り難い」
「黙ってやれ、指を落とすなよ」
隣の部屋から聞こえる声にうるさいとだけ返してナイフの食い込んだ塊を睨み付ける。
「このまま煮込めば良いんじゃない?」
「ど阿呆。貸せ」
「誰が阿呆だっ…なんであんたには大人しく切られるのよ」
「これは引くときに切れる刃だ」
「先に言え!」
「何時気が付くのかと」
刃物を持っている相手に躊躇無く体当たりをするものだから、ハラハラする。ぶつかった相手が蹌踉けても直ぐに立て直して足払いをかけるから、更に。
彼女は床に転がったまま両手を広げ、自分を転がした相手に差し出す。
「倒すなら起こしてくれないと嫌よ」
「鍋が煮える」
「一瞥もくれないのはどうな、今踏んだだろ!」
「床に落ちているものを踏むのは為ようのないことだ」
「何踏んだかなとか確認したり、物によっては拾った方がいいと思わない?」
返答もなく元の部屋に戻る背中に一頻り文句を浴びせ、しおしおと起き上がる。腹部を擦っているので不思議に思う。踏まれていたのは脚の方だったから。
「お腹空いた…ジストは平気?」
「お食事が出て来るのが楽しみです」
作ってもらっている身で催促じみたことは言いたくないが、この人に嘘を吐きたくもない。
そんな意図は過たず伝わってしまったようだ。内緒よと言いながらよけてあった袋から何かを取り出す。ビスケットだ。
「これは甘くないわ。保存食だからパサパサで味気なくてお腹にはたまるの」
「…これを食べたらあにうえのお料理食べられなくなります」
「それは困るから、半分こ」
キョウハンカンケイと呪文のように呟きながら綺麗にビスケットを二等分にした手は、そのままこちらの口元に移動する。
少しばかり一口には大きいが入らないこともなかろう。医者に診せるときのように大きく口を開いたところで、隣室からやってきた彼と目が合う。静かに口を閉じると目の前の人は不思議そうに首をかしげる。
「ーあいたっ!なにす、待って熱々の鍋は攻撃に利用してはいけないと思う」
「それを食うというならこちらも貴様一人で平らげろ」
「不可能を要求しないで」
「お前も、言われるままに口を開けない」
申し訳ありませんと素直に謝れば、判れば良いと頭を撫でてくれる。
「ねぇねぇ今日も仕事頑張った人間が目の前にいるんだけど、ね、違うのスープの催促じゃない私も撫でて欲しい!!」
「黙って食え」
「褒めてくれなきゃ食べな、どうして数少ない具を徴収するの」
「食わないんだろ」
皿の中で漂う僅かな肉の欠片を回収されてあんまりしょんぼりするものだから、目の前の皿から具を取り出して液体だけの中を目指す。
慌てて止めに入る手は、そのまま自分を抱きしめてくれる。
「私の優しい宝物、あんな冷たい男になっちゃ嫌よ」
憧れている人のようになってはいけないと言われると困る。本当はあの人も頭を撫でてあげたかったに違いない。食事を摂るという優先すべき事項があったから拒否しただけなのだ。
意味は無いかもしれないが、手を伸ばして陽だまりの色をそっと撫でる。途端にカッと目が見開かれたのに驚いてすぐ手を引っ込めてしまう。
「ーー大陸統一できちゃう」
「するな…ほら、こっちに来い。阿呆君と一緒にいたら何時までも食べられない」
彼女より大きく力強い手に抱えられ、膝の上に運搬される。その間には勿論彼女の抵抗があったが、彼との力比べて完敗していた。
彼女よりも安定感のある場所にちょこんと収まり、渡された皿を抱えて食事を始める。煮込まれた肉はややしょっぱい。スープとよく馴染むように何度か潜らせ野菜と一緒に口に入れれば丁度良いかもしれない。
しばらくそんな風に食事を進めていたら具がなくなった。見計らったように黒パンが渡される。残ったスープに浸して柔らかくしろということだろう。千切る事が出来ずに苦戦していると代わりにその作業をしてくれる。
仕事で疲れているだろうに調理までこなし、挙句手の掛かる子どもの世話までしている。…手が掛かるのはもしかしたらもう1人いるのかもしれないけれど、それは気にしない事にして、ともかくこの人も褒められるべき人である。
湯浴みは終えているようなので整髪料の心配なかろう。ふわふわとした頭髪の感触を感じながら、高い位置で腕を動かすのに苦戦する。どうも自分の髪質と同じらしいがよく分からない。そう言えば三つ編みにして解けば一緒だと実践され、拗ねて数秒口を聞きかなかったら泣かれたので大変困った。
なお、今も困っている。撫でた相手が硬直しているのだ。
「ほら、大陸統一できちゃうでしょ?」
「…」
「素直に認めなさ、にゃぁぁぁもっと優しくしてぇ」
彼女の長い髪がボサボサになるほど乱暴に頭を撫でた手は、こちらに向かうと大変丁寧な動きになる。それが不満らしく全身で抗議をする彼女もついでとばかりに頭を撫でてくる。先程から全く皿の中身が減っていないのだが、空腹ではなかったのか。
「いい加減にお前は食事をしろ。廃棄物にならないための調理だろうが」
「はいきぶつ、捨てるものだったのですか?」
そういえば、数ヶ月に1回これと同じような食事が出る。3人での食事が楽しいので好きなのだが、2人はあまり美味しそうに食べていない。まあ味はよろしくないので当然なのだが。硬いパンがそろそろふやけて食べやすくなっているだろう。口に運びながら返事を待つ。
「違うのよ、決して貴方にゴミを食べさせている訳ではなくやはりこの苦行は我々だけで行うべきであったっ!」
「落ち着け。…非常用の食糧も、永久保存できるわけではない。頃合いを見て消費する必要がある」
「ひじょうしょく」
「政敵等の妨害工作に伴い王城の食堂が使えなかった場合も食事を取らねばならないだろう。その時の食事だ」
「ボウガイコウサク」
「毒とか薬物とか劇物ね。ま、今はちょっとしたのなら全然平気なんだけど昔々はそうもいかなかったのよねぇ」
媚薬が1番質が悪いと呟きながら肉を頬張る。顔を顰めているのは塩気の所為か媚薬の味のを思い出したからか。苦労を一手に引き受けさせていることに心苦しさを感じれば、彼女はすぐに表情を和らげ話を変える。
「城の中で作られた物の方が危なくて食べられないけど気軽に城下に降りられもしない頃…2人で果てしなく不味い軍用携帯食料を齧って生き延びたのが懐かしいわね」
「いい雰囲気にしようとしているのであれば内容をもっと精査した方が良いぞ」
「視察先の滝壺に一緒に飛び込んだ時はとっても胸が騒めいたわ」
「お前は突き落とされたんだがな。あと、騒めきの種類が違う」
「追いかけてくる人々から手に手を取り合って逃げたの」
「我々の関係を反対する親族などではなく暗殺者だな。それぞれを狙った者が合流し潰し合ったから良かったが」
話の変更先も大変なだけだったので、取り敢えず2人の頭を撫でることにした。
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きっと、俺が食事を断ったのを聞いたのだろう。厨房連中には仕事が残っているとも呟いておいたので、迷わずこの部屋に辿り着くのは織り込み済みである。
机の上に並べられた「仕事」の量に固まっている姿は大変珍しい。珍しすぎてずっと見ていられる。
「…陛下」
「食べて」
「説明を」
「沢山食べて」
「…」
この仕事はこの男に頼むしかないのである。国王がこっそり作りすぎた料理の消費など、公にできない内容である。
それも勿論分かっているし俺1人で食べ切れるわけがない事も明らかなので、大人しく席に座る。それを待っていた。
「ーー待ちなさい、どこから出てきたのです」
「お腹いっぱい食べて」
「胃がはち切れます」
食事の途中で席を立つなど、作法にうるさいこの男が出来ようもない。隠していた皿たちを登場させ、無理やり机に乗せる。
「…何があったのですか」
「作り過ぎた」
「それは見れば分かります。なぜ作り過ぎたのですか」
「…」
そっと追加の皿を取り出したが置き場がない。行きと同じくそっと帰らせる。
「ーーなぜ作り過ぎた」
「…いたむので」
「…まだ処分の時期では無かったはずだが。何より量がおかしい」
痛むのであって傷むのではないが、それは説明するとややこしくなるので無視をする。量については、見た限り備蓄分の2倍はあるので尤もな疑問である。何を隠そう、教堂から出てその足で屋台行脚をぶちかましたのだ。ものすごく量が増えた。
カトレヤ大満足の串焼き肉は串から外して野菜と一緒に炒め直した。揚げた芋はもどした塩漬け肉と共にホワイトソースの中に入れてチーズを被せてオーブンに入れた。ソーセージはカチカチなパンに挟んでもみたし、少し甘めというタレのついた魚のフライはそのまま温め直しだけした。ビスケットは後のお楽しみである。
量だけ見れば晩餐会である。味の保証はちょっとできない。味見をしながらでは俺が満腹になってしまうから。
「満腹になってください」
「どう足掻いてもなるだろう…」
回答を諦めたらしく、部屋の出口に向かい始めるので慌てて止めに入る。
「私を見捨てるのですかっ」
「この量を夕飯で済ませられると思うのか。明日の食事の配給を止めてくる」
「ありがとうございます!」
お礼に、ジャムとクリームをたっぷり乗せたクラッカーと王都で1番大きな菓子店で買ってしまったケーキとパサパサのビスケットを砕いて土台にしたタルトがある、と言ったら叩かれた。
「それらしい人物はちらほら話に上がってくんだけど、いまいち決め手にかけるんだよな。アトロ本人ならそこそこ目立つと思うんだけど手下じゃ顔分からん」
「その方に現状どれほどの駒がいるかも不明です。突貫はおやめ下さい」
「大していないと思うけどなぁ…すまんこれ残り食ってくれ。タレが予想以上に甘い」
「甘ダレと言ったら甘いに決まっているでしょう、10匹も買わないで下さい」
ご尤もなことを言いつつしっかり皿は受け取ってくれる。明日以降に回すのだろう、数匹だけ別にして大半をよける。
「歌巫女殿は御健勝でいらっしゃいましたか」
「表向きはな。なんかあったら暴走しそうだけど?」
「例の俗物商会と関わりのある低俗貴族が程度の低い集まりで気になる事を仰っていたことがあると、キュラス様から人伝にお聞きになったそうです」
「すぐそうやって罵倒と敬語を織り交ぜながら話す…内容は?」
「女神の色を持つ上玉を手に入れられそうだと」
思わず眉が跳ね上がってしまう。
「件の方はご自分の息女を売ろうとした前科がお有りでしょう。叔父上もそれで気にかけておられます」
「…その低級集会の開催時期は?」
「貴方様が首を絞められ御髪をザンバラにした祭の少し前だそうです」
「もうそろそろ許してくれても良いんじゃないか」
「ふざけた事に貴方様は赤く染色されておいででしたでしょう。国王を、というより『赤髪の女性』を狙ったという可能性も考えられます。歌巫女殿の御髪はやや真紅とは異なりますし」
「その理論だと俺が上玉と評価されてる事になるんだけど、喜んで良いの?」
「とは言え、これまた許し難い事に相手の顔を確認していない始末。手掛かりにはなりませんね」
黒パンが硬いし飛び出してきたソーセージを食べ切ってしまったし、春来祭について髪の一筋も許しがもたらされる隙間がないし、手掛かりもないしで散々である。
…いや、待てよ。
「その、男女の区別がつかない残念な奴。ラルゴに毒付きナイフの的にされてた」
「種類は」
「名前は判らん。適切な処理をしないと爛れが拡がる、と聞いたが」
「…腐食毒ですか。それはまた随分と由緒正しきものを」
毒の由緒って何だ。そう思いつつパンにグラタンもどきを乗せれば、俺の疑問を汲み取ったイベリスが肉野菜炒め風何かを取り分けつつ説明を始める。
「少しでも肉に触れればその部分が爛れ、周囲の部位を壊死させる成分が生じます。尚且つそれを止める為の薬品が特殊ですから、要求を通したい若しくは口を割らせたい相手に使用すると効果的です。戦禍の中ではよく使われたと聞いております」
「…使い慣れてたりする…?」
「使われた事があるだけです。以前矢で射かけられましたでしょう」
硬いパンに合わせた顎の動きが止まる。勢いよくいかねば千切れもしないと分かっているのに。脳裏に浮かんだ黄色い羽毛の所為だ。金属同士のぶつかる音、壊れた籠。回る視線に赤い色。
「…そんな顔をしなくても良いでしょう。直ぐにバレン様が処置してくださいましたから」
痕に残っているのを知っているからこんな顔をしていると言うのに。
何だか腹立たしくなって、パンに八つ当たりする。反撃で暫く咀嚼する羽目になったがどうにか飲み込む。
「医者が近くにいない場合は該当部位を抉り出せば良いのかな」
「陛下」
骨まで届いていたら切り落とすしかなさそうだが。一人の時は大変そうだ。
「保管が難しいそうですから、滅多にお目にかかることはないかと」
「近所に使いこなしてそうな奴がいるので用心に越したことは無い」
「…その方が貴方様を害する事は無いと思いますが」
何を言う。足踏むし関節を人体に想定されていない方向に稼働させるし怪我のないところも包帯で巻き付けるし、害意ばかりだ。
そう念じれば、折り曲げた指を眉間に当て始める。困るのは構わないのだが、基本的にこの男が困るのは俺ともう一人に対してのみで、ラルゴに対してこの仕草はしないだろう。
つまり俺の何かに対して困っている。何でだ。
「貴族としての務めも医術の研鑽もオルガンの訓練も、多大なる時間と労力を要するとは思われませんか?」
「そらそうだろうよ。良くやるよなぁ…じゃなくて、良くやってるなぁといつも感心しているさ」
曲げた指が小さくぐりぐり回り始めた。
雨の夜にずぶ濡れで窓をくぐった人物にそのまま風呂場に突入された先客が見せた以来の光景であるため、感動的な気持ちでそれを眺める。
「ーー貴方様はご自分の言動に責任をお持ちになった方が宜しい」
「失礼な、持ってる、とも」
「……」
僅かにしか減らない食料達を二人で静かに見つめる。
いや、多少なりとも消費してるんだから責任は取ってる筈だ。
「責任は取るのではなく持つのです。取る機会を待っていたらいつか本当に刺されますよ」
「不吉な予言は要らない、有効な助言が欲しい」
「『良くやるよな』、とお伝えした場合確実にその場で刺されます」
「不穏で有用な禁忌の説明」
取り敢えず、沈黙は金、ということで下手に口を開かないようにするか。
無言で食事を再開した俺に、小さく溜息が吐かれる。せっかく久々の2人きりの食事なのにと冗談混じりに、いつもより少しだけ高い声で甘ったるく文句を言えば、思いっきり脛を蹴られる羽目になった。逃した甘ダレつきの魚が帰ってこなかっただけマシとしよう。




