1-2 Ren 邂逅(後)
レンはこのとき、もう無我夢中だった。
黒ずくめの連中に追われるようになってから、どのくらい走ったのだろう。生まれ育った街を出てからどれほどの時間が経ったかも覚えていない。ほんの数日間のような気もするし、数ヶ月も経ったような気もする。
どちらにしろ、もう限界だった。
逃げる為に使った能力は、確実に十二歳の少女の体を蝕んでいた。足はもうフラフラで、力もろくに入らなかった。捕まるのも時間の問題だろう。
(……でも……)
レンはズボンのポケットに入っている棒切れを掴んだ。
捕まったら首を刺して死のう。レンはそう決めていた。
レンの『力』は危険だ。そして、黒ずくめたちは『力』を何かろくでもないことに使おうとしている。
(あんな想い、もうたくさん……!!)
黒ずくめがレンの『力』を手に入れるためにしたことが、レンの脳裏に強く焼きついていた。
あんな非人道的なことをする奴らに、ついていくことなどレンにはできなかった。
「くぁっ…………!」
頭の奥に鈍痛が走り、足がもつれる。転びそうになるのをどうにか耐えて、レンは再び走り出した。
(そういえば、お礼、言えなかったなぁ……)
右手に巻かれたハンカチを見て、先ほどのことを思い出す。
自分の傷だらけの手を見て、簡単な応急処置を施してくれた男の人。久しぶりに誰かと触れ合ったような気がした。
(あの人は、私の『力』を知っても、またあのように私に接してくれるだろうか?)
そんな疑問が脳裏をよぎり、すぐに自分で否定する。
(いや、無理だ。私の『力』を見れば、どんな人間だって…………)
「おっす」
「……って、ひゃあっ!?」
突然、先ほどまでレンの思考の中にいたはずの彼が、レンの隣を走っていた。いや、どちらかというとジョギングレベルである。私はこんなに遅かったのか。と、レンは軽いショックを覚えた。
が、すぐに、彼が自分を追ってきたことに疑問を抱く。
「……なんで?」
「あー、そっちに行くと、行き止まりだぞ。出口は逆方向だ」
しかし、レンの疑問をよそに、彼は急いでまくしたてるように言った。
そこで、レンの思考が一瞬停止する。
(……って、行き止まり!?)
何てことだ。これでは完全に捕まってしまう。レンの全身に嫌な汗が流れた。
しかし、今日一番の失態に焦るレンの横で、彼はとてものんびりとした口調でレンに話しかけてきた。
「あんた、逃げてんのか?」
「…………」
彼の質問に、レンは答えなかった。
しかし、彼は小さく肩をすくめただけで、すぐに言葉を続けた。
「……まぁ、いっか。じゃあ、も一つ質問な」
「…………」
「あんた、能力者?」
「っ!?」
「やっぱな」
彼はレンの反応を肯定と捉えたらしい。これは非常にまずい状況だった。
一体、自分の目の前にいるこの人は何者なのだろう。黒ずくめの奴らの中にはこんな人はいなかったと思う。では、新たな刺客だろうか。
そんな考えを頭の中で巡らせていると、彼は予想外の言葉をレンに言った。
「手、貸そうか?」
「……え?」
一瞬、レンは彼が何と言っているのか皆目見当もつかなかった。手を貸す? 彼は敵ではないということか?
戸惑う私をよそに、彼は言葉を続けた。
「あんたは能力者で誰かに狙われている。それでもって逃げてきたはいいけど、土地勘がなくて今んとこ大ピンチ。って感じなんだろ?」
「…………」
大当たりだった。生まれ育った街をこれまで出たことのなかったレンにとって、ここは全く知らない場所である。とにかく逃げることしか頭になかったせいで、この有様だ。これ以上一人で逃げることは不可能だろう。
彼の申し出はとても有り難かった。しかし、レンは見ず知らずの彼を信じきることができない。
「…………なんで?」
「ん?」
「なんで、そんなことするの?」
今まで逃げた場所では、こんなことは一度もなかった。全員、レンが能力者だと知ると近づこうともしなかった。誰も、手など差し伸べてはくれなかった。
すると、彼は本日二回目の予想外な言葉を口に出した。
「俺も能力者だから」
「……!?」
「俺もさ、逃げたことがあるんだ。能力者になってすぐに」
驚いた。彼とレンは同類だったのだ。
そして、彼も自分と同じような経験をしている。
「で、どうする? 俺の手を取るか?」
「…………」
「決めるのはあんた自身だ。生きて人生を謳歌するか、それとも捕まって利用されるか」
「…………」
彼はそう言ってレンに手を差し伸べてきた。けど、レンはその手を取るべきかまだ迷っていた。
ここで手を取れば、レンは死なず、奴らから逃げることもできるかもしれない。けれどもそれは、目の前にいる彼を巻き込むことにもなるのだ。
奴らが諦めない限り、レンの逃避行はいつまででも続く。
でも、レンはゆっくりと頷いた。
「……お願い、します」
迷っている暇はなかった。レンは奴らに利用されるのは真っ平だった。本音を言えば、死にたくもなかった。
レンが彼の手を取ると、彼はにっこりと笑った。
「了解! 俺、五十嵐イツキ。よろしくな」
「……小檜山、レン……」
◆
これが、いっちゃん――五十嵐イツキと、彼女――レンちゃんの出逢いだ。このときの彼は、この出逢いが彼と、そして私たちの運命を大きく変えようとしていることなど、知る由もなかった。




