3.16
明日が今日になってから見慣れた部屋に辿り着いた。
髪や服に纏わりつく木の葉を叩き落とし、脱いでいた靴をいそいそと履く。正門を潜るには見張りの兵に声を掛けて何があったのか等々質問を受ける必要があるので、慣れた裏口から戻ったからだ。やっぱりこの靴、滑る。
「随分と遅いお帰りで」
「隣の部屋の鍵、貸して」
「必要なものがあればお持ちします」
「調弦と練習、ついでにしたいからしばらく籠る」
部屋の主は抑揚のない表情で暫し考え込んだ後、徐に口を開く。
「船賃が足りませんでしたか」
「いや使ってないし…そうだ、返しとく」
「お持ちになってなさい。すぐに要りようになるでしょう」
「不吉な予言すんなよ」
「確信です」
どちらにせよ凶事を仄めかさないでほしい。ポケットから取り出した硬貨型の不吉を指で弾いて持ち主に返す。投げ返されなかったので少し安心する。
「で、鍵」
「ご自由にお取りになれば良いでしょう」
「一応所有者の確認というものはだな」
「天井裏から忍び込んできた口で言うことですか」
「ノックした途端、窓閉めやがったのどこの何奴だ?カーテンまで引きやがって」
「碌でもないことしか持ち込まないと判断しました」
このままでは説教の時間に突入しそうなので黙って鍵を奪い取ることにした。
壁に掛けられた2つの額縁のうち、小さな白い花の描かれた方をひっくり返す。少しくすんだ色の金属は、鍵穴に差し込む方とは反対側に菊の花が模られている。
「…この絵、いつまで飾ってる気?」
「貴方様には関係のないことです」
「捨てて良い?」
「拾います」
「燃やしたら、」
「燃やし返します」
「物騒だなぁ…」
大人しく額縁を元に戻す。幼児の描いた絵など飾って何が楽しいのだろう。
「名前気に入ってない割にずっと飾ってんだよなぁ…父親が母親にプロポーズした場所に群生してたからっていう理由含めて気に食わないって言ってたのになぁ」
「お知り合いにその絵の贈り主のことを懇切丁寧に説明致しましょうか」
「やめてください」
どうやっても勝てないのに挑みたくなるのは何故か。それが人間の業というものだと言っていた人は隣の額縁の刺繍をしていた。所々引き攣れている上に、何やらシミが浮いている。
「…せめて血痕は落とそうとか、思いません?」
「ーーそこも含めて受け取れという指示だ」
「うわ重い」
背筋が少し寒くなったのでいそいそと目的の部屋に行くことにした。
「思っていても口に出すな」
「どっちも重い。お似合いですね!」
「ジスト、」
「ああ、義兄上。近いうちに教伯の次男から私の口調について聞かれると思うので回答願います。よくわからない質問をされて、うっかり」
「存外気を許しているな」
「存外?警告の回数を超過しても問題ないと仰ったそうですが。とんでもないものとは如何なるものでしょう?」
「向こうの部屋の姿見を覗けば見える」
「おや酷い」
ころころと苦笑すると非常に嫌そうな顔をする。酷いにも程があるだろう。
鍵はつっかえもせずに回った。定期的に油でも差しているのだろう。部屋の中も埃っぽく無い。部屋の主が出て行った時のまま、一部分焼け焦げた跡もそのままである。
「その笑い方、態とではないというのが大いに問題だ」
「そういうものは似ると言いますから」
「お前の方が楚々とした印象なのが非常に問題だ」
「悩ましいことですね」
無造作に見えて整理して置かれた物の山の中から目当てのケースを引っ張り出す。
「何が違うのでしょう。今から扮装して城内を歩き回れば分かりますかね」
「恐慌状態に陥るぞ」
「赤い塗料がどこかにありましたよね」
「死人が死んだ時の状態で現れるとは限らない」
「そうなのですか?」
ケースの中を確認する。見た限り問題は無さそうだが、湿気などの影響があるかもしれない。取り敢えず、試しで何か弾いてみるか。
「以前、見回りが相次いで亡霊を見たと騒ぎになった」
「おや」
「白いワンピースを着た姿が暗がりに浮かび上がっていたそうだ」
「それはそれは」
「皆怯えて仕事にならないからと俺に相談が来た」
「見回りって何でしたっけ」
音階を一つずつ辿っていく。やはり少しずれているな。
「あまりにしつこく嘆願されるので仕方なく夜中の城内を歩くことにした」
「夜って見慣れたところも別の場所みたいで楽しいですよね」
「蝋燭片手に寝巻き姿で徘徊しているお前がいた」
「ん?」
調弦の手を止めて顔を見上げると、非常に嫌そうな表情が見える。
「ああ…丈の長い上着ですからね、逃走阻害用に。蝋燭の火は丁度良い色味で同じように見えますし、切る前だと結構長く見えたかもしれませんね…それいつの話ですか?」
「代替わりのすぐ後だ」
「見回り達は皆近眼ですか?サイズとか諸々違うんですが」
「それも踏まえて扮装などという恐ろしいことを考えるなと主張したい」
「まあ今が1番そっくりでしょうねぇ」
「欠片も似ていないが」
「そう言うのは貴方だけなんですが」
「俺の従弟とあの阿呆を一緒にするな」
「阿呆」
言葉が見つからずに調弦に戻る。阿呆、阿呆ね…。
「“阿呆とは何だこの無礼者!“」
「実物よりも可愛げがあるのは何故だ」
「欲目という物では」
「それを除いてもお前に分がある」
「困りましたね」
「全くだ」
ギィィィっと変な音が弓と弦から出た。音楽的には価値はないが心情としてはぴったりな伴奏である。
***************
調弦の後数回練習して就寝の準備を終え、書類の山はきちんと配分した。
配分先からの苦情・文句・報復を受ける前に面倒な課題を終わらせようとお隣さんちに不法侵入する。
「どうして窓から入ってくるんですか」
「空が繋がっているから」
「はめ殺しにしたほうがいいんですかねぇ」
「次男坊どこ?」
「今日はオルガンの点検の日ですからそこについてますよ。約束がありましたか」
「脅されて来た」
「私の息子に何をしやがりました」
「脅されたって言ったろうに」
人の話を聞かない堂長は放っておいてオルガンの方を見る。確かにそれっぽい人影が見えるが、オルガンが設置されているのは講堂の1番奥。中2階のここからわざわざ近くに行って声を掛けるのも億劫だ。
聴きたいと言っていただけなので、音が聞こえれば良いだろう。あいつは耳が良いのでこの距離でもわかるはずだ。
床に置いたケースからバイオリンをもそもそと出しているとチャービルが奇妙なものを見る目を向けてくる。
「何をなさってます?」
「演奏の準備」
「…なぜ」
「だから、脅されたと言うのに」
手を握って開いてを繰り返す。下手すると指が攣るので気をつけねばならない。
「差し障りがなければ脅しという物の内容を教えていただけますか」
「カティがラルゴの誕生祝いを贈るべきだと主張し、当人は“風神の試練“が聴きたいと右腕の安寧と引き換えに演奏を要求してきた」
「で?」
「『で』?」
「それで今ここで弾こうって言うんですか」
「見ての通り」
顔が引き攣っているので何事かと考える。オルガンの調整の最中に邪魔をするなということだろうか。
「今すぐラルゴを呼んできますから、そのままここで待っていてください」
「さっさと終わらせて帰りたいんだが」
「可及的速やかに呼んで参りますから!」
一領主があんなに慌てて走って良いものなのだろうか。威厳とか格式とか。
まあいいや。
「待てと言われて待つ必要があるのか、と」
弓を走らせれば音が生まれる。単なる空気の振動がどうして贈り物になるのだろう。
それも演奏家ではない人間の手によるものなど、何の価値があるのか。
風神の試練。それはクレナータの教典に出てくる神の施す試練の一つでありそれをモチーフにしたバイオリンの独奏曲である。
教典に書かれた内容を簡単に説明しよう。
元々この国は天神・ハイドランジアと地母神・アルディジアが支配していたが、住まう人間が増えてきたので管理が面倒くさくなり人間に委任しようという話になった。ハイドランジアは愛するものが多かったので人間なんていう下等生物の世話をしている暇が惜しかったのである。
とはいえ適当な人材に押し付けるわけにもいかず、選考試験をすることになった。その数81。多い、多すぎる。本当は暇なんじゃないかと思うぐらい多い。
一応、81という数にも理由がある。ブリオニアの国土は東西南北の距離が大体等しく正方形に近似する。正方形の縦横を9つに等分してほしい。小さな正方形が81できるだろう。それぞれの枠に当てはまる地域で1つずつ試練があり、定員は1人。試練に合格すればその枠を取ったということになり、より多くの枠を取ったものが支配者になれるというものだ。
ここまでにしておけばよかったのに、なぜか縦横斜めのライン上で取っていない枠を取った枠で挟めば取ったことになるという規則を盛り込んだせいで話がやたらと長い。枠の取り合いの駆け引きのせいで81の試練のくせに章が149もある。所々に入ってくるハイドランジアの交友関係とか本当に要らないし、アルディジアの訳のわからない許しも要らない。
因みにこの9×9の試練をもとにした盤上遊戯があるが、あれは面白い。開発者を褒め讃えたい。
さて、その試練の中の1つであり難関のうちの1つとも称されるのが“風神の試練”だ。
旋風の化身である風神は笛の演奏と踊りが自慢。挑戦者に自らの演奏するやたらと速い曲に合わせて踊るように命じ、風神より長く踊れれば試練クリアとなる。
この話から鑑みるに国王は踊りが得意でなければいけないらしいが、俺は3曲目辺りで疲労が危険水域に入るので早いとこ退位したい。
それはともかく。旋風の速度に合わせて動き続けられる人間がいるわけもなく、挑戦者たちの骸が積み重ねられていく。それをみたある若者は考えた。
「これ、普通にやったら死ぬな…でも角の枠だし取っておきたい」
若者は故郷から持ってきていた楽器を見て一計を講じた。
「風神さん、風神さん。試練を受ける前にどんな曲か聴いても良いですか」
「ああいいぞ。お前たちが聴いたこともないような速くてかっこいい曲だ」
「わぁ楽しみー」
風神は愛用の笛で曲を奏でた。
「…あっれぇー思ったより速くないなぁ」
「な、何だと!?」
「ボクならもっと早く演奏できるけどなぁ。風神って言っても大したことないんだなぁ」
「こ、このっ、そこまでいうならやってみろ!」
「うーん、演奏がこの程度じゃ踊りの方も期待できないなぁ」
「踊ってやらぁ!!」
若者が弾いた曲、それがいわゆる“風神の試練”として知られ、俺が脅されて今から演奏する曲である。
特徴は分かり易い。速い重音が多い連符ばかり指が攣りそう。以上。
そしてとてもどうでもいいが、試練は若者が勝って風神は消滅した。詳細は省く。知りたければクレマチス版の教典の17巻52頁8行目以降を参照されたし。
「“星撃ちの試練”の方が好きなんだがなぁ」
弓矢で星を射落とせという無茶苦茶な試練に、流星の時期を見計らって挑戦して誤魔化すという若者の姿をイメージした曲。矢を放つ部分を弦を弾く奏法で表現したものでこちらもなかなかの難曲ではあるが、降り注ぎそうな満点の星空を見ると無性に弾きたくなる。
「嗚呼 静粛たる夜に一条の矢 降り注ぐは数多の星 祝采の光」
いかんいかん、弾くのは風の方だ。えーっと、
「荒ぶる風に笛の音と…まあ良いや。どっちにしろ気分じゃないし」
教典の暗唱をすればその気になるかと思ったが。己の感情の制御というのはなかなか難しいものだ。
さっさと終わらせてしまおう。
弓をサッと走らせる。この勢いのまま最後まで駆け抜けねばならない。かといって力んでは風の軽やかさが出ない。軽くステップを踏みながらの方が余計な力が抜けて弾き易いのだが、ここで踊るわけにもいくまい。
この曲は長らく演奏不可能とされていたが、プレスティッシモという男が近年演奏を成功させた。俺が弾けるのはその演奏を見て動きを真似ているからで、自力ではおそらく一生掛かってもできなかっただろう。
「陛下は技術があっても感情がこもってませんね」
紆余曲折あって俺の師となったプレスティッシモは苦笑しながらそう言った。
「もったいない。それさえあれば一流の演奏家ですのに」
「国王業と兼業する気はないから、別に」
「どなたかに聞かせたいと思ったことはないのですか」
ない。
「ただの一度も?」
ないよ。
だって、あの人はもういないから。
「陛下…」
ぼんやり弾いているうちに終わっていた。無意識でも弾けるのは真似をした人間の動きが無駄なく覚えやすいからである。そう褒めたのに泣かれたのはいまだによくわからない。
「お待ちくださいと、お願いしましたよね…」
「必要がないと判断した」
チャービルは頭を抱えているし、連れてこられたラルゴは何だか不機嫌だ。
やはり仕事の邪魔をして呼びに行ったのが間違いだったのだろう。
「終わったし、もう帰る」
「陛下、」
「ん?扉から帰った方がいい?」
「殴ってもいいですか」
「良くない」
いいと思ったのか。オルガンを弾いたり怪我人に差し伸べる手を無為に傷つけるのは避けるべきだ。
「では刺していいですか」
「良くない」
「どのような毒がお好きですか」
「なんか怒ってんの?」
聞くまでもなく怒っているが、問題は理由が不明ということである。
要求通りに演奏したというのに何が不満なのだ。
「あの距離で、要求が叶うと思いましたか」
「聞こえなかったか?」
「聞こえればいいとお思いですか」
「……?」
運指など見ても楽しくないと思うが。参考にするなら本家の方がいいだろう。
「私が、どうしてその曲が聴きたいと言ったのかわかりませんか」
「聴きたいからだろ」
はぁ、と深く息を吐く。その姿がいつかの従兄殿に似ていたので、瞬く。
「昨日散々僕を馬鹿呼ばわりしていたが、お前の方がよほど大馬鹿者だ」
「はぁ、まあそうだろうけど」
「…どうしてかと理由も聞かない辺りが特に」
「聞いたところで治らなそうだから」
またも大きく溜息を吐く我が子を見兼ねたのか、黙っていたチャービルが口を開く。
「追加でもう一曲お願いできますか」
「なして?」
「王城へ戻りたくばもう一曲お弾きください」
「親子揃って主君を脅すとは」
「“星撃ちの試練”、これはお好きでしょう?」
もう一度瞬く。弾いて見せたことはないのにどうして知っているのだろう。
「カトレヤが言ってましたよ、教典の内容が頭に入らないと相談したら曲と合わせて覚えれば良いと弾いて下さったと」
随分と前の、それも一瞬の出来事である。王城から逃げ出していた時だったので最後まで弾けなかったのだ。
よくもまあそんなつまらないことを覚えていることだ。肝心の教典の内容は覚えたのだろうか。
「あの子も呼んできますから。いや、このままついて来て下さい」
「…帰、ぎゃ!!」
「黙ってついて来い」
「右手右手右手それ右手だって」
いつもはさっさと帰れという癖に、どうして最近は王城に戻らせてくれないのか。




