2.30
俺との婚姻生活が楽しそうか否か、そんなことはどうでもいい。
「ルール違反だ」
意図して低い声でそう告げれば、カトレヤは大仰なまでに体を震わせる。あんな物言いで、違反を回避できたとでも思ったのか。
「全部話す」
「――へーかっ」
「先に約束を破ったのは其方だろう、カトレヤ=マロニエ」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです!」
慌てて腕をとろうとして来るのを躱す。もちろん彼女が転んだり怪我をしない様に注意した上で。
しかし「避けられた」という事実から、俺が本気で約束をなかったことにしようとしていることを理解した彼女は青ざめる。俺をつかみ損ねた両の手を胸の前で組んで微かに震えている。
なんだか物凄く悪いことをしている気になるのは見上げる瞳に涙の膜が見えるからだろうか。
「……別に、帰ってすぐにとは言わぬよ」
詰めた息をふっと吐き出したのは安堵か。甘い甘い。これが慈悲だと思うなよ。
「気が向いたら言う」
「――やっ」
「だがまあ条件くらい付けてやろう」
可哀想なくらい動揺している相手に、笑いながら一方的に条件を押し付ける俺の姿は最早悪人にしか見えないだろう。だがこうなったのはカトレヤ自身の責任だ。あとはそう、もう一方も悪い。
「余が相手と1対1で会話をしている時に、気が向いたら話す。――周囲に人がいたとしても内容が聞き取れない程度の距離であれば2人だけで会話をしていると判断してここに含める。其方自身が我々の会話に入っている時も、同様に」
「わた、しがいる時も……?」
「その方が楽しかろう?せいぜい余の気が向かぬよう用心することだ」
カトレヤがいる時を条件から外したら攻略が簡単すぎるじゃないか。俺と相手が話し込むときに割り込んでしまえばいいだけだ。そんな易しい解法、与えてなんかやらない。
「――い、いじわるっ!!」
「ほぉう?良いのかねそのようなことを申して」
「い、今はアナタの言った条件に当てはまらないじゃないですか」
「当てはまるように変えてしまおうか?」
うぅと呻き声を上げる少女は今にも泣きだしそうだ。だが、泣いたって許しは得られない。
俺は約束を破る女は大嫌いなのだ。
「陛下、流石に言い過ぎではありませんこと?」
「これくらいが丁度良かろう」
「教伯の方を見てから判断なさってはいかがですか」
そんなものは見なくてもわかっている。可愛い可愛い歌巫女を泣きそうになるまで追い詰めた人間に、あの堂長が向けるのはいつも通りの怒気冷気殺気だ。
「話の内容の説明と、うちの子を泣かせたことへの贖罪を要求します」
「断る。そも、余が其方の言に従う理由がない」
「陛下っ!」
「弁えよ、クローブ教伯」
クレナータ教の各主教堂を代々率いる家は伯爵の位を与えられているが、国教の担い手ということで他の伯爵家と区別して「教伯」ということもある。民心と国政への影響力が大きく、単純に伯爵と言うより侯爵並みの権能があると言っても過言ではないため、この区別は結構重要である。
だが、そんな権力のある教伯には残念なことに、俺は最高権力者だ。俺が嫌だ言わないと言ったら言わなくていいし、やりたくないと言ったらやらないでいい。
「――自分の都合のいい時だけ国王になるんじゃありません!!」
「いや元々国王だ。余が法で国家だ」
「独裁は許しませんよ、一貴族として主君の横暴には断固として異議を申し立てます」
「では次の朝議で好きなだけ申し立てるが良いぞ。家臣たちから諫められれば余の気も変わり洗いざらい話すかもしれん」
「―――――――――ダメぇっ!!!!!」
カトレヤの絶叫に貫かれてチャービルが戦慄く。流石歌巫女、とんでもない声量である。俺の耳ももれなく洗礼を受けた。
「お願いします堂長、それだけはやめてください!」
「か、カティ?」
「この人ホントに全部話します。そんなことされたら私、私…」
俺に見せた懇願よりも更に切羽詰まった様子でカトレヤは続ける。
「もう、教堂にはいられなくなっちゃう……………っ」
つい今しがたの大声が嘘のようなか細い声がひと滴と共に零れ落ちる。
それが合図とばかりにぽろぽろと止まらぬ涙は、あの時と同じようにひどく静かだ。
「お二方のご容貌も相まって、」
静まり返った場にぽつりと響く声が1つ。
「陛下が途方もない極悪人の様に見えますね」
「この状況で言うことがそれか」
屋敷の主の孫娘は相も変わらずきょとりとしている。何だか酷い脱力感を覚えて頭をがしがしと掻く。約束を破られたことについカッとなったが本来優先すべきはベラトラムのことであって、つまるところとっとと王城に帰らねばならないわけだ。ソリダスター家にいつまでも居るわけにもいかない。
「兎に角戻るぞ。イベリス、乗れるか?」
「ご令嬢方も御一緒するには少々手狭かと。クローブ様と同じ馬車で来たものですから」
恐らくイベリスがここに向かうというのを聞いて急遽同行することにしたのであろうチャービルに、身内を迎えに来るなら自分の家の馬車を使えよと文句も言わずただ考え込む俺を探るような視線が、いくつか。文句を言われなかった当人と、俺の性格を熟知しているリナリアだ。
俺が色々とくだらないこと言う質なのは知れ渡ってはいるが、口数が少ない時がどういう状況なのかを知っている人間はあまりいない。気分が優れないか熱でぼんやりしているか毒や刀傷を受けて朦朧としているか。或いはただ単に眠いとか話すことが思いつかないとか。
今回はただ単に話したくないだけだが。
「アカンサ嬢」
「はい」
「一度断った話を蒸し返すのはどうかとは思うが、馬を一頭譲ってはもらえまいか」
「まぁ、どういうお気持ちの変化でしょう。私どもとしては喜んでお受けしたい次第です」
「乗って帰ろうかと思ってな」
暗に馬車に乗りたくないと言えばチャービルが顔を顰める。
「陛下、貴方に騎乗させて我々が馬車に乗るなんてできるとお思いですか?席がないなら私が馬を借りて帰りますよ」
「其方、馬に乗れるのか?」
「乗れますよ!」
「それはどうでもいいが、余は馬に乗りたくなった。故に騎乗して帰る」
「落馬事故に遭いかけた場所から乗馬して帰還されたら王城の方々が面喰います、おやめください」
「そこな娘と同乗などまっぴらだ」
「陛下」
譲る気のないチャービルを黙らせるためにはっきり言ったら今度はリナが口を出してきた。扇がそっと翳されたので、小声で話せということだろう。実際、続くリナリアの声は隣の俺にしか届かぬくらいの大きさだ。
「たった一度、ご不興を買ったというだけでそこまでの対応をなされる必要がありますか」
「そもそも余がこれ以上の譲歩を見せてやる義務はないはずだが」
「手を差し伸べると決めたなら最後までなさいませ」
「手なんか出して無い」
「十分出していますわ。少なくとも私から見れば」
「それはおかしい」
「おかしくありません」
「どの馬がよろしいですか」
「うわっ!」
背後から馬の名前のリストと思しき一覧を掲げてニコニコした小鳥が声を掛けてきた。どう見ても内緒話をしている所に割って入るとは恐れ入る。
「アカンサ、どう見てもお前が声を掛けていいタイミングではないぞ」
「お父様、お父様はどの子が陛下に献上するに良いと思いますか?私はやはりヒルシュが一番ではないかと思います。この間お乗りになった時、大人しい気質とは言えあれほど素直に従っていましたからきっととても懐いているのだと」
「この間何があったかもう忘れてしまったのかねお前は。先ほど教伯様が仰ってただろうに乗ってきた馬がそのヒルシュじゃ王城が大騒ぎだよ」
「ですが、今回は鞍に細工をするコルキはいませんよ?」
「そういう問題じゃない!!」
「……そうですか」
掲げていたリストを下げて小鳥がぽつりとこぼす。
「陛下とリナリア様にお怪我をさせるところだったということは事実です。元々向いていないという評価にそれが加わりもう騎馬にはなれませんでしょうから、この領地でひっそり生きるよりどなたかに引き取ってもらえればと思ったんですけれど」
「その馬でいい」
「陛下!!」
「厩舎に案内してくれ」
こんな話聞かされて他の馬がいいなんて言えるものか。ただでさえカトレヤとのやり取りで極悪人になっているのだ。慌てふためくアコニトを無視してアカンサ嬢に案内を頼む。
視界の端にある鮮やかな濃紅には気づかないような素振りで。




