1. 日常
晩夏の空気は秋の気配をはらんで少しだけ乾いている。
「マーホロー!」
そんな空気をつんざく元気いっぱいな声があたしを呼ぶ。公道ど真ん中でやられるもんだから、あたしは恥ずかしいやら困惑するやらで苦笑い。頬をかいて振り向けば、朝の陽射しにきらきら笑う同級生の姿がある。眼鏡が吹っ飛びそうなくらい跳んでははねて、三つ編みをぶんぶん振り回して、人は見た目によらないよなあと、思う。生真面目図書委員長みたいな見た目で、外見詐欺もいいところだ。
「おはよう、ナズナ」
挨拶すると、ナズナはなぜか敬礼して応える。陸軍式の敬礼らしい。何が何と違うんだろう?
「おはよーであります、マホロ大尉。今日も見目麗しゅうございますなあ。……ふふ。仏頂面だけど」
「うん。ありがとう。仏頂面かな。笑ってるつもりなんだけど」
「笑うってのはこう! 口角を! 上げる!」
ナズナはあたしの頬をぐいぐい上に引っ張った。さすがにそこまでやったら変顔だと思う。ただでさえあたしは悪目立ちしてしまうのに、ナズナとこんなやり取りをしているものだから余計に視線を感じる。慣れたものだけど、こんな騒がしい通学をしていたらそのうち近隣住民から苦情が入りかねない。学校に申しわけない気がする。
「うん。ありがとう、ナズナ」
「あはは。ありがとうって何さ。マホロってやっぱりちょっとずれてるよね~」
「そうかな。ナズナも普通じゃないと思うけど」
「まあね。ていうか、うちの学校に普通を求めちゃダメでしょ」
「そうかも。そうだね。たしかに」
あたしたちの通う私立臨世学園は、いわゆるエリート校と呼ばれる小中高一貫学校だ。入試突破のためには一流家庭の出身であることが第一条件だし、初年度納入費は私立大学医学部に並ぶ。こう言ってしまうとエリート校というより嫌味な金持ち学校みたいだけど、OBの進路や活躍を見れば納得せざるをえない。この学園は才能に溢れている。自由な校風は奇才天才の成長を促進させる。そんな中だからこそ、あたしは悪目立ちしなくて済んでいる。誰も彼もが突出せんとする集団の中で、わざわざあたしの奇天烈な風貌を表立って揶揄する人間などいないというものだ。
「マホロはもっと笑おう。可愛いんだから。せっかくの美少女フェイスが泣くよ? ……泣いてんのみたことないけど」
「泣かないよ。泣くと目が腫れるから」
いわく、あたしはきわめて可憐な顔立ちをしているのだという。みんなよく顔立ちなんか見てるなあと思う。あたしを見て、そこまで観察するより前に他の要素に目が向くでしょう。たとえば、塩素系漂白剤に浸けたみたいに真っ白な髪とか。病的に白い肌とか。目が合えば瞳は紫陽花の紫だ。要するにあたしは、アルビノという人間の突然変異種。メラニン色素をごっそり欠落して生まれてしまった。不便は色々あるけど、今のところは気にならない。あたしの見えないところではビスクドール、とか呼ばれてるみたいだけど、否定するようなことでもない。むしろ的を得ている。
「んー……そだねぇ、マホロはそういうとこあるよねぇ。もったいない。実にもったいない」
「もったいないんだ」
「うん。もちっと。もうちっと愛想よくしてみない? 変わるよきっと。マホロも、みんなも」
「ふーん」
興味ない他人に好かれる努力をしてもなあ。
確かに、時折感じる軽蔑や憐憫の目は減るかもしれない。いわく、あたしは今のところ悲劇のヒロイン扱いなのだという。そりゃまあお姉ちゃんが死んでからは天涯孤独の身だし、あたしを中心に血縁が死んでるから「呪われた子」みたいに言われることもある。見た目も漂白された白だし。
「そだ、部活とかやんない? マホロ運動神経いいじゃんか」
「二年から?」
「私のスカウトって言う!」
「スカウトは魔法少女だけで十分かなあ」
「……?」
あたしは笑って(笑えてないかもだけど)なんでもないよ、と言う。前を向く。歩いていく。寝不足でふらつく成長期の身体を律して、いつも通りに真っ白なポニーテールをリズミカルに揺らす。
これがあたしの日常。ごく普通の女子中学生。お日さまの下では変わったところなんて何ひとつないの。世界を股にかけた善行も悪行も、知っているのはお月さまだけ。
あたしは臨世学園中等部二年生、七瀬マホロ。
きっと明日も、何も変わらない。
そう、望んでいる。