2.24
「俺はお前を一生許さない」
「勝者とは思えない狭量さでいらっしゃる」
「戦いには勝ったが勝負では負けた!!」
「それは大変残念でございますね」
適当に返せばぎゃいぎゃい声の大きさが増す。城内では複数人のぎゃいぎゃいを聞き流し続けているので全く苦にならないぎゃいぎゃいである。そう時間もかからず相手がぎゃいぎゃいを続けるのに疲れ果て虚しさに身を浸すのも経験則で知っている。
そう、文句・諫言・説教というのは会話と同様双方に参加意欲があって成り立つものなのである。
にしても、顎を蹴られた後翌日の昼まで目を覚まさなかった割りに元気である。もう少し勢いをつけても良かったのかもしれない。
「…今碌でもないこと考えていなかったか?」
「はてさて」
噂に聞いていた以上に現国王が突拍子もないことをすると預かり3日目にして把握した中隊長は時間の許す限り目を光らせることにしたらしい。妥当な判断である。
惜しむらくはその努力を平気な顔して踏みにじっていくのが己の主君であることをまだ悟っていないことである。残り5日、彼はその境地までたどり着けるのだろうか。
ビンカの成長に思いをはせていたらぎゃいぎゃいを続けている人間に肩を鷲掴みにされた。
慣れない体温を服越しに感じる不快さから、オクサリスと同じ目に遭わせてやろうかという物騒な考えが一瞬よぎる。が、流石にこの短い期間に何度も足が滑って運悪くとても痛い思いをさせるのもどうか、という比較的穏やかな思考が右足の躍動を止めた。このわずかな足の動きでオクサリスの顔が引きつったのは大変遺憾である。
「お前は被害者に対する謝罪の意識などはないのか……?」
「足が滑った、というのは私の責任でありましょうか?」
「俺の言うことを1つだけ聞いてくれれば寛大な心で許してやらんでもないんだぜ」
「真に寛大な人間は恫喝しないと思います」
「これは『優しく説き伏せてる』と言うんだよ!」
「両の肩を強い力で掴んだまま怖い顔で至近距離から自分の要求を呑ませようとすることが?」
心底不思議に思って聞いたら返答の代わりにぱっと手が離れていった。そんな気まずそうな顔をするくらいなら最初からしなければいいのである。そんなだから女性と縁がないのだ。
「お前自分がモテるからって俺のことバカにしすぎじゃないか!!?」
最も発言してはならぬところが口に出てたらしい。
「別にモテませんよ」
「その顔で、実家が金持ちで、そんな奴がモテなかったら俺たち一生寂しい独り身じゃないか!!」
「地味に僕たち巻き込むのやめてくれませんか!あとこっち手伝ってくれませんかいい加減!!」
昨日の打ち合い後の暗唱大会・姉妹と総領孫娘の襲来・不運な失神事故の影響で洗濯やら書類仕事が溜まっているらしい。繕い物は決まった日にまとめてやるとのことだが、まとめてやるならもう少し上達して然るべきではないだろうか。
リッピアが聞いたらまた自分を基準にするなとぎゃいぎゃい言い出しそうなことを考えていたら先程よりは距離を置いたところからくっという苦渋に満ちた声が漏れ聞こえる。そんなに仕事が嫌なのか。働け給金強盗。
「これはしたくなかったが…背に腹は代えられない――ッ」
驚くほどの俊敏さで視界からコーデイトが消えた。
――否、よくよく視線を下げてみれば膝を折って両手を曲げて頭を深く下げた姿でそこにいる。
「後生です!!妹さんを自分に紹介してください!!!!」
きちんと切りそろえられた襟足が良く見える。ここまで体を小さく丸めてもそれなりに場所をとるのはやはり体格がいいからだろう。俺が同じ姿勢をとったとしたらもっとコンパクトになるに違いない。場所をとらないとしても邪魔だと言われて回収されるか、その姿勢になったこと自体を咎められるだろうが。
きれいな土下座を見せる彼の頭を地面にめり込ませんと疼く右足を止めることに神経を傾けつつ、必死も過ぎる懇願に対する返答を考える。
「……不運な事故とは言え些か勢いがつきすぎたのは事実でしょうね。少し右側に歪みが出ているように見受けられます」
「なんだって!!?」
適当に言った「衝撃の指摘」にコーデイトは先ほどと同じくらい俊敏に顔を上げる。そんなに急に頭を動かしたら眩暈を起こしそうなものだが。若しくは首を痛めるか。期待し、もとい心配している症状もない様子でしきりに顔の右側面を撫でている。流石騎士様、頑強ですね。
「食堂のローリエさん、ご存知ですか。とても親切な方で困った時は相談に乗ると仰ってくれました」
「おい自慢か団員から人気の高いローリエさんから特別扱いをされているという自慢か話しかけても愛想笑いすら恵んでもらえない俺に対してあまりにむごい自慢か」
「だからお願いしたら貸してもらえると思うんですよ、叩き棒。左側も同じくらい歪めばバランスがいいですよね」
「隊長!!こいつすげえ怖いんですけど!!!」
素晴らしい速さで俺から距離をとるコーデイトの顔色が大分悪い。どうしてだろう。
「金槌を持ち出すよりずっと穏やかだと思いませんか?」
「なんて澄んだ目でなんて物騒なことを言うんだ!!」
無防備な体勢の時に後頭部に踵落としを食らわせるのも我慢してやったというのに、物騒だと糾弾される。腑に落ちなくて首をかしげる。ついでに困ったなあという気持ちを込めてやんわり口角を上げてやる。
ぐっと呻き声をあげたコーデイトは助けを求める様にビンカの方を向く。向かれたビンカは先程からずっと顔を引きつらせている。全く失礼な連中ばかりだ。人が微笑むと痙攣するその不届きな表情筋をどうにかしてもらいたい。
「…カリステファスも大概だが、お前も少ししつこすぎるぞ」
「あんな可愛い娘、めったにお目にかかれないんですよ!!」
「なるほど目の方に何らかの対策をすればよいわけですね」
「……カリステファス、実力行使に出る前に口できちんと抗議しなさい」
「再三していますが理解力に乏し、もとい、ご理解いただけないようで」
「お前は散々俺の悪口しか言ってないだろ!!」
遠回しでもなく何でもなくはっきり言ってきたつもりなのだが、どうももっと明快に言わないと伝わらないらしい。イベリスやリナリアと同程度などと無茶は言わないが、もう少し察しが良くてもいいと思う。しかし初対面からわずかに3日しかたたない人間に対してする要求でもないので、ここはひとつ、はっきり言うとしよう。
「手を出したら殺す」
持てる力の全てを使って可能な限り惨たらしく、という部分を中略したがそんな気遣いは全くの無駄であったらしい。微笑んだままだったのが悪かったのか引き攣らせるどころか蒼白になった2人の顔を眺めるのも悪趣味かと、その背後の一団に目を向ける。
・・・黙々と作業をする2人の横で怒りに震えるものが1人。静かに両手を耳に持っていく。
「―――――そんなことはどーでもいいから手伝ってくださいってばぁっ!!!!!!!!!」
腹の底から大声を出した少年は、どうも事務仕事が苦手なようだ。先ほどから書類の山が減っていない。
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パラパラと紙をめくりながら数字を書きつける。あの厩舎、どれだけの馬がいるのだろう。飼育にかかる費用がなかなか非常識な額である。ともあれ特におかしな金額の流れはないので気にしないことにする。
「ちゃんと見てるのか、それ」
「お疑いなら数字を読みあげましょうか」
「…覚えた、のか?」
「その方が計算が楽でしょう?」
「何を言っているんだ……?」
隣のオクサリスが怯えた視線を向けてくる。向けながらも書類から手を離さないのは賞賛に値する。奥で縮こまってこちらの様子をうかがっているあの不届き者とは比べ物にならないくらい立派な働きぶりである。見るべきは俺の顔ではなく前に放置された書類の束だ。
「家業の関係でこういった作業には慣れているんです」
嘘ではない。もちろん専任として財務官達がいるのだが、定期的に彼らが不正をしていないか確認するのが俺の仕事である。何と言っても一応は国1つ回している身であるため、対象の金額も大きければ範囲も広い。業務は他にも山済みだし、自主休業のためにもそれ1つにかかりっきりになるわけにもいかず、結果として計算の速度を上がった。読む速度は元々、持て余した暇をつぶすために片っ端から本棚をひっくり返した幼少期に取った杵柄である。「早く読み終わったら暇つぶしにならないだろう」と幼き自分に言いたい。
「…短期とは言わずここにずっといない?」
先ほどから本当に、一向に、欠片も書類の山が小さくならないリッピアが大層真剣な顔をする。深刻な表情なのにどこか年少ゆえの愛嬌があるので思わず笑ってしまう。
「御冗談を」
「割と本気だよ僕」
「口説くならもう少し気の利いた言葉をかけてみてはいかがです?」
「僕のために書類仕事をしてほしい!!」
「お断りします」
「速攻で振られたーー!!」
「2番手、だから、そんなに気にしない…」
どうも1番手に数えられているらしい相手は相変わらず目の前の束に手を伸ばしていない。それを諫めるべき上官はと言うと、書類には向かっているがちらちらと意識をこちらに散らしている。集中すべきだと進言するのが部下の役目であろうが、あいにくと短期間しか置かない身である。仕事が終わるのなら何でもいい。
「せめて、せめてこの山の一部でも受け取ってくれない?」
「今まで受け取った、もしくは申し出された贈り物の中で27番目に心惹かれないですね」
「数が多いな」
「因みに、15番目は、何、ですか?」
「そこは1番じゃないのか?」
「髪の毛の束です」
「それは1番じゃないのか?」
1番心が冷えた贈り物は挙げてしまうと正体がばれるので言えないが、15番目は嘘偽りなく正しい順位である。包みから出した瞬間に後ろに控えた人間が俺の手から取り上げ目にもとまらぬ速さで部屋を出て焼却場に向かったためどんな色と形質であったかはうろ覚えであるが、もし御令嬢のものだったとしたらなかなか思い切ったことをしたものだ。量から見て、とても1房と言った可愛げのあるものではなかったから。
話ながらの検算も終わり、さらさらと審査の欄にサインをする。流石に偽名なので目を瞑っては署名できない。本名と同じくらい使いなれる必要がありそうだ。
「…へー。『ノイ』ってそう書くんだぁ」
「私の綴りを見ている暇があるのですか」
「優しい誰かが手伝ってくれるんじゃないのかと期待してるんだ!」
「どなたでしょうね」
「つめたーーい!!」
調子の良いこと言うリッピアを軽くあしらっている間、ホスタは珍しく表情を変えた。やや眉間にしわが寄っているので「怪訝」ということだろうか。
「どうされましたそんな難しい顔をなさって」
「この顔のどこが難しそうなんだ」
「眉間にしわが寄っていらっしゃいますでしょう」
「…ここか?」
「眉間はそこ以外にないと思いますが」
眉間にオクサリスの指が置かれたまま、ホスタはゆっくりと口を開く。
「少し、ばかり……単純や、しないかと…」
人の名前に文句をつけるのはどうかと眉間に指を置いたまま言う相手は全く意に介さない様子で、ホスタがじっと見つめてくる。少ない口数とはいえ敬いが外れなかったのはこのためか。
「……単純な方が使いやすいでしょう?」
署名の部分に指を当てて微笑む。まだインクが乾いていないので少し滲んでしまったが、さしたる問題ではない。どうやってこの男を黙らせよう。
「………それもそう、ですね」
以外にも大人しく自らに課せられた書類に視線を戻したので取りあえず様子を見ることにした。一体いつから気が付いていたのかも予想がつかないので、下手に追求して自分から名乗りを上げるような真似はできない。指先に付いたインクと滲んだ署名を眺める。
NOIS CALLISTEPHUS
――やはり些か適当につけすぎただろうか。




