プロローグ
高校生になり二回目の夏が終わるころ。
俺こと常井亮太は、今まさに人生一大のビックイベントを迎えようとしていた。
思えば、これまでを振り返ってみると、自慢ではないが順風満帆な人生を歩んできた自信がある。
高校は県内でも有数の進学校に受かることができたし、入学してからも試験ではそこそこの順位を保っている。
スポーツに関しては水泳部に所属し、顧問の教師や面倒見の良い先輩たちに恵まれ、最近の県大会では入賞することもできた。
交友面に関しても校内はもちろん、部活などを通して他学にも友人は多い。家庭環境だって良好で、理解のある父母には感謝しているし、可愛い妹だっている。
うん、まさに順風満帆な人生を送ってると言えるんじゃないこれ。
さて、そんな俺が今から過去最大の試練を迎えようとしているわけだが――。
始業式が終わり、一般生徒たちは大半が午前中に帰宅する中、俺は一人屋上への階段をゆっくり上っていた。
この日のためにあいつに下げたくもない頭を下げ、夏休み中パシリのような扱いにも耐えたんだ……。大丈夫、絶対に上手くいくはずだ。特訓の成果を見せてやる……!
最後の階段を上りきると目の前には扉があった。
普段なら屋上の扉は南京錠がかかっているはずだが今はそれがないということは、どうやら既に彼女は来ているようだ。
建て付けが悪くなった扉をゆっくりと開くと、眩い日差しとカラッとした熱気が襲ってきた。
そんな中、手すりに寄りかかりながらMDプレイヤーを片手に音楽を聴いている少女。
長く綺麗な黒髪が浜風に揺られ靡いている姿がとても絵になっていて、声をかけるのを忘れ見惚れてしまっていると、彼女が俺に気づく。
「や、やあ、待たせちゃったかな?」
「ううん、私もさっき来たところだから。それで話って?」
「あ、ああ、うん、えっとさ……」
普段から仲が良いということもあり、彼女が自然と距離を詰めてくる。
いつもならそこまで意識しない距離ではあるが今日は勝手が違うわけで。
なにを隠そう、今から俺は目の前にいる彼女、水無月美奈に告白しようとしているのだ――。
「きょ、今日も暑いなぁ。いつまで続くんだろうなこの暑さ」
「確かまだしばらく続くみたいなことは言ってたわよ。ほんと嫌になるわよね」
「だ、だよなー。こんな暑いんだったらまだ夏休みでいいのにな」
って違う違う。俺が話したいのはこんなクッソどうでもいい世間話なんかじゃなくて。
「そ、それでさ……話なんだけど……」
「うん? なにか大事な話なんでしょう?」
言え、言っちまえ。なんの為に今日まであいつにいろいろと付き合ってもらったと思ってるんだ。
今日この時の為だろうが――。
「俺さ、実は前から水無月のことが、その、なんていうか……」
「ん? なに?」
「水無月のことが、好き、なんだ」
「えっ――」
「俺と付き合ってくれないか……?」
言えた! 言えたぞ!
なにが「あんたには告白なんて無理に決まってる」だよ。みたかこの野郎、俺だって告白くらいできるんだよ!
「……ごめん……」
「…………へっ?」
告白できたことに浮かれていて水無月の言葉の意味がよくわからなかった。
今、彼女はなんと言った?
頼むから聞き間違いであってくれ。
「い、今なんて……?」
「ごめん、亮太くん。私はあなたとは付き合えない」
「えっと、なんで……かな?」
「理由は……言えない。本当にごめんなさい」
今度は俺を見据えながらはっきりと。
その言葉が胸に突き刺さり、呆然としてしまう。
正直、告白さえすることができたら、水無月なら絶対オーケーしてくれると思っていた。
でも、現実にはそんなことなくて。
「……わかった。ごめんな、こんなこと言っちゃって。今日のことは忘れてくれ」
「あ、待って――」
その場にいるのが耐えきれなくて、水無月の言葉を最後まで聞かずに逃げるようにその場を離れた。
階段を勢いよく駆け下り、教室に置いた荷物もそのままに校舎を飛び出すと、校門の辺りで見慣れた少女に声をかけられる。
「あ、亮太、どうだった?」
「あっ……」
まるで、我が息子を心配するような表情で尋ねてくる女の子。
高校生になって色気づいたのか髪を明るい色に染め、ギャルっぽい小物を複数身に着けている。
中学までは優等生ってイメージがあったのにな。人はこんなにも変われるものなのか。
この少女こそが、今回の告白にいろいろと口出――もとい、協力してくれた幼なじみの一条さつきである。
「ねえ、どうだったの?」
もし、告白が成功していたのなら、さつきにドヤ顔で誇っていたことだろう。
しかし結果は惨敗。とても結果なんて言えるわけもなくて。
「うるさい!」
「ちょっと待ってってば! 亮太!」
「ついてくんな!」
なんだかんだ文句を吐きながらも今日までいろいろと協力してくれたってのに、振られたなんて言えないだろ……。つうか雰囲気で察しろ馬鹿。
さつきの制止を振り切った俺は、逃げるように全力で走り去った。
家に帰ると、母親が呑気にバラエティ番組を見ながらげらげらと笑っていた。
「ただいま」
「あら、おかえり。お昼ご飯は食べたの? カレーならあるけど」
「いい、いらない。もう今日は寝る」
この暑いなか全力疾走してきたこともあって身体は汗だく。
でも今はそんなことどうでもよかった。
この現実から目を背けたかった。
自室に戻り、ベッドに横になる。
「きっと今日のことは悪い夢だったんだ。だからきっと目が覚めたら――」
布団に包まってぎゅっと瞼を閉じ、無理やり眠りにつくことにした――。