難波なる
翌朝、春海が図書館へ向かうと、ロッカールームがざわついていた。
「おはようございます」
挨拶すると、ハッとしたように同僚たちが振り向いた。そそくさと散っていく。春海は不思議に思いながら、荷物をロッカーにしまう。
「一ノ瀬さん、ちょっと」
声をかけられ振り向くと、館長が立っていた。春海は嫌な予感を覚えながら、彼女と共に別室へ向かう。館長は別室に入るなり、春海に紙を差し出した。
「これはどういうことかしら」
紙にはゴシックの字体でこう書かれていた。
『一ノ瀬春海は不倫をしている』
春海はじっとその文字を見つめた。
「……」
館長はこちらを伺い、
「事実なの?」
「はい」
「はい、ってあなたね」
「やましいことはありません。夫とは別居中です。離婚届も置いて家を出ました」
春海がそう言うと、館長がため息をついた。
「事実がどうであろうと、今のご時世不倫ってだけで周りが騒ぐの。わかるでしょう?」
「はい」
「身の振り方には十分気をつけて。いいわね」
「はい。失礼します」
春海は頭を下げ、部屋を出た。カウンターに入ると、ひそひそ話す声が聞こえてきた。
「大人しそうな顔してやるわよね」
「相手は歯医者らしいわよ」
「えー、そうなの?」
何を言われても構わない。春海は周りの声を無視し、仕事をした。
休憩時間、春海が休憩室に入ると、一瞬空気が止まった。同僚たちはわざとらしい声を出しながら立ち上がる。
「あ、お化粧直し行かなきゃ」
「私もー」
途端に人がいなくなる。春海は弁当を広げ、食べ始めた。無視されても、非難されても平気だと思っていたのに。口に入れた米の味がわからなくなる。
(意外と弱いんだ、私)
かたん、と椅子の鳴る音がして、水野がそばに座った。いつもと同じように、ゴシップ紙をめくり始める。春海はつぶやくように尋ねた。
「いいんですか」
「何が?」
「私といると、悪い噂がたつかもしれませんよ」
「別にいいわよ。元々好かれてないし。それよりさ、このニュース見た? ジョニーズの春西くんが結婚だってー。超ショックよね」
「ファンだったんですか?」
「まあね。イケメン好きだから」
他愛ない会話が、春海の心を浮上させた。
「水野さんの旦那さんも、イケメンなんですか?」
「全然。イケメンは好きだけど、芸能人じゃなきゃどうでもいいのよね」
「そうなんですか」
水野は身を乗り出して尋ねた。
「ねえ、あの歯医者大丈夫なの」
「え?」
「あなたの不倫相手」
春海は苦笑した。
「はっきり言いますね」
「だってこんだけ噂になってるし。ボカすのも面倒じゃない」
「確かに」
「で、イケメン歯医者。なんかさ、去年一年間休業してたらしいのよ」
「え?」
「営業状態ヤバいんじゃないー?」
「そしたら、私が支えます」
「なんだ、つまんない」
水野はそう言って、おにぎりをかじった。完全に興味本位だ。それが逆にありがたいと思う。
「水野さん、LINEってやったことありますか」
「え? あるよ」
春海は水野に、LINEの使い方を教わった。
帰宅時間になり、春海が図書館を出ると、青年が近づいてきた。それが誰だかわかり、春海は目を見開く。
「あなた……」
青年は、夏川薫だった。
「ちょっと、いいですか」
春海は、図書館内にある喫茶店に、彼と向かい合って腰掛ける。会うのは三度目だが、まともに話すのは初めてだ。
「何か食べる?」
春海がメニューを差し出して尋ねると、薫が首を振った。
「秋彦さんに聞いたんです。奥さんが出て行ったって……」
「ええ」
「戻ってあげてください。秋彦さんには、あなたが必要なんだ」
春海はかぶりを振った。
「あなたが支えてあげて」
「俺じゃダメなんだ。男だし、結婚できないし、足かせになるだけだから」
薫はかなり若いのだ。話していてそう思う。
「……一度、図書館に来たことがあるでしょう?」
「どんな人か気になって。優しそうで、綺麗な人だなって思って。この人から秋彦さんを奪うような真似をしてるんだと思ったら、苦しくて……」
「私にも、好きな人がいるの」
薫がハッと顔を上げた。
「兄にね、言われたの。意趣返しで不倫をしたんじゃないかって。私もそうかもしれないと、少し思った」
でも、どちらにせよ、秋彦と春海、お互いの心は離れて行っただろう。
「秋彦さんは、大事な時に抱きしめてくれなかった」
確かに愛していた。でももう遅い。ひとの心は自由に区切れないのだ。
「今は、もう愛せないの」
薫がくしゃりと顔を歪めた。
「変なんだ……秋彦さん。ぶつぶつ呟いたり、ずっとネットしてたり。いきなり物を壊し始めたり。どうしたらいいかわからないんです」
「私、LINE始めたの。あなたの番号、教えてくれる?」
「はい」
薫はスマホを取り出した。彼をグループに登録したあと、図書館を出る。ちょうど、千早がこちらにやってくるのが見えた。薫はそちらを見て、ふ、と表情を変えた。
「あの人……」
「私の、好きな人」
「どこかで見たことがある」
「え?」
「どこだったかな」
薫はじっと千早を見ている。千早はこちらにやってきて、春海に笑いかける。
「たまたま近くまで来たんだ」
千早は、薫を見て会釈した。薫は頭を下げ返し、その場から去って行った。薫を見送った千早は、こちらに目を向ける。
「彼、確か旦那さんといた?」
「ええ。秋彦さんの不倫相手」
千早が眉をひそめる。
「なんでここに……何か言われたの?」
「ううん。なにも。すごくいい子だったわ」
「いい子が不倫するかな?」
「しようと思って、するわけじゃないもの」
春海は千早の腕に、自分の腕を絡めた。
「今晩、何にしましょうか」
「スパゲティがいいな」
「ソースは何がいい?」
他愛ない会話をしながら、二人は歩いて行った。
★
帰宅した春海は、食事を終えたのち、弁当箱を洗った。千早の弁当箱を開けると、半分以上残っていた。リビングにいる彼に尋ねる。
「お弁当、美味しくなかった?」
「いいや。ちょっと食欲がなくて」
千早はそう言って微笑んだ。そういえば、夕飯もあまり食べていなかった。
「具合悪いの?」
春海は、カウチソファに掛けた千早のそばに行き、額に触れた。少し熱いような気がした。
彼は春海の手を取り、掌に口づける。その唇が腕に下って行ったので、春海は身じろぎした。恨めしげに千早を見る。
「食欲はないんでしょう?」
「それとは別だから」
千早は春海を抱き寄せ、エプロンの紐をほどいた。エプロンがぱさりとゆかに落ちて、カウチソファがぎしりと音を立てる。唇が合わさって、じん、と頭の奥がしびれた。
「ん」
春海は唇を離して囁いた。
「ねえ、去年、一年間休業してたって本当?」
千早がぴくりと肩を揺らす。
「誰から聞いたの?」
「同僚に噂好きの人がいるの」
「うん。休業してたよ」
千早の手が、服の下に滑り込んできた。春海は吐息を漏らす。
「理由を聞いていい?」
「自分探ししてた」
「自分探し?」
「中二病ってやつかな」
「千早さんらしくないわね」
ブラのホックが外れる。
「永遠の少年なんだ」
「話しながらこんなことできる人は、少年じゃないわ」
「持て余してる。身体は大人だから」
千早が春海の耳を噛んだ。
「ん」
「嫌いになった? ガキみたいだって」
「ううん。ちゃんと大人に戻ったから、偉いわ」
「もっとたくさん褒めて」
千早が胸元に顔を埋めた。春海は彼の髪を撫でる。
「偉いわね、千早さん」
「ご褒美がほしい」
「ご褒美?」
「ピクニック。明後日の月曜日に行こう」
「具合がよくなったらいいわよ」
「元気だよ」
千早の唇が、肌に直接触れる。その刺激に、春海は喉を震わせた。素肌を滑る千早の吐息は、やはり熱かった。
★
その夜、春海は物音に目を覚ました。
「千早さん?」
千早は洗面台に手をついていた。彼は口元をぬぐい、こちらを見あげる。
「起こしちゃった?」
春海は千早のそばに行き、背中をさすった。
「やっぱり、具合が悪いの? 病院に行きましょう」
「大丈夫。寝てれば治る」
そう言いつつ、顔色が悪かった。かすかに身体も震えている。熱を測ってみると、三十八度を超えていた。春海は氷枕を作り、千早の首筋に当てた。
「しばらく寝てないとね」
「ピクニック。行くって約束した」
「駄目よ。具合が悪いんだから寝てないと」
「嫌だ」
「子供みたいなこと言わないで」
千早が不機嫌な顔になった。春海は、汗ばんだ彼の額にそっと触れる。
「ピクニックはいつでも行けるわ」
彼はむっとした顔になり、
「いつでも行けるとは、限らない」
「え?」
「宇宙人が襲来して、日本を侵略するかもしれない」
「NASAもびっくりね」
「NASAは宇宙人の研究をしてるんだ。知らないの?」
「はいはい」
春海は千早を軽くいなし、立ち上がった。
「春海さん、どこ行くの?」
「解熱剤を探してくるわ」
「いらないよ。自力で治す」
そばにいて。そう言った千早の手を握る。
「わかったから、寝て」
しばらくして、千早はウトウトし始めた。完全に彼が寝てから、そっと手を離す。解熱剤を探そうと、小さな引き出しを開けた。たまに、千早がここから薬を出しているのを見たのだ。
「春海……」
千早が寝言をつぶやく。春海はくすりと笑い、引き出しの中にある錠剤を取り出した。包装には、聞き馴染みのない薬品名が書かれている。
「これ……何の薬だろう」
春海はスマホを取り出し、フルオロウラシル、で検索してみた。検索結果を見てハッとする。
「抗がん剤……」
何かの間違いではないか。春海はどくどくと心臓を鳴らす。そうだ、薫なら、医療職だし薬にも詳しいのではないだろうか。LINEを起動し、「こんばんは」と打つ。そのあと、「突然でごめん。フルオロウラシルって知ってる?」と文字を打つ。
しばらくして、「胃がんの薬です」と返ってきた。鼓動がさらに速くなる。春海は震える手で薬を元に戻した。
「どうして……」
考えてみたら、食が細いのも、一年間歯医者休業していたというのも、胃がんに罹ったからだと考えたらつじつまが合う。根治したのならば、話してくれてもいいはずだ。なぜ嘘をついたのだろう。まさか、ガンが再発したのだろうか──。
春海は眠れずに、千早の寝顔を見つめていた。
ちゅんちゅんと、鳥が鳴く声が聞こえてくる。ああ、もう朝なんだ……。カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。眠っていた千早がん、と身じろぎし、うっすら瞳を開ける。こちらをみて、彼は微笑んだ。
「おはよう」
「……」
「どうしたの? 宇宙人でも見るみたいな目をしてる」
春海は錠剤を差し出した。千早は、無言で錠剤を受け取る。
「千早さん、病院に行きましょう」
「行ってるよ」
「具合が悪くなったのは、ガンのせいじゃないの?」
春海は声を震わせた。
「どうして言ってくれなかったの」
「同情されたくなかった」
「同情?」
「病気だってことで、あなたの気を引きたくなかった」
「そんなの言い訳だわ」
春海は声を荒げた。
「死ぬわけじゃない。再発しただけだ」
「なら、どうしてピクニックを急かしたの」
「……ガンだと必ず死ぬと思ってる? 本をたくさん読んでる割に無知だな」
「そんな言い方……っ」
春海は顔を覆った。
「泣かないで」
千早がそっと春海のほほに触れた。彼の手はいつも冷たい。それは病のせいなのだろうか。春海は千早の手を退けて、彼をにらんだ。
「病院に、行って」
「だから、行ってる。今回のはちょっと疲れが出ただけだよ」
「行かないと、ごはんを作ってあげないから。ピクニックにも行かない」
「わかったよ……」
千早はそっと春海を抱きしめた。春海は千早を抱きしめ返す。息を吐いて、尋ねた。
「あれも、嘘なの?」
「あれって?」
「盲腸で入院したって話」
「本当だよ。ちょうど、クリスマスだった。その日はずっと腹の調子が悪くてさ。付き合ってた女と寝ることもできなくて。一人で酒を飲んでたら、だんだん汗が出るくらいになって。ヤバいと思って救急車を呼んだ」
病院に運ばれて、盲腸の手術をして。
「問題はそのあと。進行中の胃がんが見つかった」
付き合ってる女にガンだって言ったら、フェードアウトされたよ。
「死ぬなんて決まってないのに、ひどい女だろ。プレゼントにやった死ぬほど高いブランドバッグ、返してほしいね」
千早はそう言って笑った。
「でも、俺だって、彼女に病気だって言われたら引いただろうな。恋人に求めるのは健康な肉体だ」
相手もそうだ。健康な俺にしか、安定して稼ぐ俺にしか興味がない。そういう現実を知った。
「すっかりやぐされてた頃、あなたが小児科病棟で読み聞かせをしてるのを聞いた」
千早は懐かしむような目をした。
「あなたは、難病の子供たちに東方の三博士の絵本を読み聞かせてた。俺は無神論者だし、キリスト教にも興味はなかったんだ。だから、帰りがけのあなたに嫌味を言った」
「なんて?」
「神様の話をするなんて残酷だ。神に祈ったって、病気が治るわけもないのに」
あなたはこっちを見つめて言った。
「ええ。そうかもしれません。でも、私はこの話が好きなんです」
まるで覚えていない。なぜだろう。ああ、きっとその時は、秋彦に作る夕飯のことを考えていたんだ……。目の前に、将来恋に落ちる相手がいるなんて思わずに。
「春海さんは偽善じゃなく、ただ三博士の話を知ってほしいから来たんだ。まさに天使だなと思った」
「天使なんかじゃないわ」
「褒めてるわけじゃないんだ。天使は、実は冷静で実利的な生き物だから。だって告解を受けた人間は、受難の日々を歩むでしょう」
天使を好きになって、俺は苦労したんだよ。千早はそう言って笑う。
「……私には、大病した人の気持ちはわからないの。だから安易に同情もできない」
「でも、悲しんでる。天使を悲しませたら、神様に怒られる。殺されるかもしれない」
まだ死にたくない。だからいつも通りにしてほしい。千早はそう言った。春海は息を吸い込んだ。千早の気持ちはわからない。だけど理解したいとは思った。あの時とは違う。千早は大事な人だから。
「わかった。月曜日、ピクニックに行きましょう。だから今日は病院に行って」
「わかった」
春海は千早と指きりをした。
「約束よ」
「うん」
千早は笑って、春海に額をくっつけた。
春海は、千早を病院に送り届けたあと仕事へ向かった。職場のロッカールームでLINEを開き、文字を打つ。
「昨晩は夜遅くにごめんなさい」
送信してしばらくすると、薫からの返事が表示された。
「いいえ。今日休みですから」
「月曜日、千早さんとピクニックに行くの」
「いいですね」
「どこかいい場所はある?」
「そうですね、T公園は? いま秋薔薇が綺麗ですよ」
「いいわね」
春海は少し迷ったあと、こう打った。
「秋彦さんの様子はどう?」
「最近は落ち着いて来たかもしれません」
「よかった」
「月曜日、楽しんで来てください」
「ありがとう」
春海はスマホをしまい、ロッカールームを出た。
★
月曜日、春海は千早と共にC公園に来ていた。K市から電車で十五分ほどのところだ。千早は園内を見渡して、
「初めて来るな、ここ」
「本当に? いっとき、外でプレイするゲームが流行ったじゃない。聖地だ、っていって」
「ゲームはしないんです」
千早は肩をすくめていう。
「私もしないわ。操作とかわからなくて」
「お揃いですね」
二人は手を繋いで、のんびりと園内を歩いた。園内には、秋薔薇が咲いている。シックな色合いのバラを見て、春海は目を細めた。
「綺麗」
「秋の薔薇って、少し小さいですよね」
「私、夏薔薇よりも、秋薔薇が好きだわ」
「確かに、春海さんは秋薔薇っぽいな」
千早が薔薇のアーチを指差した。
「あそこに立って。写真を撮ってあげます」
春海はアーチの下に立った。千早はスマホを取り出し、何回もシャッターを切る。春海は恥ずかしくなって言う。
「あなたの方が絵になるんじゃない?」
「薔薇をバックに撮るなんて恥ずかしいですよ」
「人をパシャパシャ撮っておいて、なんなの?」
春海は、千早からスマホを取り上げた。千早はあはは、と笑い、近くにいた人に声をかけた。
「すいません、撮ってもらえますか?」
二人並んで笑顔を浮かべる。
「ほら、綺麗に映ってる。嬉しいな」
千早が本当に嬉しそうに笑うから、春海は照れ臭くなった。
「あなたって、照れたりしないわよね」
「大病をわずらうと、大したことじゃ動じないんですよ」
春海はふ、と表情を翳らせた。
「診察……どうだったの?」
千早はなんでもないような顔で答える。
「季節の変わり目で胃が弱ってるだけでした。薬物療法は順調ですよ」
スマホに目を落とし、苦い顔をした。
「あ、もうバッテリーがない」
「調子に乗って撮るからよ。何枚か消したら?」
「嫌ですよ」
一通り薔薇を見たあと、ベンチで昼食を取ることにした。ペーパーランチボックスを開くと、サンドイッチが入っている。
「みかんサンドだ」
千早が嬉しそうに笑う。手を伸ばした彼を、春海は素早く阻んだ。
「手を洗わないとダメです」
「ええー」
千早は不満げに唇を尖らせ、手洗いへ向かった。
春海はくすりと笑い、お茶を用意し始めた。スマホが音を立てたので、手に取る。LINEを開いたら、メッセージが飛び込んできた。
「にげて」
「薫さん……?」
何のことか尋ねようとしていたら、がさり、と樹木の鳴る音がした。
「!」
春海はそちらを見てはっとする。
「楽しそうだな、春海」
現れたのは、秋彦だった。ずいぶん痩せて、荒れた生活をしているのがよくわかる。
「秋彦さん……」
彼は、ふらふらとこちらに近づいてきた。反射的に、春海は後ずさる。
「今更、何の用」
「銀行にバレたんだよ、薫とのこと。左遷だよ……もう終わりだ」
秋彦が何か持っていることに気づき、春海はハッとした。ナイフだ。
「何する気?」
彼は何も言わない。周りには子供づれや、老夫婦がいる。巻き込むわけにはいかない。春海はごくりと唾を飲んだ。
「刺せばいいわ。それで気がすむなら」
秋彦が息を荒げ、こちらへ近づいてきた。ぎらりとナイフが光ったのを見て、春海はぎゅっと目を閉じる。誰かが目の前に飛び出した。
──え。
ドスッ、と重い音が響いた。鮮血が地面に落ちる。秋彦が目を見開いている。
「千早、さ……」
「嫌な色だな」
かすれた声で、千早がつぶやいた。そのまま崩れ落ちる。春海は悲鳴をあげた。