1.6
いくら長い付き合いの相手であっても、唐突に訪問しては礼を失するというものである。
如何な国王、国権の長たれどもそういった節度は持つべきだという思想を持っている俺は、もちろんこれから訪ねようとする相手に先触れを出すことを忘れなかった。
だと言うのに、
「お帰りください」
にべもなし。どうなっているんだ。
国教のクレナータ教には何柱か神がおられるが、一番人気は主神のアルディジアだ。教堂は各地に点在していて、それぞれが主に祀る神の御名を冠することになっている。目の前にある大きな建物はアルディジアを祀る教堂の中で最も権威があり、同じ名を持つ教堂たちを束ねる「主教堂」で、呼び名は何の捻りもなく「アルディジア主教堂」である。
王家の守護でもある主神を祀る主教堂ゆえに他の教堂よりも訪れる機会が多いので、どこに行けばかくれんぼで優勝できるかどこが見晴らしがいいかどこに入ると窘められるかなど、王城に次いで詳しい場所でもある。
そういったわけで訪問するにもそれほど気負う必要もないと思っていたのに、どういうわけか入れてもらえない。それに対する不満を隠すことなく扉の前に立ちはだかる人物を見る。ここに来るまでに門扉でも一度止められたが、振りかざす権力は幸いにして有り余っているので通してもらった。強行突破ともいう。
「先触れは出したと思うが」
「犯行予告なら届きました」
「そのようなものは送っていない」
「『明日、アルディジア主教堂を打ち壊しに参上仕る』?」
「そんなこと書いた?」
「この筆跡も紋も貴方の物ではないですか」
「『明日八つ当たりに殴り込みに行く』と書いたつもりだったんだが。公務中に書くとどうにも堅苦しい文になってしまうな」
「おおよそ同じことですし、公務に集中していただきたい」
クレナータ教の教えを、「浮気性の主神にも『等しく愛を注いでくれればいい』と寛容さを見せる妻アルディジアが、何やかんや夫の相手である諸々の女神とその他多くの女神・男神を絆し、途方もない支持を集めてついには夫になり替わって主神になる」ということだと解釈をした王に、「要約の内容としては正しいがその中には教義として伝わるべきものが何1つ含まれていない」と静かに訂正を入れた男は、やはりあの時と同じように穏やかに、片手間に犯行予告を書いて公務に専任しない主君を諫めた。
「ともかく入っていい?」
「殴り込みに来た相手を入れるとお思いか」
「そんなの冗談に決まっているだろ。堂長に相談したいことがあるだけだ。」
「貴方の立場で言っていい内容ではないかと。あと、父は不在です。」
「どこに?」
「王城に呼び出されたと言っていましたが?」
なんと、入れ違いである。この主教堂を総括する彼の人物がわざわざ出向くとは、余程の人物からの呼び出しであろう。例えば王とか。
「俺ではない、はずだ」
「断言していただきたいところですね。もちろん、何の予定もないからここまでいらっしゃったんでしょう?」
暗にサボりでは、と信を置く家臣に疑われるのは流石にいただけない。
「把握している範囲では何も予定はないとも」
「呼び出しは昨日の夕刻に来たと」
「犯行予告書いてるときにイベリスがなんか言ってたかもしれない」
「…貴方は少し従兄様に任せすぎでは」
「傀儡なもんで」
大抵のこと、というよりほぼ全ていつも後ろに控える執政官に放り投げておけばいいものだから、聞いていることにして流すことも多いのだ。おかげで日々退屈せず、予想していなかった仕事や面会に驚きうろたえる楽しい国王生活が送れている。仲の良い女友達と城下で遊んでいるところに「私との面会をお忘れですか?」とどこからともなく現れたデンドロビウム候に声をかけられたときなどが最たるものだ。婚約者の父と、ラフな服を着て腕に婚約者ではない年頃の娘引っ提げて会ってみるといい。あんな刺激的なことはそうそうないから。
軽く流して入れ違いになった原因がなんであるかをごまかそうと思ったが、相手が眉をわずかにひそめたので失敗したとわかる。
「傀儡など、軽く言うものではありません」
「事実だし」
実際、即位したての頃、7つになったばかりの俺には母方の伯父、イベリスの父が後見というか摂政というか、まあ名前は忘れたがそういう内容の職についていた。イベリスもその補佐という形でいて、長じた王から後見が外れた後もそのまま側近として残ったのである。
地面に届かない足をプラプラ揺らして玉座に座るだけの子どもが、自分でするよりもよほど正確かつ迅速に物事が回る方法を知ったらそれを使わない手があろうか。俺は迷わず活用する方を選んだだけである。
というのに、堂長の次男兼国教関連の職務を代々務める伯爵家の令息兼国王と年が近く人格能力共に申し分ないがないために話し相手という名目のお守を押し付けられて大層迷惑を被っていると周囲から憐れまれて肯定はしないが特に否定もしない、国王からの友人認定を「結構です」の一言で片づけたこの男、ラルゴ=クローブはそれを良しとしないらしい。
曲がりなりにも仕える主君が傀儡と揶揄されるのを嫌ってのことだろう。生真面目なのは知っているが、俺はそうではないので取りあえず話をそらしたい。
「堂長は後にしよう。カトレヤには会えるか?」
「お前に会わせるとろくなことがないので却下だ」
「せっかく土産を持ってきたのに」
「あいつに菓子を与えないでもらえるか。食事をとれなくなる」
「じゃあお前にやる」
「甘いものは好まん」
「奇遇だな、俺もだ」
ラルゴと気安く話したい時は3回彼の気分を害せばいい。あちらの方が2つ上でよっぽど真面目に務めを果たしているし、畏まった口調で話されるとこちらもそれに応じた口調で話さねばならないのでできれば敬語は外してほしいのである。
イベリスに対しても同様に感じてはいるが、あの男がそんなこと考慮するわけないし先んじて口調を崩そうものなら迷いなく掌が飛んでくる。同じ祖父を持つというのに俺よりもずっと高い位置にある頭の、そのまた腕の長さ分高い位置から落とされると、たとえ握られていなくとも初速度をつけていなくともなかなかの衝撃になるので余程億劫でないときは堅苦しいまま話すしかない。
その点ラルゴは俺がどんなふざけた口調で話そうと、俺を叩きのめすには身長や腕力が足りない。昔は苦言を呈された気がするがいつの間にか何も言われなくなった。どうしてなのか理由を聞いたら、返事は「うるさい」だった。真摯に受け止めて黙った。ショックだったともいう。
「これもつけるから引き取れ」
「何でもそれで解決できると思うな」
「えー…」
馴染みの商家に言いくるめられてたびたび買わせられるものは多々あるが、最も困るのは酒である。 わが国では16で飲酒が解禁され、クレナータ教においては神々が好むとされているのでなかなか種類が豊富らしいが、どうにも楽しめないのである。
公の場で必要に駆られる前にどの程度耐性があるか把握しておこうと試した次の日、波打って押し寄せる頭痛と絶え間ない吐き気を堪えつつ城内の者を頼りに失った記憶を辿ろうとしたところ、皆一様に口を閉ざし視線をそらしたので、おそらく何かやらかしたのであろう。素っ裸になったか歌を歌ったかあるいはそのどちらもか。答えを知りたくて後ろを振り返れば「どうしようもない時以外は決して口になさいませんように」との明確な解を得られた。
そんな感じで、あいさつの礼儀程度に口に含んでもすぐ朱に染まる残念な王なので買ってしまっても呑めないし、城内の連中は俺が酒を買ったというだけでなぜか悲壮感いっぱいになるので置いておくこともできず、知り合いの呑める奴に押し付けるというのが定番になっている。
花の蜜とか朝露の滴とかそういった方がよほど似合う容姿をしているくせに、見た目や家のことで絡んできた少々やんちゃな令息たちを飲み比べで悉く潰していったラルゴはその筆頭である。
しかし何が楽しくてこんな液体を飲むのだろうか。水分とってるのに喉が渇いて仕方がないというのは拷問だと思う。
ついでに俺は賭け事にも弱く、負けることは大嫌いなので理由がなければやらない。その他、財をつぎ込むほど熱中するものもない。土産の残り半分の対象だった女友達からは「趣味も何もなさそうだけど、何が楽しくて生きてるの?」と、無邪気に聞かれるほどである。腕にそっと体を寄せられて上目遣いにそう尋ねられて「何だろうね」と返した。ショックだったともいう。なおその直後、先に述べたデンドロビウム候との運命的な出会いがあったことも付け加えておこう。
兎に角、今回は押し付けに失敗してしまった。菓子といい酒といい、自分では処理できないものを抱えて途方に暮れているというのに、あてにしていた人物は何の感慨も浮かべていない。
「それはそうと、父に何の用だ。どうせ碌でもないことだろうが内容によっては僕でも対応する」
「堂長に通さなねばないものを碌でもないと断じるとは如何なる了見か」
「陛下と幼少より懇意にさせていただいているという自負がございますので」
それじゃ仕方ない。別に機密事項でもないので伝えてしまってもかまわないだろう。
「宣誓のことで相談したくってな」
「…なるほど?」
「待て多分お前が考えているのは違うことだからな」
「何も言ってませんが」
鮮やかな青緑だというのにどうしてそんなに暗い目になるのか教えてほしい。せっかくの可愛い顔が台無しだと思うけれど、それを言ったらさらに面倒なことになるので口をつぐむ。他の人間からも中性よりむしろ女性よりの美貌と言われているくせに、俺がそういうとやけに憤慨するのだ。曰く、同類の癖にということらしいが、俺は一見して分かる明瞭な事実を指摘されてもさほど気にしないので同じではないと思う。
「そういうことならさっさと城に参りましょう」
「なぜついてくる」
「回収するものがあるので元から行くつもりだったところに無視する予定だった殴り込みを予告する不届き者が来て足止めを食らった」
「それはすまん」
「いいから行くぞ」
「回収って何を」
答えは返ってこない。どうやら答えたくないらしい。とすると回収対象はおのずと絞られる。
「カトレヤ、堂長について行ったのか」
「陛下に用があると嘯いていましたが」
「なぜそれを早く言わない」
大方用はないのだろうが、待ちぼうけをくらわしては後が大変だというのに。そんなこと、俺よりもずっと身近で彼女の相手をしているのだからよくわかっているはずの相手は先程から変わらぬ視線を向ける。
「私には関係のないことですし。――しかし、あれを王家に入れるおつもりだとは思いませんでした。デンドロビウム嬢の了承は得ておられるので?」
「―――どいつもこいつもなんでその話しかしないんだよ!」
予想通りの誤解をしていたので、予定通り大声で抗議させてもらった。
その声を無視されるまでがお約束、である。