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【番外】少し未来のお話

1万pv記念の番外編です。

先の展開のネタバレを含むので、ご注意ください。













新婚直後の風邪引きジュストとエンリケッタのお話。

ただひたすら甘いです。

























 夢うつつの間に、ひんやりとした感触を感じて瞼を開ける。


「起こしてしまいましたわね」

「えりか?」


 寝台の傍でこちらを見下ろしているのは愛しい妻だった。離れていこうとする冷たい感触が惜しくて、手首を掴む。素直に捕まえられた手のひらを親指で軽く撫でて、口元まで持ってきてから、丸められた指先に口付ける。

 かすかな震えには気付かないふり。


「何時?」

「そろそろ十六時になりますわ。わたくしが発ってから出された食事のどれにも口をつけた様子がないとルカが申しておりました。陛下のお好きなウズラのスープを用意いたしましたので召し上がってくださいませ」

「いらない。けほ。今日はシラーとの会談が入っていたはずだろう、戻るのは明日になると思っていたのに」


 長い眠りの間に水分を失った喉がささくれたような痛みを生み出す。高熱で倒れるほどのひどい風邪も治りかけだったが、喉はまだやられているようだ。置いてあるはずの水差しを探して視線を彷徨わせると、

首の後ろに細い腕が潜り込んできて、エリカにすっと頭を抱えられた。用意していたらしい小さな盃で口に水を含まされる。手慣れているな、と思う。深窓の侯爵令嬢で高嶺の花だった彼女がどこでこんなことを覚えてきたのかと考え始めると下がった熱が上がりそうだ。

 ———だれにそのように心を砕いた。

 視線で問いかける私のほの昏い思考にきっと気付いているのに答えは与えてくれない。

 柔らかな布で額と首元の汗を優しくぬぐい、淀みない動きで介抱をしながら、その小さな口からは愉しげな音色が響いていた。


「私が手ずから作りましたのに。召し上がって下さいませんの?」


 己の可愛さを知り尽くした上で可憐に微笑む彼女は、私が彼女の言葉に従うことを疑っていない。彼女の手作りを口にしないという選択肢などないことを知っていて逃げ道を塞ぎにかかったのだ。それもこれも私のためだと分かるから、甘い痺れが脳をとろかせる。

 望まれた通りにゆるく首を振ると、さらに嬉しそうに笑みを深めるからこの妻は人の喜ばせ方というものをよく知っている。


「シラーとの話し合いは終わりましたわ。ご心配なさらずとも現状維持で一致いたしました」

「この短時間でまとめたのか。さすがに私の皇后は優秀だね」

「ええ。陛下にとっては私が一番の薬ですもの。早くお側に戻ってこれるように努力するのは当然ですわ」


 愛されていることを欠片も疑わず、それを伝えるのに些かの躊躇もない。私がそれを喜ぶと分かっているからこそ何のてらいもなくエリカは言う。

 踊らされている。

 私の方は全て見透かされているなと思うのに、彼女の心の本当のところがどこにあるか、出会ってもう四年にもなるのに分からない。全部を知りたいと思うけど、分からないことも好きだから、惚れた方が負けというのはきっとこういうことだ。人の気もしらず平然と魅力を振りまくエリカがなんとなく憎たらしくなって、こういう時はいつも虐めたくなる。


「移してしまうかも知れないよ」

「それで陛下が回復なされるなら望むところですわ」


 手を伸ばしてこちらを覗き込むエリカの滑らかな頰に添える。頬ずりするように重さを私の手に預けて瞼を閉じた姿は、懐かない高貴な猫の気まぐれを思わせる。


 言質はとったので素早く上体を起こして口付けた。

 不意をつかれた形のエリカは閉じていた目を見開くとさっと顔を逸らす。耳が染まっていて可愛らしい。

 彼女の動揺に気分が良くなって、腰に腕を回して寝台の上に引き上げながら頰にキスする。

 抵抗はわずかだった。

 やはり婚姻を早めたのは英断だった。誰憚ることなく愛でることができるというのはいいものだ。

 好きな時に抱きしめて、好きな時に愛を伝えることができる、それだけで満たされる。 


 嘘だ。できればエリカにも好きと言って欲しい。それが真実であるかは別として。周到な計算の末の言葉であっても信じる用意はできている。彼女になら騙されたっていい。きっと最期まで綺麗に騙してくれるから。私が彼女にとって最も有用であり続ける限り。

 もちろんそれまでに嘘を真にする努力は惜しまないつもりだけど、人の心は自分の思い通りにだって動きやしない。他人にどこまでのことができるのか、それがどう作用するのかは誰にもわからない。

 だからとりあえずは、彼女が私の妻で、帝国の皇帝の逆鱗であるとエリカ自身を含めて誰もが認識すればそれでいい。

 離してやる気なんて毛頭ない。エリカはその美貌だけで大陸を一つ二つを戦乱の渦に叩きこむことができそうであるが、卓越した社交スキルもあるので彼女が本当にその気になれば世界大戦くらいは起こせる。

 規模は違えどやっていることはかつてと同じだ。事実ゲーム時代のエンリケッタにはそういったエンドもあった。

 そんなことにエリカを巻き込ませる気は無いし、たとえ彼女の心が私になくとも、他の誰かのモノになんてしてやらない。

 


 寝台に乗ったエリカを膝の上にのせて細い腰に腕を回して抱きしめ、思う存分その肢体の柔らかさを堪能する。手早く仕事を片付けたのは本当のようで、この時間にも関わらず、エリカが身にまとっているのはいつもよりも大分シンプルなドレスだ。コルセットもしていない。元がゲームであるので所詮中近世ヨーロッパ()のこの世界では、ネグリジェやベビードール、またあけすけな下着なんていう素晴らしいものもあるが、そういった寝間着より少しマシかという程度。

 今日はもうこの寝所から出るつもりはなかったのだろう。着替えて完全に看病の態勢だ。

 健気さに温かい気持ちになり、冷えた手足に自分の熱が移っていくのに心が満たされる。髪を纏めている飾りをそっと引き抜き、流れ落ちた金の滝にくすぐられながらじゃれる気分で赤く染まった白い首元に吸い付いていると、それまでいちいち可愛い反応をくれながら緊張にかたまっていたエリカが、耐えきれなくなったのかついに声をあげた。


「まだ日も高いのに……お戯れが過ぎますわ、殿下」

「ジュストだよ。名で呼んでエリカ。今は私の名はもう君だけのものだ」


 皇帝になってから私の名を呼ぶ者はもういない。唯一の例外はフィーだけれど、あれも私を名で呼んだりはしない。エリカのためなら迷わず命も国も捨てられるが、差し当たっては彼女のためにも皇帝の地位は保たないといけないから、この名は暫くは彼女だけのものだ。


 揺れる露草の瞳に微笑みかけて金糸のような髪に口付けを落とすと、腕の中で身を固くしていたエリカが私の首に手をまわす。そのまま自身の細い体を引き上げて距離を詰めてくると、私の耳元に口を寄せた。ふわりと揺れた金糸からエリカが愛用している香が薫る。


「ジュストさま、(わたくし)はずっとお側におります」

 

 それだけ囁くとすぐさま離れて、けれど私が抱きしめたままなのでこれ以上の距離を取ることもできず、羞恥に頰を染めて自棄になったように私に抱きつくと胸に額を押し当てた。

 現実か?それとも私の都合のいい妄想か?


 暴力だ。この愛らしさはもはや暴力だ。

 

 手に入れたくてしかたなかった女にそんなことされてみろ。


 戦わずして理性の全軍覆滅(ふくめつ)まったなしだろ。


 強引に顔を上向けさせて、現れた潤んだ瞳に壊滅状態の理性がさらに追い打ちをかけられたところで、 

「陛下、お休みのところ失礼いたします」

 そう、厄介事というのはこういうときにやってくるのである。


「なんだ!危急の用以外は後にしろ!」


 常よりも荒い声になったのは仕方ない。


「マルタ国が我が国に宣戦いたしました。軍が陛下のご下命を待っています。広間までお越しください」


「……くそ」


 布団を殴りつける。

 大方あのバカ王子が何かやらかしたのだろう。勝手に内乱でもめてくれそうだったので泳がせていたが、こんなに早くこちらに矛先が向くとは予想外だった。

 エリカはすでに私の腕の中から抜けて、衣装を運んできている。

 

「すぐ向かう!大臣も集めておけ!」

「はい!」


 一見平静に戻ったエリカに無言で着替えを手伝われながら募るのは苛立ちだけだ。

 こうなったらマルタ国には覚悟をしてもらおう。毟り取るだけ毟り取り少なくとも私の治世の間はこの国に頭を上げられないようにしてやる。そうでもしなければ釣り合わない。

 あの王子は百発は殴る。絶対潰す。


「ジュスト様、剣を」

「ああ」


 ささげ持たれた長剣を佩き、私の襟元を整えているエリカの姿を眺めていると、

「ジュスト様」

 返事をするよりも早く、首を引かれた。

 柔らかい感触が唇に押し当てられ、離される。

 ほんのわずかな背伸び。吐息の感じられる至近距離でエリカが囁く。


「ジュスト様がいるのも(わたくし)の側ですわ。早く帰ってきてくださいませ。お待ちしております」


 大きな目を細めた悪戯っぽい笑みはまさにかつての魔性を過たず発揮していて、脳髄がゾクゾクと痺れる錯覚に陥る。

 ああああもう。何度惚れさせれば気がすむんだ。


「スープが冷める前に帰る」


 勢いのまま抱きしめて、思い切りよく離す。これ以上はだめだ。待ってろマルタ。叩き潰してやる。






 その後、宣戦を受けた即日に親征に赴いたシャトゥレの若き皇帝によりマルタ国首都が抑えられ、マルタはかつてない速さで平げられた。

 戦において大きな功績を挙げたのはかつてマルタ国が友好の証として贈った飛行船であり、これ以降、先の見えない愚かな行いを指して『敵に飛行船を贈る』という言葉が使われることとなる。


 

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