皇子の目覚め
不思議と痛みは感じない。ただ、ねむい。
ああ、こんなことなら、残りの貯金全部使い切っておけばよかった。
親友が泣いているのが見える。耳がやられたのか音は聞こえない。こんな時だと言うのに無声映画のようで思わず笑ってしまい、口から血が溢れる。
泣かなくていいよ。あんたこそ笑って生きるべきだ。考えすぎなこの親友の荷を下ろしたくて、音を作ってくれない声帯を鼓舞する。
「……な、いきて」
おやすみ。
そこで、私は目覚めた。
心臓が全力疾走後のように音を立てている。背骨を伝って震えが上がってきて、冷や汗が逆に下に伝っていくのを感じる。
心臓の上のあたりを掴んで、今しがた蘇った記憶と、今までの記憶をどうにかわける。
幸いほとんど重なるところがないため、別物との認識は簡単にできそうだった。
確認のために声を出した。
「私はジュスト・オルトナイル」
前世の声とは似ても似つかぬ男の、テノール。声変わり以来、変わらぬ自分の声だ。なかなか耳に心地よいと思う。今まで自分の声に何の感慨もなかったので、これは前世の記憶の影響だろう。
事故で死んだ、こことは違う世界の女。思い切りが悪く愚直すぎる人間だった。だからこそあの世界は彼女にとっては生き難かった。
自分の前世としては、まあ、面白いと思う。
何より面白いのは、私が生きるこの世界に酷似する遊戯が記憶にあることだ。
『エーデルシュタインリッター ~捧げる剣は全て君の手に~』通称「捧剣」
彼女をあの世界に繋ぎ止めていた、作品の一つ。今は他国に出ているが、舞台となっているのは間違い無くわが母国シャトゥレだ。シナリオに出てきた地名、人名、祭事、全てに心当たりがある。
攻略対象の中には私の弟や、将来の側近候補もいる。
こんなに楽しい気分になるのはいつぶりだろうか。
手に入れたいものができた。何かに対して欲求を感じたのは、本当に久しぶりだ。
しかもこの熱は、おそらく冷めない。なんて素晴らしいんだ。
私は彼女に感謝すべきだろう。そして、だからこそ、彼女の望み、今は私の渇望を叶えよう。
悪役令嬢エンリケッタ・フォルネウス。お前をこの手に落とす。
「殿下!お目覚めになったのですか」
交代から戻ってきた侍女が起き上がっている主人を目にして寝台に駆け寄ると、そのまま凍りついた。
捧剣の攻略対象としては登場しなかったシャトゥレ帝国、皇太子ジュスト・オルトナイルは、優れた遺伝子を余すことなく現した秀麗な顔に、それはそれは刺激的な笑みを浮かべていた。