2.31
案内された厩舎は、この前奇人鬼神が連れまわしてきたものからやや離れたこじんまりしたものだった。小鳥の言っていた通り、騎馬にはなれないと判断されてここに移されたのかもしれない。
馬自身が騎馬になりたいなどとは一言も言ってはいないだろうに、何とも勝手なものである。
先を歩くアカンサ嬢がするりと厩舎に入ってヒルシュを連れてくる。そうして、すぐには近寄らない俺を見てきょとりと小首をかしげる。
「いかがなされました?」
「漸う考えれば余が近づいたら驚かせるのではなかろうか」
「なぜでしょう」
「余が乗った直後に針で刺されたわけだろう」
「ああ、それなら大丈夫です。ヒルシュは賢い子なので針を仕込んだのが陛下ではないことも、陛下がヒルシュを助けようとしてくださったことも分かっています。さあどうぞ」
それは馬の知能をこえているのではないだろうかと思いつつ、促されては断りづらい。蹄で蹴られたらかなり痛い怪我をするだろうが、まあ何とか避けよう。
出来る限りゆっくり近づいて、そっと頭を撫でる。特に嫌がる素振りもなく黒々とした目に静かに俺を映している。
「本当に大人しいな、君は」
「馬はお好きですか?」
「さてどうだろう」
好きか嫌いかで言われたら嫌いではないという答えになるだろう。そもそも好悪の基準をどこに置いているかで話は変わる。ずっと手元に置いてい置きたいという程度が「好き」であるならそんなものは俺に存在しない。考えるだけでも虫唾が走るという程度が「嫌い」であれば、いくつか挙げられるかもしれないが。
「お好きではないもののために、あのような無茶をなさいますでしょうか」
「あのような?」
「ヒルシュから落ちそうになった時、止めるためにわざと乗り続けていたと聞きました」
「ああ、あれか……」
「あの後祖父が『騎馬にさえ向ける心遣い、まさしくコリウス様の血筋である』と言いながらヒルシュを振り回して大変でした」
「何を言っているか良く分からんが、それは難儀であったな」
興奮剤を仕込まれるわ持ち上げられるわ散々な目にあわされたヒルシュに憐憫の情が沸く。撫でる手つきにそれをにじませれば僅かに押し返してくる。気にするなということか、憐憫など不要ということか。残念ながら馬の言葉は習ったことがないのでわからない。
「てっきりお好きなのだと思ってお勧めしていたのですけれども違っていましたか?」
少し困ったような顔をするアカンサ嬢にどう答えようか少し考える。たとえ俺が無類の馬好きでも急に譲られたら断ると思う。だが恐らく彼女が気にしているのはそこではない。俺が馬が嫌いだったらどうしようということだ。一方できっと嫌いではないと予測していて、それはあの時の俺の対応から来ていると。さて、なんて答えようか。
――私の勇敢な騎士様。『拝命』の証をどうぞ
風が吹いた気がした。軽やかで温かな風が。
「――騎士になりたかったんだ」
「はい?」
「前王の在位の頃、1度見た夢だよ。王弟が臣籍に下るなんて珍しいことでも無かろう」
10歳年上の姉は近いうちに王配を迎えるのだと信じて疑わなかったあの頃。継承権争いなどが起きてまた面倒なことにならない様に割と本気で臣籍に下ることを考えていた。どうせ寝込みがちな体だ、後継を残す役目も果たせるとは思えず、ひたすら騎士になりたがった。どうせ砕けやすい駒ならば王族より臣下の方が気安かろうと考えたのだ。
「まあ姉のことがなくともどの道向いていないから無理な話だったが」
上背も膂力もない。体力に至っては目も当てられない。決してないわけではないのだろうが少し無理をするだけで翌日以降の健康が犠牲になる。いくらお飾りの身分であろうとここまで酷くては認められないだろう。
そんな考えを知ってか知らずか、暫く瞬きを繰り返していた小鳥は小さくつぶやいた。
「騎士とは心の在り様だと祖父が申しておりました。弱きを助け悪しきを挫く、それが強きものだと」
「…いずれにせよ向いてはおらんな」
俺は博愛などという精神からほど遠いところにいるのだから。
ヒルシュを引いて屋敷の入口の方まで向かう。既に馬車の準備はできているようで、周囲にイベリス達がいるのが見える。
チャービルの上着にしがみ付いていたカトレヤがいち早く俺の姿に気付きさっと隠れる。全身を隠すのではなくてこちらを窺えるように顔の一部分だけ残している姿に、出会ったばかりの頃を思い出す。尤も、あの頃は誰に対してもこの体勢で迎え入れていたが。
しがみつかれた相手がカトレヤの動きによってこちらに気付く。はぁとため息をついて彼女の頭を優しく撫で、そうしてこちらに向かってくる。頭を撫でたときの表情とこちらに向ける表情、落差が大きすぎるので少し鏡の前で考え直してほしい。
「どうしてくれるんです、さっきからずっとあの調子です」
「保護者の背に引っ付くのは問題なかろう」
「貴方ね……」
またもため息を吐く男を無視して先に行こうとする。眉間の間に指を置かれて緊急停止する。流れるように急所を狙ってこないでほしい。
「危ないだろ」
「友人に、一方的に絶縁を突き付けられたら誰だってショックでしょう」
「確固たる理由があることを他でもない彼女が知っている」
「知ってようがいまいが悲しいことは悲しいんですよ。もう無理に聞き出そうとなんてしませんから、仲直りしてやってくれませんかね」
「断ったら其方の指が貫通しそうだが」
「そんなことしませんよ…」
今日のチャービルは溜息の日らしい。
「息子と言いカトレヤと言い、何人袖にすれば気が済むんですか」
「全く身に覚えのない濡れ衣を着せられるのは承服しかねる」
「身に覚えがあったら揺れ衣とは言わないのではないでしょうか」
「――確かに」
「アカンサ嬢、申し訳ないけど今陛下と話してるのは私ですので少し待っていてもらえますか」
「かしこまりました、鞍の準備をしておりますね。あ、毒針は仕込みませんのでご安心ください」
いらぬことを言い残して小鳥が去っていく。慣れた人間が離れては流石に動揺するかと思ったが不思議なほどに落ち着いている。なんとなく頭を撫でてやる。毛並みが良く滑らかな手触りだ。
「随分とお気に召していらっしゃるんですね、その馬」
「そう見えるかね」
「貴方、あまり人や動物に触らないでしょう」
「そうかね」
「……本当に、騎乗して帰る気ですか」
「ああ」
じっと俺を見つめてしばし沈黙。
「――馬車の中で話し合いというのは素敵だと思いませんか。例え手足を縛られていたとしても」
「窓から飛び降りてやるからな」
「冗談抜きでやりそうですよね…そうして何故か軽傷で済ませるという」
「受け身取ればなんとかなるだろ」
「ならないんですよ普通は。わかりました、今回の所はここで引き下がります。私が間に入るよりラルゴに任せた方がよさそうだ」
「最短で最善且つ最悪の選択」
「何か仰いました?」
「別に」
平行線の会話が終われば、カラカラと音が聞こえてくる。アカンサ嬢が台車を引いて戻ってくる音だ。何故。
「お好きなものをお選びください」
「選択肢が多すぎる」
早く帰りたいと願ってのことだったのに、台車一杯の鞍から適当に1つ選ばねばならなくなった。
本当に何故。
「いいですか、安全運転です」
「ああ」
「脇見も居眠りもなさらぬように」
「ああ」
「速度を出しすぎないこと」
「……」
「返事なさい」
「善処するってぇ!!」
1つ1つのセールスポイントを何とか聞き流し漸く選んだ鞍を着けていざ王城へ帰ろうと意気込んだところにイベリスからの安全運転講習が入る。どうして騎乗している人間の頭を叩けるんだ。
「ソリダスター卿、申し訳ありませんが私にも馬を貸していただけませんでしょうか」
「そ、それはどういうことでございましょうか」
「陛下が爆走しない様に繋げて駆ける必要があります」
「え、絶対嫌だっぃいった!!」
「爆走、ですか」
「ええ。以前、王城詰めの騎士団から馬を盗んで騎士近衛その他諸々の兵士たちを撒いたことがおありなのです。4頭付けの馬車で何とか追いつき捕縛しました」
「それはまたなんと……」
「あれはもっと軽い時だろう、あんなスピードは出ない」
「さして変わらないでしょう」
「変わっておる変わっておるとも誰が何と言おうともな!!」
せっかく気兼ねなく爆そ、もとい、馬を駆ける機会だというのに、力が強くて目方もある従兄殿の乗った馬に繋がれたのではつまらない。大体、あのスピードは騎士団の中でも駿馬と名高い馬を拝借したから成せた業で、この大人しいヒルシュにできるものではなかろう。
しかしあれは楽しかった。風が少なく寝苦しい夏の夜に、そういえば流星の時期だったと思い付きで抜け出しただけだったが、切った風が熱を吹き飛ばしていく感覚は大層気持ちが良いものだった。
できることなら人気のない森か草原などまで逃げおおせてのんびり寝転がって流星を見たかった。途中からものすごい形相で追いかけてくる連中から逃げるのに必死で、ほとんど空が視界に入らなかったのだ。
なお、俺が拝借した馬の持ち主はなぜか自分より俺に馬が懐いていると泣きながら寝所まで訴えてきた。そんなわけあるまいと追い返そうとしたら縋りつかれた。蹴った。反射だ。悪いことした。彼は今でも元気に王城詰めをしている。馬も元気だ。
「なら私が引きますから大人しく乗っていなさい」
「何時間かかると思っておるのだ断固として拒否する」
「なら速度を上げないと誓いなさい王家の血と主神の名に懸けて」
「誓いが重いわ!!この、」
アコニトとの会話のために俺からやや距離をとっていたことを後悔するがいい!
さっと姿勢を正せば即座に何を考えているかがばれたらしい。止めに入られる前にとっとと発進させてしまえ。
とん、とヒルシュの胴を軽く蹴った瞬間に小鳥の声が聞こえた。
「早く駆けるのがお好きならヒルシュは適任ですね。その子、とても足が速いですから」
「は、」
い?と言う前にヒルシュが駆けだした。待て待て待て待て待て待って。
「―――団長の馬より速いぃぃぃぃ!!」
「陛下!!」
悲鳴か歓声かどちらともつかない声を上げる俺を乗せて、ヒルシュは颯爽と道を行く。背後からは慌てた様子で出立の準備をする音が聞こえる。
これは完全に後で怒られる。
どうしよう、このまま熱りが冷めるまで完全に逃げてしまおうか。それはそれで楽しいかもしれないが、もっと怒られるに違いない。
どちらにせよ怒られるのならこの速度を楽しんだ方が得だな。
そう思って大人しく手綱を握り直した。




