32 ユーリとセーキⅡ
「そうして日本へ瞬間帰国してみせた有理に、正規は確信を持った。神の所業だ! ってね。それをアルバートへ伝えた。神はこの世界に実在し、この世界とは別の法則を持って奇跡を行使する。空間を跳躍することすら可能である――ワオ、なんて妄言! でもアルバートは信じた。信じて理論を打ち立てた。それを正規が演算式に書き起こした。人類に夜明けをもたらす神を造り出す、だなんて、インチキ宗教臭い標語を掲げて行動に移した。これが最初の実験。もちろん、神なんかじゃなく化物を模して造る神だ。生じるのは呪いだ。……何か言いたいことある? 正規『だった』化物――シャヘルさん」
鉄骨を蹴ってコンピューターの上に飛び乗る。確認する。問題ない。まだ稼働している。じきにエンプレスが発生して、七号の居場所は判明する。それまで、この人間だった何かと戯れようじゃないか。イツキは口の端を吊り上げてそれを見下ろした。
「あー、何も言えないですよね。あなた、不老なだけであとは凡人ですもん。痛いですよね。そんな有様じゃ。……ていうか、感覚器生きてます? それ」
こんな化物になってまで手に入れたかった優越感とはいかなるものだろう? イツキはいくらか湧いた興味をすぐに唾棄した。きっと、生涯理解することはあるまい。
「おぞましいことに、二人の青年の実験は現実の粋を凌駕した。現実を逸脱した超常は旧い化物を再現しかけ、新たな化物を生み出した。……しかし、そこで時間切れだった。なんともはや。正規の留学期間の終了だ。この奇ッ怪な話はここで打ち止めになるかと思われた。そうはならなかった。正規青年は呪われ、この世界から逸脱している。脱線した車輪はもとのレールには戻らない。不老となり、声を失い。名実ともに化物となった正規は、二度目の世界大戦、シベリア抑留からの解放後、老いずとも隣り合わせの死に震えながら戦後の日本を生き延びる。娑婆に化物の居場所なんてないのだし。……そして化物が生きている限り、この話は続くんだ。続いて、延長して――必然的な偶然が訪れる」
たとえば、それは運命と呼ばれるのか。
イツキは皮肉っぽく嗤った。
「時は一九六四年。祭典は秋に開催された。東京オリンピックを訪れたおよそ五万人の外国人観光客の中に彼はいた。――おわかりかな。もちろん、アルバート・ヘリオットその人だ」
彼にも家族がいて、幸せに暮らしていたのだという。
それが、どうしてこんな狂気めいた実験を再開してしまったのか。
「かつて禁断の実験を果たした同胞が、あの日と寸分変わらぬ姿で目の前にいる。それはおよそ四十年間秘められていた狂気を再燃させた。――情熱? いや、違うね。熟成された人間至上主義の狂気の沙汰だ。アルバートは今度こそのための神を造り出すと言い、化物はそれに賛同した。……身を焦がすほど嫉妬した相手はもういないのに。あの日見たそれと同じ化物を作り。同種の奇術めいた力を行使したところで、認めてくれる人間など、戦火の中でとっくに死んだというのね。いもしない人間に己の優越を見せつけたいがためだけに、一体どれだけの人間を犠牲にしたのだろうね。
――たとえば、記録に残さなかった幾多の検討実験。その副作用としての世界への影響は種々の災害となって現れた。あるいは、実験の副産物として生まれた、軍事利用可能な人体改造技術の共産圏への横流し。ハッ……金が尽きないわけだよ。シベリアでお前だけ変わった念書を書いたな? 暁に祈る同胞を使って、邪法を使ったわけだ。それが巡り巡って赤化国のとっておきを譲ってもらったりもしている。チェンシー。シャオレイ。……さすがに捕まりませんねぇ! 彼女は」
イツキが宵ヶ峰とはまったくの無関係を装い、平時から機関と取引のある好事家を伝い人材を送り込んだものの、ここまで手間取ったのには理由がある。本来ならば仕掛けた当日――三日前には終わっていたはずだった。好事家から入手した機関の座標と特殊なアクセスプロトコルを用い、表側の住人に髪一筋にも気取られないよう処理を遂行する。強制的に大人しくさせる術だって持っていた。それが長引いた理由。クリスとか名乗っていた妙齢の女。白暁蕾。さすがはエリート工作員だ。こちらの情報網を攪乱させて機関へたどり着けなくさせたばかりか、処理対象の二人の足跡をさっぱり消して見せた。丸一日宵ヶ峰の目を欺いた。危険なことだ。一国も早く見つけて消しておかなくてはならない。
「――やがて社会の裏側でじわりじわりと版図を広げ、実験の規模を拡大し。この国のバブルに乗じて組織化『カガセオ機関』を創設――同時期に設立したミカボシ医学研究所は、ま、有り体に言えばフロント企業だね。そこで研究所長のアルバートにとある出会いが訪れる」
イツキはわずかに顔を歪めた。正直、解明しきれていない部分だ。通常、物事には悉く因果がある。まったくの偶然はありえない。それなのに。この話には。まるで見えざる手が襟首掴んで無理やり引き合わせているような、強制的な牽引力が働いている。
「アカツキバイオテックとの提携。当時は零細のスタートアップベンチャーだったね。その代表、暁ノ宮氏の末の娘――暁ノ宮綺咲。アルバートは彼女に目を付けた。稀少なアルビノ個体に呪術的価値でも見出したのかしらないけど、彼女を実験に利用することを計画した。『魔法少女』なんて聞こえの良い、ファンシーな言葉すら用意しちゃってね。
そうして手始めに、カガセオ機関は暁ノ宮氏の長男を死に至らしめた。……これも実験だったのでしょう? 夥しい実験の果てに、副産物として生じた遠隔操作による遺伝子改変。対象に限定して特定の遺伝子配列をいじくれるかっていうさ。おあつらえ向きなことに、氏の長男はATLキャリアだったんだね。成人T細胞白血病。本来なら発症率は五パーセント程度だし、発症するとしても還暦過ぎだ。それを機関は魔法のベクターで操作して、強制的に発症させた。そこからは優秀な工作員を使ってドミノ倒しだ。白晨曦。彼女を計画のパーツに利用して、機関はいよいよ暁ノ宮綺咲を仕上げることに成功した。『七瀬マホロ』というゆりかごを作った。無垢なる少女を無垢なままに神を迎えさせるために、暁ノ宮綺咲の人格を形而上のまほろばに沈めたわけだ」
荒唐無稽なその計画は、つい最近知った事実だった。
アカツキバイオテックとミカボシ医学研究所。もともと、暁ノ宮一族の度重なる不審死から、その関係は徹底的に洗い出していた。その過程でカガセオ機関の存在も知った。彼らが何をしようとしていたか。それもうっすら察していた。神を作るだと? バカバカしい! 一笑に付し、それだけの話だ。それも三年前を最後に動きを見せていなかった。コードネーム・ヘキサグラム。その前がクインス・クイーン。適当な弱みを焚きつけて好事家どもに口を割らせた情報。六、五と来れば一から四も存在していたのだろう。では、その先は? 暁ノ宮の末の娘。なぜ彼女はひとり生き残ったのか。七瀬マホロと名乗っている。七瀬。七番目。隠れ蓑のミカボシ医学研究所がついぞ最近した。なぜこのタイミングで畳む必要があった? 七瀬マホロの深夜の不審な長距離移動。暁ノ宮の生き残りがここで出てくる。七番目。暁ノ宮の生き残りの白亜の少女。研究所の閉鎖。
完成したから?
「調べるのに苦労したよ。そりゃもう、悪魔の手も借りないといけないくらいに。エンプレスという完成形。カガセオ機関の――ホロス代表とドクター・シャヘルが目指した、通常では観測不能の高エネルギー概念体。この次元の熱力学第一法則を破り、世界という孤立系に存在しえないエネルギーを別の孤立系世界から転送して定形に収めたもの。その生成手順が暁ノ宮綺咲をもって確立した。情緒に左右されない七瀬マホロという安定した器にエネルギーを貯留し、エンプレスの発現後は器を破壊しエネルギーを無垢に下ろす。――そうして」
実験手順は完成した。
じきにエンプレスは発生し、七瀬マホロ=暁ノ宮綺咲の居場所も判明する。
――ただし。
「……ねえ、雛小路さん」
イツキがいくら宵ヶ峰で英才教育を受けていようと。人道から外れた指導を受けていようと。どれだけ弁舌が回ろうとも、圧倒的な知力を体力を身に着けていようとも。イツキは人間だ。未知への恐怖を完全に拭い去ることはできない。
「あなた――エンプレスの発現後は、暁ノ宮綺咲の自由意思を持ったそれをどうやって制御する気なんですか?」
実験手順には、エンプレス発現後について何も記されていない。
それはつまり、制御不能な神に比肩する力を野放しにすることを意味する。
「……――ああ」
嫉妬と執着に溺れ狂った青年が、血を吐き続ける口を開いた。
「僕の、望んだ、時が来た」
その光は、淡い紫の色の閃光は、東の方角から飛来し。
朝日よりも激しく凄烈に目を眩ませて、東京タワーの特別展望台を吹き飛ばした。
残り3+1話となりました。
どうぞ最後まで楽しんでいただければと思います。




