11. 罪
「ルーシー! これ、どういうこと? 認識阻害は――なんであたしが三笠さんに見えて――ッ!」
ふわりと香る――濃密な花香。くらっとした。脳の奥から揺さぶられるような、甘く、蠱惑的な酩酊。反応が遅れた。三笠さんは人間の常識的な身体能力を超えて走り幅跳びの要領、あたしの目前。着地と同時に振り下ろされるアーミーナイフ。かわしきれずに肩が抉られる。灼熱感に歯をくいしばって後方へ跳躍、人間ならば追ってこられるはずのない空中へ逃げ込む。
肩からこぼれる血が演算魔法陣に仮想拡大・固定された窒素分子を染めて可視化する。魔法少女の空中移動は基本中の基本だけど、人間はそうじゃない。人間は空を飛べない。そのはずだった。
「七瀬さん、どうしたの?」
何でもないようにフロアを舞い上がる三笠さんは、本当に、なんでかわかんないけど、何でもない、いつも教室でそうするみたいに柔和に小首を傾げて――あたしにナイフを一閃する!
「七瀬さん。ちょっと聴いてほしいんだけど。なぜか周りのひとが私を見て逃げていくの」
「そんなの当たり前でしょうが……!」
ショッピングモールのフロアは空中戦には狭すぎるし、ハートショットを撃つにも向いてない。化物どもの抉った傷痕が呪いとなって顕れるように、あたしが魔法少女の力で残した被害も呪いに転換される。広い場所が必要だ。三笠さんを外に出す。夜空に向かって放り投げて、ハートショットを撃つ。……。
あたし、三笠さんを殺すの?
そもそも、三笠さんが本当に世界を侵略する化物――Sコードだっていう証拠は。っていうかSコードってなに。タイプMBって? メールボックスかなってそうじゃない! そんなこと考える場合じゃない、そうだルーシーは? どこに――いない、こんなときにいない、最近そんなことばっかりだ、どうして? 罪だから? 世界を救うことは許されない? でもそうしなきゃあたしの使命はあたしの存在意義は――
――あら? やっと理解してくれた?
頭のなかで声がする。
あたしの声。
――そうよ? あなたの存在意義はたったひとつ。それ以外はわたし、許さないわ。
あたしの声が、あたしとは別の意思を持って。
「七瀬さん。忙しそうなのにごめんね。でも、話をきいてほしくて」
「――ッ!」
あたしが正体不明の声に惑わされている間も三笠さんは止まってくれない。ごめんね、と言いながら正確に急所を狙う三笠さん。命を奪うことに特化している。大剣を盾に弾いてエスカレーターを駆け下りる。どうして降りちゃったんだろう。ここはショッピングモール。アフターシックスの営業時間。Sコードが出現してどのくらいかわからないけれど、人が捌けきってるわけじゃない。
その人はモールのスタッフらしくて、さっきまで避難誘導とかしてた、の、かも。
あたしを追って下りてきた三笠さんは顔をひきつらせたその人に風の速さで駆けよった。あたしの体は思うように動かない。やめて、という声さえ出ない。
「ほらね、七瀬さん」
背中から深々と刺したナイフをぐりぐり回転させて、三笠さんは血塗れの顔であたしを振り返る。
「なぜか避けられてて。顔に変なものでもついてる?」
不思議そうに眉をひそめて、今度はあたしに急接近。自分の凶行を全く認識していない。一致しない言動。何より魔法少女であるあたしを認識していること。きっと――ううん、間違いなく、三笠さんはもうこの世界に所属する存在ではない。直接的に呪いを撒き散らして世界を侵す埒外の存在。このモールにいるSコード/タイプMBっていうのは三笠さんで確定。じゃあどうするの。三笠さんを殺すの。ひとごろし。あの子の言葉が反響する。違う。これは世界を救うためだから。世界を救うために見知らぬ誰かに死んでもらう。贄となってもらう。でも三笠さんはクラスメイト。間違ってるの? ほかに方法はないの。三笠さんを殺さなくてもいい方法。教えてよ。ルーシー。クリスさん。ナズナ。ホロスさん。
――あなたがちゃんと受け入れてくれるなら、わたしがたすけてあげるわ。
助けて。
誰でもいい。
あたし、どうしたらいいわからない。
――いい子ね。それじゃ、あなたの迷いを断ち切ってあげる。
宙返りで避けた三笠さんの斬撃を最後に、あたしにはそれからの記憶がない。
---old code:quince queen---
それは駅直結のショッピングモールの上層階から、天を突き刺すように真っ直ぐに伸びた。伸びて、人為なる侵略者を霧散させて消える。ほんの一瞬の間、この世界に認識されない神秘。紫の色の光条。夕の紅ではなく、暁の紫。環にしてしまえば隣り合わせの二つの色は、その実極めて遠い関係にある。たとえば、赤は可視光線の中で最も長い波長を持つのに対し、紫の波長は最も短く高いエネルギーを有す。
「そう。そうなの。……間に合わなかったのね」
少女は指先に止まった小さな遣いに呟いた。
透き通るような薄青の翅はかつて月の女神の名を冠した美しい蛾のそれで、少女はその儚げな美しさにひどく焦がれたものだった。櫛歯状の触覚の流線形。月光を集めて凍らせた薄青。透明な水滴の斑紋。
「いいの。いいのよ。手段が変わるだけ。目的は変わらないわ」
甘い毒を吐いて少女は唄う。何者にも認識されない少女はこの世に存在しないも同義だ。少女はここにはいない。きっと、遠い昔に死んでしまっていた。
頭に響く「声」、遠い昔に死んでしまった「少女」。その正体は?