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第四章 殴りこみも、たまにはよし 2

 営倉室は船首付近にあった。そんな立派な物ではなく、ただの倉庫を営倉にしているのにすぎない。そのため、窓は当然なく、唯一の光源は天井からぶら下がっている裸電球一つだけだ。

 ナオトとナナはそれぞれ端に座り、時がすぎるのを待っていた。

 無言の時間が流れていく。

 落ち着かない気分にナオトはそわそわしてきた。特に意味もなく首や腕を回し気を紛らわそうとするも、長くは続かなかった。

 むしろ密室で、しかも若い男女が二人っきりの状況。世間的にまずくはないだろうか。

 そんな考えが浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返し、ナオトは平常心を保つのに多大なエネルギーを消耗していた。

「ああ、もう! 落ち着かないわね。こんなのあたしらしくないわ」

 何の脈絡もなくナナは立ち上がると叫んだ。あまりに突然だったので、彼は身体ごと驚いた。彼女は緊張したような表情で、大股でナオトの方へ歩く。

「えっ、その……」

 また何か怒らせたのかと思った彼は、思わず身をかたくした。

「ごめん」

「へっ?」

「今まで意地張っててごめん。ナオト」

 ナナは頭を下げた。あまりに予想外のことに彼は咄嗟に声がでなかった。

「……そんなことないよ。僕の方こそいろいろごめん」

「許してくれる?」

 ナナはちらっと上目遣いで言った。

「うん。もちろん。むしろ大歓迎だよ」

「……」

「……」

 奇妙な沈黙が流れた。その状況があまりにおかしくなり、二人は思わず吹き出してしまった。

「……くす」

「……ぷっ」

「あははは」

「わははは」

 しばらくの間、二人の笑い声が響き渡る。

「なんで、この一言がでなかったんだろう」

 目尻にたまった涙をふきながらナナは言った。

「まあ、言う機会もなかったからね」

 ナオトはこの五日間を振り返った。こうして二人きりでゆっくり話すこともなかった。

「そうだ、あいつ。リヒテンシュタインを殴ったじゃない」

「あれはつい……」

「すごいスカッとしたわ。でもごめんね。あたしの操縦がヘタくそなせいで……」

 ナナはナオトのそばに座ると、顔をふせた。

「それは違うよ」

「えっ?」

「確かに、ナナの操縦は荒くて乱暴で性格がよく出ているけど」

「おい」

 ナナはジト目になった。

「ま、待って。でも、きちんと先の先まで考えて操縦してることはわかるから。それに水中戦闘機歴そんなに長くないんでしょ?」

「まだ一年ちょいだけど……」

「一年!? 普通は一人前になるのに五、六年は必要な代物なんだから、十分素質はあるよ」

「本当にそう思ってる?」

「本当だよ。これでも一応元軍人なんだから。間違いなく軍だったらかなりいい線狙えるよ」

「そっか、よかった……」

 ナナは表情を緩め、少し頬が赤くなっていた。そんな彼女の安心に満ちた横顔に、ナオトは心臓が高鳴った。

こんな表情もできるのか……。

 いつも不満顔か怒りに満ちた顔しか見たことがない彼にとって、彼女の今の表情は新鮮であった。

「そういえば、ナオトって元軍人だったの?」

「あれ、僕の履歴書見てないの?」

「だって、あの時、裸見られてイライラしてたから」

「うっ、そ、それは……」

「もういいわよ。何度も殴ったしね。それでどんな艦に乗ってたの?」

「僕は元皇国海軍サブマリナーだったんだ」

 ナオトは不名誉除隊させられたことを話し、その後も職を転々するもうまくいかず、今にいたった経緯を話した。

「なかなか踏んだり蹴ったりな人生を歩んで来たのね。両親はどちらにいるの?」

「二人とも前回の戦争で死んじゃったよ」

「ごめん」

「いいよ。ナナはどうなの? お母さんは?」

「お母さんは、あたしが小さい時に死んじゃったんだって。ほとんど記憶にないんだ」

「そっか……」

「湿っぽいのはここまでよ。何かおもしろい話をしなさい」

「そんなの無茶ぶりだよ」

 こうして、二人の理解が深くなると共に夜もふけていった。


 航海七日目。

 太陽が十分に昇った頃、カナコは二人が入っている部屋の前に立っていた。

「これで二人とも仲良くなってくれてるといいんですけど……」

 彼女はラブコメ王道作戦がことごとく失敗に終わり、次の戦闘まで時間もないため、最後の手段として、今回のケンカを大いに利用し、二人を営倉入りさせたのだ。

 カナコは一抹の不安を覚えつつ、鍵を開け中を覗く。

「あら、まあ……」

 彼女は思わず微笑みを浮かべた。

 ナオトとナナの二人は寄り添うように横になっていた。両者とも穏やかな寝顔である。おまけに、妹の手が彼の服を握っているではないか。つい数時間前には想像できない状態だ。

二人同時に起こしたら、またケンカになりますわね。

 カナコは念のため、妹の方をゆさぶった。

「んっ……」

 妙に艶かしい声と共にナナは目を覚ました。彼女の目の前にナオトの顔があるが、妹は拳を振り上げることなく、ふっと微笑みすら浮かべるほどであった。

「おはようございます」

 カナコは少々驚きながらも挨拶をした。

「……あっ、カナ姉、おはよう」

 寝ぼけ眼だったが、徐々に眼に光がやどり覚醒した。

「って、あれカナ姉? えっえっ?」

 ナナは目の前にいる姉と横に寝ているナオトを交互に見ると、妹は慌てて二人から距離をとった。

「こ、これは違うの」

「あら、何が違うの?」

「二人とも眠くて少し離れて寝てたの。で、起きたらこの状態だっただけだから」

 ナナは顔を真っ赤にして言った。

「そう」

 カナコはニヤける口を手で隠すものの、目元はしっかり笑っていた。必死にごまかす妹に、心のS機関が揺さぶられる。

「何かすごい勘違いしてない? やましいことなんかしてないのよ」

「あら、わたくしは何も言っていませんわ」

「嘘よ。口は言ってなくても、目が言ってるもん。本当に違うんだから。……そうだ。ちょっと起きてよ」

 ナナは半ばパニックになりながら、ナオトを揺すり起こした。

「えっ、な、何?」

 さすがの彼も慌てて起き上がった。

「あたしたち、昨夜は何もなかったわよね」

「えっ、しただろ」

 その瞬間、ナナは全身を凍らせた。カナコも目を丸くした。

「気持ちよかったでしょ? あれ、それとも痛かった?」

「い、嫌あああ」

 ナナは涙目になり頬どころか顔全体が真っ赤になると、走って部屋を出て行った。

「どうしたんだろう? あれ、カナコくん。おはようございます」

 ナオトはようやく、こちらの存在を知り律儀に挨拶をした。

「おはようございます。ところでナオトくん。昨夜はナナと一体ナニをなさったのですか?」

 さすがのカナコも頬を赤くしながら言った。

「えっ、マッサージですけど」

「へっ?」

「いや、僕がマッサージの仕事をしてたのを話したら、やってくれと言われてマッサージしただけですけど」

「マッサージですか、なるほど……」

 カナコは力が抜けた口調になった。どこか残念ともほっとしているように見えた。

「えっ、僕、何か変なこと言った?」

「いえいえ、大丈夫ですよ。たぶん。あっ、そうです。現時刻を持って営倉は終了しました。現在〇九〇〇時。あと六時間後には作戦開始です。それまでに機体の整備を完璧にするようにと、船長からの命令です」

「わかりました。でもナナはどうするのですか? 彼女はどっか行っちゃいましたけど」

「たぶん自室でしょう。ナオトくんが迎えに行ってください。わたくしは一足先に格納庫へ行っております」

「わかりました」

 ナオトは走って彼女のあとを追いかけた。

 カナコも格納庫へ行こうとして鉄の扉の前で停止した。

「出てきてください。サオリさん」

「あれ、バレてたか」

 舌を出しながら物陰からサオリが出てきた。

「先に言っておきます、余計なことは言わないでくださいね」

「へいへい、了解。余計なことは言わないわよ」

 二人の目が合うと、目だけは笑っていた。


 自室に引きこもったナナを、説得することに成功したナオトは二人で格納庫に入った。すでに整備三姉弟とカナコが機体に取り付き整備の真っ最中であった。本作戦の影の主力である。念には念を入れての作業だ。

 二人も合流して整備を手伝い、昼前には完璧な状態となった。

「それじゃ昼にしましょうか」

 サオリの案により全員で食堂に入った。本日は決戦前ということで、豪華なビーフステーキであった。すでに席にはカツラやサクラ、オダまで座っていた。三人とも目をニヤけながら、ナオトとナナを見ていた。

「どうしたんだろう?」

「さあ?」

 事情を知らない二人は戸惑うばかりである。

 そして、両者が向かい合わせで座ったところでカツラが、

「おめでとう二人とも」

「幸せになってねぇ」

 サクラも追従して拍手をした。さらに周囲も生暖かい目線だ。

「ちょっ、ちょっと一体何の話ですか」

 思わずナナは立ち上がった。

「何って二人は昨夜、気持ちのいいことしたんだろ? ならそういう関係になったってことだろ?」

 カツラはニヤニヤしながら言った。

「なっ、ななな……」

 ナナは顔を真っ赤にすると、カナコの方を睨みつけた。

「わたくしは何も言ってませんわ。たぶん、サオリさんでしょ」

「あっ、ちょっと」

 いきなり確信をつかれたサオリは、動揺を隠すのに失敗してしまった。

「サオリさん。一体何言ったんですか」

 彼女をジト目でナナは問い詰めた。

「わ、私は何も言ってないわよ。ただ、昨夜二人で気持ちのいいことをしたらしい。って言っただけよ。それを勘違いしたのはカツラよ」

 思わぬフリにカツラは冷や汗が出る。ナナの拳が激しいのは、誰もが知っているからだ。

「もう! 何もないわよ。みんなが考えているような、エッチなことは何もしていないわ。ただマッサージをしてもらっただけなの!」

 ナナは顔を真っ赤にして、無実であることを訴えた。

「それは本当か?」

 カツラの目線がナオトに向けられた。

「本当です。マッサージしかしてないよ」

「ああ……なんだ」

 食堂にがっかり感がたちどころに支配した。

「な、なに。この空気!?」

「いや、そっちの方が盛り上がったんだが……」

「残念じゃ……」

「ちょっ、機関長まで」

 珍しくオダまでこの空気に乗ってきたことに、ナナは逆に驚いた。

 すると船内を揺るがしかねない足音と共に、ストリンガーが食堂に入ってきた。その表情はどこかうれしそうだ。

「ウチの娘がにゃんにゃんしたというのは本当か?」

「ちょっと、父さん! そんな変な言い方しないでよ」

 ナナは顔どころか全身が真っ赤になった。

 そして、事情の知ったストリンガーは、肩を落として食堂をあとにするのだ。

「あの乱暴娘に、ついに婿になる変人が居たのかと思っていたんだが残念だ」

「父さん! なんなのそれ」

 しかし、ナナの抗議はまったく届かなかった。

「……これから際どい作戦が始まるのに、まったく緊張感が見られないけど」

 ナオトはカナコに向けて小声で言った。

「そうですわね。でも、これが我が社の社風です。おとなしく染まってくださいね」

 カナコはいたずらっぽくウインクした。


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