2.4
硬直から抜け出したものの衝撃からは解放されなかった様子の補佐役代理はしかしそれでも役目を果たすだけの技量を持ち合わせていた。
この日の業務は国王が行方不明という見慣れたハプニングもなく滞りなく終了し、城内の者どもは非常に満足げである。だが、気が向いたときに抜け出せなかった身としてはなかなか不満だ。イベリスとは違い俺がいつどこへ行こうとするかを察知する能力に幸か不幸か恵まれなかった男は、こともあろうに「どこへ行くにもついて回る」という荒業で主の出奔を阻止したのである。
あれだけ衝撃を受けておきながら、噂に燃料を注ぐような真似を選ぶのは如何なものか。それもあって思うように逃げ出せなかったわけである。
挙句、業務に熱を込めないとお小言をくらわしてくるので困ったものである。こういった業務の最終決定者は俺ではあるがそもそも俺が見て許容できないような事柄がこの場まで上がってくるわけがない。だから幾分か、多少、いや結構力を抜いても問題ないだろうに。
もちろん表立って言うと通常は掌、今は臨時の鋭い視線が制裁を加えてくるので胸のうちにしまっておいて、書類を流し読みするくらいにとどめているのだが。大体はきちんと読んでいないことがばれて結局制裁を受ける。件の絵画コンクールの題材を秒もかけずに承認したときは何も言われなかったので制裁にも何らかの基準があるらしい。
それを探りつつ逃走の機会を確保するのが今後の課題である。
「くだらないことを考えてないで早く休んではいかがですか」
目下、達成すべき目標を掲げた主君に向かって労りとは言い難い言葉をかけるのは、実家でのごたごたにひとまずの区切りがついて一旦戻ってきた我が執政官である。いつの間にか私室にいることも、ほんの小さい子どもの頃と変わらぬ時間に就寝を促してくるのも、ここ数日厄介な老人の相手をしてきた自分の方がよほど休息が必要な癖にそれをおくびにも出さないのも、慣れ親しんだものなので何も言わないでおく。
「こんな早くに眠ったらすぐに明日が来てしまうだろう」
「起きていても見つかるものでもありませんよ」
「……其方、ラルゴに何を吹き込んだ?」
「予想できることを、ありのままに」
「おかげで片時も目を離してくれなかったぞ。あれは真面目すぎるから」
「それ位で丁度いいのです」
他の者に言わせると成り立たっていない会話でも不思議と我々の間では通じるのである。この17年近い歳月の賜物かあるいは濃いとも薄いとも言えない血の繋がりによるものか、考えてもわからないことは考えるだけ無駄である。
要は、俺が抜け出して髪留めのリボンを探しに行かないように目を光らせるよう依頼したということだ。行儀のよい伯爵家のお坊ちゃんは堀に飛び込むなどという野蛮な行為を容認しないだろう。どおりで隙がなかったわけだ。
…しかし、流石に暗く視界の悪い水中に潜ろうなどとは思わないので日没から間もない時間に寝かしつけようとするのはやめてほしい。俺はあと2年足らずで成人を迎える身である。
「まだ見つからないか?」
「残念ながら」
「底に沈むようなもんでもないのにな」
「堀に飛び込むようなものでもない方が何を仰る」
「――お前、結構しつこいな」
「今更でしょう」
それもそうか。しつこい性格でなければ10年、もしくはそれより長く来る日も来る日も説教と小言と掌を降り注ぐことなどできまい。
周囲の人間はそれを有難いことだと、感謝すべきことだと言う。憎まれ役を買ってまで陛下のためにしてくださっているのですよ、と。俺はそれらの言葉に返事をしたことはない。反論出来ないわけではなく、言ったところで理解してもらえないだろうからだ。
この男は俺に憎まれようが好かれようがどちらでも構わないだろうし、そもそも言っていることは全面的に正しく非難されるべきは己であることは重々承知の上での言動なので、従兄殿を制裁云々で憎んだりはしない。
我々に成り立っている関係を、おそらく他の者は理解できない。する必要もない。してほしいとも願わない。
「まあいい。それより其方、いつまで代理を立てておくつもりだ」
「前公爵は一応、平静を取り戻されましたが完全に父だけに任せるにはまだ早いかと。何か不都合でも?」
「私の方は不都合というほどではないが。あちらは歌巫女殿のお守もあるし噂への耐性もないし何より今日少し脅かしてしまったのでな」
「貴方様の場合脅かす程度をご存じでないのでその点については懸念すべきですが、特に苦情はありませんでしたよ。ただ疑問を抱かれた様子でしたが」
脅しの内容的に苦情を言おうにも言えないのではないかと思ったが、疑問を抱かれるようなことはしていないので続けるように促す。基本的に身内や手のかかる歌巫女やしょうもない主君以外の前で決して感情が外に出ないように気を配っていることは知っているが、本物の鉄面皮であるこの男にその手の物が通用しないのことも知っているので、彼は実際何かに疑問を感じたのだろう。
「何故実力はあるのに日頃から真面目に政務に取り組まないのかと。存外貴方のことを評価しているのですね」
「存外」
「できるのにやらないからこそしょうもないわけですが。真面目で誠実な方々には想像もつかない奇妙な生き方に見えるのでしょう。」
「要は私が不真面目で不誠実でしょうもなくて奇妙だと?」
単に悪口の羅列ではないか。
「不真面目でしょうもないは然も有りなん。奇妙に見えるもまあ構わないが、不誠実というのはいただけない」
「貴方様が見かけによらず女性関係に対して強固な倫理観を持っているのは存じておりますが、この場合は婚約者様に対しての誠実さではありません」
「見かけによらずってどういうこと」
「私共家臣が貴方様に向ける忠誠に対するものです」
「問いかけを無視している時点で忠誠などないとは思わんかね?」
俺はそんなに軽薄に見えるのか。同じ顔かたちの姉にそういった評がなされたことは一度もないので、やはり生母由来の色合いのなせる業だろうか。会った記憶もない死者に文句を言ってもしようがないので、儚げな容貌と色合いに違わず体が弱かった末の娘を無理やり妃にねじ込んだあの爺さんに恨み言をぶつけるのが筋か。会いたくもないのでやめておこう。
「そもそも私に忠誠を誓うというのは有り得ないだろう。誓うなら王家に。そうでなくとも前々王に対して、というのなら分かるが」
王城内には2代前から仕えている古株を筆頭にコリウス王個人に忠誠を誓っていると公言して憚らないものが結構いる。
姉と瓜二つと自他ともに認める俺とは違い、屈強とまではいかないが男らしい容姿だったという彼の王は実直で穏やかな人柄とその手腕でそれなりに人気があったらしい。
伝聞でしかないのは会ったことがないからである。実際は顔を合わせているのかもしれないが、目も開き切っていない間に王子から王太弟に転職した俺には肖像画で何度か顔を合わせ命日に墓に寄るだけの関わりしか記憶にない。
俺が生れた年はひどい冷夏で作物に甚大な被害が出た土地が多かったという。当時の王は王后と共に視察と慰問のために各地を回る中、その数年前にようやく終わった隣国との戦禍の影響で手入れの行き届いていなかった橋の崩落に運悪く巻き込まれたのだ。民衆も臣下も突然の王夫妻の死を嘆き悲しんだそうな。
因みに俺の生母は産後の肥立ちが悪くその行幸に参加していなかったが、時を置かずして風邪をこじらせ、結果ブリオニア王国は10歳ととほぼ0歳の王族のみとなってしまったわけである。
――これを言うと確実にコリウス親派にボコボコにされるし不真面目でしょうもない現国王がいうことではないだろうが、運がないというのは頂点に立つ人間としては致命的な欠点ではないだろうか。
会った記憶もなく人伝にしかその人物に触れたことがないから文句を言う資格もないのは重々承知だが、せめて上の子どもが成人に近い年齢になるまでしぶとく生き残ってもらいたかったところではある。
幼い王族の後見という建前で王宮内で七面倒くさい権力争いが勃発し、何やかんや色々と面倒だったのだ。ちょっと小一時間ほど不平を言いたいくらいだ。
墓石に向かって言えば伝わるものだろうか。現国王の奇行が1つ増えるだけだな。やめよう。
そんな親不孝なことを考えていたらため息が聞こえた気がした。意外に思って音の出どころを見ると、額に折り曲げた指を当てて何やら考え込む姿勢をとるのが見える。珍しいこともあるもんだなと瞬くと、深い紫と目があった。
「爺さんのお守は大変かい」
「従弟ので慣れているのでそれは大したことではありません。貴方様がつくづく悪いところばかり御令姉に似ていらっしゃるなと感じ入っただけです」
「顔は数少ない長所故、悪いところと言われるのは些か困るな」
「……ご自身や周りの者が言うほど瓜二つというわけではありませんよ。私が言ったのはその点ではありませんし」
なぜか昔から同じことを言い募る唯一の人物は、先ほど吐き出した息などなかったかのように平素の淡々とした様子に戻った。俺はあの爺さんと同じくらい手がかかるのか大変だなあと思いつつ、何がどう悪いところでどうアスターに似ているのかその答えを聞く用意に入る。
「先ほどの言葉は他の者、特に身近な方々には言ってはいけませんよ」
「ん?」
しかし、返って来たのは待ち受けていた答えではなかった。しばし続きを待つが一向にそれはやってこない。
拍子抜けしているところに唐突に別の用件があると話題を変えられる。きっとこちらが本来の目的だったのだろう。すぐに切り出さなかった辺り、あまり面白くない話であろうが。
「ソリダスター伯爵が陛下を領地にお招きしたいとのことです」
面白くないどころか全く笑えない話であった。
「どうして国王を呼び出す形式なの?」
「手紙を届けてくださった卿も非常に憔悴しておいででした。どうやらアカンサ嬢が領地に帰る予定があったらしく、『ついでに孫娘の婿殿も連れて来い』と命じられたようですね」
「唯一の王族が婿入りするわけ……これ行ったら実力行使されて帰ってこられない恐れがあるのでは」
「『ここに来られて居座られるのとどちらが良いか、測りかねる』と仰っていましたので、私としては陛下にご足労願い、何かあったらご自慢の逃げ足を発揮していただきたいところです」
「辺境を守護する本職の騎士相手に逃亡が可能だと思うのか?」
「御武運を」
側妃の件で調整が入っているのは知っていたが、まさか王自身を呼び出しにかかる伯爵がいるとは思わなかった。いや、彼の家の代々の功績を鑑みるにそれ位大きく出ても眉を顰められはすれ首をはねられることはなかろう。そして眉を顰められようが白い目で見られようがそんなことは気にしない気づかない察しないでお馴染み、戦闘においては頼りになるし守護をしてくれてるおかげで我々の生活が守られていますありがとうでも関わり合いになりたくはないですが枕詞で有名な辺境伯家である。そこら辺の小僧を呼びつけるのと同じ感覚で国王を招いている可能性もある。
いや、この際礼儀とか礼節とかは置いておこう。結論から言うと俺はこの呼び出しを断れないのである。あの絵画の件を丸くはなくとも何とか収めるためにあの小鳥を側妃に迎えるのは「国王たっての希望」ということになってしまっている。断れば、ただでさえ何件も召し上げを拒んでいた身で唐突に側妃を選ぶことの辻褄が合わなくなってしまう。相手方ははじめ辞退していたが、熱意に負けて承諾したというのが表向きの筋なのだ。
――なんて情熱的な王族なのだろう。そんなやつ、子どもの頃微熱のせいで部屋から出られないときに暇つぶしに借りて読んでいた妙にキラキラしい夢物語のヒーロ―くらいでしか見たこと無い。
俺?
そんな言動似合わない、まったくもって似合わない。きっと侍女やメイドのお仕着せの方が似合う。
だが、こうなってしまっては文句を言ってもしょうがないのだ。せめてそこは助けに行きますと言ってほしいと呟くとそのような横暴を言ってはなりませんと諭されて、横暴はあの奇人鬼神という韻を踏んだ呼び名が静かにしかし確実に定着しているソリダスター伯の方だと心のうちで思っていたとしても、神妙に招待を受けなければならない。
…もうやださっさと隠居したい。




