第一章 彼の耳はかなりいい 4
天井にはクレーンが二基待機していた。大きさから見て五トンくらいは持ち上げることができるだろう。
そして、その空間の真ん中に見慣れぬ機体が鎮座していた。その周りには足場が組まれており、三人の若い男女が水中戦闘機の機体の整備をしていた。水中戦闘機動を極めたような流線形。空中を疾走する戦闘機を水中に沈めたようなイメージだろうか。
少し上から見下ろしているが、この機体の推進器は二軸。噴射口には推力偏向ノズルが装備されており、旋回能力の高さがうかがえる。
「こっちよ。早くなさい」
ナナは階段を下りながら言った。
「この機体は?」
「水中戦闘機は知っているわよね」
「それはもちろん」
その歴史は短く技術革新は凄まじい。この惑星は八割以上が水であるため、海洋技術が進化するのは必然。戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、水中戦艦、水中空母……。
水中を跋扈する存在について、水中戦闘機が生まれたのは、ごく自然な流れであった。稼働時間が短い代わりに、高機動能力、攻撃力、柔軟な運用法。これを獲得した水中戦闘機は海戦にとって厄介な存在であり、制海権の確保を左右する存在にまでになった。
「この機体は前大戦末期にわずか四機しか製造されなかった試作機の一つ。他の機体とは一線を画す。正式名称は皇国海軍一八試局地水中戦闘機〈頬那美〉。そして、あんたが乗る機体よ」
「そんな機体がなぜここに?」
「さあ? よくわからないわ。もらってきたみたいよ」
「もらってきたって……」
ナオトは少々あきれた口調になった。まるで捨て猫を拾ってきたような口ぶりであった。試作機とはいえ、高価な軍事兵器の一つに変わりないのだが……。
階段を下りると、作業着を着た男女三人が近づいてきた。
「みんな紹介するわ。ってカナ姉は?」
「ああ、コクピット内にいるぞ」
整備員の中で唯一の男が機体を指差した。
どういうわけか、彼はナオトをずっと睨みつけている。
「ちょっと、カナ姉!」
ナナが大声を上げると、コクピットのハッチが開いた。中から青い作業着に真ん中のチャックを胸元まで開けたカナコが出てきた。思わず目線が柔らかく大きい双丘に行ってしまう。もちろんナオトだけでなく、整備員の彼も見とれていた。
もし仲良くなれたら、いい同志になれるだろう。
「あらあら、ごめんなさいね」
歩くたびに揺れるけしからん双丘を熱心に観察していると、さすがにナナの表情が不機嫌になっていく。
「どこ見てるの。このアホ二人組!」
慌てて目をそらす二人。ニヤニヤとこちらを見る作業着姿の女性二人。
「ほら、自己紹介するわよ。まずはあんたから」
「アラナミ・ナオトです。よろしくおねがいします」
ナオトは一礼する。拍手が起きる。しかし、整備の彼はやる気がなさそうにしていた。
「……じゃあ、最初は私から」
一番左側にいたメガネをかけた彼女が言った。年の頃は二〇代半ばくらいだろうか。黒い長髪をポニーテールに、黒縁メガネをかけてよく似合っていた。目は細く表情は乏しいので暗い印象を与えるが、けっして不快には思えない。
背はもちろん、ナオトより高い。
「……私はオダ・カオリ。頬那美の専属整備士。主に機関関係をしているわ」
か細いながらもよく通る声である。
「次はわたしだね」
真ん中にいたおかっぱ頭の彼女が元気良く言った。二〇代前半の少したれ目気味の愛想のある表情である。この三人のムードメーカーだろうか。その明るく存在感もさることながら、彼女も胸元が大きく外へ張り出すほどの持ち主であった。
背は少しナオトより高い。少しである。
「わたしはオダ・サオリ。頬那美の専属整備士。担当はシステム関係。ソナーもやってるから、調整したい時は言ってね。あっ、スリーサイズ聞きたい?」
いたずらっぽい笑みで挑発してきた。
「えっ、えと。お願いします」
ナオトは素直にうなずいた。そんな国家機密級の情報を教えてくれるというのだ。断る理由はまったくない。
「バカ! なにうなずいてるのよ。サオリさんもあまり悪ふざけしない」
「はいはい。てへぺろ」
サオリはまったく反省する様子もなく、片目をつむり舌を軽く出し自分の頭を軽く叩く。けっこう似合っていた。
「最後は俺だ。オダ・オリト。頬那美の専属整備士。担当は火器関係をしている」
むっとした表情で自己紹介した。二〇歳前後シャープな顔つき。目もきりっとしている。黒髪は短く切られワイルドに見える。
背は比べる必要もない。かなり高い。
ただ、やたらとこちらを睨んでいるのは気になるところであった。
「わかったと思うけど、わたしたちは三人姉弟なの。一番上がカオリ姉さん。わたしが次女ね。で、この無愛想なのが末の弟。あと機関長に父がいるわ」
カオリが簡単に家族構成を説明する。
「なるほど。その人にも挨拶をしないとダメですね」
「あら、君は大胆だね。会ってその日のうちに、娘をくださいって挨拶するの?」
「えっ! いやそういう意味では……」
ナオトは予想外のことに、思わず一歩引いた。
「なに、わたしと姉さん。どっちにするの?」
「いや、だから違います」
「わたしたち二人じゃないの。まさかオリトなの?」
カオリは期待がこもった瞳で二人を見た。
「ぜ、絶対違う」
ナオトは反射的に全力で否定した。
今日出会ったばかりのうえ、男同士だ。正直ありえない。
「やめてくれ、サオ姉。俺も全力全開で拒否だ。……整備に戻る」
オリトはきびすを返すと、頬那美の点検に入った。
「ごめんなさいね。愛想のかけらもない弟で。いつもはあんな感じじゃないんだけど、今日はどういうわけか、ご機嫌斜めね」
「仕方ありませんね、自己紹介を続けましょう」
カナコが提案する。
「自己紹介って、あたしたちはもういいでしょ。面接で会ったんだし」
カナコは嫌そうな顔をした。
「でも改めて自己紹介したいのです。私はカナコ・ストリンガー。頬那美の火器管制担当をしておりますわ」
カナコは満面の笑みを浮かべた。ナオトは妙に納得した。きっと恍惚とした表情で魚雷を撃つことだろう。
「ナナ・ストリンガー。頬那美の操舵主兼リーダーをしてるわ。戦闘中はあたしの指示には絶対服従よ。わかった? 頬那美のソナー担当のアラナミ」
「この機体に僕も乗るのか……」
「なに嫌なの? 嫌ならいいわよ。別に」
「いや、嫌じゃないよ」
「これでチーム頬那美のメンバーは全員紹介したことになるわね。これから長い付き合いになると思うけど、仲良くしましょ」
カオリは満面の笑みをうかべた。
「う、うん。よろしくお願いします」
「よろしく~」
「…よろしく」
「よろしくお願いしますわ」
「足だけは引っ張らないでよ」
サオリは元気良く、カオリは控えめに、カナコは丁寧に、ナナは釘を刺した。
「さて、あたしは報告することがあるから、ここを離れるわ。こいつにマニュアル渡しといてもらえる?」
「ええ、わかったわ」
カオリの返事を聞くとナナは格納庫を後にした。
「……やっぱり、まだ怒っているのかな」
「大丈夫ですわ。あの子、けっこう根に持つタイプだけど、面倒見はいいのよ」
「根に持つんだ……」
ナオトは前途多難な案件に頭が痛くなってきた。これから一緒に仕事をするのに大丈夫だろうか。
「さて鬼のいぬ間になんとやら。この機体について説明しますわ」
皇国海軍一八試局地水中戦闘機〈頬那美〉
第五世代型と位置づけられたこの機体は、電磁推進器と速度に合わせて変化する可変スクリューの組み合わせにより、最大水中速度七〇ノット以上に達する。火器はすべて機内のウエポンベイに収容することにより、水中速度の増速、雑音の大幅軽減に成功している。固定武装としては二五ミリニードルガンを一基。さらに大きな特徴として、近接格闘用のアームを搭載。敵艦に肉薄し船体を切り裂く武器まである。
ノイズメーカー、カウンターメジャーといった防御装置も充実しており、ソナーシステムも機体の各部位に分散配備することで、周囲からの音を拾いやすくなり、到達差異による音源元の特定に大きく貢献している。
「……かなりの重武装のうえ、高性能ですね。でも心強い」
「ええ、おかげで無法者の海賊たちを魚雷で撃沈した瞬間は、とても胸のすく思いがしますわ」
カナコはうっとりした表情になった。間違いなかった。彼女は真性の弩Sである。
「これほどの高性能な機体に、ソナーマンが必要なのですか? かなりいい機材を積んでると思うけど」
「ここ数ヶ月、オートソナーだけでは発見が難しい目標が増えてきているのです。いくら機械が進化しても、やはり人間の能力にはまだまだ到達できません。そこで、発見できなくなる前にプロのソナーマンを雇うことになり、そこに登場したのがナオトくんでした」
「そっか……」
カナコの言葉にナオトは思考をめぐらせた。
確かにここ数ヶ月、海賊の海中戦力に変化はあった。資金も乏しいはずの海賊に、かなり静粛性の高い機体が続々と現れ、海軍内でも危機感を募らせていた。それが民間では死活問題になるのは必然だろう。
「それで僕の席は?」
「一番後ろですわ」
ナオトは機体の周辺に組まれた作業台を上がると、コクピットを覗き込んだ。
「ほうこれは……」
中は意外とゆったりしていた。リクライニングシートとなっており、疲労を感じることなく作戦に集中できそうである。
直列三列。二席目と三席目は向かい合っていた。アナログ計器はほとんどなく、各シートの周辺にはいくつものディスプレイが並べられていた。さらにハッチの内側もすべてがディスプレイとなっており、かなりの情報を映し出せそうである。
「座席の構成は?」
「前から操縦席、ここはナナが座ります。次が火器管制、私の席ですわ。そして、最後がソナー席です」
一緒に上がってきたカナコが一つ一つ説明してくれた。
「ちょっと座ってもいいですか?」
「ええ。もちろん」
ナオトはソナー席に座った。
座り心地はよかった。足も伸ばせるようになっている。目の前にはやや大きいデスプレイが三つ並べられている。その下には小さなディスプレイが八つ。タッチパネルにもなっているのか、専用のペンもある。キーボードとマウスが一つずつ。左側の壁にはヘッドフォンが装備されている。
「どうですか。大丈夫そうですか?」
「システムを起動してもいいですか?」
「サオリさん。ソナーシステムを起動してもいいですか?」
「いいわよ。むしろどんどんしちゃって。好きなように調整して頂戴」
「大丈夫ですって」
「ならさっそく……」
ナオトは電源ボタンをおした。三つの大きいディスプレイと八つの小型ディスプレイが明るくなった。
最初にこのシステムを作った会社のロゴが出てきた。決して大きい会社ではないが、ことソナーシステムに関しては信頼のおける企業である。海軍時代でも同じ企業のソフトを使用していた。
「この企業のソフトならなんとかなるかも」
「よかったですわ。では、これをお渡しします」
カナコは辞書並みに厚さがある説明書を渡してくれた。それが四冊。ずっしりどころか筋トレができそうな重量である。
「規模は小さくても、マニュアルはこれくらいはあるか……」
「どうしましたか? 多すぎますか」
「いえ、むしろちょうどいいです。前はこれと同じものが二〇冊渡されたことがあるので、それに比べたら問題ありません」
ナオトはさっそく一冊目を選び、表紙をめくった。
「何か質問があれば言ってくださいね」
「……」
しかし、ナオトから返事はなかった。すでにマニュアルを片手にソナーシステムをあれこれいじくるのに夢中になっていた。