凍える隠れ里
さらにもう一話アップします
「ね、ねえ。確かに私は貴方にどこまでもついていくって言ったけれど……」
一息置いて、燐燐はありったけの声で不満をぶちまけた。
「こんな極寒の地まで行かなきゃならないなんて聞いてないぃぃぃぃ!!」
辺りは一面の銀世界が広がり、吹き付ける凍てついた風が身体から体温を容赦なく奪っていく。流石に普段から薄着な燐燐も近くの中継点の村で羽織りを一枚購入したものの、そんなものでこの寒さは凌げそうになかった。
一方甜瑠は同じように羽織りを被っているだけにもかかわらず、そこまで寒さに耐えかねている様子はない。燐燐の叫びなど華麗に無視して甜瑠は呪術師一族からの使者に尋ねた。
「ここまで吹雪いている中を進まなくてもって思ったんだが……せめて天候が安定するまで待つべきだったんじゃないか?」
「これは自然に起きている吹雪ではないので、ずっと待っていても無駄なだけ。もう少し辛抱してほしい」
脈絡なく淡々と言う樢を、まだこんな地獄を見せるのかと恨めしく睨めつけ、燐燐は再び荒れ狂う雪と風に臨む。
積もった雪が柔らかく足を沈めていく。この不思議な感覚に最初は慣れなくて、何度顔面から雪に埋もれたことか。何せ生まれて初めて見た雪であり、どんなものかなど燐燐には知る由もなかったのだから。
そしてまた足が滑って。
「うあ……っ!?」
またまた顔面から雪に突っ伏そうとしていた燐燐を樢が後ろから引っ張り上げた。
「申し訳ありません、応龍。里に着きましたら、こんこんと言っておきますので」
「誰にそんなこと言うのよ。まさか自然相手とか言うの?」
「いえ、この吹雪で里を隠している守護の呪術師に」
おもむろに立ち止まり、懐から木彫りの印のようなものを取り出す。まるで門番に翳すように前へと突き出す。
「我、白牙の里より使者として遣わされし者。大いなる客人と共に帰還した次第。今ここに道を開け!」
刹那、風がピタリと止み、降りしきっていた雪が止んだ。一面の銀世界に一筋の道が刻まれた。必死にそこへ足を踏み出せば、踏み慣れた大地の感覚に思わずほっと息が零れた。しかし今度は雪の感覚に覚えが出来てしまったせいか、しばらく違和感ある歩き方しか出来なかった。
するすると雪が解け、一筋の道を開けていく。行きつく先に目をやれば、簡素な木の看板が目についた。
「あれが里の入口?」
「はい、どうぞこちらへ」
先に入口から里の中へと入る燐燐。雪が周りに積もっているものの、里の中の導線はしっかり確保されていた。小さな小屋が点々とあり、温かそうな湯気が煙突からもくもくと出ている。
「あの大きな屋敷に先に行って下さい」
「樢は?」
「先程申し上げたはずです。こんこんと言っておく、と」
言うなり踵を返して去っていく樢。
「あーあ、お前が無駄にずっこけなかったら守護の呪術師も怒られずに済んだんじゃないの?」
「何よ、また人を間抜けみたいに!」
「どこまで行っても抜けてるのは天性で変わりようがないってか」
「もうっ!」
ぽかぽかと甜瑠の両肩を叩いてみるものの、びくともしない。こうやって人をからかって笑うところは甜瑠も相変わらずで両者お互い様であるのだが。
「ほら、行くぞ」
ぱしっとごく自然にとられた右手。そのまま歩き出そうとした甜瑠の動きが一瞬で凍りついた。
どうして歩かないの?と問う前にぎこちなく甜瑠がようやく歩き出す。こんな寒い空気に晒されて冷たいはずの掌が、どんどん熱くなっていくのを燐燐は感じた。
「……昔はこうしてよく森の中を歩き回ってたよね」
「――ああ」
よく覚えている、という言葉を何故か二人は互いに呑み込んだ。恥ずかしさからくるのか、それとも。
近づけば近づくほど屋敷は広大さを増した。とうとう玄関先まで辿り着いた時には首をしっかり左右に振らなければ全体を認識出来ないほどのものだった。
雪と同じく白い壁についた粉雪がきらりと淡く輝くのが幻想的だ。まるでここは何かの儀式に使われる神聖な建物のように。
甜瑠があっさり燐燐の手を離し、玄関を叩く。まだ温もりは残っているのに芯から冷えた気持ちだった。
ぱたぱたと中からこちらへ駆けてくる音がしたかと思えば。
「おっかえりなさ~い!!」
「!!うわっ……!」
勢いよく玄関が開かれ、飛び出してきた人物が甜瑠目掛けて地を蹴る。そのまま猪のごとく突進し、勢いを流せなかった甜瑠がそのまま仰向けに倒れる。
甜瑠に覆いかぶさった人物は燐燐よりも小柄な少女だった。樢と同じ白銀の長髪をたたえた彼女はそのまますりすりと甜瑠に頬ずりする。
「帰って来るのずっと待ってたんよ~!樢はすぐウチほったらかしにして行くんやから~」
陽気で独特な言葉遣いの彼女はどうやら樢を待ちわびていたらしい。間違えて甜瑠に抱きついてしまうほどに。
ただの間違いで起こった事故だと言うのに、もやもやした感覚が燐燐を襲った。耐えきれず、少女を引き剥がす。
「何するんよ、あんた!」
「樢なら後から来るわ。私達は先に行ってって言われたから来たの。貴方が襲いかかったのは樢じゃなく私の幼馴染みなんだけど!」
「へ?」
ようやく両目を見開き、甜瑠の姿を見とめたことで少女はちっと舌打ちをした。
「何や、せっかく樢を今度こそ……!」
「今度こそ、何ですか」
実に冷ややかな瞳をたたえて樢が背後から現れた。瞬間、不機嫌になっていた表情が太陽のごとく輝く。
「やっとご登場かいな~!おかえり~!」
「前々から思っていたのですが、どうして貴方様はこの樢にかまうのですか。そのようなお立場ではないのをいい加減自覚して下さい」
「何で~?」
「何で~?じゃありませんよ。ところで長はお待ちなのですか」
「じいちゃんならおるよ。にしても、樢はウチをかまってくれへんなぁ。帰ってきてもすぐじいちゃんのとこ行くんかいな」
「……」
とうとう無視して樢が屋敷の中に入っていく。
「何やあの態度は!仮にもウチと樢は契りを交わす仲やのに!」
「「契り!?」」
「あ、あんた達が思う契りとは違うで?でもウチはいずれ樢の傍らに、樢はウチの傍らにおる運命の元にあるのや」
あまり詳しいことを聞いていると長くなりそうだ。凍える外でこれ以上足踏みするのは御免だった。
「と、とりあえず長の所に行ってもいいかしら?私は長が呼んでいるということで樢に迎えに来てもらってここに来たから」
「!ああ、あんたがね――」
ぼそり、と少女は呟いた。
「人の気配が強すぎて同族と分からんわ」
しかしその呟きを耳に拾う事なく燐燐は玄関に入った。




