2.29
先ほどの応接間の隣に位置するこの部屋は、やや面積は小さいものの隣室と同程度に凝った家具や調度品が並んでいる。客の格に応じて部屋を変えなければならないのは王族も貴族も同じらしい。
自国の貴族の訪問なら最悪謁見の間で全部終わらせられるが、他国、それも複数が絡んでくるとバランスをとるのが難しいのだ。
同時に何ヵ国かの来賓があった時、その采配を考えるのが面倒になって全員で仲良く庭園で野宿にしようと言ったら至る方向から叩かれ、こっそり聞き耳を立てていた隣国の第5皇子からは楽しそうだから2人きりでもいいからやろうとどこからか取り出してきたバスケット一杯のサンドイッチを渡されたのが特に懐かしくもなく思い出される。
「いいから早く着替えてください」
なぜだかやはり思考を読んでくるイベリスに肩を竦める。シャツは入室までに着終わったので残るはズボンとタイとジャケットとタイピンとカフリンクスとその他諸々の装飾品である。多い。
「其方なぜこんなにも準備がいい」
「貴方様がずぶ濡れになっているなどとは露にも思っておりませんでしたよ。単純に本来取っていただくべき装いを準備していただけです」
「いつも思うのだが装飾過多ではないかね」
「むしろ少ないです。重いのは嫌だからと刺繍もそれほど入れていないでしょう」
「十分に重いのはどうしてか」
「あまり軽いと逃げられますから。枷です」
「枷」
脱げばすむ話なのだがそうもはっきり言われると何とも言えない気持ちになる。気分に合わせた緩慢な動作で、のろのろと装飾品を身に着けていく。
物は予定に合わせて変えてもらうが、基本的に流れは一緒なので無意識に行える。なので、いつもと違うものがあればすぐに気が付くのである。
「……なんだこれ」
「迷子防止タグです」
「なんだそれ」
「お貸しください、つけて差し上げましょう」
「おい待て急にどうして耳飾り何ぞつけねばならんのだあいっっつ!!」
咄嗟に避けようとするが、あろうことか剣の刃が掠めた頬を強めの力で押してきたので大人しく謎のタグを受け入れることにした。
「反対も、こちらは少しお待ちください」
「一体何だって言うんだ……」
待つも何も待ってないと怒りそうなので仕方なく頬を摩る。血が再び滲んできやしまいかと思ったが、器用に加減していたらしく指先は白いままだった。
微かに糸を切るような音が聞こえ、手元で何かを結ぶような動作をするのが見える。待ちくたびれるには短く興味を持たずにいるには長い時間をかけて、何事かを終わらせたらしいイベリスが右耳の方に手を伸ばしてくる。耳朶に確かな重みがかかり僅かに揺れた。
「………なんだ、これ」
「拝命の証です」
ばっと見上げれば、やはりいつもの鉄面皮がそこに在った。
だがあの深い色が、常に揺らぎもせぬあの紫が、どうにもあの頃のような色合いに見えて落ち着かない。
そっと視線を外して部屋を見回す。目当ての物は調度品の中になかったが、横から差し出される。何から何まで見透かされているのには慣れているはずなのに、どうにも素直に認められず奪い取るように受け取ってしまう。そこも含めて予想した瞳なのかもしれない。
ポケットに収まる程度の小さな鏡の中には滑稽なくらい不機嫌な顔をした俺がいる。左はイヤーカフ右はイヤリングの様だ。イヤーカフの装飾は外さないと見えないが、イヤリングの方ははっきりと確認できる。
濃い紫のリボンが器用に結ばれて飾りとなっている。あの時落とした、あの時贈られた、あの人が刺した、俺の瞳よりも鮮やかでしかし2つ目の名の由来の色のリボンが。
「今の長さでは結ぶのに心もとないでしょう。着替えの度に縫い付けていては穴だらけになります」
「……こんなことをしてただで済むと思うなよ」
「具体的に何をなさるおつもりでしょうか」
きっと俺の脅しの内容など予想できているくせに何食わぬ顔で聞いてくる男を、喉の奥で唸りながら睨みあげる。
「――ガキの頃みたいによじ登ってやるっ」
「御随意に。大して重さも変わらぬでしょう」
「変わるわっ!!」
ぎぃっと威嚇のために両腕を上げるとなぜか相手はしゃがみこんできた。そんな、本気で登る気では。
「代理ではお気に召しませんでしょうが、『陛下』からの拝命を御受けくださいますか」
「……よかろう」
ふっと口元を緩めた相手は、つまり大層嬉しそうにしている。
「なんで急にこんなままごとのようなことを」
「小さな従弟が成りたい成りたいと珍しく駄々をこねていたものに短期とは言え成れたわけですので」
「もう小さくない…そんなこと言うと王様やめてやるからな」
「できるものならやって御覧なさい」
できようもないので口を噤む。このままでは延々と幼児扱いをされるだろう。丁度本業の装いになったことだし、元々の目的に話題を変えてしまおう。
「ベラトラム子爵の四男だった」
言葉をかけたとたんにいつもの色合いに戻った瞳は、その人物に心当たりがないと言っている。
「久々のアスター親派だ。薬品は、偶々あった人間からちょうどいい時に譲られたそうだぞ」
ゆっくりと瞬く合間にこぼれる光が疑義に満ち始めた。俺が内心で散々喚いたベラトラムへの言葉とは違う。これは俺への尋問の始まりの合図だ。
「また懲りずにあの手を使い、その結果がその左頬ですか」
「急に斬りかかってくるのは初めての反応だったなぁっいっって!!」
「城にお戻りになったら通り過ぎる者皆から同じ扱いを受けるとお思いください」
「集団で拷問など…!」
「これは人道に則った的確な制裁です」
人道に則っても俺の意向には反するこの制裁方法、痛いというより接触によって伝わる熱が沁みるという表現が正しい。消毒液は冷たくて沁み、人肌は熱くて沁みる。傷がなければこんなことにはならないので皮膚というのは偉大である。早急に裂け目が塞がってもらえればなおありがたい。
健気だが強くない皮膚への願いがかなうわけもなく、イベリスの制裁を受けて切り傷はヒリヒリとする。激痛まではいかないものの痛いものは痛いのでなおも軽く圧迫をして熱を伝えてくる大きな手をぺしぺし叩く。背が伸びても目線は遠く高いままなのと同じく、多少大きくなったとしても一向にこの手の様にはならない。血は繋がっていても遠いのだ。枝分かれの根元に行くだけで2回も家系図を遡らなければならない。
「侍女長達からは更に重い処罰が下るでしょうね」
「なんでだ」
「髪を切った挙句日も浅いうちに顔に傷まで…手入れを省略しましたか?」
「寧ろすると思っていたのか?…そうも荒れるかね短期間で」
「あの癖はやめるよう何度も申し上げたはずですが」
「ああ、口唇の方か」
考え事をしているとつい唇を舌でなぞってしまうのだ。乾燥して罅割れの原因になるのでやめろと言うのがマルガ達身の回りの世話部隊、はしたないやめなさいと言うのが宰相夫妻や年かさの家臣、何も言わずに目をそらすのが若手の家臣、考え事をしているのが一目瞭然だから控えた方がいいというのがイベリスとリナリアである。この一週間、リナリア以外の忠告者との接触がなかったので気づかぬうちに癖が出てしまったのだろう。確かにちょっと血の味がする。これはすでに切れてるな。
しかし、あの動作がはしたないってのは何なんだろうか。
「厳罰が下されますね」
「世知辛い」
「以降、身支度の時間が長くなると覚悟した方がいいでしょう」
「それほどまでに罪が重いとは思えんが。仮に余が、――――」
続く言葉は言ってはいけない気がして直前で飲み込んだ。飲み下してもイベリスには何かがわかってしまうというのに、諦め悪く口を閉ざし再び開くときはまた話を変える。
「――子爵はどうしようか」
「帰って議題に挙げねば何とも。子爵自身は善良な方でしょうが、如何な陛下が国王として求められる威厳その他諸々を及第点ぎりぎりで下回る主であろうと、危害を加えたものとその家を放免とするわけにはいきませんからね」
「ぎりぎりならおまけで可をくれてもいいじゃないか」
「及第点をこえようとはお思いになりませんか」
「乗り越えられない試練には挑まない、時間の無駄だ」
淡々と述べられた辛辣な評価というかもはや悪口に折れた心から発した言葉が、何かを忘れていることを思い出させた。そういえば急いでいた気がする。
何だったかと考え込む姿勢に入ったら、控えめなノックがする。どうやら穏やかで礼儀正しい人物の様で、ノックの直後にドアをぶち破ることはないようだ。位置関係上俺の方が近いので開けに行こうとしたら無言で頭を掴まれて部屋の奥に移動させられた。衣装が崩れるのは避けて主君の頭部の平穏を犠牲にした男は、扉の前で誰何する。
「ソリダスター家家令のウィスターと申します…お連れ様が大層苦しそうでいらっしゃいますが休憩所の案内を断られまして、」
「置いておいてくれ直ぐに拾いに行く」
忘れてた。
困ったように背後を気にしている家令にこれ以上気を揉ませないためさっさと部屋を出ることにした。
「二人きりの密室で随分楽しそうじゃないですか」
「下らんこと言ってないでさっさと回復したらどうだ」
「できるわけないでしょうカティに嫌われたんですよ!?」
「元々嫌われてたと思えばなんてことないだろ」
「陛下、」
「いっそ気を失わせた方が運びやすくないかと思ってだな」
「意識のない人間は運びにくいものです」
それもそうかと頷いてチャービルの横を通り過ぎる。いや、過ぎようとした。またも肩を掴まれて、歌巫女に負わされた傷で萎えた足の支えにされたので過ぎれなかった。
かけられる体重がそろそろ面倒になって来たので、慰めの方向を変えてやることにする。
「先ほどのは単に其方の声が大きいから声量を落としてほしいというだけのことだろう」
「…それならそういいますよあの子は。あっち行ってなんて今まで言われたことも言っているところを見たことが無いですから」
「敵と認定した相手にはもっと情け容赦ないし嫌ってる相手にはそもそも声を掛けんだろ。あの言葉だけで嫌われたと判ずるのは大仰ではないかね」
「何ですか自分の方が良く知っているという主張ですか最近あの子が何を考えてるか分からないことが多くなってきたなと悩む私に対する自慢ですか」
「イベリス、こいつ面倒くさい」
「我慢なさいませ」
面倒だいう意見は賛同してもらえたようなので大人しく我慢してやることにする。
カトレヤがなぜ突き放すようなことを言ったのかは、まあなんとなく推測はできる。が、やはりこれも言えない。彼女自身が白状するか、身内が気づいてやるのが一番だから。
そのためヒントのようなものを出してやるしかないわけだ。
「…今までなかったことを言われたということは切っ掛けがあるということだろうな」
「それがわかれば苦労はないです。というか陛下が原因ではないのですか?親密にしている所を咎められたからとかつまりうちの子を誑かしましたよね」
「イベリス、」
「我慢なさい」
「…彼女が余にへばりつくのは今に始まったことじゃないだろう?」
「それはそうですけど最近とみに激しくないですか?!陛下が側妃をとると決めてから!」
「始まりが違う。もう少しだけ前だ」
「は?」
「これ以上は言えん」
「はぁ?」
全く分からないという様子のチャービルを見てため息をつく。この男はあの時の出来事の全貌を知らないから仕方がないのだが、知っていて分からないという男の姿が重なったからだ。
「ちょっとそれどういう意味で」
「そもそも其方の教育方針の問題ではなかろうか」
「どういう意味ですか?!」
「大事にするのはいいが、あれだと苦労するぞ。若いころ散々浮名を流していたというなら多少その手のことも教えてやればいいものを」
「…何を言ってるんです?カトレヤに、なん、何を教えろと」
「そっちじゃない」
「どっちですかっ!?」
「あーもう、こいつらまとめてめんどくさい!!」
「陛下」
いつも通りの淡々とした声に警告の色合いが見えた。ハッとして視線を移せば隣室の扉は開け放たれ、廊下に出る人影がある。
裏切りは許さぬと怒りに燃えるチョコレート色の瞳がひたとこちらを見、傍には俺を案ずるリナリアと常の様にきょとりとしたアカンサ嬢がいる。
「…………………お声が大きくて途中から筒抜けでしたわよ」
「それは失敬」
「何やら難しそうなお話をなさっていたようですがもしじっくりと話し合う必要がおありでしたら適当な部屋を用意させますがいかがいたしましょう」
「アカンサさん、それは必要ないです。そうですよね、へーか」
「………………」
「へ、い、か?」
肩を竦めて返事の代わりにする。俺が話したくて話そうとしたわけじゃない。答えを知りたがる人間がいるから解決の糸口をほんのわずかに示しているだけなのだ。
「…堂長、さっきはひどい言い方をしてごめんなさい。声が大きくて耳が痛かっただけなんです」
「カティ、」
「ね、帰りましょう。あんまり遅くなるとララちゃんもっと怒りますよ?」
「カトレヤ」
いつもの柔和なしかしどこか飄々とした物言いとは違い、真剣みを帯びた声で自身の名を呼ぶ相手にカトレヤも貼り付けた笑みを外した。
「もし、もしもだよ。お前が本気で陛下と一緒になりたいというなら、私たちは邪魔はしないしむしろ助力する」
無表情で己の話を聞く少女に穏やかに声を掛け続ける姿は、とても俺に暴言を吐く人間と同じには見えない。これが本来の在り様だろうということは息子達、特に次男を見れば想像に難くない。
「でもね、陛下自身はとても気さくで親しみやすいとしても一緒になるには…なった後も苦労があるんだよ。私たちは気がかりなんだ、お前がそれで傷つきやしないかと」
単に威厳がないとか器じゃないとか、そういう評価も物は言いようだなと思って黙って聞く。話題に含まれていようがチャービルが話しかけているのは俺ではない。
「……お前がどう思っているのか、教えてはくれないかな?」
「……」
そして答えるべきも、俺ではない。
「………………へーかの、お嫁さんになりたいかどうか、ってことですよね」
いつもよりもゆっくりと言葉を紡ぐのはどう答えるかを考えているからだろうか。
なりたいからと言ってなれるものではないのだが、彼女の場合なれる可能性の方が高い。それを知っているリナリアは、しかし同時に彼女と俺の関係も知っているので俺と同じようにただ見守るだけである。イベリスは知っていようがいまいが口を挟まない。
事情を知らぬアコニトは気が気ではないだろう。娘を急に側妃にすることになった矢先に別の候補が出てきそうなのだから。当の娘本人はきょとりと瞬くだけである。
そんな周囲に意識を向けることもなく口をわずかに開いては閉じるという動作を数回繰り返していたカトレヤだが、ついにふっと笑みを浮かべてこう答えた。
「それも、楽しそうですね」
―――浮かべた笑みがちっとも楽しそうではないことを、彼女はきっと気づいていない。




