1.3
延々と続く出口の見えない、それどころかもはや発端すら見失ったソリダスター家親子の会話は、貼り付け慣れているはずの笑みで顔の筋肉が引きつり始めても終わりそうにない。
まずい。非常にまずい。
「イベリス」
笑んだまま、視線もそのままにそっと後ろの男に声をかける。
この男が俺の声を拾い損なうことなどない。
「リナリアとの面会時間は」
「とうに過ぎています」
俺の気持ちを慮って遠回しな表現をすることもない。この場合は近道だろうが回り道だろうが俺を救ってくれることはないのだが。
「ソリダスター卿」
「ひぃやっ、はい!」
「申し訳ないが、陛下はこの後予定が」
「! も、申し訳ありません。御前で見苦しいものを、長々と」
「この件についてはまた後日お呼び立てすることになるかと」
そして、向かい合う人物にも気遣いなどしない。ただの事務連絡だが低く硬質な声で淡々と述べられたが故に何やら罪状を告げられたような反応をする彼が何とも哀れである。
確かに、聞き取りを企図したはずなのに、こちらの御令嬢が結局は先王を描いていたことがわかり、しかもあの女を天使だとかたくなに信じていてなおかつ弟にまでその信仰が飛び火し、それが肖像画を描きたいという願望に代わり、絶対に嫌だ何があっても嫌だ早く通訳の者を連れてこないかと俺が騒ぎ、通訳者が来たら来たで話は進まず。
・・・結局、沙汰も何も決められていないな。どういうことなんだ。
「かしこまりました。その上で、勝手な申し出ではありますが、少々時間をいただけないでしょうか。その、娘から事情を聞きだして理解するのに」
「むしろそうしてくれるとありがたい」
にこりと笑って返事をする。卿の顔がさらに引き攣る。そんな反応をされると、なんだか傷つく。
おかしいな、血統と顔だけは一級品だと城内の者達から褒められているのに。いや、貶されているのか。
「お父様?」
表情をひきつらせたまま色を悪くする父親に、ソリダスター嬢が声をかける。さすがの小鳥も心配するほどには顔色が悪い。どうしたというのだろうか。
「陛下は、」
そんな青ざめた顔で見つめられては自分が極悪人のような気がしてくる。体型はかけ離れていても、目元は小鳥に似通っているのだ。怯えを含んだ丸々とした目が、じっとこちらを見つめる。
「本当に、よく似ていらっしゃるのですね」
対象は、言われずともわかる。
だから笑みをわずかに深めて、それで答えとした。
***********
「随分と待たせてしまったな」
王城内で一番陽光の差す庭園に、リナリア=デンドロビウムはいた。ささやかなテーブルセットを用意させたのはきっと彼女だろう。約束の時間から大幅に遅れた相手を見放すことも、おとなしく待つこともしない人だ。今だって気に入りの茶葉を楽しんでいる。
返事を待つことなく向かいの席に座る。遅刻した身にしては大層図太い行動であるが、一応最高権力者なので堂々としてしまえば多分問題ない。彼女だって、咎めはしないのだ。静かに控えの侍女に俺の分の飲み物を用意させる。砂糖はいれないでほしいが、どうだろう。
「可愛らしい方ですの?」
「なんの話だ」
「ソリダスター家のアカンサ様は」
「其方の耳は本当に早いことだ」
「質問に答えてくださいませんこと?」
やや吊り上がりの強い眦を、わずかに和らげながら問を重ねる。
これ、どっちだろう。怒っているのか、ものすごく怒っているのか。
答えは茶を飲めばわかる。だから俺は少し考えるふりをしてカップを口元に寄せる。
「小鳥のような動きをしていたよ」
「よくさえずるということかしら」
「小首を傾げて瞬くんだ」
「それはきっとお可愛らしいことでしょうね」
「さてどうだろう」
茶は甘くなかったので、いよいよもって分からなくなってしまった。リナリアは何を考えてこの質問をしているのか。
以前、こっそり城下におりてふらふらし、何やらやたらと愛想のよい女たちに何やかんやとどこかへ連れて行かれそうになって大慌てで逃げ出し、振り切れたと思って気を緩めたところで舗装の綻びに足をとられ、勢い込んで倒れるところで頭部を守らんと伸ばした腕を大いにすりむいて自分でも引くほどの出血をし、その赤さから彼女の好む茶葉の色を連想し、そういえばお茶の約束をしていたじゃないかまずい遅刻したとそのまま直行して事情を説明して謝罪したとき。
リナリアは、医者を呼ぶ間にどうぞ、と今のように茶を用意させてくれたのだ。その茶は尋常じゃなく甘かった。腕が振るえたのは傷の痛みか、それともじゃりじゃりいう砂糖のせいだったのか。
「其方とは親交はなかったか」
「彼の家はなかなか交流が難しいですから」
「そのようだな」
「可愛らしい方でしたのね」
「そうだと言ったらどうする」
どうやら話をそらすことはできないようなので、直球で聞いてみることにした。この香りのよい茶が含みきれない甘みを抱えて砂のような舌触りをもたらすようになるのは非常に残念だが、終わりのない会話は先程の物で十分である。
「そうですわね、私もお会いしたいですわ」
「やめておいたほうが良いかと思います、叔母上」
「その呼び方はしないでくださいませと何度申し上げれば聞き分けていただけるのかしらイベリス=セントポーリア様」
「貴女が私の母の妹であることは事実です」
「事実であろうとその呼び名は受け入れるわけにはまいりませんのよ貴方だって17の小娘から甥御殿と呼ばれたくはないでしょう」
「事実ですのでお呼びいたただいて差し支えありません」
「リナリア、」
そっと手をとることでイベリスにさらに反論しようとしたリナリアの口を閉じさせる。
「余を目の前にして、他の男とばかり話さないでくれまいか」
「あら、待ちぼうけにしておいて随分な仰り様ですわね」
ついに眦を和らげることをやめ、キッとこちらをねめつけるリナリアにほっとしてつい笑ってしまう。それは彼女の目つきをさらに険しくさせたが、元々俺に優しく接しているわけではないから特に気にすることでもない。果てのない応酬の方が今の俺には恐ろしい。
「結局、其方は何が知りたいのだ?」
「あら、お分かりだから必死に話をそらそうとしたのでしょう?」
つんと言い放つリナリアに、イベリスは変わらぬ無表情を、俺は内心では次に言われるだろう言葉に冷や汗をかきつつ、「愛しい婚約者」への少々の甘さを含んだ笑顔を向ける。城下に降りたら非常に効果があるが、長い付き合いの者には軽くあしらわれる俺の武器である。
因みに、今その武器を向けている相手は、一般的に幼馴染と言って差し支えない間柄であるがゆえに軽くどころか全く相手にされないわけだが。
「その御令嬢が陛下の側妃に向いているか、ということですわ」
「お前、本当にそればかりだな」
全く予想通りの答えに思わず真顔で返してしまった俺の頭に、背後から掌がもたらされたのは言うまでもない。