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エピローグ:チカ

あのときの少年は、今。

 初めに弁明しておこう。立派な生産年齢の青年が平日の昼間から自宅でワイドショーを眺めているのはいただけないが、これにはわけがある。無職だからだ。さらにすかさず釈明させていただくと、無職になったのにも立派な理由がある。職場が爆発したのだ。文字通り、爆発だ。これ以上は何も言うまい。


「――お、懐かしい事件やってる」


 転職サイトのPC画面そっちのけでテレビ画面を注視していると、懐かしの惨劇の現場が大写しになった。


 雪の中、大展望台から上を失った東京タワー。


 俺は当時、まだ地元で小学生だった。だから、とにかく大変なことになったらしい、と友達と騒ぎ立てるくらいしかしなかったが、今になるとその深刻さたるや、よく理解できる。事故現場となったその周辺はオフィス街ド真ん中じゃないか。今ではその役目を終えたが、東京タワーは当時は主要な電波塔だ。――というお気持ちを表明したく、俺はベランダで煙を吹かす居候に呼びかけた。


「ミソノさん、覚えてます? もう十年以上前なんですけど――」


 その人はベランダの壁に寄り掛かったまま紫煙を吐いた。ブラックデビルとか言ったっけな。ビターチョコレートのような甘い匂いが室内に入り込んだ。そりゃそうだ。窓、全開だし。つうかようやく節分迎えたばかりのこの季節、窓全開は非常に寒い。曰く、「人を冬の外気にさらしておいてお前は温い部屋でエロ動画巡りか」だそうだ。居候のくせに態度のデカいことこの上ないし俺がしているのは転職活動だ。……半分くらいは。


「十年前は日本にいないな。たぶん」


 ミソノさん、と俺が呼ぶその人は透明な冬の夜を思わせる冴えたアルトで返事をよこした。チョコレート色の髪を背中に流した中性的な美人ではあるが、正直この人の素性は未だにわからない。ミソノ、という名前も偽名だし。少なくとも、容姿から日本人ではなさそうな。印象的にきらめく瞳の色は鮮やかすぎて、まあ趣味の悪いカラコンだろうな。あと残念ながら男だ。


「えっ。そう……なんですか」


「なんだよ。意外か?」


「日本語ペラペラじゃないですか」


「だろ? 練習したからな」


 ミソノさんは冗談っぽく笑って、ほとんど口をつけていない煙草の火を消した。決して話している俺に気を遣っているのではない。いつもこういう贅沢な吸い方をする。


「いや……でも、知ってはいますよね? 東京タワー爆破テロとか言われて、原因わかるまでは海外でもニュースになってたと思いますけど」


「――へえ」


 興味を持ったらしいミソノさんが室内に戻ってくる。ベランダの窓は中途半端に開いたまま、吹き込む風が冷たい。閉めろよ。


「ガス爆発?」


 ミソノさんがテロップを読んで難しい顔をしている。まあ、だよな。そんな顔になるよな。知らなければさ。

 アナログ放送時代の荒い映像。そこに移された高層ビル街は一面銀世界だ。タワーの北西側の方が被害が甚大で、虎ノ門あたりまでは窓ガラスが粉々になったという話だ。タワーのすぐ近くでは、火の手も上がらず倒壊したビルが凍り付いている。まだ十一月の初めだったというのに、深夜から夜明けにかけて記録的な大雪が降ったのだという。まるで映画の世界だ。破壊された都市が、降り積もる雪に秘密を覆い隠されていくような。


「今でも本当にガス爆発だったのか、って取り沙汰されますけどね。不審な点が多すぎて……まあでも、この事故の復興に出資したグループがアレなんで、もう情報が表に出なくなっちゃったんですよ……あのクソ財閥」


 俺が働いていた職場はクソ財閥企業の子会社の下請けの下請けの下請けの下請けの――もういいか。


「…………宵ヶ峰か」


「そうですけど」


 ミソノさんは腕を組んで仁王立ちしたまま神妙な面持ちだった。宵ヶ峰と因縁でもあるのだろうか。まさか。さすがに個人でやり合える相手じゃないし。裏社会の強面連中をバール一本でのしていくのとはわけが違うのだ。

 テレビの画面が切り替わり、地上デジタル放送の鮮明な映像に戻る。なるほど、東京タワー周辺の娯楽施設のプロモーションの前振りだったらしい。インパクトはあるっちゃあるが、あんな悲惨な事故現場を流さなくても。世の中の人間はそんなに刺激に飢えてるのか。


「……不審点色々ありますけど、この事件の前後でいわく付きのお嬢様が失踪してるってのがあるんですよね。もしかしたらこのお嬢様が一枚噛んでるんじゃないかって話が――」


 まだ難しい顔をしているミソノさんに、俺は事故にまつわる適当な流説を流すことにした。ラップトップに無線接続されたマウスはブラウザの新しいタブを開いている。どれだけ昔の記事だって簡単に情報が見つかる。便利な時代になったものだ。


「えーっと……これこれ、暁ノ宮(あけのみや)綺咲(きさき)。社長令嬢だったのが家族が相次いで亡くなり天涯孤独……しかもこの子について残ってる記録が全部不鮮明らしいんです。誰かに消されたみたいに。しかもこれだけ目立つ容姿で『そんな子いたっけ?』とか言われてたらしいですよ。――これ」


 ミソノさんに示したPC画面にはとある学校の集合写真が映っている。その中で嫌でも目を引く少女。白髪紫眼のアルビノ。俺はその子を凝視して目を細める。なんだか妙な感覚が胸につかえているのだ。もちろんミソノさんはそんな俺の胸裏を知らないから、「へえ」と一瞥し、ソファにどっかり腰を下ろしてテレビのチャンネルを回し始める。


「まだ見つかってないらしいんですよ。こんなに目立つのに」


「へえ。好事家に売り飛ばされたんじゃないか?」


「うわ。縁起でもない」


「よくある話だ」


「まあ……そう、いうことも……あるんですかね。日本でも」


「お前が知らないだけで案外、物騒なものだよ」


 ふーんだかほーんだか適当な返事をして俺はディスプレイ上の少女と見つめ合う。別にロリコンとかそういうのではなく、なんだか彼女を見ていると胸が騒ぐのだ。封鎖された扉の向こうから、今にも青嵐にも似た衝動が押し寄せてきそうな、そんな心持。もちろん、会ったことがあるわけない。当時、彼女は東京で俺は長野だ。接点なんかあるわけないし、ましてや暁ノ宮綺咲なんて目新しい名前もこの事故まで聞いたことなかった。


「もしこの子がアングラに流されてたら、ミソノさん、どこかで見たりしてません?」


 俺が冗談半分に言ったにもかかわらず、ミソノさんは律儀に俺の隣に座り、ディスプレイに映るアルビノの少女を今一度確認した。冷めた表情のミソノさんの横顔は綺麗なばかりで、何かしらの思考が読み取れることはなかった。


「いや、知らないな。苗代沢は――」


 俺に何かを言いかけて、その声が先の言葉を紡ぐことはなかった。口を噤んだまま、俺がそうしていたように、まほろばに消えた少女としばらく見つめ合っていた。



 その、夕焼けみたいな赤い瞳で。

最後までご愛読いただきありがとうございました。

これにてじゃほしょこと「邪法少女」、閉幕でございます。

いかにも続きそうな終わり方をしておりますが、主人公・マホロちゃんの話はどうやってもここで終わりです。しかし、本作で生き残った人たち、託された人たちにはこの先の物語を紡いでいってもらいたいものですね。

書ききれなかった部分、語りきれなかった部分は活動報告へ投下する(あんまりよくないことですが)として、ここではひとまず筆を置きます。


それはさておき、評価、感想ください! 完結がんばったね! って言って。


…改めまして、ありがとうございました。

それでは、またどこかで。


2020年4月1日 朱坂ノクチルカ

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