1.2
「即位される前から何度も申し上げてまいりましたが、」
あいにくと記憶力は悪くないので何度も言われてきたことを忘れることはないが、忘れていないからといって言ってきた相手の望む通りになるとは限らないものである。いい加減覚えてほしい。
「貴方はただでさえ威厳にかけていらっしゃるのです。不用意に感情を見せてはもはや取り返しのつかないほどに舐められます、お控えください」
「既に回復不可能なほどに其方に侮られているがな」
不敬だ。不敬以外の何だというのだ。しかし的確である。
ゆえに言い返す言葉もなく、主の心を抉って平然としている執政官に恨み言をぶつけて睨むだけだ。そのどちらもこの男の表情を動かすことなく散ると、知ったうえで。
「それは事実ですが、何よりまずあの令嬢の処遇です」
「せめて否定せよ」
「あのモチーフは看過して良いものではないでしょう」
「おい」
「対応を誤れば貴方の評価にも関わります」
「もはや下がりようもないほど地に落ちていないか?」
主にお前の中で。
目線だけでそう訴えれば深く頷かれる。蔑むでもなく憐れむでもなく、ただただいつも通りの無表情でそんなことをされては、いよいよこいつの中の「王」の立ち位置が不明である。
生まれたころから知られているために、単に俺個人が軽く見られているだけかもしれないが。
じっと顔を見つめていれば「何だ」と目で問いかけられる。発する言葉から敬いが外れたのはこの長い付き合いでほんの数えるほどしかないが、目は雄弁である。絶対に敬語は使ってない。断言できる。
「老けたな」
「しょうもない赤ん坊がしょうもないクソガキに成長するだけの時間が経ちましたから」
「喧嘩売ってる?」
「この程度で口調が砕けるようなら妥当な評価かと」
「左様か」
しょうもないクソガキではあるがこれ以上このしょうもない会話を続ける愚は犯さない。決して旗色が悪くなったから逃げるのではない。断じて。
「…あの絵を出展させない、という対応で十分であろう。今更神経質に先王に通ずる物を排したところでたいした意味はない上、幸いにもあの絵を見たものはごく一部だというではないか。
何よりソリダスター家に遺恨を残すのは好ましくない」
「彼の家であるが故に問題であるとも言えますが」
確かにそうだ。ソリダスター家は派閥上フロックス候、つまり先王の、異母姉の母方の実家に組するのだ。俺の母方の実家、セントポーリアとはあまり友好的ではないし、アスターの件もあって俺に対しても友好的ではない。
「あの令嬢が派閥を覚えていれば、確かにそうだが」
「覚えていないことは証明の仕様がありません」
こいつはなぜ正論しか言わないのだろう。もう少しユーモアを持って生きた方が楽しいよ?
「ではどうしろと」
いい加減、この話を切り上げて監視下から逃れたい。大抵の者の目なら掻い潜って自由時間を生み出せる俺の身軽さは、この男相手では鳴りを潜めてしまう。
「貴方様の御心のままに」
「ああ?」
丸投げじゃないかと口をついて出た砕けた言葉に、やはり表情を崩さぬまま目だけで苦言を呈する相手は、しかしそれ以上何も言わなかった。
――兎に角、描いた背景を聞きだすしかない。
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「此度は、誠に、いやなんと申し上げればよいのか…」
ふくよかな体をこれでもかと縮こめ、恐縮しきった声を震わせる男――現ソリダスター伯の娘婿――と、その横に居て、やはりきょとりとした表情を崩さぬその娘を、いつも通りの柔和な微笑を湛えつつ見やる。
ソリダスター家の御令嬢と大恋愛の果てに結ばれたこの男は、感性が周囲と大いに異なる婿入り先の中で極めてスムーズに会話のできる人物として他家から認められ、交流の際の唯一の窓口として扱き使、いや頼りにされていると聞く。当初はすらりとしていた体型も、いろいろあって現状に至ったという噂もある。色々ってなんだろう。独身王侯には想像もつかない。
「陛下」
思考の波にのまれると、すぐさま後ろから無理やり引っ張り出される。13歳年の離れたこの従兄は、しかし16年間最も近くにいたといっても過言ではないゆえに平気で俺の考えていることを当てる。
今も目の前の、決して豪胆ではないだろうに他に担える人材がいないから国王の前で娘の描いた絵の釈明をする羽目になった人物の気苦労などに思いをはせているのを敏感に察知して声をかけてきた。
いや、声だけでいいだろう。なぜ前の2人から見えない位置から軽く小突くのだ。
「左様に畏まらずとも良い。話が進みそうもないので其方に間に入るよう命じただけで、ことを大きくするつもりはない」
「重ね重ね申し訳ございません…!」
一応、謁見の間での珍問答と今も後ろに控える執政官とのしょうもない会話の後、別室で本人に事情聴取を行ったが―――
「どうしてアスターを描こうと思ったのだ?」
「先王様を描こうと思ったのではありません。私の中で『恩寵』のイメージに最もふさわしいモチーフを選んだところ、なぜか先王様に似通ってしまったらしいのです」
「似通うどころか完全に本人です」
「まぁ、セントポーリア様は先王様のお顔をよくご存じなのですね」
「むしろ知らないと断言した其方が珍しいと思うが。そも、その選んだモチーフというのはどこかで見たものか?」
「はい。私が4つの頃だったでしょうか、王城前の広場にたくさんの人が集まっているときがございました。大人たちからは近寄っては行けないと言われましたが、集まった方々がなぜか大層浮足立っていましたので、ああこれはないか面白いことが起こるに違いないと兄が申しまして」
「貴方は今御幾つでいらっしゃいますか」
「14なります」
「つまるところ10年前か」
「左様でございます。
そして兄と一緒にこっそりその人だかりに向かいました。すると、群衆の目線の先に1人の女性が立っていたのです。私、その方があんまり美しいのできっと天使様が舞い降りて、それを知った人々が集まったのだろうと思いました。ですが、その後すぐ私共の姿を見とめた周囲の人々が、慌てふためいてその集まりから出してしまったため、天使様のお姿を見たのはほんの一瞬でございます。けれど今もなおこの心に焼き付いております故、今回のモチーフといたしましたの。」
「なるほど良く分かった。
――其方が描いたのはやはりアスターだ。10年前、王城前広場の人だかりといえばアスターの斬首の場しかない」
「ええ?」
「処刑の場に子どもがいたら、さぞ周囲の大人は慌てたでしょうね」
「ではあの方が先王様でいらっしゃいましたの?
――では、では・・・」
「落ち着いてください。事実先王を描いたとしてもそれで重罪とはなりませ」
「先王様は天使様でいらしたのですね!はっ!ならば陛下も」
「誰かこの者の身内で話の出来るものはおらぬか!即刻連れてまいれ!!」
――という具合でこの可哀想な男が生贄となった。
しかし、今、この男の所属する部署は繁忙期ではなかっただろうか。王命で抜けざるを得ず、止まった仕事はいつ処理されるのか。哀れなり。
「アカンサ!お前は、もう、お前はほんとに、もう、」
「お父様、申し訳ありません。私が至らぬばかりに、天使様のご気分を害してしまいました」
「何を言ってるんだお前は」
「天使様の正体を知った喜びから、ついその弟君たる陛下の御姿を描きたいと口走ってしまったのです!」
「何を言ってるんだお前は!!」
長年姿絵を描くことを拒んでいることで有名な現国王は、だんだんと焦点のずれていく父娘の口論を微笑みを崩さず見ている。
―――――いつまで続くの、これ。