第九話 真夜中の大騒動
胸のあたりに感じる、圧倒的な柔らかさ。俺の身体を丸ごと挟み込んでしまうかのようなそのボリュームに、心拍数が上がってしまって全く眠ることができない。さらに長い髪の毛から漂うシャンプーの匂いが鼻孔を刺激し、もはや妄想がとどまるところを知らない。
俺は結局、今夜はユキノさんと一つのベッドで寝ることになった。割と大きなベッドだったのでまくらを二つ並べても落ちるようなことはないが、さすがに離れて寝られるような余裕はない。その結果、俺とユキノさんの身体は密着しているのだが……このざまだ。この人、中身がオタクな割に身体はいろいろ限界突破している。特に今俺を悩ませてる膨らみとか、間違いなく三ケタ級の破壊力だ。
こうして俺が眠れない夜を過ごしていると、外から何か声が聞こえてきた。野太い男の声で、何やら盛んに叫んでいるようだ。
「なんだ、こんな夜中に?」
そう言いながら俺が起き上がると、ユキノさんもうーんと唸りながら瞼をこすり始めた。どうやら、男の声で目が覚めてしまったようだ。
「うるさいな……タカハシ、まさかアニメでも見てるのか? いくら今日が図書目録の放送日だからって……」
「いえ、違いますよ! 外からです」
「外?」
ユキノさんはベッドから起き上がると、すぐに明かりをつけた。そしてそのまま窓のそばへと駆け寄り、カーテンを開ける。すると村の中心部へ向かう一本道を、明かりを持った人影がゆっくりと進んでいた。どうやら、彼らがさきほどの声の主のようだった。
「行ってみるか」
「ええ!」
俺たちは上着を羽織るとすぐに部屋を飛び出した。他の宿泊客もすでに何人か起きだしているようで、宿の中はあわただしい雰囲気になっている。俺とユキノさんはなんだなんだと騒ぐ人の合間をすり抜けて玄関を出ると、そのまま一直線に明かりの方へと走った。
明かりの周りにはすでに人だかりができていた。電灯を手にした野次馬たちが、ワアワアと騒ぎ立てている。その隙間から人影の方を覗き込むと、彼らは五人組の冒険者だった。皆酷い重傷を負っており、きている服が赤く染まっている。そのうちの一人は意識すらないようで、仲間二人に担がれている状態だった。
「ユキノさん、あれは……」
「おそらく、オーガの巣に夜襲をかけたんだろう。連中は魔物にしては珍しく昼行性だからな。しかし、あのざまだと失敗したらしい」
目を細め、険しい顔をするユキノさん。俺もまた額にしわを寄せ、冒険者たちの方を見た。その視線の先で、彼らは再び声を張り上げる。
「助けてくれ! 誰か、医者を!」
「は、早く!」
「お願いだ、礼ならあとでする……!」
口々に助けを求め、周囲の人間たちに乞いすがるような視線を送る冒険者たち。しかし、その場に集まった者たちは、憐みの視線を彼らに向けることはあっても、誰一人として手を差し伸べようとはしない。むしろ、彼らと関わることを恐れてさえいるようだった。
俺は思わずこぶしを握り締めた。ゲーム時代にアークナイトという剣士系最上級職をやっていた俺は、自己回復はある程度あるが他者を回復することができる回復スキルをほとんど習得していないのだ。しかも、ゲーム時代に比べて回復スキルは総じて効果が下がっている。
「ユキノさん、回復スキルは使えますか?」
「駄目だ、私は生粋の剣士なんだ」
そういうと、ユキノさんもまた唇をかみしめた。するとその時、野次馬たちを割って白衣を着た男が現れる。四十がらみの背の高い男で、胸から聴診器に似た器具をぶら下げていた。風貌とタイミングからすると、間違いなく医者だろう。村人の誰かが呼んだものに違いない。
男は冒険者たちの前で中腰になると、彼らの怪我の様子をつぶさに観察した。そして、おもむろに口を開く。
「こりゃ酷い。処置しないと、今晩中に死ぬよあんたたち」
「た、頼む! 何とかしてくれ!」
「そう焦りなさんな、処置さえすればすぐに良くなるよ。だがその前に、あんたたちに確認しておきたいことがある」
男はそういうともったいぶるように少し間をおいた。その態度に焦れた冒険者たちは、たまらず男を急かす。
「なんだ、早く言ってくれ!」
「そ、そうだ! こっちは命かかってんだ!」
「……一人一千万ガメル。五人で五千万ガメル、払えるかい?」
あまりの大金だった。冒険者たちだけでなく、俺たちまで一瞬にして言葉を失う。しかしすぐに彼らは戸惑ったような視線を互いに送りあうと、もう一度男の方を向いた。
「ほ、ほんとに五千万なのか?」
「もちろんだ、嘘は言わん主義なんでね」
「法外だ! そんなの認められるか!」
「きたねえぞ! てめえ、そんなことが許されると思ってんのか!」
声を荒げて、男の方へと詰め寄る冒険者たち。すると、男の奥からさらにもう一人の男が現れた。短く刈り込まれた白髪に、筋骨隆々とした体。その猛禽の様な鋭い目つきは、村長のゲイザーだ。
「許されるも何も、この村のトップの俺がすでに認めてるよ。なんも問題ありはしねえ」
「な、なんだと……てめえ……!」
「お前らに道は二つしかないんだよ。金を払って生きながらえるか、金を払わずに死ぬかだ。言っておくが、この村は完全な陸の孤島、近くの村の医者に行くって選択肢はなしだぜ」
そういうとゲイザーは邪悪極まりない笑みを浮かべ、彼らの前に手のひらを差し出した。金を差し出せ、札束を握らせろとの実質的な最後通牒だ。冒険者たちはそれを見て、眼に涙を浮かべる。なんて奴だ、これではナイフを突き付けて脅してるのと変わらないじゃないか――いや、もっと性質が悪い。
「チクショウ、そんな金ねえよ! 俺たち冒険者、その日暮らしさ!」
冒険者の一人が絶叫した。喉がちぎれんばかりの雄たけびが、深夜の村へ響き渡っていく。それに続くかのように次々と「俺も金なんてねえ!」という雄たけびが上がった。ゲイザーはその声を聞くと、両手をあげて肩をすくめ、やれやれと言った顔をする。
「仕方ない。金がないなら――死ね」
ゲイザーは踵を振り上げると、膝をついている冒険者の頭めがけて振りおろそうとした。しかしそれを、白銀の剣が受け止める。剣は逞しい足から繰り出される重い一撃を、微動だにせず受け止めた。
その剣の名は、聖剣ラインドギウス。まぎれもない、俺の愛剣だ。
「てめえ……いいかげんにしねえか――」