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私の日記帳  作者: 枕木碧
1/1

1:入ってはならぬ

 ペンを持ちふと何を書こうかと思案する。

 ペンを上唇の上に乗せ、ペンの重心であろう部分でバランスを取り少し呻いてみる。声帯の振動が肌で感じられるほど低い音で、私は声を発している。

 しかしいくら呻いても、ペン先で消しゴムのかすを突いてみてもいい案が出るはずもなく、結局ペンを放り投げ万年床へ身を投げ出した。私の手から離れたペンは、うまく畳の上に刺さった。その姿は、垂直抗力を表しているようで、私は急いでペンを抜く。

 と、その時。

 私の脳裏にある情景が蘇ってきた。

 あれは私が中学生くらいの時だった。


 中学二年生の夏。

 私と私の数少ない友人四人とある日、外出をすることにした。

 私の住んでいた地域は緑に囲まれており、空気が澄んでいるところであった。要は田舎だったのである。取柄はそれしかなかった。現在もそうである。最近言っていないが……。

 その中でも、取り分け緑の深い場所があった。そこへ私たちは何かの探検隊の如く進んでいったのだった。

 森林のおかげで気候自体は涼しかったはずだが、あたりに響き渡る蝉の混声○部合唱によっていつも以上に暑く感じさせた。

 足元は、下草が一面びっしりと生えており、じめじめとしていた。動くたびに、下草が私の脛をかすめてひりひりとさせた。

 少し開けたところについたころ、下草に残っていた朝露によって運動靴は湿っており、その水分は脛の傷にしみて少々私の気がそちらに向くことがあった。

 探検隊といえど、目的がこれといってあったわけではない。名ばかりである。

 加えて、自分の住んでいる地域の山であったために大方の地形は知っており、新鮮さにかけていた。

 ただ、大人たちから行ってはならないと戒められている場所にはいったことがなかった。

 それまで行ったことがなかったのだから、私たちはよい子で言いつけを守っていた。しかし、その日はいつもより格段に暑く、私たちは冷静な判断をできなかった。というより、興奮状態にあったのだ。

 先ほどよい子などといったが、そこに近づかなかったのは実際のところ一見して入ってはいけない雰囲気が漂っていたからである。というのも、神社などでよく見るしめ縄で入ってはならない場所の入り口が封鎖されており、紙垂がそこから垂れ下がっていたのだ。

 その日もいざ入ろうというところで、私を含めた五人のうち一人が「やはりやめる」といった旨の言葉を発したのだった。その一声を待っていたかのように、後二人が同じようなことを言った。気が立った私は、「行く気がないものはいい」とそっけなく言ってしまった。

 結局、私とあと一人が残った。

 彼の名は、永山ながやまひさしといった。彼は、その場に残るだけあって変わった奴だった。風呂は頭から入らないと気が済まない。食事をする際、使いもしないのに箸を一膳に加えて一本ないと食べ物に手を出さない。フルネームで呼ばれないと自分が呼ばれたと認識しない。など、いくつか常人とは変わったところがあった。

 正直、私は彼のことがあまり好かなかったが、こういう時は少しだけ頼りになる奴だったと記憶している。実際、しめ縄を最初にくぐり先頭をきって歩いたのは永山だった。

 彼は終始無言で、必要最低限のことにしか口を開かなかった。

「おい、永山」

「……」

「おい、永山久!」

「何だ」

「この先どうなっていると思う?」

「さあ」

 いつもこんな具合で、会話が弾む弾まないの前に会話が続かないのだ。

 入ってはいけないとされていた場所に侵入してから、私はだんだんと心配になってきた。今まで暑かったはずなのに、急に寒気を感じたのだ。

「永山久。なんか寒くないか」

 すっかり張りのなくなった声で私はこう問うてみるもののさあ、と答えるだけだった。

 先に進めば進むほど、霧が濃くなり視界が悪くなった。

 寒さに加えて、あたりが暗くなってきた。先ほどまで忙しなく鳴いていた蝉の声も聞こえなくなった。いよいよ私の精神状態は危うくなってきた。

 私が崩れてしまいそうなのに比べ、永山は全く問題ないようだった。

「おい、永山久。お前はなんともないのか」

 しばらく彼は口を開かなかった。あたりには、草を踏みしめる私たちの靴の音しかしない。

「おい!」

 私が振り絞って声を発すると、永山は右人差し指の指先を上に上げその状態のまま彼の唇につけ、静かにするよう私に要求した。

 永山はふつうそのようなことをしない奴だったので、その時はさすがの私も静かになった。黙ったまま私たちは歩みを進める。そのまま永山は私に話しかけてきた。

「我々意外の足音が聞こえる気がする」

 私ははじめよく理解できなかったが、しばらくして別の足音が確かに聞こえることを私は認識した。何気なく永山の顔を除くと真っ青だった。それはまるで幽霊でも見たのではないのかと感じた。

「永山久、お前どうした」

 永山の動きが明らかにおかしい。機械じみていた。

「どうしたんだよ」

 私が再度問うと、彼は重々しい口を開いた。

「別の足音が聞こえるんだぞ……」

「だからなんだよ」

 永山は、明らかに震えていた。そして、歩みも早くなっていった。それに追いつくために私も歩幅を大きくした。

「だからどうしたんだよ。おい」

 しばらくの沈黙の後、永山はようやく言葉を発した。

「お前は見なかったのか。あれを……」

 いっている意味がわからず、私が黙っていると彼は続けた。

「俺は、さっき……心臓にナイフを身体と垂直方向に刺され死んでいる奴を見た。あの死体は新しかった。きっとまだ犯人はそばにいる」

 私は息をのんだ。それと同時に、私たち以外の足音が急に恐ろしいものに感じられた。

 生きるか死ぬかの緊張に耐えられなくなった私は、行き先もわからないまま走り出した。それに合わせて、永山も走り出す。

 私は日ごろ運動をしない子供であったので、すぐに息が上がり、内臓が、悲鳴を上げているのを感じた。それでも生きるか死ぬかである。無我夢中で走った。

 どのくらい走ったかはわからない。気が付くと、山を下りきっていた。

 その足で、私は永山と大人にその一連の出来事を話しに行った。案の定、私たちこっ酷く叱られたが、すぐに警察が動くこととなった。

 警察による調査は、二日にも及んだものの何の結果も得られなかったのだ。


 私たちが見たものはなんだったのか。あれは事実だったのか。今でも私は真実を知らない。

 私の住んでいる木造アパートの古い木で出来た天井をあおむけの状態で、私はそんな過去のことを思い出していた。窓からは、夏らしくない涼しい風がカーテンを揺らしていたのだった。


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