0. あたしは
少女は夜空を翔ける。
魔法少女、というものがある。
彼女らはきらきらふわふわなんかしちゃって、世界を救う。大切なものを守る。総じて、正義の味方。
あたしもそう。
現世を守る、正義の味方。
「すぅーーーー……はぁーーーーーー……」
きらきら、ふわふわなんて、夢のまた夢だけど。
『距離、前方1205メートル。タイプMyth、大型。推定災害規模、54Unit/hr。時間はありません。さあ、スイッチを』
「うん。そうだね。急ごう」
飾り気のないコンパクト型の端末。並ぶスイッチボタン。この世界のどこかにいる、前途ある有望なみなさま。きっと、世界の主人公になり得る皆さま方。
「……ごめんなさい」
罪悪感はないけれど、形式上は、ね。
スイッチを押すとコンパクトミラーに映る世界が歪みはじめる。やがて暗転する反転世界はこちら側になだれこむ。神秘の光の奔流となって、悪しきを砕く像を結ぶ。淡く紅の色を纏う大剣。この現象を初めて見たあたしの感想は、こんなもん振り回せるのかな。以上。でも心配はない。柄を握ったその瞬間に伝播する紅の燐光は、あたしの身体能力を飛躍的に上昇させる。この世のあらゆる有機生命体の域を越えて次の次元へ。それは神の模造を目指した結実。
スイッチを押すと、この世界に生ける誰かが死ぬ。
機構が選定した、より発展した未来へ貢献するはずの誰か。世界の構成に大きく寄与する誰か。悲しいことだけれど、この世界には「存在が世界の礎となる人」や、「いてもいなくても変わらない人」、「破綻を招く危惧すべき人」なんかがいて、必ずしも人類の命は平等ではない。言わば生まれたときから☆の数は決まっていて、☆2キャラが☆5キャラになることはないわけ。
悪しきを砕く神秘の力は代償性。あたしたちは次元を超えた侵略者を無償で打倒することはかなわなかった。代償が必要だった。贄が不可欠となった。機構は迷わなかった。幾多の傷を負って先細りながら華やぐ明日を目指すよりも。必要に足る発展を遂げた現状の維持を望んだ。我々におびただしい試練を課す冷酷無慈悲な神の恩寵を切り捨て、あたしたちは――
『マホロ。貴女の剣で世界を救ってください』
ビスマス結晶によく似たキューブ状のそいつの声が合図になる。
あたしが自ら摘み取った未来の可能性。手折った枝葉を燃やしたその燈火で今を助く。きっとこの世界を明るく照らすはずだった可能性の光を撒き散らして、生ぬるい夜の空気を切り裂いて、咲いて、超常の大輪となったあたしは大剣を振りかざしてそれに肉薄した。それは黒い。星空よりも絢爛な地上のシャンデリアに照らされてなお黒く、醜悪で、獰猛な石榴石の眼を光らせ、タングステンの爪で世界を抉っている。
抉っているのだ。
そいつが暴れると、例えば尾の一振りで空間が切り裂かれ、凶悪なあぎとは夜空を噛み砕く。あたしの生きるこの世界よりも高次の世界の存在であるそれは、この世界を一つの事象とし、ダイレクトに干渉する。神様みたいだ。神話の中の出来事のよう。事実、今、あたしの目の前にいるそれは神話に語り継がれるヤマタノオロチに似ていなくもない。タイプMyth。あたしたちの集合無意識に潜在する神々への畏敬。それをスキャンして、それらはこの世界に顕在化する。きっと見る人が見れば、ヤマタノオロチよりもリヴァイアサンに見えるんじゃないかな。
まあ、どうだっていいんだけどね。
「……――せーのっ!」
そいつが世界を切り裂くように、あたしの大剣はそいつの頭のひとつを両断した。断面から暗黒が噴出する。そいつの本質。侵略者の正体。破壊の根源。まだ足りない。こんな小さな孔じゃ搾りきれない。あたしは宙を蹴って反転、あたしを今にも噛み砕かんばかりの第二のあぎとに向かって大剣を薙ぐ。あたしの身の丈ほどもあるあぎとを上と下に裂いて、やはり噴き出す暗黒。それを繰り返す。繰り返す。その度に噴き出す悪の本質。この世のあらゆる灯りの届かない濃密な虚無。それを照らし出す。この世の理を超えた先にある、神の溢した奇跡の残光で。
『マホロ。臨界点を突破しました。次のフェーズへ移行してください』
「――了解ッ」
翻転、夜空に舞い上がって距離を取る。のたうち回り穢れた闇を撒き散らすそいつに、裁きを下す神様のように、直上。あいにくあたしに翼はないけれど、代わりに真紅の炎を身に纏う。赤は暮れる夕、終わりの紅、天照の残滓。神の溢した奇跡の欠片。 可視化された天上の御手。
あたしは、魔法少女。
悪しきを挫き、この世界を救う。
今や真っ赤に燃え盛る大剣をかざし掲げてその時を待つ。あたしの爪先の触れる宙を中心に展開されていく円陣。魔法陣と呼ぶにはあまりにも不思議から遠退いた数式の集合。人が神への執念を凝らして練り上げた、世界からの脱法手続きだ。逢魔ヶ刻の光条。紅を伝って顕現する人工の神の御業。導く那由多の演算。
『Heart shot. Ready』
「――Fire!」
目映い演算式は収束し解を示す。人類は己が領域への侵略者を赦しはしない。その意思を断罪の刃に載せて、あたしは大剣を振り下ろした。この裁きは正真正銘、神の裁き。法理を逸脱して手にした、神様のちからの、ほんの欠片。真紅の断頭台となって悪に穿つ正義の鉄槌。
振り下ろした瞬間、あたしのからだはふっと軽くなる。なにかがそっくり抜ける感覚がある。それが今、黒い侵略者を両断した質量のある紅光の凝集体|(あたしが思いつきでハートショットと呼んでいるもの)に関係しているのかは知らない。きっと関係しているんだろうけど、その関係性はブラックボックスだ。
ハートショットに両断された侵略者は断面を真紅に輝かせて急激に膨張、内部から真紅に侵されて真っ赤な光を撒き散らして大爆発した。あたしがハートショットと呼んでいるゆえんだ。きっと、心臓破裂ってこんな感じなんじゃないかな。伯父がそれで死んだんだけど――ってこの話はいいか。
あたしは血飛沫みたいに舞い散る赤い光の点をぼーっと眺めて、こんなバラバラ殺害現場なのに全然血の臭いしないな、変なの、と、可笑しくなる。お決まりの光景でお決まりの感想。人間ひとり分の体液が飛び散った部屋の濃密な臭いを知ってる? 鉄とアンモニアの臭い。ああ、よそう、思い出すのは。まだ腐敗も始まる前から、吐きそうなくらい臭かったんだ。
『ベストタイムです、マホロ。あなたは素晴らしい。我々はあなたを選んでよかった』
「そっか。ほめてくれてありがとう、ルーシー」
あたしの隣で絶えずボディを組み替えながら浮遊するビスマス結晶もどきは、本当はやたらめったら長い名前なんだけど、めんどくさいから適当なところをぶつ切りしてルーシーと呼んでいる。たしかAIみたいなものだ、と言われたっけ。
夜の風が優しくあたしをなぜていく。お母さんみたい。夜は静かで、穏やかで、安らかで、優しい。ゆりかごの大気。このまま夜に融けてしまえたらいいのに。
「ルーシー、今、何時?」
『午前零時二分五秒です』
「そっか。じゃあ、もう電気代安い時間だ。明日のブラウスにアイロンかけるから、今日は帰ろう」
『了解しました。帰宅したらクリスに連絡を』
「うん。着いたらもっかい言って。また忘れる」
星空と摩天楼のはざまから雑居ビル郡のはざまに場所を移れば、あたしはいつも通り悪目立ちする女子学生その一だ。だれもこんな女の子がひとり、人知れず世界を救っているなんて思いやしない。
「よし。帰ろう」
制服のプリーツスカートを翻らせて街路をゆく。鞄にホールチェーンでぶら下がったルービックキューブ型のキーホルダーが虹色にきらめく。
人を殺して、人を救う。
明日を殺して、今日を救う。
あたしをスカウトした機関のリーダーは、それはそれは尊いことなのだと言った。明日を殺していながらも、あの人はずっと未来を見ていた。きっとそれは、無責任な遍在の神にゆだねられた未来ではなく、自らの手で紡ぎ出す未来だった。これは聖戦なのだと言った。我ら人間は今、持てる価値のすべてを使って持続可能な現在をつくり上げるのだと。あたしは社交辞令なりに両掌を打ち鳴らして、すてきですね、とだけ言った。そんなあたしを見てあの人は、キミは素晴らしい、とか言ったかな。
聖戦とは、聖の字を持ちながらも血と死神に愛されてやまないものだ。意にそぐわない人間を殺しておいて、「聖なる」と枕詞を置けばそこに大義が生まれる。聖らなるほど邪にまみれている。あたしは、どうだろう。あたしをスカウトした人は、クリスさんは、魔法少女と言ったけれど。きらきら、ふわふわなんてちゃんちゃらおかしい。輝かしい明日の待つだろうだれかを躊躇いもなく殺して、大義の下、代償性の超常の力で発展も衰退もしない自己完結した未来を目指す。その神座には、人間のためだけに存在する人工の神様。なんて身勝手で、よこしまなんだろう?
邪法だ。
あたしは、その中心の邪法少女。
きっと明日も、未来を殺して現在を救う。
邪なれど、罪悪感があるわけでもないから。これからも続くのでしょう。
次回、ちょっとドライでクールな女の子、マホロちゃんの日常について。