伝説の料理人
地を焼く砂漠にて、ひもじさに倒れる男が一人。
水を、食料を、と、お天道様に手を伸ばすも、神も仏もどこにも居らず。
天はただ無慈悲にさんさんと輝き、男の身体を衰弱させていく。
――苦しい、死んでしまいそうだ。
流れる汗すらとうに尽き、もはやこれまでかと男が諦めかけた時であった。
ざ、ざ、と、砂を踏みつける音がどこからか聞こえた。
最早顔を上げる力すらない男は、薄れ往く意識の中、最後の力を振り絞り、声を上げる。
「はら、へった――」
「金貨二枚になります」
それは女の声であった。
「もごっ――」
そうと解った時には、口の中に何かを放り込まれていた。
失せかけていた意識が強引に引き戻される。口の中に広がる甘酸っぱさ。
乾ききった舌を、瑞々しい何かが濡らしていく。
「げっ――げふっ」
突然の事に、男はむせてしまった。
だが、折角の水分であった。
とっさに口元を押さえ、吐き出すのだけは防いだのだが。
「人からの施しを食べてむせるとか失礼な男ですね」
なんとか半身を起き上がらせた男の前に、気の強そうな釣り眼の、赤髪の歳若い娘が立っていた。
背には大きめのリュック。旅人とも思えないが、この暑さの中平然としていて汗一つかいていない。
男の危機を救ってくれたのはこの娘らしいが、どうにもあまり機嫌がよくないらしいのも気がかりな点であった。
「こんな事なら見捨てればよかったかしら?」
ぼそぼそと呟く言葉はどうにも剣呑である。
「いや、おかげで助かった。死ぬところだった」
口の中の水分をいくらか転がして飲み込むや、男は顔を上げる。
なんとか声が言葉になる位には喉が潤っていた。
「そうですか。まあ、いいですけど」
娘は笑いもしない。
元々あまり愛想の良くない娘なのかもしれないが、どうせ指摘しても怒らせるだけだろうからと、男は黙っていることにした。
折角の命の恩人なのだ。機嫌を損ねる事もあるまい、と。
「はい」
そうして、娘は手を前に差し出す。
「ん? ああ、ありがとう」
顔は不機嫌そうだが、親切な事に起き上がらせてくれるつもりらしく。
男はありがたく好意を受けることにした。
まだ一人で立ち上がるには辛かったのだ。
「えっ? ちょ、何やってるんですか!?」
「うぉっ!!」
だが、男がありがたがりながら娘の手を取ると、娘は急にびくりと震えて手を振り払ってきた。
そのままバランスを崩し、男はまた砂の上に顔面から落ちる。
「全く……油断も隙もない!! いきなり若い娘さんの手を掴むとか何様ですか!?」
どうやら親切で手を出した訳ではなかったらしく、掴まれた手を胸に庇って、一歩引いていた。
「てて……乱暴な娘だな。てっきり起こしてくれるのかと思ったのに」
「大人の癖に何甘えたこと言ってるんですか。死にそうだったから助けてあげたのに、まさか手を掴んでくるなんて」
とんでもない勘違いだわ、と、娘はぷりぷり怒っていた。
なんとも感情的な様子だが、男は何故彼女が怒っているのか解からない。
「助けてあげる前に言ったじゃないですか。金貨二枚って」
「……言ったか?」
正直記憶になかったので、男は首を傾げてしまった。
「まあ! 命が助かったと思ったらお金を惜しむなんて!! 言っときますけど、一枚たりともまかりませんからね!!」
そうして更に熱が入る。
だが、娘の言葉に、ここにきてようやく男は状況が飲めてきた。
行き倒れていた自分を助けてくれたのはこの娘で間違いないだろう。
口に何を放り込まれたのかは解からないが、それを飲みこんだだけで起き上がれるだけの活力を得られた。
そうして彼女は、自分に金貨二枚を要求してきた。
元々そのつもりで、というより、彼女は先にそれを告げてから助けたらしいので、無言を承諾と取ったか、無意識に承諾してしまったのか。
いずれにしても命を救われたのだから、この支払いを無視するのはとても失礼に違いない。
その『とても失礼な事』をしてしまった為、この娘はこんなにぷりぷりと怒っているのだろう、と。
「いや、すまなかった。少し混乱していたのだ。助けてもらったんだ、当然謝礼は支払うよ」
「当たり前です。こんな誰も通らない砂漠の中、命が助かっただけめっけものなんですから」
幸い、金貨二枚なんて額はこの男にとってはした金みたいなものだった。
懐から金袋を取り出し、手を突っ込んで適当に取れた分だけ取り出す。
「色々失礼な事もしたようだし、少し多めに渡しておくよ」
そうして娘にそれをそのまま渡す。
小さめの金貨七枚ほどと、指先ほどのルビーの原石が三つほど。
原石は街に持っていけば宝石商や加工職人にかなりの額で売れるはずなので、全部あわせれば金貨五十枚分位のお礼になる。
これでも命の対価としては安すぎるくらいであった。
「いや、二枚で良いですよ」
だが、娘は二枚だけ取って後をまた男に返そうとした。
男も金袋はしまってしまった後だし、と、困ったような顔をする。
「取っておいてくれ。君には二枚程度の価値でも、私にとってはそれ位の価値があったんだ」
「そうですか」
一度断りを入れると、娘は納得したのか、それとも最初からさほど気にはしていなかったのか、すぐに引き下がりスカートのポケットにそれをしまいこむ。
「ふふっ、儲けちゃった」
さっきまで不機嫌そのものだったのが、今ではもう可愛らしい笑顔になっていた。
「君は、なんでこんなところに? ああ、私は宝石商をやっていてね、名をベイクという」
「ライチって言います。ただのすごい料理人ですよ」
なんとも矛盾した説明だった。
「料理人がなんだってこんな砂漠に?」
「食材は自力で集める派なんです」
「なるほど」
実に理にかなっている、とベイクは納得できてしまった。
「私も、宝石は自分の足で買い集めたものじゃないと納得行かない主義なんだ」
似ているな、と、にかりと笑ってしまう。
「しかし、こんな砂漠に食材を? とても食えるようなものはないと思うんだが」
軽くあたりを見渡すが、当然辺りに生えているのはサボテン位で、それ以外は悲しいほど砂に塗れている。
大体そんなものがあるならまず自分が真っ先に喰って飢えをしのいだはずだ、と、ベイクは顎に手をやるが。
ライチはにやりと口元を歪ませていた。
「全く、これだから素人は」
すごい上から目線であった。
歳で言うなら父と娘位に離れているはずなのだが、彼女の何かがそんなものを無視させているらしかった。
「この地方の砂漠って、実は砂の層がそんなに深くないんですよ。だから、砂の下に埋まってるものが容易に掘り起こせるんです」
「骨とかかね?」
冗談めいて言ってみたが、ライチはコクコクと首を縦に振る。
「そう!! 骨です。この骨が結構重要でして」
確かにベイクも獣の骨を使ってスープのダシを取るという技法は聞いたことはあったのだが。
それにしたって、わざわざ砂漠にきてまで骨をどうこうする必要はないんじゃないかと思ってしまう。
「まあ、骨そのものは別に料理に直接は関係ないんですけどね」
そうして肩透かしを食らってしまった。
「関係ないのか。何だったんだ一体」
「この骨、一昔前までこのあたりに住んでいた獣のモノなんですけど、これがとても貴重な品で。この獣の骨にしか寄生しないものがあるんですよ」
「骨に寄生してるもの?」
「キノコです。『パステート』って言うんですけど、これが絶品でして。煮て良し、焼いて良し、乾燥させてお茶にしてもよしと、すっごいキノコなんです!」
砂漠でキノコというのはあまり縁のない話だと思っていたが、なんとも不思議な組み合わせだな、と、ベイクは興味をそそられた。
何せ聞いた事もない名前のキノコである。どんな味なのか気になってしまう。
「いいなそれは。食べてみたい」
「金貨七十枚ですよ」
強気の値段だった。ライチは笑う。
「構わんさ。それ位の価値はあるのだろう?」
自分の命の三十五倍の価値もあるキノコと聞けば、余計に食べたくなるものだ。
彼は、興味の向いた物に関しては金を惜しまない男であった。
「いいでしょう。では街に戻りましょ。ご馳走しますよ!!」
にやりと笑うライチに促され、彼は――とても死の間際に陥っていたとは思えない程に――生気に溢れた顔で歩き出した。
どうにかして最寄の街についたベイクは、ライチに案内されるまま、旅籠の厨房へと入る事になる。
料理人であるライチは当然ながら、なぜかベイク自身も白いエプロンに調理帽という料理人スタイル。
最初からいた旅籠の料理人は哀れライチに追いやられ、部屋の片隅でアロエの皮むきをさせられていた。
「まず、パステートの生えた骨を用意します」
ごろん、と、彼女の背負っていたリュックから三本ほど、灰色に染まった『それ』を取り出す。
「……なんか、やな色だな」
骨に腐敗を感じるのは矛盾している気もするが、ベイクには、どこか悪くなっているような色合いが気になってしまっていた。
「何を言いますか。この灰色が良いんです。全体をパステートに覆われてて良い感じ」
スンスン、と骨の匂いを嗅ぐライチ。そうして満足げに頷いていた。
「うん、良い匂い。獣の骨って結構臭いはずなんですけど、パステートに覆われた骨はすごく良い香りなんですよ。お香なんかと間違えそうなくらい」
嗅いでみますか? と、ライチが骨を差し出す。
ただ何もなしにそう言われて寄越されたら顔をしかめるだろうが、あらかじめライチがそれをやってからなので、そういうものなのだろうと信じて、ベイクも匂いを嗅いでみる。
「おお、これは――」
「良いでしょう?」
「ああ。こんなに良い香りのキノコは初めてだ」
彼も宝石商として近辺を旅していたはずだが、こんなかぐわしい香りは初めてであった。
ましてこれが食材だなどと、誰が信じられたものか。
「まあ、パステートが食べられてるのってここから遥か北にある大国だったりします。どうしてそんな遠い国の宮廷料理にパステートが使われてたのかは謎なんですけどね」
その辺は歴史学者じゃないので解からないですが、と、すまし顔で説明するライチ。
「まあ、とにかく作っちゃいましょう。ちゃちゃっと炒めますね」
「そんな貴重な食材をそんな適当に調理して良いのかね?」
苦労して砂漠を歩いていたのだろうに、随分と大雑把な調理法で思わずベイクも噴き出してしまった。
「いいのです! 美味しい食材は間違った使い方さえしなければ適当にやっても素材の味が活きるのです!!」
料理人の言う言葉だけに含蓄があった。
素人なベイクには反論できない。
「……というより、ここの調理器具だとしょっぱすぎて、素材の味を活かせるのが炒め物くらいなんですよね。この鍋、火力だけは出せますから」
つまんない器具ばかりそろえよってからに、と、恨み言を呟く。
隅っこでアロエを剥いていた料理人がびくりと震えたのは、見なかった事にした。
「はい! できました!! あつあつの内にどうぞーっ」
「おおーっ」
調理は実にすんなりと進んだ。
さすが自称『すごい料理人』だけあって、骨からキノコを削ぎ取るのも一瞬だし、スイカや牛肉を刻む時などはその手の動きが視認できないほどであった。
そうして出来上がった炒り飯は、見た目こそ灰色がかっていて今一だが、その香りたるや、生のままより更に強くなって厨房に蔓延していた。
「すごいな……火が通るとこんなに香るのか」
「ふふん。『砂漠の香木』って言われるくらいですから。でも、味の方もすごいですよ。さあ食べて食べて」
話してる時間すらもったいないわ、と、せかしてくるライチに苦笑しながら。
ベイクはその灰色の炒り飯をスプーンに取り、一口頬張る。
「――これはっ」
思わず声が出て、そしてそれ以上は続かなかった。
絶句。ただひたすらに絶句。口の中に広がる芳醇。
とても砂漠の下に眠っていたとは思えぬ緑豊かな味わいが、そこにあったのだ。
たまらずもう一口。更に一口。
むせてしまう。喉にも詰まる。だが気にしない。一心不乱にかっこんだ。
ライチが笑っていることなど気にもかけない。
厨房隅から、気になって仕方ない様子の料理人がこちらを窺っているのも無視した。
ベイクはただひたすらに、皿の上の灰色のソレに夢中になっていた。
木の皿まで舐め取る勢いで完食したのは、それから数分後。
なんとも夢のような、素晴らしい味わいだったと、ベイクは感嘆していた。
「美味しかった?」
そうして、彼はようやく気づくのだ。
まるで母のような優しい表情のライチに。
自分が、何かを言うのも忘れ、夢中になりそれを食べていた事に。
「――はぁっ」
息をする事すら忘れていた。ただ、食べたいという気持ちばかりが先走っていたのだ。
「美味しかった。こんなに美味い炒り飯は初めてだ」
「当然です。私が料理したんですから」
すごいでしょう? と、ライチは自慢げだった。
「ああ。すごいな。君はすごい料理人だ」
食材そのものは、パステート以外は何の変哲もない炒り飯の材料である。
スイカは水気が強いので扱いが難しいと言われているが、ライチは器用に水気を飛ばし、それでいて食味を殺さないよう工夫しているらしかった。
素人のベイクには解からない事だらけだが、ただパステートが入ったからこうなったのではなく、恐らくは彼女の言うとおり、その技術あってこそのあの美味なのだろうと納得できていた。
「貴方は中々見る目があるわ。『骨から取れたキノコなんて』って気味悪がる人も多いのに。だけど、貴方は食べてくれた」
それが嬉しいのだと言わんばかりに、ライチはにっこり微笑む。
「私はもうこの街に用はないけど。もしどこかで会ったら、また何か食べさせてあげましょう」
この上から目線ももう気にならない。
彼は、既に彼女の虜になっていたのだ。
「ああ、『また』会ったら頼むよ」
そんな偶然に頼るつもりはないが、と。
彼は、彼女を追う気マンマンであった。
その後、部屋の隅でアロエの皮むきをしながら一部始終を見ていた料理人は、「あんな食材もあるのか」と驚き。
一念発起して宿の看板メニューを一新。
これが大当たりして、街の名物料理として大きく成功する事となる。
後の世に末永く名を残す『伝説の料理人』の、やや遅めの始まりのエピソードであった。