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24. Dr. Shahar

『やあ』


 ――と、その人は気さくな挨拶をしなかった。


「……どうも」


 あたしはケータイの液晶を確認後、その人に軽く会釈した。

 見慣れた陰気な白衣姿。猫背で頭はぼさぼさ。そんな出で立ちにそぐわないティファニーの眼鏡。ヨレヨレのジーンズを穿き古したその男性こそカガセオ機関研究部長・ドクター・シャヘルその人。れっきとした日本人で、シャヘルというのはコードネーム。ラトビアの神話が由来だとか、シェリーから聞いた。本名は――と、これはいいかな。


 青白い蛍光灯に照らされたリノリウムの(みち)を抜けて、そこ(・・)へたどり着く。


『来てくれて嬉しいよ。緊急事態だって、今日はホロスもクリスもいないし。スタッフも最低限だから、気兼ねしないでね』


 などと、シャヘルさんが愛想よく言うはずもない。今だって、乾いた唇から漏れるのは筆談の方がマシ程度のボソボソボイスばかり。なら、このセリフはどこから湧いて出ているか。現代式筆談、もといEメール。あたしはシャヘルさんとの意思疎通を、数秒のタイムラグを置きながら果たしている。


『来ないと思った。君はAI-LCを無効化する手段を持っている第三者と接触した。考えられるのは宵の財閥か、魔法少女の亡霊か、神か悪魔くらいなものだから。とっくに殺されたものだと思ったよ』


 メール画面とシャヘルさんの顔を交互に見る。この人は何を思って今日、あたしをここに呼んだのだろう。知りたくも、その表情は長い前髪に阻まれて窺えない。頬がピクリと動くことすらない。

 おそらくここがカガセオ機関最奥だ。地下に広がる機関本部、L字に曲がった廊下の突き当り――の、隠し扉。真っ白に塗り固められた壁にシャヘルさんがパターンを入力するのを見た。そこから数メートルの廊下を経て、うら寂しい書庫。あたしたちは対面している。うっすらと埃が積もったパイプ椅子は、ここにめったに人が立ち入らないことを示していた。


『AI-LC=AI installed-support system lucifer crystal』


 黙っていたら追加で着信音が鳴った。わからなくて困ってると思われたのかな。わかってもわからなくてもどっちでもいいんだけど。

 あたしはシャヘルさんの親切心を無視して話を進めた。


「あたしが今日来たのはちゃんと顔を見て、話をするためです。本当は明後日に来る予定でした」


『明後日は何をしに?』


「……言えません」


『OK、いいんだ。君の様子で確信を持った。亡霊が生きていたんだね』


 シャヘルさんは手にケータイを握っているものの、一度もキー操作をしていない。このメールはどうやって送信されているんだろう。脳がケータイに直結でもしてるのかな。ありえる。机上の空論から魔法少女システムを独力で組み上げてしまった人なのだから、そのくらい。


『過去の被験体のうち、遺体が回収できなかったのはヘキサグラムとQQ(クインス・クイーン)のムラサキだけだ。ヘキサグラムは君のおかげで回収できた。残すムラサキは同じQQのアカに消し炭にされたんだけど。消し炭(・・・)の元素組成がちょっと引っかかってたんだ。彼女に発現した祝福(グレイス)を考えればその危険性は十分あった。してやられた。すっかり騙された』


 グレイス。祝福。神の恵み。恩寵。機関の演算によって導かれた事象のそれぞれに正しい呼称は設けられていない。便宜的にそう呼んでいるだけなのだと、シェリーは説いた。魔法なんかじゃない。あたしが行使した神秘の力は、もっと受動的なもの。そんなことすら隠されていた。徹底した隠匿。曖昧な、概念的な説明。それがヘキサグラムという検討実験を経て得られた新たな検討条件だった。


「――ヘキサグラムはどうなったんですか」


 次の着信まではたんと間が空いた。動かないシャヘルさんの手元からは、彼が答えあぐねたのか、センターがさぼっていたのか知る由もない。そもそもこのキャリアメールはセンターを介しているのかすら怪しいのだけど。


『元気にしてるよ』


 メール本文はそれだけだった。すぐに次の着信が鳴った。この話題を避けたいみたいだった。


『QQ-ムラサキはもともと虚像の魔法少女だった。儚さに焦がれた子だったんだね。彼女は器用でね。どんどん複雑な幻覚を、虚構を創り出して、とうとう機関の目すら欺くようになった。管理しきれなくなった。機関の、というか、僕の落ち度だ。恥ずかしい限りだね』


 パイプ椅子のきしむ音に顔を上げる。シャヘルさんが足を片足を膝の上に上げていた。もういつもの猫背ではなかった。胸を開いて、初めて動いたシャヘルさんは、あたしの視線に気付くと唇だけでニッと笑った。前髪の奥で眼鏡のレンズがキラッと光った。


「知ってます。全部聞きました。シェリー――ムラサキから」


『そうか。じゃ、魔法少女たちが神を模るための人狩り装置ってのも、魔法少女自身が神の原料(イリアステル)の貯留池ってのも聞いてるのかな』


「聞きました。あたしたちが被験体(・・・)だっていうのも――」


 ここで言い淀むべきではないけど。やっぱり、戸惑う。この人が? 疑念だらけだ。こんなに話すのも今日が初めてだし。案外饒舌だし。……今までの陰キャ・オブ・陰キャなシャヘルさんからはそんな気配、毛ほども感じられなかった。ただのはぐれ者の技術者(テクニシャン)だと思っていた。


「――すべてはあなたが、子どもみたいな理由で始めたってことも」


 軋む音がした。あたしは長い前髪を透かすようにぐっと目に力をこめた。この人がどんな目であたしを見ているのかが気になった。早く答えが知りたかった。(イエス)(ノー)か。あたしはシェリーから聞いただけ。三笠さんを殺したシェリーから。

 着信音が鳴った。一度では鳴りやまなかった。何度も。何度も。


『よくたどり着いたね』


『そこまでバレてるとは思わなかった』


『で、それを知ったところで何かいいことあったかい?』


『子どもみたいな理由とは失礼だな』


『僕は崇高だ』


『本家の出来損ないとは違う』


『僕は祝福された』


『実験は成功した』


『狂ってなどいない』


『踏み間違えたことに気付いたのは僕だけだ』


『僕だけがまともだ』


『エンプレスが発現すればすべて報われる』


『それさえ見届けたなら漸く死のう』


『死に恐怖しない人間がいるか』


『僕の正義は認められるべきだ』


 次々と来るメールを開封する。どれもワンセンテンスだけの、逆上して喚き散らすような、およそ普段のシャヘルさんから想像に及ばない文字列を目で追う。開封する。読む。開封する。ガタン! とひときわ大きな音がした。シャヘルさんが立ち上がってふらつくように歩き出した。薄汚れた白衣を目で追う。壁際の書架に並ぶ背表紙たちをなぞって、一冊のファイルに手を止めた。血で染めたような、まだらにどす黒いそれを引っ張り出してあたしに差し出す。着信音が鳴った。


『気が変わった。僕はね、可哀そうな君の存在も存続させてあげようと思っていたんだ』


『エンプレスのためにつくられたまほろばのゆりかご』


『必要ないものはさっさと棄てた方がいい』


(あや)に咲く彼女の目覚めに君は散れ』


 シャヘルさんがファイルを手放す。反射的に手を出した。受け取った。ずしりと重かった。


『ゆりかごなんかにこんな動揺させられるとは思わなかった。それは君への手向けだ。きっちり、お返しはさせてもらうよ』


 シャヘルさんが背を向けた。しゃんと伸びた背筋で書庫を後にする。着信音が鳴った。それがシャヘルさんからあたしへの、最後のメールだった。


『さよならだ、七瀬マホロ。次に会うときは、君がめでたく消滅している(・・・・・・)ことを願う』

五七五になったのはわざとじゃないです。すみません。わざとです。

次回、閲覧。

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