1.1
思いつきなのでゆるゆる。
それは唐突に目の前に引きたてられた。
なぜなのかは分からないし、あちらも良く分かってない様だ。キョトンとした顔で丸々とした目をただ瞬かせ、俺にかつて王宮内にいた小鳥を思い出させる。
あれはカナリヤとか言っただろうか。インコかもしれない。飼っていたのは俺ではないし、特段動物に関心のある子どもでもなかったので正解は見つけられそうにない。とにかく小さい鳥だった。もしや、雛だったから小さかったのか。
「陛下」
背後からかけられた声量を抑えた声により、鳥への探求は阻まれた。目の前の、ぱちくりぱちくりを繰り返すものと、それをもたらした男に集中しろということだろう。
「何事か」
俺からでないと会話が始まらない場合が多い。始めるべき人間の思考が鳥に巣くわれていては、目の前の文官のように途方に暮れるしかあるまい。
「はっ
この者は陛下主催のコンクールに参加しているものなのですが」
「絵画、ですね。リボンの色が」
何の話だ、と口を滑らす前にまたも背後からささやきが漏れる。
印を綺麗に素早く押すのと、目を瞑ったままでも署名できることが俺の数少ない特技の一部だ。
つまり、そういうことである。己が名のもとに行われようと全て知るわけではない。知らないことの方が多分、多い。
「皆様方ご存知の通り、今期のテーマは『恩寵』でありまして」
何の話だ。
後ろの男を見やる。高速スタンピングの大半はこの男からの書類に対して行われるので、あずかり知らぬことは大抵この男由来である。
『恩寵』という漠然としたテーマをしれっと公募した張本人はこちらの視線を意に介せず、それどころか前を向けと周囲に見えない位置から指で示してくる。こいつの中の「王」の立ち位置がわからない。
「この者も、その、テーマに合わせて絵画を出品してきたわけなのですが」
だんだんと歯切れが悪くなる。初めから意気揚々からは程遠い様子であったが。引っ立ててきたものがものだけに、気が進まないのだろうか。
はっきり言え、と俺の背後から声をかけられ、文官はおずおずと、己の後ろに控えさせていた部下たちを示す。
「見て、いただければ」
言うや否や、部下たちが持っていた板状のものから布が外された。
息をのむ音がする。後ろか、それとももっと近くか。
それは一人の女を描いたものだった。
「なるほど」
青ざめた文官から、視線を動かす。この絵を描いた、しかし何を描いたか理解しきれていない人物へ。
「『恩寵』と聞いてこれを描くか」
ふ、と笑いかけると、やはり瞬いた後小首を傾げた。あの小鳥も、声をかけるといつもそうだった。
「余の姉が何者か知っているか?」
知らない者がいるのだろうか
財を食いつぶし、国を傾け、民に死と憎しみをもたらした女を
数多の声に望まれて処刑された、あの女王を
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「お会いしたことはないかと」
瞬きを2,3度して、その女は答えた。は、という声がそこかしこから聞こえる。
「お姉さまがいらしたのですね。陛下のご尊顔から察するに大変美しい方なのでしょう、画家たちが競って筆をとるに違いありません」
ざわめきは大きくなる。それに気づかないのか、質問の意図に気付かないのか、やはり小首をかしげる。
「…家名を聞いていないが、察するにソリダスターに連なるものではないか」
「左様でございます」
ざわめきは静まり、代わりに諦めに似た空気が流れだした。
決して才がないわけではない。むしろ功を重ねるものが多い。なのにどこか足りない。
それがソリダスター伯およびその一門に対する我々の評価である。基本的には武の一族。稀に芸。この娘は希少なようだ。ちなみにどの分野に優れていようとどこかは足りない。
「ソリダスター嬢、余の前の王が誰だか知っているかね」
「アスター元女王陛下にございます」
「アスターの弟は誰だか知っているかね」
「シオン国王、すなわち陛下にあらせられます」
「では、もう一度。余の姉は、何者か?」
ここまで懇切丁寧に解答までの道筋を引き、また先ほどの答えが返ってきたらどうしようか。
「…アスター元女王陛下、でございますね」
心配は杞憂に終わったが、今まさにその事実に気づいたというような反応に別の不安がよぎる。
この娘は、自分が何を描いたか本当に分かってない可能性が濃厚である。
「余が王位についたのは、アスターを処刑した上でのものというのは知っているよな?」
「もちろんにございます」
「その上で、『恩寵』という名目で、この絵画を出すのは反意があると判断されても仕方ないとは思わないのか?」
「なぜでございましょう?」
なぜここまでの流れを汲んでくれないのかと頭を抱えたくなったが、周囲のやつらが先に抱えていた。何事にも動じてはならない主君の分まで抱え込む、頼りになる臣下である。
「そこに描かれているのは、どう見てもアスターだ」
「まさか。先ほども申し上げた通りお会いしたことがございませんゆえ…」
「余の顔を見てさっき言ったことを思い出してほしいんだが」
「大変、麗しくていらっしゃいます」
「そっちじゃない、姉と似ているだろう、そういうこと言っていただろう」
ふっと息を吐く。あまり好ましくない事実を言わなければならない。
「余とアスターは、髪と瞳の色が違うだけでほとんど姿かたちが同じだ。そして其方の絵の人物の面差は私に似ている上に、色合いはアスターと一致する」
母が違うのだから色合いが異なるのは致し方ないことだが、なぜか年の離れた異母姉と俺は瓜二つなのである。そろそろ成長が加速して似なくなるだろうという予測は、なぜか城内で俺だけのものだ。
ソリダスター家の青い小鳥は、灰白の髪と紫の瞳を持つ男と、絵画の中で金と緑に彩られた女を交互に見やり、
「まぁ」
と声を漏らし、
「どうしてでしょう」
と小首をかしげ、
俺がその様子につい噴き出したのを後ろやら左やら上の階やらからあらわれた忠臣たちがはたくのをみて、やはり瞬きを繰り返すのだった。