1-3 Itsuki 逃走
彼女――レンは、イツキの手を取った。決まりだ。レンは自分のことを信じてくれるようだ。
イツキは早速、レンに能力解除を頼んだ。
「じゃあ、早速だけど、レンの霧、解除してくんねぇ? このままじゃ、俺も力を出せない」
「…………」
しかし、レンは能力の解除を渋った。後ろをちらちらと伺いながら、「でも……」と呟く。
だが、二人に迷っている時間など無かった。
「っと、行き止まりか……」
「あ……」
イツキとレンは公園の中でも、最も見晴らしの良い小高い場所に行き着いた。柵の向こうは、少し切り立った崖のようになっている。
それを見て、レンは言葉を失っていた。今までで一番震えが大きくなり、それに共鳴するように霧の量も一気に増える。
イツキはレンにもう一度頼んだ。
「……レン、頼む」
「…………」
「レン!」
レンの震えが、小さくなった。ゆっくりと一歩柵に近づく。霧も先程より薄くなっていた。
前を向いたまま、レンは小さな声でイツキに話しかけてきた。
「イツキさん……」
「イツキ、で構わない」
「……イツキ……逃げれる?」
「あぁ」
「どこまでも?」
「逃げれるさ。俺を信じろ」
「…………」
「生きたいんだろ?」
「……!!」
イツキの最後の言葉を聞いて、レンは一瞬だけ息を呑み、それから意を決したような顔でこちらを振り向いた。
今度は、レンから手が差し伸べられる。
「生きたい……!」
霧が、消えた。
イツキは、スケボーを地面に置いて、レンの手をギュッと握る。
「決まりだな」
イツキがそう言うと、レンははじめて笑みを見せた。イツキの手を、弱い力で、それでも強く握り返す。
だが、イツキたちに安心している時間など、許されなかった。
「見つけたぞ!」
「!!」
後ろから突然、男の声が聞こえてきた。
振り向くと、何人もの黒ずくめの人間が、二人を取り囲んでいる。中には、銃器を所持しているものもいた。
イツキとレンは後ろにズルズルと引き下がる。背中に柵のあたる感触がした。
もう、逃げ場は無い。
「ずいぶんと長い鬼ごっこになったが、ここでゲームオーバーだな」
黒ずくめの一人が、笑うように口を歪ませた。その目は一瞬だけイツキを見て、再びレンに戻る。
「これはこれは、姫は騎士でも見つけたのかな? それで俺たちから本当に逃げられるとお思いで?」
レンは、せせら笑う黒ずくめをキッと睨んだ。
「あんたらなんかに捕まんないんだから!」
「ほぉ、言うようになったじゃないか、お嬢ちゃん。でも、いくら君でもこの数には勝てないんじゃないかい?」
リーダーらしき黒ずくめが右手を上げると、それを合図にしたように銃器を持つ黒ずくめたちが、こちらに照準を合わせてきた。リーダーも懐からピストルを取り出す。
イツキは小声でレンに話しかける。
「レン、お前、絶叫マシンはダメなタイプか?」
イツキの場違いな質問に、レンは呆れたような声を出した。
「は? 今はそんな話……」
「いいから答えろよ」
「……ちょっと苦手なくらい。乗れないほどじゃない」
「よし。じゃあ、俺が合図を出したら、そのとおりにしろ……」
「こそこそ何を話している!」
リーダーがイツキたちを睨みつけながら大声を出す。ピストルの照準が、レンからイツキに移った。
イツキは柵に手をかけ、意識を集中させた。狙いは二人を囲む、黒ずくめだ。
「こういうことだ!」
イツキが叫んだ瞬間、地面の砂が、一気に嵐のように舞い上がった。
彼が持つもう一つの能力、『念動力』だ。物理的エネルギーを起こして、外界に干渉する力。それにより、静かな公園に強い砂嵐が巻き起こり、黒ずくめたちの視界を奪う。
「な、こいつも能力者か!?」
リーダーの男が驚いて後ずさる。だが、そんなことに構ってなどいられない。
イツキはレンの手を握り返した。
「飛ぶぞ、レン!」
「うん!」
二人はそのまま、柵を飛び越えた。そのまま、重力に従って僕らは落下していく。落下した直後、何発か銃声が響いた。
イツキはレンの頭を抱え、今度は上に置いてきたスケボーに意識を集中させた。
(来い……!)
しかし、スケボーはなかなかやって来ない。如何せん、思った以上に距離が離れてしまったらしい。少しずつ、地面が近くなっていく。
それでも、イツキは諦めずに呼びかけ続けた。
(来るんだ……!!)
再び強く念じる。地面まで、あと数メートルも無かった。
ぶつかるかもしれない。一瞬だけ、不安が脳裏をよぎった次の瞬間だった。
――ギュンッ!
猛スピードで上から何かが落ちてきたと思った次の瞬間、二人は空を飛んでいた。
◆
「うー、危機一髪だったな」
そう言うイツキの右手は、ようやくやってきたスケボーをしっかりと掴んでいた。スケボーが空中をすべるように走る。
レンは、イツキにしっかりと捕まりながら、スケボーを見つめていた。
「念動力と遠隔念動力……、それがあなたの力?」
「そ。まぁ、なんでか遠隔念動力の方はコイツにしか使えないから、ちょっと使いづらいんだけどな」
そう、イツキは遠隔念動力をこのスケボー以外に使うことができない。今まで何度か試してはみたが、すべて駄目だったのだ。
その理由は、当の本人にすら分かっていない。
「さてと、この辺りかな」
しばらく飛んだあと、イツキは目的地のすぐ傍で能力を解除した。
そこは、閑静な住宅街だった。何軒か家が立ち並んでいる。
イツキはレンの手を引き、二、三分ほど歩いて、薄緑色をした壁の家の前に立ち止まった。
レンが家を見上げ、イツキに尋ねてくる。
「あの、ここは……?」
「俺の住んでるところ。まぁ、俺は居候だけど」
「居候?」
イツキの言葉に、レンは首を傾げた。
「イツキって、何歳なの?」
「今年で十六」
「……家族は?」
「いない。でも、まぁ、ここの連中もある意味『家族』なのかな?」
「……?」
再び、レンが首を傾げる。イツキは笑ってごまかした。
「とりあえず、ケガの手当てするぞ」
そう言ってレンの手を引っ張ったが、レンはなかなか動こうとしなかった。しきりに、二人が先程までいた公園の方向を見ている。
レンは不安そうな表情で、イツキを見上げた。
「追って来ない……?」
「追ってこれはしても、あんな物騒なものはもう出せないし、俺たちに危害を加えることもできねぇよ」
「…………」
イツキの説明に、レンは腑に落ちないとでも言いたげな表情をしていた。
どうやら、この町の『ルール』を知らないらしい。
「じゃあ、そのことを説明するってことも含めて、中に入るぞ」
「……うん」
まだ納得の行っていない表情のレンの手を引いて、イツキは家のドアを開けた。




