3.24
一口含んで広がる香りに思わず顔を顰める。花の香ではあるが、想像していたものとは違っていたのだ。もっと甘く、慣れ親しんだ香りを求めてしまっている。
同じものを注文したイベリスもそっと目を細めている。いつもの茶葉はやはりあまり出回っていないものなのだろう。城に帰ったら淹れてやるか。
視線をもっと近くにやれば、勇ましくブラックコーヒーに挑みその苦味に敗北しかけているカトレヤが見える。その隣で、ほんの僅かにミルクと砂糖を入れたカップをかき回していたラルゴがそっと呟く。
「余ったから使え」
「え、いいんですか?」
「思っていたより多かった」
喜んで残り全てのミルクとスプーンから溢れるほどの砂糖を入れ、柔らかな色になった液体を口にする姿に、その隣の人物がやや表情を和らげるのが見える。初めからこうなると分かって、使いもしない砂糖などを頼んだのだろう。
カティ、美味しそうに飲むのはいい。ちょっと左横を見てみないかい?そしたら俺の目下の悩みの大半が解決する気がするんだよ。
「へーか、なんかこれ、おいしいです」
「いらない、ほんといらな、夜眠れなくなるからそれ嫌い!!」
俺じゃなくて左を見ろというのに。
「つまり今日夜更かししても仕方ないという…?」
「駄目に決まっているだろ。この前寝不足で座学に集中できてなかった」
「ララちゃんだって間違えて同じ譜面3回弾いてみゅぅぅぅぅ」
「…2人揃って夜更かししてしまったの?」
「へーかも一緒に頭がおかしくなるくらい難しいボードゲームしてました」
「…教えてもらってその言い方はないだろう」
「本当に、3人で?」
重ねられた質問の意図がわかっていない2人。侯爵の危惧しているようなことは全く無かったと、その場にいた主君は証言できる。が、求められていないものを与える必要を感じなかったので、黙って茶を啜る。やはり、香りが違うと物足りない。
あとはデザートだけという、完全に食事しに来ただけになりそうな状況だが、時間を置かねば侯爵が落ち着かなかったのだから仕方ない。本当に、なんてことをしてくれたんだアスター。
ノックの音がして、コリダリスが応答する。最後の品を運んできた店員が退出すると同時に、ライラックが俺を見る。
「このままだと楽しいお食事会で終わりますけどいいんですかね」
「シャーベットにスプーン突き刺しながら聞くな」
「ノウコーなイチゴの香り…」
「口に入れんの早いな」
デザート注文組が黙々と手と口を動かしている間に、本来の目的であるところの情報共有を試みたい。些か時間が足りなさそうな気がするが。
「何かお頼みになればよろしいでしょう」
「食えないものをなぜ頼まねばならん…とりあえず、どこまで話したか…」
「髪の毛が寂しくてテカテカしてお腹周りが柔らかそうなおじさんの話してました」
「ああ、そう、ハービサイド商会長の…名前しか言ってないな」
申し訳ありません、と侯爵が恥ずかしそうに身を縮める。別に、彼女が悪いわけではない。反省すべきはやらかしてやらかし続けたあの女である。
それもそうだがお前も悪いという強い視線には気づかない振りをしながら、あの第5皇子のとの会話を端的にまとめる。
「ミネオーアの、ヴァステヴィルダとの国境で皇民が行方知れずになる件数が増えているとのことだ。我が国でも同じように国境…サンギネウス領の北東部で行方不明者の報告が最近多い。そうだな?」
「左様にございます。そして、父の監視を命じている者たちからの報告で、二、三気になることが」
苺のムースを崩す動きが止まった。
「…最近、妙に金まわりがいいと言いますか…予算は変えていませんが明らかにそれに身合わぬ品や娯楽に手を出している様子で」
成程。
「売ってるのやも知れんな」
「やはりそう、思われますか」
「まー憶測で突貫するとオークスにどやされるからなぁ…しかし、多少自由があると言っても監視場所から好き勝手は出られぬだろう?何か手があるのか」
「領内には私がこの地位にいることに不満を持つ者もおりますから。以前父の元に勤めていた者が手引きした可能性もあります」
「そうか、流石に全て一掃はできなかったからな」
多少無茶をしてアトロを退位させた時、もう少し無茶をして罪状を被せてやればよかった。イベリスは元より、教伯とその嫡子が同じ場所にいたので何が何でも止められたかも知れないが、こういう状況になるのならもっと煽っておくべきだったのだ。
「真にそうお思いになられるのなら、今お考えになった内容を包み隠さずこの場で公表さない」
「考えるだけでは罪にはならない」
「唐突に2人だけの世界で会話をしないでください、自分らには何もわからないです」
「知らんでいい。ともかく、今は可能性の段階でしかない。急くなよ」
「…御意」
侯爵の返事が聞こえたので、固まったまま動かない隣の小さな手をちょっと突く。
「早くお食べ」
「…へーか」
「食べないとラルゴに食べられちゃうよ」
「そういう時は自分が食べるというべきでは」
「俺が言っても信憑性がないだろ」
「へーか!」
ついにはスプーンまで置いてしまった。
「変なことしちゃダメです」
「奇行ばかりするという評判の国王ですが」
「みんなが、心配するようなこと、しちゃダメ」
うんと言わねば再び甘酸っぱい香りに包まれる気はないようだが、俺は嘘は吐けないのである。無言で見つめ合うことになる。
「…ウソもほーべんというのはこういうときに使うんですかね」
「違う」
「ウソから出たマコト」
「全く違う」
「ウソつきは盗賊の始まり」
「帰ったらもう一度慣用句の暗記だ」
「ウソだと言ってください」
俺を見つめながら背後のラルゴと意味のない掛け合いをする頬を、無言で引っ張ってみる。
「ひゃにふふんへふは」
「どれくらい伸びるのかがふと気になった」
「ほへふはひほひはひは?」
「少し熱したチーズ位」
「へっほふほひへはふへ」
「苺ムースお食べ」
「はひゃひへふははひ」
それもそうかと手を離す。言った通りスプーンを持ち始めたので、左に傾けていた体を正面に戻す。冷たいデザートを食べ終わった男がじっと見つめていた。
「目を潰して欲しいのか」
「どんな顔したらそんなこと言われることになるんですか。珍しくうちの歌巫女に馴れ馴れしく触ってるなぁと思っただけですよ、陛下は極力自分から触らないようにしてるでしょう?」
「え、そうですか?けっこういきなり抱えられたりしますけど」
「陰で何なさってるのかお聞きしてもよろしいですか?」
余計な事を言った口はムースで一杯になってしまったので、仕方なく俺が口を開く。
「水たまりで跳ね回ろうとしたり、野良猫を見つけて壁に開いた猫サイズの穴に突っ込もうとしたり、氷菓に気を取られて柄の悪そうな男にぶつかりそうになっている小さな子がいたら抱き抱えると思うが」
「カティ、帰って勉強が終わったら堂長も交えてお話ししようか」
「むむむむむむーーー!!」
口の中のもので発音が明瞭でない事を考慮したのだろう、アマリリス殿と会話する時のように素早く手を動かして「裏切り者ーーー!!」と言ってくる。先に裏切ったのはそっちだ、という言葉は手にも口にも出さない。
その後もしばらく罵詈雑言を手で捲し立てていたが、ムースが消えてなくなった途端に口も動き出す。
「へーか、なんか頼んでください。そして同席する私の帰宅時間を遅らせてください」
「国王は結構忙しいので、いくら服を掴まれようと胴にしがみつかれようとそろそろ帰る」
「お茶のお変わりいかが?!」
「王城の紅茶が飲みたい気分だから帰る」
「リンゴ丸ごとパイ!!」
「なかなか心惹かれる品だが先程のリブロースによって一日の許容摂取油脂ギリギリなのでバターを多く使ってそうなものは避けたいから帰る」
「タンジーさぁん…」
俺では望みの結果が得られないと理解したのだろう、侯爵に泣きつく。
飲んでいた紅茶のカップをゆっくりと置いた侯爵は、そんなカトレヤに優しく微笑んだ。
「カトレヤさんが慣用句に詳しい、お淑やかな女性になるのを楽しみに待っています」
空の器に落とされたスプーンが立てたカランという涼しげな音をもって、この場はお開きとなった。




