1.4
「何度言えばわかるんだ。余は其方以外の伴侶を持つ気はない」
「何度申し上げればお分かり頂けるのでしょう。后一人では立ち行かぬ場合もあります。教堂にて宣誓をする際には側妃に対しても同時に行わなければならないことはご存知でしょう?」
「あんなふざけた規定作ったの本当に誰なんだ」
「陛下」
「余が誓うのは其方への愛だけで十分ではないか」
「無いものを誓われても」
「それはそうだけどさ」
「陛下」
「そう思わせてしまうのは余の落ち度だな」
この国――ブリオニア王国の中で信仰されるのは教堂という組織が担うもので、なんと神の前で誓ってしまえば庶民であろうが王侯貴族であろうが伴侶を何人持っても構わないという寛容なのか大雑把なのか分からぬ教えがあるのだ。但し、宣誓は同時に行わなければならず、もし1度宣誓した後で愛じ、もとい、追加の伴侶としたい相手が現れた場合は宣誓を取り消してもう一度やり直すという工程が必要になる。
因みに、庶民でこの規定をフル活用するのはよっぽど情と財産の多い資産家くらいで、貴族の中でも行うのは少数だ。教堂での宣誓というのは金がかかる大々的なもので、正式に認められないとしてもこっそり囲っ、もとい、愛を育む方が大っぴらに宣言するよりいい、というのが大多数の意見らしい。
・・・いや、この言い方語弊があるな?
「後で側妃にしたいと仰られてはいろいろと手続きが煩雑ですから今のうちに片づけておきたいのですけれども」
「余はそんなにも其方を不安にさせているのか?」
「享楽王をお忘れですの?」
「何代も前の傍系の屑野郎を引き合いに出すな」
「陛下」
「其方に対して彼の王のような行いをできる男がいようか」
「陛下は見た目も中身も軽薄でいらっしゃると専らの噂でございます」
「誰がそんなこと吹かした」
「陛下」
「誰がそのような戯言で我々の仲を裂こうとしたのだ」
「あまりに数が多くて忘れてしまいましたわ」
「嘘だろ」
「陛下」
「冗談だろ」
「陛下、それでは同じです」
正妻も愛人も同時に宣誓すれば公式だよ、後出しなら一回取り消してからやり直しな!という言祝ぎの女神アルディジアの教えをフル活用し、何度も何度も宣誓を行っては取り消し行っては取り消しを繰り返し、国庫を圧迫した上に貴族間の軋轢を深めたとんでもない遠縁と同列にされて不快なところに、どうやら他にもそう思っている輩が把握できないほどいるという事実は、化けの皮も被れない程度に俺を打ちのめした様だ。
何とも言えず頭を抱えて唸り声をあげれば後頭部に握りこぶしが落ちる。唸り声がつぶされたカエルの断末魔に変わる。…流石に哀れなカエルに追撃をくらわすほど従兄殿の手は早くないはずだ。
「…王室の、婦女子は少ない方がいい」
「理由をお伺いしても?」
「女は金がかかる」
「陛下」
「其方一人に対しても十分に尽くせる自信がないのだ」
「そこは期待しておりませんからご心配なさらずとも結構ですわ」
「リナちゃん?」
「陛下」
「つまり持参金が多ければ構わぬということですのね」
「リナちゃん??」
「陛下」
俺もだいぶひどい言い方をしている自覚はあるが、しかしリナリアの方が明け透けすぎやしないだろうか。
「俺が金で結婚相手選んでるみたいじゃないか」
「陛下、」
「イベリス、口を挟む」
「その通りではないのですか?」
「ちょっと待ってくれ…」
なんと、背後の男もリナリアと同じ意見だったらしい。挟まれた。これは、あれだな、ボードゲームだったら、ひっくり返るやつ。
………………。
……ダメだ、己すら敵陣に寝返っては!!
「俺は金がほしいんじゃない、金を使う機会を減らしたいだけだ」
王族というのは、要はその国の代表なのだ。他国と渡り合うとき、あるいは自国の臣に見えるとき、流行遅れの服を着たりましてやみすぼらしい恰好などするわけにはいかないし、生活水準だって一定以上のものにしなければならない。
俺は男だからまだいい。流行と言っても型はそれほど変わるものではないし、ジャラジャラと装飾品を着けねばならないわけでもない。髪も肌もみっともなくなければまあ、及第点のはずだ。身支度を担当する女官たちと毎日戦って、大体負けていようが。
だが、もしも、
女王だっだとしたら、
「陛下」
静かな、けれどしっかりとした声が降ってきて、思考の溜まりから引き戻される。
ついでとばかりに顔も上げて声の主の瞳を覗く。俺の物よりずっと深い紫の双眸は、いつも通り揺らぎ一つなくこちらを向いている。
「品位を損なわぬために資金をかけるのは、決して放埓ではありません」
「そんなことは、知っている」
だってそれは、あの静かな朝、一人ぼっちになった子どもに貴方が教えてくれたことじゃないか。
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「――陛下、もしやお加減が悪いのですか?」
リナリアがふいにそう尋ねてくるものだから、驚いて振り返る。
「なぜそう思う?」
「口調を乱される頻度が余りに高いのですもの」
「左様か?」
そんなつもりはなかったが、よく考えればイベリスの制裁、もとい、指摘が多かったような気もする。
「しかし、体調の方は至って良好であるよ。其方の顔が見られたのだから」
「今更取り繕わないでくださいまし」
「そういう顔も愛らしいな」
「シオン」
眉間にしわを寄せそうな勢いのリナリアを揶揄っていたら、彼女と俺の間で2番目に珍しい呼び方をされてしまった。しかも手を添えてくる。どうしたというのだろうか。思わず固まってしまうほど珍しいことである。
「――イベリス様、シオンに何がありましたの?」
「先王を描いた絵画をご覧にならなければならない事態に陥りました」
「イベリス」
咎めるのが遅かったために、握られた手にかかる力が増してしまった。痛みはないし、ふりほどこうと思えば振りほどける程度の物だ。だがしかし、落ち着かない。
「シオン…」
「案ずるな。さした問題ではない」
仕様がないのでこちらからも軽く握り返す。昔は同じようなものだったのに、今では随分俺の物とは異なる華奢な指だ。
そうして彼女の薄紅の目を映しながら笑いかける。
「次の誕生日までには何とかするさ」
――即位してからちょうど10年になるその日、盛大な祭典が開かれることになっているのだから。