2.22
「そりゃコルキだな」
もぐもぐと動かしていた口に器用に隙間を作ってコーデイトが答える。その行儀の悪さからオクサリスから拳骨をもらっても舌を噛まないのは凄い。
同じように口の中をいっぱいにしているリッピアは彼程器用ではないらしく、慌てて飲み込もうとして咽かけた所をホスタの差し出した飲み物に救われた。どうもあの金色の茶だったらしく盛大に顔をしかめているが。
「コルキさんがどうしたの?」
「以前どこかでお会いした気がするのに、どうにも思い出せなくって。家業の関係で交流のある方のお顔は忘れないよう心掛けているのですが…」
嘘ではない。あの男は完全に国王を知っているという反応をしていたのだから、きっとどこかで「お見かけ」されているはずだ。
姿絵を拒み続けて早10年。現王の顔かたちを知る庶民は行事等で運よく御前近くに陣取り素晴らしい視力を発揮した者くらいだし、そんな遠目の記憶であそこまで明確な反応をとるとは思えない。とすれば、もう少し俺に近い立場の人間、公の場で目通りする可能性のある身分の者か。
「君にも覚えられないことってあるんだね?!」
「露骨に嬉しそうな顔するなよリッピー、彼の記憶力が君より段違いに良いのは変わらない事実だ」
「オクサリスさんうるさい」
「貴族籍の方でいらっしゃいますか?」
「…ベラトラム子爵の、四男」
「貴族だが奢ったところはなく、騎士として身を立てるために日々訓練にいそしむ真面目な男だ」
表情もなく静かに渋い茶を飲みつつホスタが答え、同じように静かに、しかし美味しそうに同じ茶を飲むビンカが追加情報をくれる。やたらあの金色の茶が出てくるのは薬効などが理由ではなく、隊長の好みなだけだったのだろうか。
それはそうと、ベラトラム子爵か。年に数回あるかないかの王城での夜会で当主夫妻とは顔合わせをしたことはあるが四男坊に目通りした覚えはない。爺さんの派閥ではないことは確かだし、領地も穏やかな、つまりは特出したところのない北東の山間部の田舎町だったはずだ。
理由は皆目見当もつかないが、確かにあのとき害意が滲んでいた。ふらふらして戻って来た時の王城の面々や、カトレヤが引っ付いてきたり絡みついてきたりするときの教堂の面々がぶつけてくるものほどの熱量・強度・粘度はないが、害意は害意である。件のヒルシュ事件、それが起こったこの領地で害意を向けてくるとしたらその犯人ではなかろうか。
というか、そうであってもらいたい。犯人が見つからないと困るとかいう以前に、未来の側妃の実家の領地で複数人に害意持たれているという状況があまり好ましくない。もちろん急に総領孫娘を娶るとか言い出したら気に食わない輩もいるかもしれないが、あの令嬢に関しては止むに止まれぬ事情で、というやつである。ノリノリなのは未来の正后だけで当人2人はなる様になれ状態であるわけだし。
「…心当たりは見つかったのか」
「いえ…家人に尋ねてみます。お世話になった方でしたらきちんとお礼をしないといけませんからね」
俺がここにいる理由を知るビンカの表情は硬い。別の隊とはいえ、同じ組織の人間が国王に害をなした可能性があると言われたらそんな顔にもなるだろう。
因みに、お礼というのは比喩ではなく文字通りの意味なのだが、付き合いの長い連中でもなければそういった汲み取りは出来まい。出来ていたらもっとひどい顔つきになっているはずだ。
「というわけで手紙を書きますから出て行ってください」
「えー」
「つれないこと言うなよ」
愛想よく微笑んだまま、俺にあてがわれた部屋になぜかたむろしている連中を見る。訓練が終わったと言っても他にやることがあるはずだろうに、どうしてこんなところで茶菓子を頬張っているのだ。騎士というのは暇なのか。働け給金泥棒。
「ていうか、ずいぶんいい部屋だね~さすがお金持ちのお坊ちゃん、待遇がいい!」
「俺たちなんて狭い部屋に何人も押し込められているというのに…」
「図体の、デカイ人たちがいると、なおさら…」
「それは俺たちのことかな、ホスタ?」
「私は出て行ってくださいと申し上げたのですが」
困ったなあどうしようかなあとやんわり微笑んで首をかしげてみる。ビンカの顔が引きつる。その顔に向けて満面の笑みを向けてやる。もっと引き攣る。
「……いつまでもここで油を売っているわけにもいかないだろう、さっさと通常業務に戻るぞ」
「隊長!今そこに手紙を書くとか言って業務に戻らないつもりの人間がいるので尋問しないとです!!」
「そうだな、俺も加勢するぞ」
「――上官が戻ると言っているのが聞こえないのか?」
「コーディ、リッピー。巻き添えを食うのは御免だ、さっさと出ろ」
存外怖い声も出せるらしい中隊長殿に追い立てられて騒がしい占領者たちは出て行った。追い立てた本人はまだ用があるらしく、残っているけれど。
「簡単な文章ですから、終わったらすぐに皆さんと合流しますよ」
「ベラトラムが、お探しの人物ということですか」
「…さぁ?」
リッピアが声高に指摘していた件での居残りだと思っての声掛けは、家臣の礼を持って返答された。急に本来の立場を取り戻すのは止めてもらいたい。半開きになっている扉の外にはまだ彼らがいるのかもしれないのだから。
「確証はありませんので。だからこそ家人に聞くのですよ、ビンカ様」
「…身内のしでかしたことは、我々が対処すべきことだ」
「我が家の人間と同じだけの信頼を寄こせと、でも?」
ぐっと息をつめた相手には申し訳ないが、それは無理な話である。
先々代への忠義を大々的に掲げる者達は基本的に俺の敵なのだから。
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簡潔に用件だけを記した手紙を片手に部屋を出る。インクを乾かす時間を短くするため上に紙を重ねたまま持ち運ぶ。封に入れるのは回収所で構わない。他の人間が見ても、意味の分からない単語でしかないからだ。幼少からの婚約は、我々にいくつかの暗号を共有するために十分な時間を与えているのである。
従兄殿とも別の暗号があるのでやり取りはできるが、自由に動ける点では婚約者殿の方が適任である。成人していないとはいえ、他国の例を見ればもう何人か妃を娶ってもいいはずの年齢の国王が未だ独り身なのもそのためだ。
王妃になったらたとえ実家でもそう気安く連絡は取れない。婚約者のままであれば、もちろん普通の令嬢に比べたら行動は制限されるが、生活圏は実家だし茶会などで他家の令嬢との交流も多く取れる。リナリアの実家は代々大所帯でやたらと人脈があるので、ベラトラム子爵に探りを入れる方法もいくつかあるだろう。
イベリスもそういった調査などは得意であるが、何分あの男は目立つのである。図体が大きいのもそうだが、国王の腹心でれっきとした公爵家の嫡男で妻も婚約者も恋人もいないとなるともう目立つ。勿論、目立たない様に動くこともできるのだろうがその手間をかけるくらいなら最初からリナに頼んだ方が早い。ここに「潜入」するのも期限があるのだ。
そろそろインクが乾くか、というところでざわざわとした音が耳に入る。方角的に今から向かおうとしている宿舎の入り口の様だ。人の声、それも複数。小声で話す人間が多くいるために全体として音が大きくなっている、そんな感じ。
歩を進めれば、人垣ができているのが見える。皆一様に入口の方をちらりと見ては周囲の人間と何か言い合っているので、恐らく衆目を集める何かがそこにあるのだろう。
すぐ戻ると「上官」に言っている手前無駄な時間は使えないが、方角的に目的地であるのでついでに何事か見て来ても罰は当たらないと思う。野次馬根性というのは貴賤問わずあるもので、それを発揮するか否かは個々人の資質の問題なのだ。
ほどほどに隙間のある所を縫い歩き、人垣の先が見えるところまでたどり着く。
手前に3名、後ろに幾人か。後方は前の令嬢方の付き添いだろう。シンプルだが品の良いデイドレスに身を包んだ人物がこの集まりの中心なわけで、
「………………………………………………………………は?」
思ったより大きな声だったらしい。周囲の人間と、それが取り囲んでいる相手の視線がこちらを向く。お前は知り合いなのかという問いが前者、用のある相手を見つけたという笑みが後者。
「お返事を書くのも置いて、来てしまいました」
陽光をはじいて眩く銀糸を肩に流し、薄紅の瞳を細めて、彼女はそんなことを言う。
出した手紙の効果だとでもいうのか。しかし送り先は彼女ではなくその左隣の少女である。
なにより、
「昨日の今日にしては、早すぎやしませんかね……」
この領地の郵便、発達しすぎにもほどがある。




