12. あたしだけ
「どうしたんだろうね、サホちゃん」
ナズナの声に顔を上げる。どうしだんだろね。と同調。昼休みも終わりかけの時間。やっぱ寝てる~、から始まって、ナズナがあたしにその話題を切り出したのは不自然じゃなかった。
あたしが机に突っ伏し、窓際|(あたしの席じゃない)で午睡にまどろんでいたところにナズナはやって来た。あちこちで同じ話を繰り返した後らしくて、ナズナの舌は滑らかに言葉を紡ぐ。
「昨日の夜、うちのクラスの蓼科さんとC組の橋立さんと放課後に遊びに出掛けてから帰ってないんだって。去年できた駅ビルあるじゃん? あそこに行ってたらしいんだけど、ニュース見た? 無差別連続殺傷事故。事故だよ、事故。殺傷なのに。明らかに誰かに刺されてるのに、誰も犯人の存在を語らないから。挙げ句の果てには犯人はいなかった。勝手に血が噴水みたいにふきあがった……って」
「……魔法みたいな話」
「オカルト団体がさっそく呪いだとか騒いでるよ。あそこさあ、いわく付きの土地だったらしいんよね。だから大きい駅なのに、去年まで私有地だったって」
神妙な声音のナズナは、軽快な語り口のわりに堪えているようだった。当たり前だ。ナズナ、三笠さんと腐れ縁とか言って笑ってたけど、要するに幼馴染みだったんだし。
「心配だなあー……」
「うん」
「ノリ悪い奴だったけどさあ。いなきゃいないで寂しいんだよねぇ」
「ごめん」
「へ? なんでマホロが謝るのさ」
「わかんない。なんにもしてあげられないからかな」
ナズナは眼鏡の奥で目を三日月にして、人懐っこく笑った。いつもと同じようで、どこか寂しそう。
「ふふっ。やっぱマホロはいい子だなあー! なでてあげよー。よしよし」
ごめんねナズナ。
あたし、全然いい子なんかじゃない。
たったひとり、親友とも呼べるあなたに隠し事をしている。
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カガセオ機関本部への行き方は実はかなり複雑。三丁目の角を曲がって最初の雑居ビルのエレベーターで一番上まで昇って降りずに戻り、今度は向かいのブロック塀の五段目、一番苔むしたブロックを薬指で三度なぞる。来た道を二十四歩戻り、反転して四十九歩進む。そこで立ち止まりケータイの待受画面で時刻を確認。このとき、必ず十字キーの上を押さなくてはならない。次の角を曲がったところにある閉店中のダイニングバーへ続く階段を降りて下から二段目で折り返す。元の道に戻って進み、雑貨屋さんのドアを押すとそこにかわいい雑貨屋さんはなくて、無機質な地下への階段が続いている。よくある都市伝説『異世界への行き方』に似てるかな。
「早かったですね、マホロ」
エントランスでクリスさんが待ち構えていた。ぴりぴりしている。
「昨夜、連絡がなかったのはなぜです?」
「ごめんなさい。それどころじゃなくて」
「何のトラブルもなかった、とシステムから信号を受信していますが」
「トラブルは……まあ」
「気を付けてください。マホロ。あなたは私たちの希望なのだから」
ラボへ向かう道中は蛍光灯に照らされ青白い。あたしはクリスさんの後ろについて歩いて、深呼吸をひとつ。嫌なことを知るかもしれないから心を落ち着かせたかった。
「タイプMBってなんですか?」
クリスさんの肩がピクリと振れる。
「昨日の…………いつもの真っ黒な化け物じゃなくてクラスメイトの格好してました。クラスメイトが認識阻害かけたあたしのこと見えててびっくりしたんです。周りの人たちにも認識されてました。ルーシーは何も補足しませんでしたけど、両方に認識される存在ってありえるんですか?」
「…………新しいタイプですね。侵攻が進んでいる」
「すごく具体性の高い事件になってます。呪いの影響はきわめて抽象的で一般的、偶然の事象として処理されるからSコードの存在は気付かれることはないって、クリスさん言ってたじゃないですか。今回、違いますよね。なにか状況が変わったんですか?」
クリスさんは振り向かない。もうすぐラボに着く。そしたら私はまた席を外すよう指示される。そんな気がする。その前に。聞かないと。
「あたし、昨夜の記憶が途中からないんです。でもトラブルはなかったんですよね。あたしは昨夜モールに出現した、クラスメイトの格好をしたSコードを倒したってこと」
もしそうなら。
「……三笠さん――クラスメイトは昨夜から家に帰っていないそうです」
「………………」
「クリスさん」
「………………はい」
「あれは三笠さん本人?」
「マホロ」
振り返らずにクリスさんはあたしの名前を呼んだ。どんな顔をしてるんだろう。全く感情を窺わせない、なにもかもを圧し殺した平淡な声はルーシーに似ていた。
「その件は調査の必要があります。その結果の次第であなたにお伝えします」
次第ってなんだ。反論しようとした矢先にクリスさんの声が続く。
「我々は昨夜、マホロの言うタイプのSコードを観測していません。我々が観測し、システムから報告を受けたSコードはタイプMythです」
何一つ正解を知らされないまま、寄る辺ない日々は進行する。
次回、再戦。