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20. あたしの裏側

 チェンシーの死は父の入信していたカルトに関連付け、まったくそれらしい理由で片付けられた。儀式的な自殺。使い捨てられたいくつかの注射器(シリンジ)からはそれぞれ高濃度のカッパーオピオイドとアドレナリン、数種類のアルカロイドが検出された。あたしは儀式の贄だったということになった。

 邸内の第一発見者(邸全体の管理を任された使用人)が通報して、慌ただしく警官が駆けつけたときにはあたしはすっかりけろりとしていた。その様子を奇妙に感じた大人たちに、なんと憐れまれたことか。


 ああ、そうそう。そんなことより、大事なこと。あたし(・・・)について。


「xxxちゃん、そろそろ先生のところに――」


 真白い病室。気遣い微笑む看護師さんに、あたしは首を傾げて応えた。


「……あのぅ」


「ん?」


「まほろ、です。あたしの名前。暁ノ宮まほろ」


 あまりにもはきはき言うものだから、看護師さんは何も言い返せなかったんだそうで。

 でも、xxxはあたしじゃない。xxx。xxxって何?

 計画通り、だったんだろうな。これが用意された正解。未来。希望? 違う、もっとおどろおどろしいものだ。到底、当時のあたしの想像が及びつかないくらいには。

 こうしてxxxはこの世界からすっかりいなくなってしまった。いなくなったことさえ忘れられた。なぜなら、もう交わってしまった。交点はとうに過ぎて、顕れるのはあたし。不等号はあたしの側に開いている。


 明ける夜は、朝の光は、世界を白く塗り替えてしまった。

 ほら、思い出して。

 これは、この記憶は、まほろばの(あした)。白昼夢。


 やがて父が死んだ。腹を掻っ捌いたときの後遺症。線維化亢進による多臓器不全。それが表向きの死因だと知ったのは姉の死の間際だった。

 不幸な事故に遭い、半透明のチューブに繋がれた姉はこんなふうに言ったかな。


「父さまはあんたのせいで死んだのよ」


 姉の気性の荒い様子を、そのとき初めて見た。


「誰なのよ。ねえ。あんた誰よ。ふざけるな。おまえのせいだ。おまえのせいだ。おまえの」


 どうして泣いているの。声をかけた。姉は答えなかった。ただ、呼吸器のマスクに覆われてもなお克明にわかるくらいには。その顔を絶望に歪ませて。


「――xxxさえ生まれてこなければ」


 もうこの世界にはいない、あたしじゃない誰かへ怨み言。


「返して。嫌だ。返してよ。ぜんぶぜんぶぜんぶ、あんたのせいで壊れたすべてを、返せ」


 そんなこと言われたって、あたし、何も持ってない。ていうか、壊れちゃったなら返せなくない? 無事なら探してみるけど。


「……なにが、ルシファー。死ね。クソ野郎」


 あたしはオウム返しをひとつ、はて。と首を傾げた。

 姉から発された、最後の言葉がそれだった。姉にしては酷い悪態と、ルシファー? ルーキフェル。ポースポロス。暁の明星。光をもたらす者。なんで、今? そんな名前。神話伝承のお伽噺なんて、いまわの際に。やがて医師の重苦しい声が電子音に混ざった。顔をあげた先のモニター。心電図は既に命の振れ幅を失っていた。時計を読み上げる声。沈痛な面持ちの白衣の大人たちが揃って俯いている。そんな顔しなくていいのに。運び込まれた時点で死ぬってこと、わかってたでしょ?

 父の後を継ぐべく、生命医科学を専攻していた姉はどうしても父の死因に納得がいかなかったんだそう。中でも、父の遺体に近付きすらできなかったことを不審がった。考えられるのは感染性の病原体の保持だけど、同じ家で暮らしていたあたしも姉も、影響はない。死後の損壊が著しかった? まさか。遠目に見た、花に埋もれた父の死に顔は綺麗なものだった。結局、どちらも違った。父の身体は放射性核種に蝕まれていた。ポロニウム。猛毒だ。じわじわと、体の中から命を削り取っていく。これは姉の遺した手帳から知った事実。あたしはふと思い立って、その日のうちに行動した。


「はあ。まあうちにあったかもしれないけど、所長個人の管轄だからなあ。放射科学科。で、もう解体して跡形も残ってないよ。所長が亡くなってから、うちの研究所は弱る一方だ」


 父の会社と協力関係だった医学研究所は、所長が病に伏してからは急激に衰退した。所長。所長さん。私のことも可愛がってくれたおじいちゃん。その人の姿が、あたしにはどうしても思い出せなかった。


「あの人の権威で成り立ってたようなもんだからねえ。来年続いたとしても、科研費ガタ落ちだよ。そろそろ用済みなのかな。この国のほら、宵の財閥様(・・・・・)が目をつけてくる。気付かれちゃうからさあ。ここの利益が彼らの不利益になるってね。我々(・・)も、そろそろ本国に引き上げだ」


 そう言って研究員の一人は去っていく。あれは確か、姉さんが亡くなった次の日。クリスさんと会う前日。

 告別式を終えた頃には研究所は閉鎖されていた。奇妙なこともあるものだと思ったけど。偶然は重なるものだと思っていたけれど。そんなわけないじゃないか。

 仕組まれていた。都合されていた。おぞましい執念に踊らされていた。感情すらも放棄して、ただ変わらずに過ごすことだけを望んだ。さあ、誰だ。誰だ。誰だ? それを望んだのは。願ったのは。欲したのは。狂おしいほどの祈りは。


 水の中に落ちてゆく感覚。気泡に歪む記憶の風景。身体を包む冷たさはエーテルの揮発するそれによく似ている。


「――あたし、は」


 目を閉じて。もう、終わりにしよう。頭の中で声がする。ふざけるな。ふざけるな。返せ。わたし(・・・)を返せ! ですって。あたしは応じない。あたし、あなたのこと、思い出せない。あたしにとってはこれが正しい、今が唯一だから、たとえ作られた存在(・・・・・・)だとしても。


「……――あなたに会えて嬉しいわ」


 その声に、再び目を開けたなら。


「準備はできた?」


 むせ返るような甘い匂い。

 翅を輝かせた水色の蛾。

 群となって視界を覆う。カーテンコール。アンコールは、いかが? あたしは拍手で応じない。考えたくなかったことを考える。もうたくさんだ。あたしの正体。ねえ、マホロ。なんで今まで気付けなかったんだろうね。当然だ。誰も気付かせたくなかったし、あたしだって気付きたくなかったんだから。


 誰だって、自分の存在を否定したくはないでしょう?


 ガラスの割れる音がした。はっとする。あたしに寄り添うように腰を下ろしたシェリーの手の中、香水瓶が砕け散っていた。欠片は光の粒子に腐食されて散ってゆく。シェリーの藍の目はあたしを見ない。冷たい夜の泉を湛えている。


「――さあ。何を信じる? 誰を頼ってみたいと思う。どんな明日を望む?」


 あたしは布団を手繰り寄せて、つなぎとめるように強く握りしめて。目頭がじんと熱くなる。感極まるって、こんな感じだったんだね。


「……あたしは」

呪いは解けたみたい?


---

更新遅れがちですみません。

次回、「ガブリエ~ルおばさんのシュークリーム」


嘘です

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