美しき宮廷歌人
道なき道から、都へ続く正規の道に出て歩き続け、早五日。予定よりも一日ほど早く、都の外門まで辿り着いた。それは甜瑠が小休止を入れようとしても、燐燐は笑顔で大丈夫だと笑って拒んだせいだろう。燐燐がなかなか甜瑠の話を聞かないのは昔からだ。とは言え、流石にここまであからさまに拒み続けていれば、もう心の奥などとうに見え透かれているだろう。
徹夜明けなのか眠そうな顔をしている門番に声をかける。
「都に入りたいのだけど、開けてもらえます?」
「む、その耳妖魔の混血か……。悪いが、正規の手続きを取って身分証明書の発行をしてもらいたい」
どうやら黎琳譲りの長い耳を見て妖魔と人の間に生まれた子だと認識されてしまっているようだ。しかし妖魔との混血だから正規の手続きが必要、と言うのも何だかおかしな話の気がするのだが。
とにかく誤解を解いて、早く門の中へと入れてもらわなければならない。両親のかつての旅仲間と会い、協力を仰がなければならないのだから。
「私は応龍が娘、黄燐燐。分かったら中に話を通してくれると嬉しい」
「応龍の、娘!?」
「そう言えば、この髪の色は双剣士様、耳は応龍様とそっくりだ」
「子供が生まれたという噂は本当だったのか!」
門番の間でちょっとした騒ぎになっている。しかしまたこの門番たちは如実に両親の見た目を覚えているものだ。まさかあれから二十年経っても同じ人物がここを警護しているわけではなかろうに。それだけ両親は有名人であることを感じ取れる場面だった。
「さ、お通り下さい。どうぞどうぞ!お連れさんも」
結構簡単に入れてしまった。あっさり入れたことに、警備体制を少し見直した方がいいのではないだろうか、と甜瑠は思ってしまうのだった。
そびえ立っていた周壁の中へ踏み出せば、ひっそりと、しかし威圧感を持って佇む城の姿が見えた。豪華絢爛とは言い難い、白よりの灰色のしっかりした建物、という印象だった。しかし大きさは十分あるようで、中は相当広そうだ。
とにかく、このまま城へ行って、昔の旅仲間に事の次第を伝えなければ。城に向かって、賑わう人波の中を進んでいくと。
「あの耳、応龍様の……?」
「この国を揺るがす一大事に、再び現れて下さるなんて!」
燐燐の元にはいつの間にかそれなりの規模の輪が出来てしまっていた。早く城に行きたいのだが、その輪が邪魔して上手く進めない。しかもそんな扱いは慣れていないので、どうあしらえばいいのかも分からなかった。
「これから城に行かれて、あの二人を諌めるんですね!」
「え?あの二人?」
「現女王様の弟君と、前帝王様の妾腹の王子様ですよ!あの二人、自分達の立場ばかり気にして、民を放ったらかしな政治をするつもりだと皆が噂して……!」
そんな政治の話など、あの村では疎遠なものに過ぎなかった。もしかすると、城仕えしている仲間と連絡を取っていた黎琳や衿泉はこんな動きも把握していたのかも知れないが。少なくとも燐燐にそんな話をしたことは一度もない。
答えに詰まっていると、人々は勝手に
「あ、もしかして内密に来ることになっていたり!?」
「それはいかん!ここで騒ぎ立てたら、本人達に勘付かれちまう!」
と解釈して妙に道を開けてくれた。その道を歩かなければ城の正門には辿り着けないようなので、苦笑いを浮かべながら燐燐はその道を歩く。
一体後ろから黙ってついてきている甜瑠はどんな思いなのだろう。ちらりと様子を窺ってみれば、案外平然とした顔をしている。
――何も感じないの?それとも、慣れっこなの?
誰も気づいてくれない。分かってくれない。
人々の裏に感じてしまう、灰色の影。変貌した村人達に比べたら色は薄いものの、あのように変わってしまいそうな、危うい状態なのは感じ取れる。
吐き気がする。
逃げ場は、ない。
「……?」
思わずその場にしゃがみ込みそうになった時だった。その場に女性の歌声が響き渡った。この世のものとは思えないような、高い旋律を紡ぐ美しい歌声の主は、城の方向から歩み寄ってきた。
太陽の光を連想させる金色の髪をふわりと舞わせ、優しさの滲み出た蒼穹の瞳が労わるように燐燐を見据えていた。青地に銀を中心とした刺繍の入った、質の良い服を身に纏っているので、どこかの貴族だと思われる。
「春零様よ!かつて応龍様と一緒にこの国を救った……!」
「有力側近の銀蒐様の奥様で、宮廷歌人の!」
――春零……春零って母さんとよくやりとりしていた手紙の送り主の名前!
春零と呼ばれた女性は、迷わず燐燐の手を引いた。
「髪や目の色は衿泉そっくりですね」
「!……あ」
ずっと会えたら聞いてみたい事があったのに、頭が真っ白で口をぱくぱくするしかなかった。
どうやらそれを、ここではしにくい話があると解釈したように、春零は踵を返す。
「立ち話も何ですから、城の方に向かいましょうか。後ろの彼も一緒に、ね?」
「!俺は別にそんなんじゃなくて……!」
ここでようやく甜瑠の昔みたいな落ち着きない姿を見受けることが出来た。
「ふふふ、大きくなった燐燐とお話しするの楽しみにしてたんです。ふふふ」
今にも花と蝶が舞ってきそうな微笑み。にこにこしたその顔に顔を曇らせる事は出来まい。
はははと苦笑いを浮かべながら、何だかこんな人が英雄には見えない、と燐燐は思うのだった。
連れて行かれたのは、城に隣り合って立つ豪邸の一つだった。彼女が家に帰るなり、召し使い達が一斉に出迎える。
「「おかえりなさいませ、奥様」」
「やだ、いつも通り貴方達がわざわざここまでしてくれる必要はないんですよ?お客様と言っても、よく知る家族みたいなものなのですから」
どうやら本当に普段召し使いに出迎えをさせていないらしい。相当困ったように言うものだから、貴族っぽさを感じられない。
「奥に入って。直にあの人は帰って来るでしょうから」
通された部屋は高そうな絨毯の敷いてある客間だった。精巧な彫刻のされた、年季の入ってそうな木材の椅子や机が中央に置かれている。
「あの」
「じゃあお茶を入れてきますから、ゆっくりしてて下さいね」
「え?あ、ちょっと……」
人の話を聞かずに春零はさっさと出て行ってしまった。だだっ広い客間に、あまり相応とは言えない格好の燐燐と甜瑠が二人、取り残される。
特に話す事もなく、沈黙の時間がただただ流れていく。
「……春零さん」
「え?」
「あんまり黎琳さん達と一緒に国を救った英雄らしくない、とか考えただろ」
図星を突かれ、たじろぐ燐燐。今まで父や母と共に旅していたのは、人間の中でも優れた力を持った選ばれし者であり、特別な人間であると思ってきたのだ。しかし実際会ってみれば、普通の人間とあまり変わり映えしないと言うか、何と言うか。
でもこれが二十年という時の流れの象徴なのかも知れない。かつての姿が薄れてしまっていても無理はないのだ。ましてや、元々普通の人間であるのなら。
それに、彼女に争いは似つかわしくない。あんなに優しい歌を紡ぐ人だ。旅の間も、争いに心を痛めていただろうに違いない。
「おまけに変な誤解もしてるし」
「ああ、さっき久しぶりに慌てふためいてたよね」
「慌てふためいてたって……!」
昔はよく頬を赤らめてしどろもどろになるのを面白がっていた記憶がある。久しぶりに帰ってきた彼には、その面影がすっかり薄れていて、心の何処かで違う人だと感じていたが、ここに来て一気に昔の彼に立ち戻ってくれたようで燐燐は嬉しかった。
これもあの美しき宮廷歌人のおかげであり、彼女の持つ力の一片なのだろう。
「お待たせしました~」
盆に陶器の茶器を乗せ、やって来た春零に、燐燐は久々に心の底からの微笑みを返した。
その様子を優しく見守る甜瑠の姿に、春零は再び茶目っ気のある笑みを浮かべるのだった。