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女王の肖像画  作者: 堂 ジヨン
3章 歌巫女のアトリビュート
73/129

3.25


 沸かした湯を、一部残して暫く置いて適温になるまで冷ます。取っておいた方はカップに注ぐ。

 ポット越しに触るには少し熱いくらいの温度になったところで茶葉を入れた茶器に回しかける。カップに注いだ湯はこの段階でボウルにあける。

 熱でゆっくりと泳ぐ茶葉を見ながらしばし待つ。


 ーーこんなもんか。


 そっとカップに紅茶を注いでいく。ふんわりと甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。


「それ。ありがたく飲め」

「臣下に手ずから茶を淹れるのは如何なものかと」

わたしはこの茶を飲みたいし、其方もあの店の、気に入らなかったんだろ。湯を沸かすならいっぺんにした方が燃料が少なくて済む」

「一国の王が燃料を気にして過ごさないでください」

「いいから、冷める前に飲め」


 まだ何か言いたそうだったが大人しくカップに手を伸ばしたので、相当この茶が恋しかったのだろう。似ても似つかぬものを口にしても思い出しはしないが、ほんの僅かでも類似点があれば想起するに十分な切っ掛けになる。


「一体いつこれほど腕を上げられたのでしょうか」

「褒められてるのか怒られてるのか」

「どちらも」


 従兄殿とは味覚が似通っているらしく、一部例外を除いて基本的に好みの飲食物は同じである。何となく寝付けない夜に踊る茶葉を見たくなって淹れる際に、己の舌の満足するものを研究した結果、お褒めとお説教の言葉を賜ったようだ。


「紅茶は飲みすぎると寝付けなくなりますよ」

「なん、もっと早く教えてくれ…淹れすぎてがぶ飲みしてたぞ」

「貴方様は揺らぐものを見つめるのが本当にお好きですね」

「そうか?」


 暗がりの蝋燭の火は落ち着くからよく見るが、部屋に入ってきた女官や護衛たちが悲鳴をあげるので隠れなければならない。私室で、尚且つ個人の時間にコソコソしなければならないのはなぜなのだろう。

 あとは星かなぁと思いながら自分用のカップに注いだものを飲む。うむ、目指した通りの味と香りである。茶葉の量や蒸らしの時間を少しずつ変えて試した成果だ。


 仕事が立て込んでいることは忘れてのんびり甘い花の香りに浸っていると、扉の外にいる護衛兵が声を掛けてきた。どうやら客人らしい。

 入室を許可すれば宰相殿であった。政務の時間中にのんびり紅茶を飲んでいる我々を見て、一言。


「私も混ぜてほしいです」

「要件は」

「…サンギネウス侯爵とお会いになったということならば、我々に情報をもたらして頂くのが当然かと」

「飲み終わったら行こうかなぁっと」

「混ぜてください」

「もう湯がない」


 私室の側にある簡易厨房で沸かして持ってきたものなので、あまり量がなかったのである。また沸かしに上階へ行くのも時間が掛かる。報告は早い方がいいものだ。飲んでいた紅茶からは目を逸らしてそう考える。


「厨房から持って来させますよ」

「なしてそんなに飲みたがる」

「息子と甥が仲良くしてるところに入りたいだけです。それに、可愛い甥が入れた紅茶を飲んでみたいのもあります」

「淹れた人間がよくわかるな」


 普通、国王はそんなことしない。


「メイドたちが昔抗議しに来たんですよ。陛下が仕事を奪うと」

「自分で淹れた方が、毒の心配なくて気が楽なんだよなぁ」

「確かに」

「まさかお前が教えたんじゃないだろうね」


 父親の問いかけには答えず、残りを飲み干したカップを置く従兄殿。簡単な調理くらいはできるし、何なら俺に果物の皮の剥き方を教えた人物である。また、幼児に毒の見分け方を教えるとともに毒見役もしていた。

 出される食事をまず口にするものだから、きっと体の大きさの分多く食べたいのだろうとニコニコ残りも差し出したら何とも言えない顔をされたのが懐かしい。どうも毒入りポタージュだったらしい。体を慣らしているから平気だと言っていたが、長じた俺が摂取したら普通に4日寝込んだ。人類の適応能力とは計り知れない。


「陛下、報告に参りましょう。他の方々も集めておいででしょうから」

「ちょっと待て。カップの処理が」


 ボウルに入れておいた湯、だったものをカップに入れる。洗う前の一手間である。


「…手慣れてますね。誰を相手に練習し、どうして私には一度も淹れてくださらなかったのか教えて頂きたい」

「自分相手に練習し、真夜中だったので誰にも出せなかったのだよ」


 一応、俺の説明に納得したらしく集まりの部屋の場所を伝えた宰相殿は退室した。恨みがましい視線はそのままだったが。


「成長した息子と紅茶挟んで語り合うのが男親の夢なのか」

「一般的なのは酒ではないかと」

「其方飲まないじゃないか」

「飲めても同席者がいる場では飲みません。それと…」


 俺を見、一瞬逸らし、また俺に向く深い色。言いにくいのか言いたくないのか。


「もし懇願されてもこの茶葉を提供しないでください」

「……気まずい?」

「そんなところです」


 缶を掴んで少し振る。あと数回淹れたら注文しよう。

 甘い花の香りで思い出すのは2つ。この紅茶と、木漏れ日の色。


「言っておきますが、先にこちらがあってあちらが後です」

「そう」

「…随分とあっさり納得されますね」

「そんなことだろうなとは、何となく思ってたので」


 どういう意味かと目で問われた。特に隠すことでもない、なぜなら本人が秘密とは言っていなかったのだから。


「髪をさ、無駄に伸ばしてただろ。手入れ以外で切らなかったし」

「そうですね。流石に直立した状態で床に着く長さは避けていたようですが」

「褒められたから伸ばしているのに、一向に何も言ってこないという愚痴を聞かされた」

「ーーーーは?」


 何を言っているんだという顔をされる。俺じゃなく当人に向けてくれ。


「『木漏れ日の色と評されたので嬉しくて、手入れやら結うやらの手間や日常生活への妨げを我慢して伸ばしているというのに、何も言ってこない。朴念仁め、何か言うまで切ってやらん』とのことでした」


 どうでもいい特技を発揮して詳細を説明する。いつも見せる無表情に似ていつもとは違う感情を乗せているであろう顔を見て、俺は何とも言えない顔をする。


「一度たりともそのような説明は受けていないが」

「言わなくても分かってほしい。それが女心」

「それも、あいつの世迷いごとか?」

「貴方の御母堂から教えられたことです」

「聞かされても困ることを増やすな」


 そう言われましても。


「基本的にあの人は、貴方との関係に対してはごく一般的な年頃の娘のような反応をしていたと思いますけれど」

「……当時からそう思っていたのか?」

「それは老成しすぎでしょう。この歳になって思い返すと色々と解るものです」

「極力思い返すな」

「いや、無駄に記憶力がいいのでふとした時にこう、ポンっと」

「叩くか」

「原始的かつ大胆な解決方法ですね」

「側頭部が効果的と聞く」

「具体的になるのやめましょうか」


 何なら即時実行の素振りを見せられたので、慌てて集合場所を目指すことにした。







 寝室や私室よりは低い場所、謁見の間よりは高い場所。


 重臣と言われる者どもと顔を突き合わせて面倒極まりない事項についてああだこうだと話し合う、大きな長机と並べられた椅子ばかりの広い部屋。つまるところ会議室に息を切らせたまま飛び込む。先に部屋にいた宰相はやや案ずるような表情だが、残りの人間…オークスとその補佐官は無表情である。


 何故そんなに急いできたのかと聞かれれば、家臣を待たせているからではなく追跡者から逃げるためであると答えよう。因みに追跡者は12秒後に同じ扉を潜って入ってきた。階段を飛び降りていなければ、途中で捕まって側頭部を拳骨で挟まれぐりぐりとされていただろう。それでは記憶は飛ばないと思う。痛いだけだ。


「また追いかけっこしてたんですか?本当に仲が良いことで」

「べ、ーーに、あそ、……ない」

「何を仰っているか全くわかりませんが、ご報告いただけることがあるとのことですので手早くお願いします。法案作成の準備が立て込んでいますので」

「いき、も、……てなーー」

「私の方からお伝えします、宜しいですね」


 正常な呼吸をしているイベリスが、ゆっくりと俺の背中を摩りながら確認するので仕方なく頷く。労っているように見えるが、そもそも俺の呼吸が浅く早くなっているのはこの男から逃れる為であり、何故逃げたかと言えば俺に非のない事柄について俺の側頭部に償わせようとしたからであって、要するに原因はあの女である。

 おのれ、許すまじ。ここ最近特に酷いぞ。やはり絵になんか描かれたから息を吹き返したのか。


 現在把握している状況を要点をまとめて説明しているのでいつも通り冷静であるように見えるが、この集まりが終わったら即座に先程の記憶に関わる攻防戦に戻るつもりに違いない。背中を摩る方と逆の手が、静かに、力強く、有無を言わせぬ感じで、俺の肩を押さえているのだ。抜け目ないことに利き腕の付いている方を。逃げ出そうとすれば肩が外れるか肉が抉れそうである。




 肩の入れ方が書いてある本がないかと書庫の見取り図に意識が飛んだあたりで説明が終わったらしい。息も落ち着いてきたので、今度は俺が話をする。


「証拠を押さえるにも時間が掛かりそうだから、手っ取り早く他の罪状で締め上げようかと思っているのだが」

「ダメです」

「では、わたしがここにありそうと思ったところに偶々証拠があったという幸運を呼びこ」

「なりません」


 希望が即座に摘まれたのでしょんぼりする。時間が掛かるのは好きではない。


「そもそも王の所有物に手を出しているのだから怪しい段階で即時拘束即時処罰が当たり前だと思うのだが」

「……行方知れずとなっている民を案じての発言だと信じたいんですけどね。宝物庫の中の物たちに対する陛下の所業を思い出すとその言い方に語弊しか感じないんですよ」

「所有物をどうしようが持ち主の勝手だろう」

「その理論、国民に当てはめて発言しないでくださいね。それに、勝手に宝物庫の物を

分解して売り払おうとしないでください」


 初代国王が被っていたとされる、これ頭に載せていたとすると頭部がやけに大きいことになるぞというような、大ぶりの宝石が惜しげもなく使われた怪しげな王冠。警備の関係もあるとのことで博物館での展示も出来ず、暗がりにひっそりと息を潜めているのはその他にも幾つかある。

 見物料を稼ぎもしないのに手入れの手間と予算を掻っ攫っていくその品々に、そっと近寄って飾りの宝石やら何やらを取り出そうとしていたことを暗に怒られているのであろう。専用の工具もなしに傷一つ付けずエメラルドを外した俺の手先を褒めてくれてもいいと思わないだろうか。思わないか。


 宝石などは所詮石であるというのが俺の価値観である。それが持て囃されるのは削り出され切り出され、最も美しく見えるように、見られることを念頭に置いて手を掛けられるからである。誰の目にもつかない宝物庫に眠らされているのなら、鉱脈の中に存在しているのと何ら変わりはない。

 従って、宝物庫の中の品々とそれらについていた宝石を別れさせた行為は、ある意味宝石を発掘したのと同じではないだろうか。正座をさせられ囲まれた俺が言ったこの素晴らしい理論は、いきり立った宝物庫の管理責任者やその他の面々によって受け取られる前に霧散した。7歳の秋のことである。



 ぼーっと昔々に思いを馳せていたら、つい本音が口をついた。


「やはりリコールの時にもうちょっとやらかさせれば」

「前公の悪い影響でしょうがね、面倒だからってご自分を害させて捕まえてしまおうというのは、危ないし危険ですし到底許されることではありませんよ。危ないですし」

「爺さんも、前もって相談してくれれば事後処理の準備できるのになぁ。急に毒飲んだら死ぬかと思うだろ。困った御仁だ」

「困った人なのは陛下の方でしょう!」


 宰相が何か言っている。聞かないようにしているのでただの空気の振動でしかない。もし後から何を言っていたのか聞きたくなったらこの場を思い出せばいいだけだ。よってそっぽを向く。


「…傷が深い時の止血方法とか、バレンやラルゴに聞くしかないんだろうけど。聞いたらその場で殺されそうだよな。本で読めればいいのに」

「貴方様がそういうことをお知りになった場合嬉々として大怪我をしてそれを誤魔化すという事態が頻発する恐れがありますから、王城に専門的な医術に関する書物が置けないのです」

「は?ああいう本って医者しか読めないとか、そういうことなんじゃないのか?」

「禁書でもないのですから、そのようなことがあろうはずも」


 何ということだ。俺の医学を学ぶ自由が知らぬ間に侵害されていた。


「医学書がないことをそう解釈されるとは、陛下は時たま大変真っ直ぐなお心をお持ちになるのですね」

「根は素直な方ですので」

「『されたらちょっとイラっとする小さなイタズラ全集』などというものまで取り揃えた所にない、ということは一般に解放されていない知識だということになるだろうが!…王城以外の書庫なら、置いてあるのか?」

「今すぐ国中に、陛下に医学書を見せないよう通達を出していただけますか」

「是非もなく」

「待てこらオークスせめて包帯の巻き方くらい覚えたっていいだろ」



 返答もなく法務長官と補佐官は去っていった。速い。この勢いだと今日から一生涯、医学書に目を通すことが叶わなくなりそうである。そっと逃げ出して街に繰り出そうにも、右肩を置いていくことはできない。

 そうだ、国外からこっそり輸入すれば読めるはずだ。


「オークス様がそのような抜け穴を用意するわけがないでしょう。貴方の名、もしくはキュラス殿の名で医学書を国内に持ち込むことも併せて禁じてくださるはずです」

「現実問題、知識が得られないことも痛いがそのような内容の触れが出回ることの方が余の治世に対する打撃が大きいと思う!!」

「今更それで痛む評判もないでしょう」

「え…」


 痛む胸と肩、どちらに手をやればいいのだろうか。


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