ツキビナ
花の都と呼ばれている王都ザグダに、秋がきた。どの木も色づき、たくさんの果物が活気溢れる市場にどっさりと並んでいる。
俺はそんななか、色づきもせず深緑の葉を秋の風で揺らしている、通称"雪の森"と呼ばれる森の前をゆっくりと歩いていた。隣には幼馴染のナビが黙って俺の歩調に合わせている。この森はザグダのすぐ隣に広がっていて、中につながる道をたどっていくとザグダの市場に出荷する野菜を育てているボルノという村に着く。華やかな都の隣とは思えぬ静かな森。ひと気も全くないため、俺はよくここにきてただただ時間を過ごすことが多々ある。だが、今日はのんびりしようと思ってここにきたわけではない。
ーーナビと約束を交わしてはや3年。
俺はやっと、決心がついた。
腰を降ろそうかとナビに声をかけて、俺たちは適当な木の根元に並んで腰を落ち着かせた。
ふとみた手の甲には、木漏れ日の不思議な模様が映されている。
「綺麗だな」
俺がぽつりとつぶやくと
「ね。すごく綺麗」
そういってナビは小さく笑った。
ナビはあの日から時折みせる寂しそうな横顔が減り、よく笑顔をみせるようになった。
妹のユウが可愛らしい顔をしているのに対し、ナビは綺麗な顔をしているため、観光がてら大広場にきた旅人がナビに心を奪われるということが多くなり、俺にとっては少しムッとなる出来事である。だが、笑顔が増えて良かったと本当に思う。‥思うからこそ、これから俺があのことを話すのはやめた方がいいんじゃないかとためらってしまう。
でもーーー、
「ロネル、話ってなに?」
ナビは俺が思っているよりずっと強い。だから‥‥約束を果たす前に、
「俺が知っているアトラの最期を聞いて欲しい」
ナビには知っていてもらいたい。
ナビの初恋の相手の最後を。
アトラの最後の言葉をーーー
「あぁ、お前ナビの友達だろ⁉そうかそうか‥これからよろしくな‼」
そう声をかけられたのは16の夏、太陽の光が照りつけるように辺りを照らしている、とても暑い日だった。アトラとは初対面だったが、ナビの話しで聞いていた通り、アトラの笑顔は夏の太陽にも負けないほど眩しかった。
ザグダには若い男が年を越す前に都をでて、北の方にある小さな森で"メルガー"という赤い小さな木の実を採ってくる、という行事のようなものがある。メルガーはめでたい実と言われていて、健康によく、年の始めに都の若い女たちが母親と一緒に料理を作ってみんなで食べるのだ。旅にでる若者は抽選で決められ、夏に大広場に貼り出される。旅は1ヶ月かからない程度で、人数は9人。
俺とアトラは7年前、それに選ばれた。アトラは長旅にでる準備をしていたらしいが、めでたい行事とされていたため、先にこの旅をしてからと予定を変更したらしい。あまり話したことはなかったが、ナビの想い人だということは知っていたし、良い人だということはナビがたまにするアトラの話しから聞いていた。
出発の日が近づくにつれ、ナビは大広場にいる時間が増えた。あいつは、悩んだり、泣いたり、怒ったりするときには、必ず大広場の花壇の前で膝を抱えている。いまだってそうだ。そんなナビに俺はなんにも言うことができず、ついに出発の日を迎えてしまった。
でも俺の心配など無用だったんだと、見送るナビの笑顔をみて思った。
「あいつは強いよな」
そう言ったアトラの言葉が耳に響く。
旅の途中、ナビの笑顔が頭から離れなかった。
初めて都をでて、俺は外の世界の広さを思い知らされた。目に映るのは、知らない道と木々や草花、そして青い空。
ーー俺はまだまだこんなにも小さい。
そう思った途端なぜか胸の高鳴りがやまなかった。
一歩一歩踏みしめるたびに、俺はこの旅で成長しようと強く思っていた。ナビに負けないように。もっとでかい自分になれるように‥
何日かともにしていくうちに、旅の仲間との仲も深まっていった。旅のリーダーを務めているのは、1番年上のボルガスという大きな背の男。黙っていると少し恐そうにもみえるが、笑うときには、目つきの悪い2つの目を棒のように細めて豪快に笑う。ばしばしと背中を叩かれるのは痛いのだが、場の空気が一瞬にして明るくなるほど気持ちよく笑う。副リーダーを務めるのは、9人の中でも若い方のアトラだった。持ち前の性格でよく笑いをつくり、場を和ませていた。
10日目の夜。無事に旅が進んでいるのを祝うため、ボルガスがこっそり持ってきた酒をみんなで乾杯した。俺はまだ未成年だったため、適当なジュースをついでもらった。毎年行われるこの行事のために、道沿いに植えてくれた木からありがたく果物を頂戴し、みんなでかぶりつく。俺は剥かずに食べるのは初めてだったため、戸惑いながら食べていたが、
「両手食い、ご覧あれ‼」
といい、豪快に食べるアトラをみて、俺もいつのまにか豪快にかぶりついていた。
「ったく、この酔っ払いたちが」
騒ぐだけ騒いだあと、ばたばたと眠りに落ちた野郎共を、意外にも酒を飲まなかったアトラと俺で毛布をかけてやった。
「ボルガスには明日お仕置きだなっ」
なんて、1番騒いどいて恐ろしいことを口にしたアトラは、全員に毛布をかけ終えると、俺たちも寝るかっ、と言って笑った。
「うおっ綺麗な星空だなぁ」
仰向けになって両手を伸ばすアトラ。
「寒い」
「あぁ、ごめんごめん」
「そんな笑顔で言っても駄目ですよ。毛布は2人で1枚なんですから動かないでください」
そう言ってからアトラとは別の方向へと寝返りを打った。しばらく、冷てぇなー、などとぐちぐちいっていたが、いつのまにか風の音しか聞こえなくなっていた。
さっきまでの騒がしさが少し寂しく感じる。
もう1度アトラの方に寝返りを打つ、と
「‥起きてたんすね」
「あぁ、まぁな」
アトラは眠りにつかずに、真っ直ぐに星を見上げていた。
「‥静かだなぁと思ったらちょっと寝らんなくてさっ」
意外にも同じようなことを考えていたことに少し驚く。
「‥‥静かですね」
アトラにならい、仰向けになって星空を見上げる。‥あぁ、わかるな。両手を伸ばしたら掴めそうな星々が一面に広がっている。最近星空をみていなかったことに少し後悔する。瞳に映る星を閉じ込めるかのように、静かに瞼をおろした。
「俺さ、」
暗闇の中でアトラの声が聞こえた。閉じた目をそっと開く。相槌をうとうか迷っているうちに、すぐにアトラが口を開く。
「ナビと約束したんだよ」
「‥‥約束?」
「そっ、約束。俺が一人前になってナビがもっと素直に笑えるようになったらさ、そんときは抱えきれないくらいのでっかいツキビナの花束持って迎えにいくって」
「へぇ‥」
ナビの笑顔がふいに頭に浮かんだ。
やっぱり、誰かを思うと強くなる。ナビも‥俺も。そして多分‥‥アトラも。
「なんで突然そんな話を?」
「えっ?あぁ‥まぁなんとなくだよ‼なんとなくっ」
「‥そうですか」
俺は再び目を閉じてもう1度寝返りを打った。
「あの‥」
「ん?」
「ナビを‥‥ナビをこれからもずっと笑顔にさせてください」
「なんだよそれ、まるで父ちゃんみたいだなっ」
「‥‥大事な奴なんです」
そう。大事な‥大事な奴だった。いままでも‥‥きっと、これからも‥‥。
「おぅ、任せとけよ‼」
ふっと肩の力が抜ける。あぁ、この人なら絶対に大丈夫だ。そう思った。わがままをいえば俺が笑顔にさせたい、そう思う。嫉妬とか黒いものがひとつもないなんて、そんなはずがない。でも俺は最初から、結ばれようと思ったわけじゃない。ただ、ただ笑顔でいてくれれば良かったんだ。ずっとずっと‥笑顔で。それだけで良かった。
多分アトラは、この旅が終わって次の長旅から帰ってきたときにナビを迎えにいくんだろう。だとしたら、俺は少しでもナビが俺だけに向けてくれる笑顔を焼き付けよう。瞳に、心に、ナビと過ごしてきた、あの花の都に‥。そして、俺も見送ろう。ナビがそうしたように、最高の笑顔で。幸福に包まれたナビとアトラに向けて、精一杯の気持ちを込めて‥‥。
このとき、俺は心から願っていた。
ナビとアトラの約束が無事に果たされることを。俺が笑顔で見送れるようにと‥
ーー目の前のことがうまく飲み込めない。
「リーダー‼大丈夫ですか⁉」
「おいアトラ⁉しっかりしろ‼」
「おっ俺たちはどうしたら‥」
「野郎共、うろたえるな‼‼」
野太い声が響き渡る。
「リ、リーダー⁉あんまり無理を」
「足を刺されただけだ。心配はいらねぇ!それより‥ロネル‼お前はまだただの若造だ。アトラおぶって近くの村で急いで手当てしてもらえ‼」
「はっ、はい‥」
「よぉーし、野郎共‼この汚れた盗賊共、一匹残らずとっ捕まえろ‼‼」
「御意‼」
ーーなにやってんだ。‥‥何突っ立ってんだよ、俺‼
震える足に力をいれて、アトラの元へと駆け寄った。
みたところ、刺された脇腹の傷はーー深い。
「つかまってください‼」
「あぁ‥悪いな‥‥」
弱々しい力でアトラの手が俺の肩を掴んだ。
早く、早くしないと。
俺は背中のアトラがあまり揺れないように気をつけながら、近くの村へと走り出した。
無事にメルガーの実を採り、都へもあと少しというときに俺たちは北の地方を荒らしている山賊に会った。ボルガスの指示通り、俺たちは茂みに身を隠しやり過ごそうとしたが、
「なぁんだこの実?すんげぇうまそうだな‼おい、これもらっちまおうぜ」
と言ってこの行事のために植えてくれた木の実を次々と採っていく山賊たちをみて‥‥
「おい。てめぇらの汚ぇ手でその果物に触れんじゃねぇよ」
隣にいた俺は止めることができなかった。
気づけば、盗賊に向かって行ったアトラが盗賊に刺され、引き止めるためひとり飛び出したボルガスが、地面に膝をついていた。
「ははっ‥馬鹿だなぁ‥俺」
「黙っててください。もっ、もうじきつきます」
「ナビにも‥怒られちまう」
「だからっ黙って‥」
「なぁ‥‥ロネル。あの日話したナビとの約束‥覚えてるか?」
「っ‥」
何を、‥‥何を言おうとしているんだ。
「あの約束‥‥お前に任せたよ」
「馬鹿なことっ、言わないでください‼ハァハァっ何っ変なことっ言ってるんですか‼」
「ナビに‥‥‥ナビに‥笑えって‥‥」
「そんなもの帰ってから自分で‼」
「‥‥は、初めて、ナビの笑顔をみたとき‥‥あぁ、すげぇ優しく‥笑う子だなって‥‥そう‥思って‥‥」
「ほらっもうすぐ村ですよっ‼もうすぐで医者に」
「あいつの笑顔で‥‥救われた奴が‥いたんだって‥‥ゴホッゴホッ」
「無理するな‼もう黙って‥」
「ロネル‥お前と旅できて‥‥本当‥良かった‥‥憎たらしい弟‥みたいでさ‥‥」
俺は村のゲートをくぐり大声で叫んだ。
「誰か‼医者を‼‼」
誰か、誰か早くーーーー
「ありがとな‥‥ロネル‥‥約束‥たの‥‥だ‥‥」
ふっとアトラの力が抜ける。俺は慌てて地面へとアトラをおろした。
「アトラ‼おい、しっかりしろよアトラ‼目ぇ開けろよ‼あいつ笑わせんだろ⁉約束果たすんだろ⁉何やってんだよ、おい‼いってらっしゃいって言われたじゃねぇか‼‼ただいまって‥ただいまって帰るんだろ⁉なぁ‥なぁーーーー⁉」
冷えていくアトラの手を掴み、俺は人目も気にせず泣いた。
医者がかけつけたときにはアトラはすっかり冷たくなっていて、もう息はしていなかった。
「アトラ‥‥最後の最後まで‥そんなこと」
膝に顔をうずめて肩を震わせているナビの頭に、優しく右手をのせる。
「‥‥ナビ」
突然、ナビはばっと顔をあげた。少しびっくりして、ナビと顔を合わせると‥
「ありがとう、ロネル。今日までずっとひとりで抱えててくれて‥。もう大丈夫。アトラのことで泣かないから。‥‥だから、泣いていいよ」
目を大きく開いたのが自分でもわかる。
「いままでずっと私ばっか泣いてて、ロネルはずっと我慢してきたから‥‥だから‥っ⁉」
最後までナビの言葉を聞かずに、右手を強く引き寄せて抱きしめた。
「ロネルは悪くない。‥‥悪くないよ。アトラは都の人々が育ててくれた木を守ろうとして刺されたんだから‥‥ロネルのせいなんかじゃないんだよ‥」
ふっと力が緩む。
そうだ。俺は‥ずっと自分を責めていた。ナビから大事なものを奪ったのが自分なんだと。ずっと‥ずっと‥‥。
「っ‥‥」
途端、涙がせきを切ったように溢れる。
俺はその言葉が欲しくて、この話しをナビにしたのかもしれない。俺のせいじゃないんだと、そう言ってもらいたくて‥‥。
「ありがとう、ナビ‥」
にこっと微笑むナビ。
あぁ‥俺もだよ、アトラ。ナビの笑顔に、俺がずっと守りたいと思っているこの笑顔に‥‥俺も救われた。
だいぶ落ち着いた頃には、もうすっかり日がくれていた。
「悪い。力入れすぎたか?」
そう言って身体を離すと、そうだったと言わんばかりにナビは頬を紅く染めた。‥馬鹿。俺もつられるだろ。
少し目線をそらして空を見上げる。と、綺麗な月が俺たちのことを淡く照らしていた。
「ナビ、立てるか?」
「あっ‥うん」
ナビに手を出して立ち上がらせると、そのまま手を繋いで森の中へと進んでいく。
昔、何気なく手を繋いでいた頃とはまったく違う2人の手が、もどかしく温かい。
「ロ、ロネル?森の中入って平気⁇」
「ん。‥‥平気」
交わらない視線が妙に気まずい。くそ。あともう少しだ。
キョロキョロとあたりを見回すナビの手を引き、数分歩いた頃‥。
「ん、どうしたの?急に止まっ‥‥‥⁉」
目を大きく見開くナビ。
「ロネル‥これって‥‥」
その先には、丁度木の間から漏れる月の光に照らされて、綺麗な白い花を満開に咲かせている大量のツキビナが植えられていた。
「3年前にナビの父親から種貰って、ユウに教わりながら育ててたんだ。‥まぁ花束じゃないけど‥‥って、また泣くのかよ。今度はちゃんと花、当ってるからな」
「馬鹿‥そんなのみてわかるよ」
ツキビナは秋に咲く花で、ユウビナとは違い、月の光に照らされる夜に花を咲かせ、朝には閉じてしまう。育てるのが難しい花らしいが、ユウに手伝ってもらったお陰で、こんなにもたくさんのツキビナを育てることができた。
「ナビ‥‥返事、聞いてもいいか?」
3年たっても変わらず、緊張で少し声が震える。そっとみたナビの顔には
「私も‥‥私もロネルが好き‼」
満開の笑顔が咲いていた。
手を重ねて帰る帰り道。たまに触れ合う肩と繋いだ手の温もりを感じながら、俺は3年前のあの日と、7年前のあの頃を思い出す。
ーー約束、守ったよ。
月を見上げてそう言った。夜空にはあの日と変わらず、いくつもの星が輝いている。
「お姉ちゃんの名前はツキビナの文字をとってつけられたんだって‼‥‥えっ?花言葉‥‥⁇うーんたしか‥あっ!優しい花、安らぎと幸福をもたらす、だよ!」
一緒に種を植えた日のユウの言葉を思い出す。
ツキビナの花言葉‥まさにナビの笑顔だな。
なぁ、ロネル。聞こえるか?
憎たらしい弟は、お前みたいに器用に笑わせることなんてできない。‥だから、これからも守ってくよ。ナビの笑顔を。アトラを‥俺を救ってくれたこの笑顔を、これからもずっと‥‥。
だからそこでみてろよ。絶対、幸せにするから。
俺は、ひときわ輝く星に向かって拳を向けた。頭の奥で、あの眩しい笑顔を浮かべながら‥