第一章 彼の耳はかなりいい 3
「……おめでとう。合格だ」
「では……」
「ああ。今日から民間警備会社〈アマテラスアーサー〉の見習いだ。これからの仕事しだいで社員へ昇格する。がんばりたまえ」
満面の笑みでストリンガーは迎えてくれた。不名誉除隊の履歴なぞ知ったことかと言わんばかりだ。
「おめでとうございます。ナオトくん。歓迎しますわ」
「ああ。これで我が社の戦力がアップできる。期待しているぞ。がははは」
ストリンガーは豪快に笑った。
「本来ならもう少し見極めたいのだが、今回は時間がない。だから見習いという形で乗船してもらう。だが何かあったら遠慮なく海に叩き落すのでそのつもりで」
サオトメの鋭い眼光が、メガネのレンズによって増幅され、ナオトにプレッシャーとして突き刺さる。
「善処します」
思わず背筋を伸ばして答えた。
「ふん。あたしはまだ認めていないからね。今回は社長命令だから仕方なく、一緒に仕事をするだけだから。もし船の中でも、なにかいやらしいことをしたら、サメのえさにしてやるわ」
相変わらずそっぽを向きながら、ナナはぶっきらぼうに言った。
「おい、ナナ。ツンデレはもういいから。仲良くしてくれよ」
「ちょっ、父さん。ツンデレじゃないわよ」
「じゃあ、そういうことにしておこう。ところで、アラナミ。なにか大きな荷物はあるのか? 家具家電とか……」
「いえ、このカバンだけです」
ナオトは足元に置いてあるボロボロのカバンを見た。中は数日分の着替えと小さな観葉植物が入っている。なにぶん部屋を追い出されたのだ。家具家電など持っていない。
「なら都合がいい。ギリギリまで待っていたかいがあったというもの。さっきのテストの結果を見る限り、掘り出し物かもしれない。ともかくよろしく頼むぞ」
「は、はい。こちらこそ」
ナオトは一礼した。彼らの言葉の端々から、なにやら焦っているように思えた。なんだかすぐにでも出航しそうな勢いである。だがその予感は早くも現実になった。
「よし、さっそく出航するぞ。時間がないので、モモイ。留守とアラナミの書類を頼む。なにかわからない場合は通信してくれ」
「はい。わかりました。海の精霊のご加護があらんことを。無事なる航海を祈っています」
メイド姿の事務員は立ち上がると、胸元に軽く右手をそえて言った。これは古くから伝わる航海の安全と無事を祈るおまじないであった。
あとから教えてもらったが、彼女の名前はモモイ・リナというらしい。
「ありがとう。よし、全員行くぞ。ナナ、彼の部屋の案内とその他の世話をすること」
「ちょっと待って。嫌よ絶対嫌!」
「反論は許さん。副長、出航の準備は?」
ナナの抗議を一切受け付けることなく、ストリンガーは次々と指示を出しながら歩き出した。
取り残されたナオトとナナ。
しかし、就職が決まった瞬間からいきなり出航とは。『急募』とはこのことだったのか。と妙に納得してしまった。
ちらっと、ナナの方を見ると、絶望的な表情になっていた。彼女と目が合うと心の底から嫌な表情に少女はなった。
ここまでされると、少し心が傷つきそうになる。まだ身体を見られたことを根に持っているようだ。こちらもソファに撃沈するほどの威力で殴られたのだ。それでチャラになってもいいじゃないか。という思いがナオトにはあった。
「はあ。ほら、行くわよ」
思いっきりタメ息をつかれると、ゆるりと歩き出した。
『こらナナ! 早く来い。もう出航するぞ』
ストリンガーの声が放送に乗って聞こえてきた。
「もう、ほら早く行くわよ」
ナナは駆け足でドックへ向かう。
「ちょ、ちょっと……」
ナオトの苦情もなんのその。彼女は完全に無視だ。仕方ないので、彼もカバンを持つと駆け足で追いかけた。
いくつかの扉をくぐると、広い空間に出た。
「こ、これは……」
目の前には一隻の船が、出航のときを待っていた。
全長は一〇〇メートルを超えているだろう。後部に艦橋がある。見た目は普通の貨物船に見えるが、艦橋を挟みこむように前後に二〇ミリバルカン・ファランクスが二基。七六ミリ速射砲が一門。艦首方向にあった。おそらくVLS(垂直発射システム)もあるだろう。
船体は黒。甲板及び艦橋は白。船底は赤く塗装されていた。
武装以外はありふれた船である。ボロではないが、少々古い型だ。
「これが、僕達が乗る船?」
「そうよ。我が〈アマテラスアーサー〉所属護衛船〈大鯨〉よ」
自信たっぷりにナナは言った。その口調からは誇りに満ちていた。
「じゃあ僕はこの船のソナーマン?」
「むっ、まあ、当たらずとも遠からずよ。行くわよ」
誇らしかった顔も、すぐに不機嫌な表情に戻ると歩き出した。
ナオトは首をかしげた。
あの言い回しはどういうことだろうか。しかし、いくら考えても答えが出るわけではない。もうどうにでもなれという気持ちで、彼は彼女の後を追いかけた。
「……けっこう、しっかりとしたドックだな」
屋根に覆われ、天井クレーンも完備。さらに、工作機械、発電機などが設置しており、かなり難しい修理もできそうだ。これが一個人の経営で所有できるのだから、資金は潤沢なのだろう。それとも、政府からの補助金か。
「こら、早く乗りなさい。もう出航するわよ」
「う、うん」
ナオトは艦橋近くに設置されたタラップから乗り込んだ。
「ほら、あんたも手伝いなさい」
「わ、わかったよ」
二人がかりでタラップを上げる。
「艦橋へ。タラップ収容完了」
ナナは船外にある電話機で報告をしている間に、ナオトは甲板周辺を見た。
艦橋から船首にむけて、三〇メートルほどのハッチカバーがあった。コンテナや荷物も輸送できそうである。その先には予想通り六四セルあるVLSがあった。
通信設備も充実しているようだ。火器管制レーダー、対空対水上レーダー、ECM装置、各種通信アンテナ等。艦橋の山頂は電子機器のジャングルの赴きがある。
やがて、船はゆっくりと動き出した。屋根つきドックを抜けると、コンクリートで護岸工事をした運河に出る。ここと同じようなドックが左右にもあった。そんなドック群を抜けると、ヨコスカの湾内に進入する。大小職種様々な船が行きかい、地上と同じように活気があった。
徐々にスピードを上げ、複雑に設定された浮標や標識にしたがい、外洋へのルートに針路を向ける。
本日の天気は快晴。風も穏やか。最高の出航日和であった。
「水中の次は水上か……」
ゆっくりすぎていく景色を見ながら、ナオトはついつい口に出した。前職では何も見えない艦内でずっと居たため、こうして外の景色を見るのは新鮮だった。
「あっ、まだこんな所にいたの」
いつの間にか姿を消していたナナが、声をかけてきた。
まだ自分の仕事内容もわかっていないのに、なんて言い草だろうか。さすがのナオトも少しむっとなった。
「今のところ、仕事もないから景色を楽しんでいたよ」
「ふん。すぐに忙しくなるわよ。ついてきなさい。あんたの部屋を案内するわ」
二人は重い扉を開け船内に入った。中は意外に広い。ただし潜水艦の二人分の幅もない廊下と比較したときではあるが。通路は艦橋を貫くように伸び、向かい側にも外へ通じる扉があった。左右はそれぞれ二つずつドアある。
そして、通路の中央には上と下へ繋がる角度のきつい階段があった。
「ここは食堂、洗濯室兼浴室。トイレになっているわ。このエリアが第一甲板、上は第〇一甲板で各自室。第〇二甲板は操舵室。この下の第二甲板はCIC、倉庫や工作室。第三甲板は機関室と格納庫になっているの」
「なるほど。じゃあ僕の仕事場はCICってこと?」
「……いえ、違うわ。まずは自室に行くわよ」
ナナの声が重くなる。ナオトは首をかしげるしかなかった。彼の仕事を教えるのが彼女にとっては気が進まないらしい。これが意味するところは……。
「君はこの船では無職なの?」
「はあ? 何言ってるのよ。そんなことあるわけないじゃない。あたしはこの船の攻撃オプションの中核を担っているのよ」
ナナは幸の薄い胸を張り、腰に手を置いた。すごい自信である。
「じゃあ、どうして僕の配属先のことになると、とたんに言いにくそうにするの」
「うっ、それは、その……。あとでわかるわ。今は言いたくない」
ナナは背を向けると階段をのぼる。釈然としないまま、ナオトもあとについていく。
第〇二甲板は第一甲板よりも多くの扉があった。それぞれの間隔は狭いが、左右で一○部屋はある。船長と副長の部屋はさらに上にあるらしい。
「この船に乗り込んでいるのは全員で一○名。それぞれ個室になっているわ。で、あんたの部屋はここよ」
案内された部屋は左舷側から二つ目であった。中に入ると当然ながら狭く、ビジネスホテルほどだろうか。
三段ベッドのうえ一つのベッドを、他の隊員と共同で使っている潜水艦に比べると雲泥の差がある。
室内はベッドと机、イス、ロッカーがあるだけのシンプルな配置だが、今のナオトには十分であった。
「大切に使いなさいよ。それからこの部屋の左側は物置だけど、右側はあたしの部屋になっているの。くれぐれも変なことして、安眠妨害しないでよね」
「変なことって何?」
「そ、それは……」
ナナは一瞬声を詰まらせると、すぐに顔が真っ赤になった。目を凝らすと頭から湯気が出ているのが見えそうだ。
「それは?」
「って、なに言わせようとしているの! このヘンタイ!」
ナナはそっぽを向いた。その姿にナオトは少しかわいいと思ってしまった。
「ほら、早く荷物置いて行くわよ」
「う、うん」
ナオトは荷物を置くと、カバンの中から観葉植物を机の上に置いた。一応戦闘する船なので、余計な窓はないが時間があれば外で日光浴をさせたかった。
「……あんた、その植物は趣味かなんかなの?」
「うん。まあね」
間違いではなった。潜水艦乗り時代からずっと連れまわしている。
「けっこう暗いわね」
「まあ、植物はこっちが裏切らない限り、それに答えてくれるからね」
「そう……」
軽口だったつもりだったが、彼女はなにやら深刻に受け止めているようだった。そこでふと、大切なことを聞くのを忘れていることにナオトは気付いた。
「僕のことはいいよ。ところで今回の任務はなに?」
「……ああ、そういえばまだ説明してなかったわね」
ナナは持っていたタブレット型端末を起動させると、今回の依頼内容を見せてもらった。全長三〇〇メートルを超える超大型輸送船〈月守丸〉。これを大和皇国から東人民共和国まで護衛するのが、今回の任務である。
それだけ見れば、ごくごく普通の護衛任務ではあった。しかし……。
船団の編成表を見ると首をかしげた。
護衛船は本船も含めて合計八隻。内三隻は月守丸が保有している会社の護衛船であった。残りはすべて外部からの雇われた船だ。
「……たった一隻のために、これだけの護衛が必要なのかな」
「それだけ輸送船が抱えている荷物が重要ってことでしょ。大和皇国の中でも大きい会社と、あちらの政府との直接取引。こんな重要な任務に参加できるなんて、この会社も有名になったものね」
ナナは誇らしげな表情で言った。
「うん。でも……」
「大丈夫よ。書類も不審な点はないし、積荷は合法の大型特殊工作機械。少し考えすぎよ」
「ならいいんだけど……。次はどこに?」
「他のところはあとでもいいわね。次はあんたの仕事を教えるわ。そこでソナー関連の機材があるから、マニュアルに目を通しておいて。あんたの腕にあたしたちの生死が掛ってるんだからね」
「うん。わかった」
二人は部屋を出ると階段をおりる。第二甲板は説明通り倉庫と工作室があった。その向かい側には分厚い特殊装甲で守られたCICがある。そして、その下第三甲板に到着した。船尾側には機関室に繋がる扉があり、その反対方向の船首側に格納庫に入る扉がある。
「いくわよ」
ナナは格納庫への扉を開いた。中に入ると予想よりも広い空間に出た。奥行きは約三○メートル。幅はこの船体ぎりぎりまで取っているだろうか。高さも五メートルはありそうだ。
「こ、これは……」