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26. 奈瑞菜

 あたしは膝の上に開いたファイルを閉じて、脱力。息を吐く。

 お返しはさせてもらう、か。

 惨状。シェリーはここまで知らなかった。あたしが七番目。シェリーは五番目。その前に少なくとも四人いて、みんな死んだんだって。それは聞いたけどさ。こんな苦しい、哀しい、救われない死に方をしていたことは――「人間であること」を破壊されて死んでいたことは、シェリーも知らないはずだ。有機無機問わず(・・・・・・・)、どんな電子媒体でも侵入(クラック)できるシェリーでも、紙媒体に侵入することはできない。

 魔法少女プロジェクトなんて、笑わせる。

 あの二人はどんな意図を持って名付けたのだろう。


「――もう、どうでもいいか」


 さあ、あと一仕事だけしたら、今日のところは、帰りましょう。


 *


 近頃はぐんと冷え込むようになった。冬が近い。静電気が指先で弾けて、金属に触れるのが億劫になる。コートを一枚、どうせ学校の送り迎えは車だから要らないって言ってるのに、着ていかないとあとでママに叱られる。


「――ねえ、ほんとに最近――」


「そうそう、三笠さんも――」


「――七瀬さんもずっといないよね」


「暁ノ宮関係で――」


「――うちの学園、なんかあるのかな」


 やいのやいの、クラスメイトの声がうるさい。うるさい。うるっさいな。黙っててよ。


「……――」


 勢いよく立ち上がったもんだから、椅子が後ろの机に倒れてやたら大きな音が出た。後ろの佐久間さん、寝てたのにごめんね。あなたは悪くないけど、クラスメイト、連帯責任です。全員黙れ。

 私が教室を出ようとしたのを呼び止められる。騒いでいた――坂上さんだ。噂好きの女の子。申し訳なさそうな顔して。これもごめんでも、私も虫の居所が悪い。なんで察してないの?


「あの、ナズナちゃん、ごめん、気に障ること言っ」


「そうだね」


 坂上さんの言葉を遮って応える。最後まで聞く意味なさそうだったんだもん。

 えっ、とか、あー、とか言ってる坂上さん、どうしよう、パパに言って飛ばして(・・・・)もらおうかな。めんどくさい。めんどくさいので、私は笑うことにした。敵意、ないでーす。友好の花、咲かせましょー。


「みんな心配だよね。でも、だからあんまり聞きたくないの。それだけ。びっくりさせちゃってごめんね」


 坂上さんの顔がぱっと明るくなる。チョロいものだ、後ろのお仲間も胸を撫でおろしちゃって。臨世学園(ここ)がどういう場所かご理解されてない? 取り返しがつくうちに転校されては? 教師の代わりに私が肩を叩きましょう(・・・・・・・・)か。なにそれ。泣きそう。


 ――マホロがいてくれたら。


 休み時間があと五分で終わるにも関わらず、私の足は教室からどんどん遠ざかっていく。次の授業、さぼっちゃおうかな。テストでさえ点が取れていれば、先生もパパもママも何も言わない。自慢じゃないけど私は優秀なのだ。嘘。これ、自慢でーす。ごめんなさい。

 私こと瀬織奈瑞菜(なずな)、十四歳、臨世学園中等部二年生。は、非常に優秀で生まれも育ちも良く品行方正でゆくゆくは大財閥・瀬織家の家督を継ぐ。という体裁。派手な顔立ちを眼鏡と三つ編みで中和して大人受けはあざとく完璧。腹の内はこんな感じ。どうか卑しいご身分をわきまえて私に接してくださいね愚民ども。なんちゃって。どうしよう。嫌だ。


 渡り廊下から眺める天然芝のグラウンドに――あれは初等部の一年生かな、が集まっている。その中にはかの財閥の一人息子、臨世学園の王子さまの姿もある。よく上手に溶け込めるものだ。てか、そのくらいできなきゃやってられないんだろうけど。何せ、鬼の一族だし。宵ヶ峰(よいがみね)財閥。この国でもっとも権力を持つ異常者集団。瀬織家(うち)とも懇ろではあるけど、正直、ついていけない。って、パパが。私? 私はいいの、知らなくったって。どうせ家を継いでも役員に回させるしね。美味しいところだけいただければそれで充分。ああ。あああ。


「――きったないなぁ」


 我ながら、胸の内。どうか、どうか、笑わないでね。


 足がひとりでに渡り廊下から外れていく。アイビーに覆われたアーチをくぐって、落葉の絨毯を踏みつけて。時の経過に(くずお)れる、当たり前の景象がおぞましくなる。秋は嫌い。今はこんなに若くてかわいい私も終わってしまうこと、当たり前のこと、白々しくも毎年突き付けてくる。嫌らしい。


 ――マホロが、いてくれたら。


「……――うぅ」


 その場にしゃがみこんだ。居ても立っても居られなくなった。虚勢も張っていられない。私は。私はさあ。ねえ、マホロ。マホロみたいに、全然、いい子じゃないんだよ。あなたみたいに綺麗じゃない。

 マホロに初めて会ったのは臨世学園初等部の受験会場。あんな容姿だから、それはそれは目立っていて。でも、それ以上に奇特だった。稀有だった。人間らしくなかった。超然としていて、汚れていない。真っ白だった。プリンターにセットされたコピー用紙みたいに、白くてさらさらだった。いいなあ。ずるい。あの子が欲しい。あのとき理解しきれなかった感情を、今ならつまびらかにすることができる。私は幼い時分から汚い人間だったんです。鼻もちにならない、つまらない無価値な人間だったんです。幼さが併せ持つ純粋さも、生まれ持ったステータスに因る優越感で唾棄してしまいました。綺麗なものに憧れていたんです。私、綺麗になりたかった。

 いいなあ。ずるい。あの子が欲しい。私は嫉妬しようとした。けれども私の自尊心はそれを許さなかった。別の感情にすり替えた。あの子は尊い。ほかの人間とは違う。それは信仰によく似ていた。あの子の隣にいたら、きっと私も綺麗でいられる。あの子がいれば。私はすぐにパパに頼んで同じクラスにしてもらった。暁ノ宮マホロ。急進中のバイオテクノロジー会社の代表の末の娘だということをそのとき知った。仲良くしなさいね、とパパが言った。化学材料を主体とした瀬織(うち)の傘下に加えたいという意図だったんだろう。

 マホロはあんな調子だから全然友達なんかできなくて、ていうか作ろうともしなかったから、マホロの友達といえば私くらいだった。私はそれが誇らしかった。気分が高揚した。ドロドログチャグチャに増長する自尊心も、マホロの隣にいれば台風一過の青空みたいに晴れる気がした。

 誰も彼も汚いこと、考えてるでしょう。私が生まれついた環境はそうだった。金を追って権力を翳して蹴落としてのし上がって、宵ヶ峰ほどでないにしても瀬織(うち)も苛烈だった。そんな世界でね、私だけが綺麗でいられる魔法を持っているの。マホロ。私、あなたに出会えなかったら、とっくに血を吐き散らして()になっていたかもね。


 マホロ。

 どこ行ったの?


 サホなんてどうでもいい。ママの不倫相手の伝手から仕入れた情報によると、もう死んでるっぽいし。宵ヶ峰が一枚噛んでるようだから、もうこの話は表に出てくることはない。ねえねえ、そんなことよりマホロは? 七瀬マホロはどうなったの。そっちも宵ヶ峰絡みだったりする? もう一週間以上学校に来てなくて、家にもいる様子がなくて、連絡付かないの。でも、届け出が出される気配はない。嫌な想像ばかりしてしまう。マホロ。マホロ。何があったの。電話、着信見てない? メール返すのいつも遅いけど、今回もその範疇?


「――マホロ」


 私、マホロがいないとだめなんだよ。

 マホロの前じゃ、絶対、そんなこと、おくびにも出さないけど。

 瀬織奈瑞菜という人間はマホロがいてようやく完成するの。


 ……。

 ……。

 ……。


 不意に感じた陰りに空を振り仰ぐ。


「……」

「……」


 私たちはしばらく見つめ合って。動作も心情も停止して。

 先に口を開いたのは私じゃない。

 癖のない真っ白な髪と、紫陽花の咲く瞳。白磁の肌に灯る赤い唇がうごめいた。


「……授業中じゃ、ないの?」


 そのセリフ、らしいなあ、と笑っちゃう。でも、どういうわけか涙が出た。止まらなかった。笑い声じゃなくて嗚咽が漏れた。どうしたの、と気遣う声がちょっとだけ潤んでいる。聞いたことのない、温かみのある声音。なにそれ。なにそれ。なに。それ。喧嘩売ってる?


 あーあ。

 泣けるわけだ。

 

 私の愛したマホロはきっと、もう、どこにもいない。

次回、「大好きでした」

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