傾く天秤
更新が遅くなってしまって申し訳ないです。
夏休みになったらガンガン書き進めたいとは考えていますので、それまでは亀並み更新をお許しくださいませ。
春零自身が用意したのだと言う、香りのよい茶をすすりながら燐燐と甜瑠はこれまでの経緯を話した。落ち着いてきていたはずの心が再びざわつこうとしたが、茶の香りがそれを抑制してくれた。自身で思っている以上に精神が不安定なのをようやく自覚した燐燐は、恐らく見抜いているだろう幼馴染みにこれ以上見る目も当てられない様を見せたくはなかった。
破られた平和と、かつての仲間の失踪に、春零の表情も悲痛なものになっていた。多感な彼女にはあまり話すべきことではなかっただろうが、全て話して協力を仰がなければならない以上避けられなかった。
先ほど太陽のような輝きをしていた髪も、彼女の心を反映してくすんだ蜂蜜色になったかのように見受けられた。悲しげに紫陽花の花飾りがちりん、と揺れた。
「わたくしも――春零もずっと黎琳は強くて、負ける事を知らない強い女性だと思ってました。彼女の導きあってこそ、春零も皆も戦う事が出来ました。あの旅では、春零達がしてあげられる事はほんの些細な事だと思いましたが、それでも少しでも力になれるのならとやれる事をやったんです。その結果この国を、過去に縛られていた魂を救う事が出来ました。それもこれも全部黎琳のおかげであり、春零は感謝してもし尽せないほどたくさんのものを黎琳から貰い、たくさん守ってもらいました。今度は春零達がその役を引き受ける番なのですね」
悲しみに揺らいでいた瞳に強い光が宿る。気持ちの切り替えが早いのは、それだけ心の軸をしっかり保つ強さがあるからなのだろう。実力的な強さだけでなく、内面的な強さも秘めているところは、流石黎琳が見込んだだけあると言える。
同じ事を甜瑠も思ったようで、燐燐の視線を感じるなりばつの悪そうな笑みを浮かべた。
と、扉が開き、召し使いが恭しく告げた。
「旦那様がお帰りになりました」
「まあ!本当時を窺うのが上手なんですから」
名の通り、春を連想させるような甘いとろけるような笑顔を携えて春零が慌ただしく部屋を出て行く。あれがいわゆる「恋する乙女」というものだろう。
どたどたと騒がしい足音が近づいてくる。
「燐燐殿!」
「ど、殿!?」
足早に部屋に入ってきたのは、茶髪の男だった。肩にかからないくらいで切り揃えられた短髪は春零並みに艶やかで、これも贅沢な生活の恩恵かと内心皮肉に思ったりした。着ている服も春零のそれより更に金刺繍の派手なもので、しかし位の高いとされる赤を纏っているところを見ると、王宮内でもかなりの重鎮のようだ。
「いやはや、娘だけあって黎琳殿に負けず劣らずの露出で」
「!」
身分高く、それなりに齢を重ねた男の言う台詞とは思えなかった。
「ちょっと!どこ見てるんですか!確かに黎琳は露出狂でしたけど!」
「見たまんまの感想を述べたまで。髪を長く伸ばしているのも、少しきつめの目つきも黎琳殿譲りに見受ける。衿泉殿も本当は娘にここまで露出してほしくはなかろうが、黎琳殿には逆らえまい」
「まだ親にもなってないのに、よく衿泉の心を推察出来ますね」
……これは夫婦漫才なのかと突っ込むべきなのだろうか。
一つ咳払いをして、春零の夫・銀蒐は話を本筋に戻す。
「黎琳殿が何者かに攫われた事は今さっき春零殿から聞いた。我が軍に号令をかけて、情報収集に当たらせよう」
「ご協力感謝します」
礼儀よく真っ先に礼を言った甜瑠に続いて、燐燐も深々と頭を下げる。
するとその頭を男性の大きな手が柔らかく撫でた。
「さぞ心配だろう。早く見つけ出さなければ」
「……っ」
思わず込み上げてきた涙をぐっと堪えた。
心配なのは心配だが、一番は地上最強とまで謳われる応龍を手玉に収めた存在がある事に底知れぬ恐怖を感じているように思う。今までそんな不安も恐怖も感じた経験はない。それだけ両親に守られて育ってきたのだ。それを知らずにずっと剣の腕も上げた自分は強いと自負していた。しかし母ですら敵わない相手に、母を取り戻すためにも挑まなければならない事を不安に思っている自分が確かにそこに居た。
銀蒐の手が軽く燐燐の頭を二回叩く。父も燐燐が悲しい時、泣きそうになった時にはよくそうやって宥めてくれた。類は友を呼ぶとはこういう事なのだろう。
「ところで銀蒐、王宮の様子はいかがですか」
「ああ、あまり芳しくない。女王様の容態は日に日に悪化している。それでも血肉の争いを避けるためにその身体をおして玉座に座っていらっしゃる。実のところ、今の弟王様にも太子殿下にも後を継がせる気はないのだと仰っていた。暗殺などに走らないよう、警備兵を固めているが、今しばらくは人員をほとんどそちらに持って行かれそうだ」
「……城下の人々も言ってましたけど、一体王宮で何が起こってるんですか?」
きょとんと首を傾げた燐燐に、一番驚きを見せたのは甜瑠だった。
「お前それなりに人の話聞いててまだ事の全体掴めてないのな?」
「仕方ないでしょう!政治には興味そのものがないし、知っているのは今この国を治めているのは異例の女王であるくらいしか……」
「ここについた時、城下の人々はお前を待っていたかのような歓迎だった。そしてここに来てそこのお二人から弟王様と太子殿下の名も出てきた。これはもう王位継承問題しかないって。お前抜けてるのも大概にしろよな。いい加減本調子に戻れっての」
苛立ちを募らせたその口調に、むきになって燐燐は言いのけた。
「別に抜けてなんかないもの!いつも通りだよ!」
「っあのなぁ!」
「ちょっと二人とも!いきなり喧嘩腰にならないで下さい!」
周りに春零と銀蒐が居る事をすっかり失念していた二人は、はっとして縮こまる。気まずさを紛らわすために、燐燐は器に残っていた茶を一気に飲み干した。
少し乱暴気味に茶器を置き、立ち上がる。
「要は王宮内のごたごたを片付けない限り、母さんの捜索に本腰は入れられないって事ですよね?だったらさっさと解決しに行きましょう」
「さっさとって……、そんな簡単に片が付く問題ではない」
「そうだとしても、ここでじっとしているのは性に合いませんから」
すたすたと部屋の出口へと向かう。
「全く、あいつは結局あいつなんだか、そうじゃないんだか……」
「暴走しちゃうところも黎琳や衿泉からしっかり受け継いじゃってるみたいですね」
「春零さん、すいませんがここでじっとしていられないっていうあいつの意見には賛成なので、行きます」
「今の王宮に入るのは危険だ。くれぐれも、応龍の娘だなんて公表しながら歩き回るのは……」
「危なくなったら俺が意地でも連れ戻します。あいつの面倒見るのは慣れてますし、今同伴している俺の重要な役目でもあるんで」
挨拶もそこそこに、甜瑠は駆け足で暴走少女を追いかける。
傾いたら止まらないのはまるで天秤の上の鉄球のようだ。下手をすれば皿から零れ落ちてしまい、自力では皿まで這い上がれない。そこまでの危険や堕落に陥らないために、歯止めを利かさなければ。それが今一番なさなければならない事なのだから。
……後ろも振り向かないで前進していく幼馴染みを追いかけるのは、ただその義務感だけではないのだけれども。
そんな事など露知らず、燐燐は屋敷の玄関を躊躇いなく出た。
その正面には暗雲立ち込める城の姿がすぐそこまで迫っていた。