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女王の肖像画  作者: 堂 ジヨン
避けるべきモチーフ
7/128

1.7



 光の方向で青や緑を帯びる黒髪も、上手い例えの思いつかぬ瞳の色も、あるいは表情や姿勢も常と変わらぬというのに、悲しいかな付き合いが長いゆえに彼が途方もなく怒っているのがわかってしまうのである。



「帰るぞカトレヤ」

「そんな人物は、いません」


 静かなラルゴの声に、俺の声が応える。俺の、と言っても自分の声というのは本来他人が聞いているのとは異なって聞こえるものなので日頃聞いている声とは若干異なるのだが、ラルゴがやや眉間に力を込めたので俺の声で間違いないのだろう。口を固く閉じたままそう判断する。



「バカなこと言ってないでさっさとそこから出てこい」

「主君に対してその言い方はないのではないでしょうか」

「お前がへばりついてる相手に話しかける用はない」

「あなたの目の前には1人しかいないのです」


 背後から両腕をとられて上下に振られる。如何いかな平均的な男よりやや体格が劣るとはいえ、へばりついている相手にとっては重いだろうと彼女に合わせて自ら軽く腕を動かしているのがばれているらしく、ラルゴの機嫌はさらに低下する。



「マントの下に潜られて何もお思いにならないのですか」

「何か思ったところでこの状況が好転するとでも?」

「へーか、しゃべらないでくださいって言ったじゃないですか!」


 ラルゴはいつもよりも低く冷たい声で。俺は張りのある高い声で。背後の人物はやはり「()」の声で話す。声だけ聞いていればなんてことはないのだが、通りすがりの者たちは近寄らないようにしている。それもそうだ。有力貴族の令息と、一応自分たちの主君と、そのマントに体が隠れるように必死に体を寄せて王の腕をパタパタと動かす年頃の娘が、一部声を入れ替えて会話をしているのだ。俺も出来ることなら関わり合いになりたくない。


「操り人形にしてはお粗末にもほどがある上、何より歌巫女殿、わたしの口調をまねる気がみじんもないではないか」

「へーかのしゃべり方は舌をかみそうなのでできないです」

「カトレヤがあなたの声を真似る理由はわかりますが、陛下までカトレヤの声をまねるのはなぜです」

「均衡を考えた」

「下らぬ気を回すくらいならその馬鹿者をこちらに寄こしてください」

「だから誰もいないと言っているじゃないですか!」

「お前はその声で話すのを一刻も早くやめろ!」

「そう声を荒げるな、其方らしくもない」

「…貴方もその声で話さないでください」


 教堂での仕事を抜けて来たのだろうカトレヤに、お目付け役と言ってもいいラルゴがついに大きめの声を上げると、へばりつく圧力が増した。色々と障りがあるのでそんなにくっつかないでほしい。かといって引きはがすためにどこかしらを触っては更に障りがあろう。どうやら行き場のない土産その1が役に立つときが来たようだ。



「マロニエ嬢、ケーキは食べたくないかね」

「食べます!!」

「テラスと庭と、どちらがいい?」

「へーかのお部屋がいいです」

「仕方ない」

「何もよくありませんしそのままで行かないでください」

「固いこと言 うな/わないでください」

「いい加減普通に話していただけませんか!」


 やや食い気味に返事をして諸手を上げたカトレヤによってマントが巻き上げられ、盛大に顔にかかったが気にせず会話を続ける。だが、ラルゴから見ると俺の顔はマントで、カトレヤの顔は俺の背で隠れているので声を入れ替えるとどちらが話しているかわからないらしい。やや乱暴にマントがもとの位置に戻され、せっかく土産によって引き離した背後の者が再びその下に潜る形となってしまった。その際厚手の布が頭に勢いよく落ちたらしく、カトレヤが本来の声で不満げに呟く。


「ララちゃんの意地悪」

「…その呼び方をしたら絶対に許さないとこの前言ったばかりだよな?」

「待て登るなそんなに高くないから避難するには低いから」

「へーかより低いララちゃんに謝ってください!」

「貴様が最も失礼だこの馬鹿者!!」

わたしを掴むでない!」

「あ、私習いましたよ。将を射んと欲せばまず馬を射よ、ですよね」

「国王を馬扱いするなぜスカートでそんなに脚を開くのだメだといってるだろう降りないか」

「高いところってのぼりたくなりません?」

「それはわかるが」

「同意をなさるな!」


 つい最近わずかながらに俺に背を抜かされ、すれ違いざまに小さく「縮め」と呪詛を吐いてきた相手に、あろうことか顔に似合った可愛らしい愛称つきで身長について触れた挙句その怒気を感じとって現国王の背中にいそいそと登り始めた不届き者のスカートがまくれ上がるのを必死に止めつつ、なぜか胸ぐらを掴んでくる者に苦言を呈し。この一連の忙しさのあまり、ついカトレヤの意見に賛同してラルゴの怒りに油を注いでしまった。子どもの頃、背の高い従兄によく登っては頂に辿り着いて達成感のあまり両手を離して静かに墜落しかかったところを被登頂対象にキャッチされるということを繰り返していた身としては彼女の言うことは良く分かる。が、あの男とは多分に腕の力が異なるためにもし墜落でもされたらどうしたらよいだろうかとひやひやする。まあ同じくらい高低差にも違いがあるから大丈夫だろうか。



「…とにかく、場所を変えるなら変えましょう。これ以上騒いでは迷惑です」

「あなたも当事者じゃないですか」

「其方を背負って逃げるのは少々骨が折れるのであまりこの者を怒らせないでくれ」

「ご安心ください、とうに許容範囲は超えています。陛下もお覚悟ください」

「何ということだ…」



 背負ったものの重心をどうにか変えようとして試行錯誤している間に、身軽なラルゴはすたすたと進んでいく。先ほどの流れからすると王の私室が目的地だろう。なぜ所有者を置いて行くのか。







***********


「随分可愛い装飾ですね、食べたら全部おんなじなのに」


 そう言いつつも凝った装飾に甘みの強いチョコレートと同じ色をした目を輝かせ、カトレヤは濃紅の髪を左肩に流した。この配色はリナリアとの茶会でよく見かける。彼女も甘味を好むのだ。嗜好が合わないというのはなかなか寂しい。


「其方に贈るといったら厨房の連中が張り切った」

「後でお礼を言わないといけませんね」

「振り切れて菓子しか作らんようになりそうだからやめてくれ」

「毎日パーティーみたいで素敵じゃないですか」

「パーティはたまに開くからいいものなんだ」


 かつては腕を振るう機会が多かったらしいが、なにぶん当代国王が苦手だと公言しているために王宮の厨房であまり作られないのが菓子類である。その分野に覚えのあるものは「食べません?一口でもいいんですけど見るだけでも??」と圧力をかけてもうんともすんとも言わない相手に見切りをつけ、定期的に王と面会する候爵令嬢や不定期に現れてくる王の友人を喜ばすことだけに心血を注ぐことにしたらしい。

 リナリアは使いをやって丁寧に労うし、カトレヤはどうやってか厨房に忍び込んで満面の笑みで屈託のない感想を述べるので、比重が傾く気持ちはわからなくもないが、軽く扱われる身としては納得できない。俺の好物はめったに作らないくせに。


「――美味しいです、へーか」

「それはよかったな。わかった、わかったからいらないから」

「一人で食べたらお腹いっぱいになっちゃうじゃないですか」

「ラルゴ」

「貴方の方が近いのですから貴方が手助けすればいい」

「何なら場所ごと変わってくれてもいいぞ!」

「お断りします」



 ニコニコと笑みを浮かべながら幸せのおすそ分けをしようとするカトレヤが、今どこに座っているかわかるだろうか。ブリオニア国で最も尊き膝の上である。決して定位置ではない、それは断言する。私室に戻り背負っていた彼女を降ろし若干の疲労を癒すために気に入りの椅子に腰かけた、そのときにはもうこうなっていた。


 立ちあがって振り落とせばいい?職人の技術と気合と王への不満が詰め込まれた傑作をキラキラとした目で見つめるこの華奢な生き物に、そのような無体を働けるほど豪胆ではないのだ。この事態を少し離れた所から平然と見つめる胆力の持ち主ならやってのけるかもしれないが、そもそもカトレヤにこの姿勢をとられるなんて失態を犯す奴でもなかろう。



「堂長はどこだ。陛下が用があらしい」

「イベリスさんと何か話があるとのことです。へーかがいるだろうから遊んでいなさいと言われました。でもいらっしゃらなかったので、1人で大人しく待ってました」

「まだしばらくかかるか…それを食べたらさっさと戻るぞ」

「食べるのも、早く?」

「…それは遅くてもいい」


 甘いものが大層好きなのに小食でなおかつ食べる速度も遅い彼女は、それはそれは時間をかけて好物を楽しむのだ。きちんと食事を取れるよう日頃は制限されていることもあり、目の前の幸福を手早く済まさなければならない可能性にひどく落胆するのも無理はない。制限をかけている側の筆頭であるラルゴも譲歩するほどである。

 それはいい。それはいいけど、この状況で普通に会話をされると困るのだ。小柄とはいえ小さな子どもではない、1つ下の女を持続的に乗せていられるほど強靭な体ではない。というか、今この瞬間国王を害そうとする不届き者がこの部屋に侵入したとしたらどうする。逃げられない、というのは俺にとって致命的である。何を隠そう「逃げ足だけで危機を乗り越えてきた」という自負がある。荒事というのは慣れている人間が有利だし、体格のいいやつが優勢なのだ。品行方正とは言わないが育ちのいい環境でぬくぬくしているだけあって、てんでそういうことには向かないのである。ちなみにカトレヤは真っ先に戦力から外されるし、ラルゴは俺が相手でも取っ組み合ったら確実に負けるだろう。戦力が足りない、どころか0ではないか。



「カトレヤ」

「この透明なの飴細工ですかね。とってもきれいですね」

「カトレヤ、」

「色が違うところは味も違うんでしょうか」

「カティ」

「――1人で待ちぼうけはとてもつまらなかったです」

「勝手に抜け出した陛下は咎められるべきだが、同罪のお前が非難する資格はない」



 予想通り、遊びに行って不在だったことにへそを曲げていたようだ。約束などないので咎められるいわれはないのだが、不満そうに口をとがらせるカトレヤを見るとなんだか自分が悪いように錯覚してくる。美しいというのはこういうところで得だなあと思うし、逆に心配にもなる。

 ここ数年、体つきがしっかりとしてきたせいで衆目をより集めるようになった彼女は、少女から女への過渡期にあるのだろう。その危うさを尊重してくれる人間ばかりではないと周囲は知っているし、おそらく本人もわかってはいるのだが如何せん無頓着なのだ。庇護者である堂長も彼女の家である教堂の関係者も、そして今のこの状況を特に責めもしない男だってそのことに気を揉んでいるのが、傍で見ていてもわかる。



 …俺も友人として思うところはあるが、何よりまずその心配や懸念の矛先がこちらに向いてくるのはいただけない。いくら会うたびに腕に引っ付かれようとも背中によじ登られようともうたた寝しそうなときに膝を貸されても唐突に胸元で頭を抱えられようとも、友人である。たとえ先に述べた無頓着さが発揮されるのが大方俺に対してであっても、お友達なのだ。これは互いの共通認識だし、揺るぎない決定事項であり、普遍の真理だ。そういくら主張しても誰も納得はしないし、余計に殺気立つだけだし、挙句の果てに側妃に迎えるのではないかという予想まで立てられたら本気で刺客を送られるんじゃなかろうか。


 あと、そんな噂を立てられたらカトレアが大層ご機嫌斜めになるだろう。誰も幸せにならないから、ラルゴには先程の結論を考え直してほしい



 そんなふうに思いつつ、カトレヤに分からないように「側妃説」の否定をするための策を考えていたためか。次にくる危機の予測ができなかった。



「ララちゃんには話してません」

「…」





 ラルゴは確かに冷静な人物である。でもそれは努めてそうしているからであって、同じように淡々としている印象のイベリスとは違う。あの男は本当に感情の起伏が小さいのだ。だから大抵のことでは激しないし、するとしたら余程の災害である。一度、直接ではないがその現場に居合わせた身からすると、絶対当事者になりたくないの一言である。



 ――何が言いたいか。

ラルゴは、カトレアが呼ぶあの愛称を大層嫌っている。そして、ケーキを食べることを許されたことから、回数がリセットした(きげんがなおった)と判断した彼女は3回目の呼びかけをしてしまったのである。ケーキに意識をとられていたこともあるだろう、いつもの注意力を発揮していれば、ラルゴが終始――俺のマントに潜り込んだ時から今に至るまで――同じ熱量の怒りを持っていることに気付けただろうに。結果、とばっちりでその冷気を浴びることになった俺は頬をひきつらせ、遅れてカトレヤも判断ミスに気付き固まる羽目になった。



「あ」



 静かにこちらに歩み寄ったラルゴは、ひょいと飴細工をつまむと自分の口に放り込んでしまった。なかなかの大きさなのと、俺と同じく甘いものが苦手なこともあり大層食べ辛そうである。その様子を、カトレヤは呆然と見つめる。



「…一口で食べたら味がわからないじゃないですか」

「砂糖の味しかしない」


 前者にはよくそんなか細い声が出せるなと、後者にはよく口の中に物を入れてはっきり話せるなとのんきに思う自分と、この流れはあまりよろしくないからすぐにでも退避すべきだという自分が、そもそも逃げられる体勢じゃないという淡白な現実で結びついて併存している。受けた衝撃によって血の気が引いていたカトレヤの顔にだんだんと元よりも強い赤みがさしていくのが見て取れ、俺は観念して耳をふさいだ。この2人の口論は、俺の知る限り堂長にしか止められず、至近距離にいては被る被害が余りに多いのだ。誰かに堂長を呼びに行かせようか、しかしこの体勢を見られるのは大層よろしくない。口論を止めてもらえたとしても、俺への尋問が開始されては大して被害の規模は変わらないだろう。





――しかしなぜここ最近、自分の部屋でこんなにも心休まらない時間を過さねばならないのだろうか


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