3.33
目線よりもずっと下にある、不安定な木枠に張られた布に刺繍針を刺す。
もう少しで赤い実が完成する。
「へーかまだぁ?手がつかれたーー」
「木枠要員にはまだ補充があったはず…あ、こら動くな!」
「もうこれでいいじゃん」
「あのね、見本なんだから丁寧にしないと駄目だろ」
「こんな立派な物できませーん」
立てて使える木枠が世間にはあるらしい。が、この教堂にはなかった。故に子ども達に交代で枠を支えてもらいつつ、刺繍の手本を見せることになった。これなら片手で出来なくもない。
「必要なのは幼気な子ども達が懸命に作ったという事実であるからして、完成度ではなく丁寧さの中に滲む拙さこそ販売する際のポイント」
「すっっっっっっごくイヤな考え方だね!」
「これ、なんの葉っぱときのみ?」
「アルディジア、植物の方のな」
「あ、もしかしたら緑の糸足りないかも…とちゅうから黄色でいい?」
「それ、何らかの病気にかかったように見えるんじゃないか」
「じゃ、赤い実だけいっぱいにしよう」
「滴下血痕」
「なにそれー」
わいわい賑やかなことこの上ない。針仕事なのでそこそこ年長組だけなのだが、元気である。若さというものか。俺は同じくらいの歳の時、これ程元気じゃなかった気がするが。
兎も角、見本は出来たのであとは各自思い思いに刺すように指示し、その場を離れる。途中で何度も足にしがみつかれたり背中によじ登られたりタックルされたが、なんとか逃げ切って無事に目的地に辿り着いた。
「そろそろ帰っていいか?」
「今お帰りになったら後であの子らから文句が出ますよ」
「手本という任務は果たした」
養護院の責任者に退出を申し出たら溜息を吐かれた。意味が分からない。
「あんな反応をされて、懐かれていないというのはどうしてなんでしょうね」
「懐かれていると判断するのはどうしてなんだ」
「いや、懐いているんですよ。認めてくださいよ」
「ああ、分かった。認めよう。帰っていいか」
「お茶くらい飲んでってください。働かせて一息もつかせない訳には参りませんから」
「…ここの茶、そんなに好きじゃないんだよ」
一杯付き合えば重しが膝の上に乗る。ニコニコしながら飴玉を口に突っ込んでくる。口直しをしようにも勝手に砂糖を入れられた茶は甘い。
要するに、帰りたい。甘いのは香りだけの方が良い。
どうやら俺はいつも飲んでいる茶を好んでいるらしいと最近気づいた。あれは一般に出回っていないし手頃な価格でもないので、訪問先に要求するのは無体というものだ。
「自分の淹れ方ではお口に合いませんか…カトレヤは火傷しそうな上机と床が大惨事必至。ラルゴには家事を覚えさせないようにしているので…父に頼んできます」
「そういうことじゃぁ、ない」
毒を摂取して療養中の人間に淹れさせた茶が美味いのか?
「よし、自分とお話ししましょう」
「話すことなど一つもない、却下」
「正直に言います、もう少しいてくださいませんか。カトレヤもですが、子ども達も不安なんです…父が倒れたなんて、今までにありませんでしたから」
見た目は年齢不詳の優男。中身は油断ならない狸親父。敵がわんさかいようが今回ほどの窮地に陥ったことがないのだろう。
「余がいて何になる。大体、其方らがいれば十分だろう」
「信頼頂き誠に光栄ですが…過大評価というものです」
「単に事実を述べただけだ。そもそも無理そうなら適当に援助してる」
実績を加味すれば誰だって下すだろう判断に、何故か返ってくるのは微妙な顔。
「弟にも、そんなふうに言ってるんでしょうね…悪いお方だ」
「貴様の善悪の基準がいまいちよく分からんな」
「姉君とよく似ていらっしゃる」
意味が分からず相手を凝視する。今更同じ顔だと指摘する必要があるのか。
「自分が幼少の頃はまだ父が家から勘当されたままでしたから、街で暮らしてまして。使用人もいなかったので家事なんかも手伝っていました」
「突然の自分語り」
「結構性に合ったみたいで。ご存知の通り今でもよく料理なんかはしています。まあ簡単なものだけですが」
「カトレヤが、野菜をすごいところに隠して出してくるから毎日が戦いだ、と言っていた」
「そんな人間が貴族の嫡男というのは、どう思われますか?」
話の流れが全く読めない。
建国時までその歴史を遡ることのできる有力貴族の一つ。国教の主神を祀る教堂の主家。そんな当代クローブ家の弱点と言えばただ一つ。現当主が平民出身の妻を迎えたことだ。
勿論、婚姻時は貴族籍に入っていた。が、それも父親であるバレンがコリウス王の元で軍医としてあげた功績に対して贈られた、一代限りの男爵位。「シルス男爵令嬢」といえど、父親がこの世を去れば平民に戻る立場である。
一方、当時の教伯家の三男坊。嫡子ではあれ後継ではなく、一堂吏、オルガンの演奏者として勤める予定であったという。婚姻相手も自分で勝手に見つけていいという何とも自由な立場だ。
なら誰が相手でもいいと思われるかもしれないが、その時の教伯は大変厳格な御仁だったのだ。妾腹のコリウスが王になったのも、その妻が歴史が比較的浅い商家気質の侯爵家の娘だったことも歓迎していなかったらしい。自分の息子が殆ど平民同然の女に入れ揚げているなど到底認めなかった。
そうして自由な三男坊は大した抵抗もせず家を出た。喜んで縁を切られたとも言う。その時点では結婚はおろか交際の約束も何もしてなかったと言うのだから、あの男はとんでもない輩である。流石は愛の女神の家の出だ。
その後のことは俺も伯父経由で聞いただけなので詳細は分からない。実家から縁を切られる前は邪険にされていたのに、勘当された後、もう相手にもされないだろうとこっそり最後の挨拶に行ったところで捕獲され、宣誓をしたらしいことは聞いた。本当によく分からないがそういう形の結婚もあるようだ。
チャービルの亡き細君には数回あったことがある。バレンやライラックと同じく燃えるような赤髪にラルゴと同じ複雑な緑色の瞳。色の系統だけ見ればアルディジアと同じなのだから、義父も少しくらい軟化しても良かったのではと他人は思う。ついでに顔立ちは次男坊に受け継がれており、要するに大変楚々として愛らしい容貌の小柄な女性であった。中身は父親のバレンとほぼ同じというところが恐ろしいが、言葉遣いは普通に丁寧だった。
さて、うきうき勘当されたチャービルは長男が生まれてから暫くは妻子と義父母と共に市井で楽しく暮らしていたそうなのだが、いきなり実家に戻ることになる。当時の国王が掛け合って、当主に勘当を取り消させたとな。お陰で幼い長男は慣れない貴族子息達の中に放り込まれて色々と苦労をする羽目になる。
別にそんなこたしなくて良かっただろ、お前自分が嫁さん一人しか取らないって駄々こねてる手前、何となく居たたまれなかっただけだろ。ちったぁ後先考えてやれこの野郎。
と、思ったり思わなかったり墓の前で念じてみたりするが、それなりに賢明な俺は口には出さない。当人達が特に何も言わないのでそもそも言う権利がないのだけれども。
とまあ、そんな感じでライラックには育ちの事でなんやかんやがあったのだ。王が代替わりして10歳の女王の下でなんてやってやれるかと何処かへ行きやがった親兄弟の代わりに伯爵を継いだチャービルと細君及びその長男が、教伯家に戻されて数年後にようやっと落ち着いて作れた念願の第二子に、何があっても家事等の「貴族に相応しくない仕事」はさせまいと誓ったのはそのためである。
で、何の話だっけ。
「……其方にそんなに興味ないから、本当にどうでも良いと思う」
「ひどっ…そういう所はイベリスに似ていますよね…」
「彼奴は基本的に遍く命に関心が無いのだ…つか、まだなんか言ってくる輩がいるのか?今の其方ならこっそり始末ぐらい出来そうだが」
「自分への評価がおかしい気がしますが…表立って言って来たりはしませんよ。弟やら歌巫女やらに遠回しに囁くのがたまーに、ね」
「あーカティがいきなり戦闘に入るのってそういうのかぁ。通りすがりの坊ちゃんを湖に突き落とそうとした時は意味が分からなくて驚いた」
「その湖畔は逢い引きによく使われる、郊外のですかね?何で陛下が一緒におられるのですかね?」
「弟君もいたぞ。止めに入ろうとして彼奴がまず落ちた。カティが無謀にも助けようと飛び込んで溺れかかり、最終的に俺も入って二人掛かりで彼女を引き揚げた」
夏で良かった。風邪引いて寝込むだけで済んだのだから。
「……仲がよろしくて何よりです。ご迷惑をおかけしました」
「気にすんな。その坊ちゃん達が要救助者、但し国王を含む、を放置して逃げた嫌疑でえらい絞られただけだ」
「イベリスにですか?」
「宰相に、だな」
うわぁと呟く割に痛ましく思っている素振りはない。それぐらいが丁度良い。いちいち真剣に悩み心を痛めていたら政治など出来ない。
何事も適度なのが一番だ。優しすぎる人間では上に立つ方が苦しく、極めて残酷な人間では下が苦しい。
「兎も角この件は終わってるから置いといて。使用人の仕事を奪っているというならちょっと考え直すべきだが、別にそんなことはないんだろ?」
「そもそも貴族がそういった仕事をするのがどうなんだということらしいんですよねー」
「雇う金もないのか、ということか?誰も食事の用意をしてくれないのにふんぞり返ってただ待つだけの方が阿呆らしいと俺は思うがね」
生まれ落ちたばかりの赤子だって腹が減れば主張するのだ。大の大人が黙ってテーブルに着いて待ってるというのはどうなんだ。威厳を保ったって飢えればそのうち死ぬ。
極端な話、死ななければ良い気がする。
「大変大らかというか、雑というか」
「そもそも俺も簡単なのなら作るし」
「怒られないんですか?」
「あまりいい顔はされないが。自分で作った方が毒の心配が無いんだよ。反乱とか起こされて城を追われて森に隠れたりする時とかにも、多少作れた方がいいだろ」
「そのご様子では狩も罠作りもお出来になる?」
「大物は無理だがな」
どこぞの誰かのように鹿を仕留めたり熊を返り討ちにしたりは出来ない。キノコの判別もちょっと自信が無い。よって木の実を主に時たま小動物を狩る予定である。焼けば大体食える。火は偉大だ。
「ーー王族というのは皆さん追放されることを考えて生活していらっしゃるんですかね」
「ん?」
「いえね、そもそもこんなおかしなことをお聞きしたのは、アスター様が仰ったことを思い出したからなんです」
皆が避ける音を、この男は平気で口にする。話題に上がっても呼び名は「先王」やら「姉君」、「あの女」「阿呆」…要は一の名であっても耳にすることはまずない。
「自分が先程の件で絡まれてるときに、調理はできた方がいい、放逐されたときに役に立つと、」
恐ろしいものでも見たのだろうか、驚愕に目を見開いたライラックは、腰を屈めて俺の顔を覗き込んでくる。イベリスほどでないにしろ、俺から見たら日頃高い位置にある物が同じ目線にあると何となく不思議だ。
チャービルに似て、彼のものよりやや薄い黒い瞳には案ずる色がありありと見える。
「申し訳ありません、つい口に」
「何が?」
「…先王様の、お名前を」
言いながら痛みを堪えるような顔をする。知っている、これは転んだ子どもに見せる表情だ。
転んだことに驚いて傷の痛みが分からない幼子に、それは痛かろうと向ける大人の顔。子どもはそれを見て「痛み」を覚える。
「固有名を言わずにどう話す。気にしなくて良い」
「しかし…」
そんな顔する必要は無いのだ。
私に痛むところがあるものか。首どころかどこにも傷がないのだから。




