第二章 二人の問題点 3
輸送船月守丸から大鯨へ戻ったストリンガーは、サオトメと操舵室でさきほどの会議の話をしていた。そして、その折にナオトの話になる。
「ところであの新人。なかなか使えそうですな」
「ああ。わしの目に狂いはなかったというわけだ。ただし耳だけな」
「ええ、耳だけは……」
二人はナオトのかけがえのない長所と、同じくらいの残念な短所を浮かべ、頭痛のタネがひとつ増えた気持ちになっていた。
照明が落ち、多数のモニターの光が唯一の光源である広さ一〇畳ほどの部屋に、三人の男女がつめていた。
ここはCIC。戦闘時における行動のすべてを、この狭い空間で行う部屋である。水上対空レーダー、射撃管制、通信、電子戦、ダメージコントロール、航法装置等々。様々な機器が並べられ、狭い部屋がさらに狭くなっている。
「射撃管制装置に問題なし。各種レーダーとのリンクも良好っと」
砲雷長のカツラはダブレット端末に記入しながら言った。
「水上対空レーダー、通信、ECM、他船とのデータリンクも良好ぉ」
レーダー・通信担当のサナダは、ぐるぐるメガネを掛けなおしながら報告した。
「……操舵、機関とのシステムリンクも大丈夫。これで本日のチェック項目終了っと」
システム担当のサオリはノートパソコンを、勢い良く打ち込みながら言った。
「よし、終わったから、お茶にしようや」
カツラはCICの隅にある戸棚から、簡易ティーセットを取り出し三人分のコーヒーを準備して彼女らに手渡した。
「ありがとぉ」
「サンクス」
二人はそれぞれ受け取ると、サオリは軽く冷まし口元へ、サナダは何度も息をふきかけてから口元へ誘導した。
「一息ついたな。ところでさ、二人から見てあの新人どう見える?」
コーヒーをすすりながらカツラは言った。
「そうね。素直でいい子だと思うわ。一生懸命だし、何かに夢中になるとすごい集中力を発揮する。ナナの暴力にも屈しない。見ていて元気になるわね。でも……」
この三人の中では、一番ナオトと話をしているサオリの、彼に対する印象は悪くはなかった。
「サクラはどう思う?」
「そうねぇ。……変な子よねぇ。どうやって持ってきたのか、彼の使っている音響解析ソフトは、今年配備されたばかりの最新のソフトウェアだったわぁ。普通は持てるはずないのに、興味はあるわぁ。でもぉ……」
「一体、どうやってそんな情報を知ったんだ?」
カツラは少々あきれた表情で言った。
「うふふ。乙女にはいろいろ秘密があるのぉ」
「そうかい。しかし、二人ともあいつに対してはいい印象だが、語尾に気になる単語があるな」
「あら、カツラはないの?」
「いや、俺も最後には、でも……がつくな」
三人は普段のナオトの行動を思い浮かべ、そして同時に首を振った。
「まあ、なんにせよ。カナコがスカウトしてきたんだ。まず間違いはないだろう」
カツラの言葉に二人は大きくうなずいた。
不思議なことにカナコには、人を見る目があるらしく、連れてきた人材はもちろん、産業スパイ目的の人間に対しても、その温和な瞳に似合わず、鋭く見分けられることができるのだ。
かく言う、カツラやサナダも彼女にスカウトされた口である。
船体の後部の大部分を占める機関室。そこは船の心臓部であるガスタービンエンジンが二基並列に並べられその間には、両エンジンから出る排熱を利用した蒸気タービンもあった。
ガスタービン特有の高い音が鳴り響いてはいるが、防音はしっかりとしているので、そのエリア以外に大きな音が漏れることはない。
少し離れた区画は工作室になっており、現在、二基あるエンジンのうち片方の一部を外し整備していた。最近調子が悪かったので、戦闘のない今のうちにチェックすることになった。
「すまんな二人とも。忙しいのに手伝ってくれて」
謝罪しつつも、手だけは忙しく動かしながらオダは言った。
「いいよ。気にするなって。なあカオ姉」
オリトは油まみれになりながらも、顔色一つ変えずにホースを取り外しながら言った。
「……うん。お父さんは、この船の機械全部を相手にしているから大変。私たちが手伝わなきゃ」
カオリは基盤を外して専用のコンピューターに繋ぎ、システムチェックをしながら弟に同意した。
「頬那美が導入されて一年になるが、どうじゃ?」
「試作機のくせにいい機体だよ。初期整備もあまり苦労しなかったし、各種火器との相性もいい。信頼性はもちろん、整備がしやすいようにしっかり考えている。戦闘後の整備もそんなに手間はかからない。推進力もかなり余剰しているから、改造したり装備の追加も余裕を持ってできる。贅沢すぎる機体だよ。これを設計した人間は天才だ」
「ほう、その年で贅沢と言えるか。しかし、その贅沢な機体のおかげで、わしらはメシを食っていることも忘れるでないぞ」
「そんな事わかってるよ」
オリトは笑顔でうなずいた。
「うんうん。カオリはどうじゃ」
「……オリトちゃんの言う通り、整備しやすいよ。可変スクリューと電磁推進器のハイブリッド機関の扱いやすさはもちろん、静粛性は群を抜いてるし、バッテリーも非常に効率がいい。もう言うことなんてないよ。でも、あまりに完成されすぎて少し寂しい」
カオリも手を休めることなく、声量は小さいがよく通る声で答えた。
「ほむほむ。整備しやすいといって、手を抜くことだけは許されんぞ。その機体に乗る人間がいる。その事は常に自覚するように」
「わかってるよ」
「……うん」
二人の姉弟はしっかりとうなずいた。
「よしよし。ところで、新人の若者はどうじゃ?」
話題がナオトの件に移ると、目に見えてオリトの表情が不機嫌になった。
「……とてもいい子。耳もいいし、素直。でも……」
「ふむ。オリトはどうじゃ」
「ふん。確かに耳はいいが、あいつはダメだ。まったく、カナコに目をかけてもらったくせに」
「……オリトちゃん。いつも同じこと言ってる。カナコがアラナミくんに気にかけているのがどうして嫌なの?」
いつもは感情の起伏が乏しいカナコが、珍しくいたずら心を表に出していた。
「べ、別にそんなんじゃない。あいつの行動が気にいらないだけだ」
「なにをそんなに怒っているんじゃ」
オダは首をかしげた。
「お、怒ってなんかない。あんな奴どうでもいいだけだ」
「……お父さん。オリトちゃんは、カナコにホの字なの」
「あっ、ちょっ……」
その瞬間、オリトの顔が赤い絵の具でベタ塗りしたかのようになった。
彼は気になるあの子が、他の見ず知らずの男と仲良くしていることを非常に気にしているのだ。
「ほう、そうかそうか。お前さんはストリンガーの娘っ子が好きか。こりゃあおもしろくなってくるのぅ」
こうしてしばらくの間、オリトは二人のオモチャになった。
出航して三日目。周囲に目印になるような島影はなく、それでも船団は水面をかきわけ、白い航跡を残し突き進んでいく。
大空は快晴にめぐまれ、初夏の太陽の光が直接、大鯨の甲板に降り注ぐ。
そんな中、二人の男女がモップを手に甲板清掃に勤しんでいた。
「ほら、さっさと終わらせて休憩するわよ」
不満な表情になりながらも、手だけはしっかり動かしながらナナは声を張り上げた。
「うん。こっちはもう少しだから」
決して狭くもない甲板はCIWS、速射砲、VLSが設置しており、より清掃作業を困難にしていた。
清掃開始から三時間。ようやく甲板の清掃が終わった。
「お、終わった……」
ナオトはヘトヘトになり、すでに乾いている所に座り込んだ。
「情けないわね」
呆れた表情でナナは言った。彼女の方はそこまで疲労はしていないように見えた。ただ額には汗がにじみ、ダブダブのシャツも乙女の汗を嬉しそうに吸い上げ所々透けている。
「そんな事言われても……」
ナオトはうなだれながら言った。彼は基本的にじっと座り、薄暗い部屋の中で耳をすませる仕事をずっとやってきた。そのため、太陽の下での肉体労働は苦手であった。
「ほら、休憩するなら食堂にしなさい」
そう言いながら、彼女は手を差伸べた。
その意外な行動にナオトは目を丸くして、その御手を見た。
「なに変な顔をしているの」
「い、いや、その……」
「勘違いしないでね。あんたのことまだ完全に信頼していないけど、そこそこ信用はしてるんだから。これはその証よ。わかった?」
ナナはそっぽを向きながら言った。
頬が赤くなっているのは、恥ずかしさからくるのか、それとも動いたことによる体温上昇によるものなのかは、今の彼にはわからなかった。
「あ、ありがとう」
ナオトは少し戸惑いつつその手を取った。その時、彼の頬も彼女と同様だったことは気付いていなかった。
「素直でよろしい」
ナナは笑顔で答えた。
彼女の引っ張る力を利用して、立ち上がろうとしたナオトだったが、うまく足腰に力が入らずバランスを崩した。さすがの少女も、彼の体重を支えきれず二人は派手に転倒した。近くに置いてあったバケツも巻き込み、両者に抗議するかのように、盛大に海水をぶちまけた。
「いたた。ごめん。だいじょ……っ!?」
甲板に仰向けに倒れ、背中に痛みが走りつつもナオトは顔を上げ、目の前の光景……いや、絶景に目を奪われた。
彼の胸元にナナの顔がうずくまっていた。心なしか下腹部の微妙な位置に、控えめながらも柔らかな感触が感じられる。
そして、彼の鼻腔には潮の香りに交じり、少女の可憐な匂いが深く静かに潜入を開始した。
「こ、これは、非常にラッキーだけど、マズイ。絶対にマズイ。どうすれば……」
「ちょっとなにするのよ。痛いわね」
不運なことに、現状を打破する大戦略を考え出す前に、ナナが目を覚ましてしまった。
彼女は今の状況がよくわからず、上体だけを上げ、目の前に広がった予想外な光景に驚きの目を浮かべた。
「あっ」
二人は異口同音した。瞳と瞳がばっちり合う。
「……な、なにしてるの、どきなさいよ」
「そ、そうしたいけど。動けないよ」
ナナの表情が赤くなっていく。異性が近くにいることへの気恥ずかしさからなのか、怒気からくるものなのか、本人にもよくわかっていないようだ。
一方のナオトの方は妙にドキドキしながら、目線を下げると目がビデオカメラになった。
重力によって大きく開いた首襟から、彼女の胸元が覗かせていた。
何度もいうが、ナナの胸は控えめであるが、しっかりと自己主張はしている。その双丘を覆い隠すように、水色の花柄模様のブラが丸見えだ。その僅かな谷間に向けて、顎から首筋を伝い流れ落ちる雫がなんと扇情的だろうか。
ナオトは危機的な状況を忘れ、脳内に映像を保存することに集中していた。
「なに見ているの?」
まったくごまかそうとしない彼の目線に気付いたナナは、その先を追うと、すぐに自分が恥ずかしい状態であることに気付いた。
「この、何見てるのよ!」
彼女は先ほどよりも真っ赤になり、涙目になりながら彼の左頬を平手打ちすると、すぐに立ち上がった。
数歩下がり自分の身体を守るように、胸の前で両手を交差させる。
「なに変な事をしようとしていたの!」
「失礼な。なにもしていないよ。脳内に映像を保存しようとしていただけだ」
左頬をさすりながら、ナオトは妙な誤解を解くため、変な事をしていないことを堂々と宣言した。
「余計悪いわ!」
「それに人としてなにより男として、そこに谷間があるのなら見てしまう。いや、見なくてはいけない。義務のようなものだと思うのだが、どうだろう?」
「確かに、なんかわかる気が……。って何言ってるのよ。このヘンタイ!」
「それはひどいな。それに、あっ……」
ナオトは言葉を呑み込み、再び目の焦点をある一点へ導かれる。
「な、なによ」
不自然な彼の行動にナナはさらに後ずさる。
「あ、いや。その透けているから、薄っすらと薄いものが、ね」
「えっ?」
ナナは自分の胸元へ見下ろすと、すとんと床が見えた。いや、確かにたっぷりと水分を吸い込んだシャツは透明性を増幅させ、ブラが外部に向かってその秘密のベールをあらわにしていた。
「きゃああ。このバカ!」
ナナは耳まで真っ赤になると、左手で胸元を隠しながら、ナオトの左頬に必殺の拳を炸裂させた。
「ぐえ」
彼はカエルが潰れたような声を出し、再び甲板へ沈み込んだ。
「ふん」
ナナはそれだけで、人が殺せそうな目線をナオトに向けると、早足で船内に入った。
「……怒らせてしまった」
彼は後頭部をかくと、道具の片付けに入った。これが終われば休憩だが、その後も彼女と一緒にしなくてはいけない作業が待っていた。
「さて、どうしよう……」
ナオトは気が重くなってくる気持ちを抑え、休憩後、彼女と集合するがナナは無表情に次の作業内容を説明した。
鉄拳が飛んでこないことに、少々不気味に思いつつも、彼は作業を開始するが、ここでも失敗を重ねていく。
ナオトは肉体労働がニガテなのだ。耳のよさは一流なのだが、それ以外はどうしようもなく不器用であった。
しかし、彼女は彼が仕事でヘマをしても、呆れるだけでフォローだけはしていた。まったく見捨てる様子のないことに、ナオトは首をかしげるばかりだった。