3.28
「父の居処に踏み込みましょう」
「落ち着いてくれ」
「陛下にご相談している時点で私は十分冷静です」
そうかもれしないけれども。
教伯が倒れてから3日。状態も安定しているとはいえまだ発声に難があるらしく、説法やら挨拶やら教堂の主としての仕事を代理に任せざるを得ない状況である。自然とあの迷惑な贈り物の噂も流れてしまい、サンギネウス侯爵が見舞いと称した突撃を喰らわしてきたのだ。折悪くその場にいた俺が対応する羽目になった。
「あんまり興奮すると胎児に悪影響だからな、落ち着いてくれ」
「冷静です」
「そんなギラついた眼で言われても説得力ない…」
若い婦人にどうどうと声をかけねばならぬ事がこの世に存在するとは。
ともかく座るよう命じる。権力がなければ何も出来なかっただろう。有難う、俺に流れる王族の血よ。
「良いか、次男坊や義父の見立てではもう本当に大事なく快方に向かっているということなので其方が剣槍弓矢短剣棍棒等々思いつく限りの武器を忍ばせて前侯爵を訪問する必要は全くない、というか、してはならない」
「…裁縫道具ならよろしいでしょうか」
「針で何する気だ」
もしくは鋏か。もうあれだ、アトロの近くに寄るなと言うべきか?
武器を禁じたところで素手でなんとかしそうな侯爵の扱いに困っていると、チャービルの容体を確認し終わったらしいラルゴの姿が見えた。すかさず手招きして近くに寄るように命じる。この血筋、便利。
「何用でしょうか」
「侯爵に、そなたの父君は無事だから仇討ちなど考える必要はないと説明しているのだが、その補強として医学的な知見を述べてもらいたい」
「かしこまりました」
妙に素直に応じる。今日急に王族の血が濃くなったのだろうか。
そんな非現実的なことを考えていると、これまた珍しいことに僅かながらにも笑みを浮かべたラルゴがサンギネウス候と向き合う。
「父のことなら心配無用です。口にした量が少量でしたしすぐに洗浄できました。そして、これが最も効果的だったでしょうね、陛下が御自ら残ったチョコレートの一つを口にされて入っていた毒物を特定なさいましたから、対処法も早急に見つかりました」
「陛下!!」
この3日間散々方々から叱責を受けた事柄を蒸し返された。
「ま、ちょ、落ち着いてくれ。口にはしたが飲み込むつもりはなかったし、なんなら驚いて吐き出させようとしてきたこの者たちから受けた打撃のせいで飲み込みそうになったぐらいで」
「そもそも口にしてはなりません!」
「いや味を、」
「毒を味わうなんて趣味はお捨てなさいませっ」
俺はどんな悪趣味の持ち主だと思われているのだ。
「…喉を通る時に血が出て声が出なくなるという症状を、以前盛られた毒で経験していたからな。味をみれば同じかどうか確かめられると」
「御身はかけがえのないものでございます」
「城の方々から言われたな」
「確かめる前にお医者様方にその毒の名を伝えて対処していただくことだって出来たはずでしょう」
「そこな男とその祖父に怒鳴られた内容だな」
「…陛下までお倒れになったら、カトレヤさんがどう思うか、それをお考えにはならなかったのですか?」
新たな説教の方向が開拓されてしまった。叱られの新境地になど至りたくない。
「同様の内容を記した文を父がしたためている最中です。後ほど王城にお届けにあがります」
「未踏の地などなかった…紙とインクと労力と時間の無駄だ、今行って叱られてくる」
ついでに侯爵もついてくるように言う。流石に療養中の人間の前では自身の父親を葬る計画を立てられないだろう。逆に被害者の姿を見ることで更に憎しみを激らせることになったとしても、チャービルなら落ち着かせられるに違いない。
世界への憎悪に飲み込まれそうな幼子を、何人も掬い上げてきた人間なのだから。
「ーー親と子というものは、確かに他に比べて強い結びつきがあります。しかし、親の功績が子のそれとして認められないのと同じように、親の罪で子を裁くことなど誰にも出来ぬことです」
少し掠れてはいるが、それ以外は普段と変わらぬ穏やかな声でゆっくりとチャービルは話す。つい今し方、扉を開けて入ってきた数人の先頭が俺だと視認した瞬間に書きつけていた紙を丸めて投げつけてきた人間とは思えない。
「それは子自身が望んだとしても叶わぬことです。ルドベクの裁定をご存知でしょう?」
神々に代わる人の王として選定された若者に嫁いだ主神の娘ナスタチアは、そこに至るまでに命を落とした人間の多さに衝撃を受ける。そして選定を行なった両親の代わりにその償いをしたいと法の神に願うのだ。
「“罪なき者を裁く法はなく責なきことに与える罰はなし“…」
「神にできぬことを人の身で望むのは過ぎたこと。それこそ咎められるものではありませんか」
始まりと同じように静かに終わった言葉に、そっと明褐色の瞳が閉ざされる。
これで漸く胎児も安心できただろうと胸を撫で下ろしたが、再度投げつけられた紙の弾によって床に沈められそうになる。紙と言っても侮る勿れ、キツく握り込んだ上に思いっきり投げれば立派な凶器である。
ギリギリで頭は避けて手で受け止められた。丁寧にお返しするのが礼儀というものであろう。
「…一応安静にするように言われているのですがねっ」
「じゃあ投げ返さなければ良かろうがっっ」
「陛下の方、こ、そっ」
「2人ともやめてください埃がたつ」
言葉と紙屑を投げ合うのをやめ、本題に入ることにした。時間を惜しんだからであって、決して青緑色の視線が恐ろしかったからではない。
そう、俺は何も目的もなくこの教堂を訪れたわけではない。国王は基本的に多忙である。仕事をしているところがあまり目撃されないのは単にサボっているからだ。
「教伯、褒めて遣わす」
「いきなり一体…キャッチボールがお好きでしたっけ?」
「良くぞ毒で倒れた」
ペンが飛んできた。危ない。ペン先は尖っているのだ。
「心良くは思われていないことは存じ上げておりましたが、ここまでとは想像だにしませんでした」
「落ち着くんだ。インクの瓶は当たれば痛いし避ければ部屋が大惨事という大層危険かつ質の悪い凶器…待て、言い方を間違えただけなんだ!良く1番最初に口にしてくれたと、そういう意味でだね!」
振り上げられていた瓶が置かれ、中の黒い液体が外に出ることなくタプタプと揺れるのを見届けて胸を撫で下ろす。
「…調査が王城持ちになりましたか」
「歌巫女殿や反骨少年ではこうはならなかったろう、よくやっーーたぁっ!!」
ベットサイドのタンスに大人しく置かれていたはずのインク瓶が俺の手のひらに収まっている。よく掴んだ。よく受け止めた。床に敷かれた絨毯くらいは俺を褒め讃えてくれるだろう。
「そういう物言いはないでしょうが!!」
「書面にすればいいのか?」
「そういう問題ではないでしょうが…」
怒鳴って萎む声を聞きながら揺れるインクを見つめる。黒い液体に映ってもはっきりしない紫色はそのままだ。
「王城からいくらか人員を出す。ソリダスター伯の騎士たちはここから劇場の経路と、劇場内の警備に当たらせるようにアカンサ嬢を通じて伝えておく」
「陛下」
「ミルトはまだ留置いてくれ。聞いたところ荷物の送り主の顔は覚えてないとのことだったが、相手がそうだとは限らんし」
「シオン様」
意識が引っ掛かる呼び方をされたので手の中にあるものを投げて返そうと身構える。
途端にラルゴに腕を掴まれ捻られ、ついでに足を踏まれる。
「そのままにしておいてくれるかい」
「わかりました」
「痛い痛い痛い!!!」
「お気持ちはわかりますが、焦らないでください」
「腕捻られたら誰だって焦るわ!」
「正道で裁くこともできるでしょう」
捕縛から逃れようと踠いていた体が固まる。視線は動かせたのでチャービルの方を見た。
「無理に急ぐ必要はありません。侯爵も、カトレヤも。あなた様が無茶をしていると知れば心を痛めます」
「王が通る道が正しい道だ」
「シオン様」
憐れむ色もなく、蔑む音もなく。
インクと同じ深さの瞳はただ静かで。
「時間はあります。ーー姉上と同じ方法を取る必要は全くないのですよ」
あんまり静かで。そのせいで。
ガラスの断末魔がよく聞こえた。




